第十三話・協定国ロバリア



 ──昼を少し過ぎた頃、早めの昼食を摂ったアルザとルイスは護人の家を後にした。


 そのかん、再び眠りに就いた男から声が掛かる事はなく、途中、容態を確認するために自室を訪れた他は、久々の三人の時間を楽しんだ。

 嬉しそうなリウィアスの様子にアルザとルイスは頬を緩ませ、それが余計にリウィアスを喜ばせる。

 二人が昼食を食べ終わり、香草茶で喉を潤わせていた時、リウィアスは近付いて来る二人と二頭の気配に顔を外へと向けた。

 それに気付いたアルザとルイスが香草茶を呑み干し、椅子から立ち上がる。

「──俺ら帰るから。来たんだろ?」

「ええ。──ありがとうね?今まで一緒にいてくれて」

 頷いたリウィアスは、笑んで二人の手を取った。

 今の今まで二人が護人の家に残っていたのは、あの男とリウィアスを二人きりにするのを避けるため。リウィアスを気遣っての事だった。

 アルザとルイスは笑みを溢した。

「別に良いから」

「俺達がしたくてした事だしね」

 アルザの返答に付け足すように、ルイスが言葉を口にする。

 それに頬を綻ばせたリウィアスは、二人を、ぎゅっと抱き締めた。そして、その頬に軽く口付ける。

「!」

「わっ!」

 二人は、ぱっと頬を赤く染めた。

「ふふっ、本当にありがとう。──大好きよアルザ、ルイス」

 あ、でもこの事はレセナートには内緒ね?と笑むリウィアスに二人は顔を見合わせ、そして悪戯に笑みを浮かべる。

「「じゃあ……」」

 ──ちゅ、とリウィアスの両頬に音が鳴った。

「「これも内緒」」

「──っ……」

 二人からそれぞれの頬にお返しとばかりに口付けを受けたリウィアスは、自分の頬を両手で覆った。

 その表情は喜色に彩られ。

 リウィアスの反応にルイスも、普段素直ではないアルザも満面の笑みを浮かべた。


「──リウィアス!」

 三人で共に外へと出ると、護人の家へと向かって来ていたレセナートがリウィアスの姿を認めて声を上げる。

 それに軽く手を振って笑みを返すと、レセナートは馬の脚を速めた。後ろに続くラルトも同様に馬を操る。

「じゃ、行くから」

 二人が向かって来るのを確認したアルザとルイスが足を踏み出す。その背中に、リウィアスは声を掛けた。

「本当にありがとう。助かったわ」

「別に良いって」

「何かあったらまた言って。リウィアスのためなら何だってするからさ」

 気にするな、という二人にリウィアスは笑みを返した。

「ありがとう」

「ん」

「またね!」

 リウィアスに手を振り、レセナート達と頷きを交わした彼らは帰路へと就いた。


 馬を降りたレセナートは迷う事なくリウィアスの身をその腕の中に閉じ込める。

 リウィアスも嬉しそうに目を細めて、その胸に頬を寄せた。

「来てくれてありがとう、レセナート。──ラルト殿も早朝に文をお送りし、申し訳ありません」

「いえ。お知らせ頂き助かりました」

 頭を下げるリウィアスに、地に降り立ち、己とレセナートの馬の手綱を掴むラルトはかぶりを振った。

「早速で悪いんだが、──保護した男の容態は?」

「怪我は酷いけれど、幸い臓器には達していないから命には別状はないわ。ただ、左太腿に矢を受けたようで、それが少し神経を疵付けてしまっているから多少動かしにくくなると思う。でも訓練でかなり補えるはずよ」

