第十二話・目覚め
「……あ、目が覚めた?」
「!」
覚えの無い匂い。けれど何処か安心するそれに包まれながらゆっくりと瞼を上げた男は直ぐ傍で聞こえた聞き慣れぬ声に、はっと飛び起きる。が、しかし全身を襲う痛みにそれは叶わなかった。
「っ……」
「大丈夫?」
息を詰め、再び寝台に伏した男に、傍らに置いてある椅子に腰掛けていたルイスが顔を覗き込むようにして訊ねた。
と、
「!っ」
男が怪我人にあるまじき素早さで、いきなりルイス目掛けて拳を突き出した。
それは、ルイスが認識するよりも早くて。
瞬きする間も与えず吸い込まれるように近付く拳が肌にめり込む。直前、ルイスの襟元が、ぐいっと背後から強く引かた。──背後で見守っていたアルザがルイスを護るために咄嗟に引っ張ったのだ。
襟首を引かれ軽く
「お前、敵か味方かも判別出来ねぇのかよ」
「けほっ、……仕方がないよ、アルザ。状況が状況だし。──怪我して、意識失って。目が覚めたら知らない奴が二人も目の前にいる。……警戒するなって言う方が無理じゃない?」
怒りを湛え低く
「少し前にリウィアスが通って行ったから、もう直ぐ帰って来るでしょ。それまでの我慢だよ」
アルザを宥めるように発せられるが、内心腹を立てているのだろう。言葉には男に対する棘が含まれている。
一つ息を吐くと、アルザは今一度男を
「……俺らはあんまり近付かねぇから、お前、大人しく寝てろよ。良いな?」
「悪化されるとリウィアスが困るんだから。助けてもらった恩を仇で返すような事、しないでよね」
看病していたにも拘らず、向けられたのは敵意。見返りを求めていたわけでは無いが、感じた苛立ちを含んだ忠告を投げると、二人は室内の扉の近くに椅子を移動させてそこに腰を下ろした。
その言葉通りそれ以上近付いてくる気配のない二人に、警戒しつつも男は寝台に身体を預けた。
・*・*・*・*・*・
護人の家の玄関が開かれる音がすると、ぴくりと反応を示したアルザとルイス。立ち上がった二人の全身から、安堵の色が浮かび出る。
それとは反対に、寝台の上に横になっていた男は、怪我によって動かせない自身の身体に苛立ちながらも警戒を強めた。
時間を置かずして部屋の扉が外から開かれる。
「──ただいまアルザ、ルイス。お留守番ありがとう」
姿を見せたリウィアスは、扉近くに立つ二人に笑みを向けた。
「おかえり」
「おかえりリウィアス。お仕事お疲れ様」
アルザとルイスもまた頬を緩めてリウィアスを出迎えた。
それに更に笑みを深くしたリウィアスは穏やかな表情のまま、寝台の上に横たわる男の許に歩を進める。
リウィアスが近付く事に、男は何も言わない。──いや、言えなかった。
微笑で彩られたその美しさに、言葉を失っていた。
そんな男の額に、リウィアスは触れる。と、漸く男は、はっとしたように言葉を発した。
「っ!さわ、るな……!」
慌てて自分に触れる手を払い落とす。
それにリウィアスは怒るわけでも悲しむわけでもなく、ただ目を細めるだけ。
「……こいつ、気が付いたと思ったらルイスを殴ろうとしやがったんだ。──本当に、助けて良かったのか?」
リウィアスへの態度に眉間に皺を寄せたアルザが、男が目覚めた直後に起こした行動を暴露する。
リウィアスは眉尻を下げて、ルイスを振り返った。
「そうなの……。──ごめんね、ルイス。怖い思いをさせたわね」
「大丈夫だよ。殴られる前にアルザが助けてくれたし」
気にしないで、と笑むルイス。
リウィアスはアルザへと視線を移した。
「アルザ、ありがとう」
「別に、大した事はしてねぇよ」
何て事はないというふうに答えるアルザに目許を和ませたリウィアスは、男へと向き直った。
男は探るようにリウィアスの様子を窺い見る。
「──何者、だ……?」
「私の名は、リウィアス。倒れている貴方を見つけ、ここに運んだのは私です」
リウィアスの自己紹介に、男は瞠目する。
「……あんた、が……?」
「ええ。──上体を起こせますか?」
驚き瞬く男に、失礼しますと一言掛けると、寝台と肩の間に腕を差し込んで疵に障らないよう気を付けながら上体を起こさせた。
間近に迫るリウィアスの美貌に、再び固まった男は大人しく身を任せる。
男の背を支えながら、リウィアスは小卓の上に置いていた水差しからグラスに水を注ぎ入れ、二種類の飲み薬と共に手に取った。
それは解熱剤と化膿止め。
先程男の額に触れた際、発熱している事を確認した。
「これは解熱剤と化膿止めです。お呑み下さい」
薬とグラスを差し出すリウィアスに、しかし男は警戒して薬を受け取ろうとはしない。
幾らリウィアスの容姿に目を奪われようとも、信用はしていない。
リウィアスの言葉を無条件に信じる事など、ない。
男の警戒心に、一度差し出した薬を戻したリウィアスは、洋袴の太腿部分に仕込んであった小刀で丸く成形してある薬を四分の一程切り出した。──因みに、身に纏う衣類は上下共に至る所に武器を仕込めるようになっている特殊な作りをしている。
リウィアスは切り出した薬の欠片を男に見せた上で己の口に含み、手に薬がない事と咥内にある薬の欠片を確認させ、渡そうとしていた水でそれを喉の奥へと流し込む。
呑み下した
リウィアスは自身が薬と水を呑む事で、それが安全な物であると証明したのだ。
「さあ、お呑み下さい」
残りの薬と水を男に差し出す。
渋々と、しかし受け取った男は覚悟を決めたように薬を口に含んだ。そしてそれを水で胃に流し込む。
リウィアスは褒めるように微笑んだ。
「──では、上体を倒しますね」
まだ少し水が残っているグラスを小卓の上に置くと、リウィアスは男の身体を支えながら再び寝台に寝かせた。
掛け布をきちんと男の身体に掛けてやる。
「──昼過ぎには皇太子殿下と第二師団団長ラルト殿がお見えになります。それまでは、大人しく休んでいて下さい」
男は、はっとしたようにリウィアスを見上げる。
その言葉で、リウィアスが自分の本来の役職を知っていると察した。
けれども、リウィアスは一切その事に触れる事はない。
怪我の事情も訊ねる事はなく、ただこれからの事を告げた。
「お二人が見えられれば貴方も安心出来るでしょうから、その時に包帯を取り替えましょうね」
言うと、盆に乗せた水差しとグラスを持つ。
「私はあちらにいますので、何かあれば横になったまま声を掛けて下さい。大きな声でなくとも分かりますので、その時に出せる辛くない程度の声で呼び掛けて頂ければ結構です」
リウィアスは扉の向こうを示しながら、男に微笑み掛ける。
「今、ご用はありますか?」
「……ない」
「分かりました。何かあれば、遠慮せずに言って下さいね」
リウィアスはアルザとルイスを促し、部屋を後にした。
・*・*・*・*・*・
──部屋の中。寝台の上で男は、リウィアス達が出て行った扉を見つめた。
(……何故、何も訊かない?それに俺を見つけて運んだと言っていたが、確か俺は『死の森』にいたはず……)
意識を失う前の記憶は曖昧だが、それは確かなはずだった。
深手を負ったものの国境を越える前に追手は撒いた。
けれど、敵が何処に潜んでいるか分からなかったために碌な手当てもせずに人目を避けて馬を飛ばして。そして何とか『死の森』に辿り着いた。
だが護人に連絡を取る時間も惜しく。一か八かの賭けで単身、森を抜けると決断した。
けれど、いざ森に入ろうとすると、乗っていた馬がそれを
そのため仕方なく自分の足で森に踏み入り。
既にその時には視界が霞み、意識も
──そこから先は憶えてはいないが、それでも『死の森』に入った事は確実。
(俺が意識を失ったのは『死の森』のはず。……何故、俺を見つける事が出来た?何故、俺をここに連れて来る事が出来たんだ……?)
仮にそれが出来るとするならそれは『死の護人』のはず。
それともう一人。──確か、当代『死の護人』には『代理者』がいたはずだ。それも歳若い。
男ははっとしたように目を見開いた。
(──まさか、彼女が……!?)
一つの可能性に辿り着いた男は、扉を凝視した。
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