 これは男を診察した医師を家まで送り届けた時に、聞いた事。

「怪我の程度で言えば、矢疵と刀疵、大小含めて十二箇所。全治二ヶ月といったところね。──訓練は本人のやる気次第だけれど最低でも半年を想定して」

「分かった。……今はどうしている?」

「私の部屋で休んでもらっているわ」

 説明を受けて頷いた二人を促して、リウィアスは屋内へと戻る。

「……ちょっと待っていてね」

 一言言い置いて、リウィアスは男の休む己の部屋へと消えた。


 部屋へと足を踏み入れたリウィアスは、寝台に横になる男へと近付く。

 気遣いながら、そっと男の肩に手を置いた。

「……起きれますか?お二人が見えられましたよ」

「ん……?」

 再び夢の世界へと旅立っていた男は、リウィアスの控え目な声に、ゆっくりと瞼を押し上げた。

「!……」

 眼前に広がる美しい顔に、瞬時に固まった男。そんな彼に、リウィアスは告げる。

「皇太子殿下と第二師団団長ラルト殿がお見えです」

「……はっ、……え!?」

 漸く言葉を理解したらしい男は幾度も瞬く。

「辛いでしょうが、お会いになれますか?」

「……お会いしたい」

「承知しました。ではそのままお待ち下さい。今、お通ししますので」

 微笑み頷いたリウィアスが、二人を呼び入れるために踵を返す。

「……っ……」

 その背後で、男が身じろぐ気配と同時に呻く声が聞こえた。

 直後、身を翻したリウィアスは男の許へと戻る。

「そのままお待ち下さいと申し上げたでしょう?治るものも治りませんよ」

 窘めるリウィアスに、しかし男は顔を歪めながらも身を起こそうとする。

「寝て、殿下にお会いするなど……っ!?」

 痛む身体を無視して上体を起こそうとした男は、驚きから途中で言葉を切った。

 リウィアスが、男の背に手を添えたのだ。

「──そういう時には頼って下さい。無理をして怪我を悪化させては、何にもならないでしょう?」

 言って、負担がなるべく掛からないよう注意を払いながら男の身を起こす。

 そして寝台の背と男の背の間に枕を入れ、楽な体勢を取らせた。

「……すまない……」

 小さな謝意に、リウィアスは微笑んだ。それに男は顔を真っ赤に染める。


 寝台を離れたリウィアスは、部屋の扉を開く。

「どうぞ。入って」

「ありがとう」

 身体を避けたリウィアスの横を通り抜けたのはレセナート。その後にラルトが続いた。

 寝台の上で頭を下げる男を認めたレセナートは目を細める。

「──やはり、ウォルターだったか」

「……殿下、ご足労をお掛けし、申し訳ございません。ラルト殿にも、ご迷惑を……」

「良い。気にするな」

 言ったレセナートの瞳は人の上に立つ者のそれ。

「これから話を訊く事になる。話せるか?」

「はい」

 ウォルターは確りと頷いた。そこに声が届く。

「──あまり無理はさせないでね」

 何時の間に用意したのか、水差しとグラスを盆に乗せたリウィアスが室内に再び現れる。

 瞬間、レセナートの瞳は柔らかいものとなる。

「ああ、分かっている。折角リウィアスが助けてくれたんだ。それを無駄にはしないさ」

「うん」

 応じたレセナートにリウィアスは目を細めた。

 そして一度小卓に盆を置くと、椅子を二脚、寝台の傍まで運ぶ。

 座るよう二人に勧めると、レセナートは礼を言って枕元に近い一脚に腰を下ろす。が、ラルトは礼を言うもののしかしそれを辞退した。

「私は護衛の身ですので。リウィアス殿がお座り下さい」

「それを言うならば、護人の家は私の管轄下に入るので今ここでは私がその役目にありますし、留守を預かる身でお客様を立たせて座る事など出来ません」

 それに、とリウィアスは続ける。

「部外者である私が立ち入るべき話ではないでしょうから、席を外させて頂きます」

 護人や代理者は『死の森』と王都セレイスレイドを護る立場にあって、まつりごとに立ち入るべきではない。

 そして今回の一件はそれに当たると判断した。

 しかし、いや、とレセナートが声を上げる。

「確率で言うと八割方護人にも関係があるだろう。それに──」

 護人に関係するならば聞くべきか、と考えていたリウィアスの手を取り、レセナートは自身の方へと引き寄せる。

 そのまま自分の膝の上に座らせると、間近からリウィアスを見つめた。

「近い未来、リウィアスは俺の妻になるだろう?だから、部外者なんかじゃない」

『妻』という単語にほんのりと頬を赤らめたリウィアスを愛しげに見つめるレセナート。

 ラルトは二人を温かな瞳で、嬉しげに見守った。


「……え?」

 そんな中、困惑に満ちた声が上がる。ウォルターだ。彼は目の前で繰り広げられる光景に、戸惑いの色を強く浮かべていた。

「つ、ま……?それに……、やはり『代理者』なの……ですか?」

 男の問いにレセナートは、ああそうか、と意を得たような表情をする。

「──紹介しよう。彼女の名はリウィアス。『死の護人』代理者の任に就き、此度の祝宴の席で正式に俺の婚約者となる人だ。──リウィアス。この男の名はウォルター。第五師団所属の諜報隊員だ」


 リウィアスが『代理者』だという事実を知る者は城内にも王都内にもいるが、それを口外する事はない。譬えしたとしたならば、厳罰に処される。

 年のほとんどを諜報活動に費やすために長く王都にある事のなかったウォルターが知れる可能性は低かった。


 驚き、固まるウォルター。

 逆に、リウィアスは機密事項であるはずのウォルターの正式な職を告げられたにも拘らず、別段驚いた様子も見せない。

 ただ、教えてくれてありがとう、とレセナートに笑むだけ。

 ウォルターは我に返ると慌てて頭を下げた。疵が痛んだが、構ってはいられない。

「……申し訳ありません」

「どうされました?」

 レセナートの膝から立ち上がり頭を上げさせながらも首を傾げるリウィアスに、ウォルターは、バツが悪そうに眉尻を下げる。

「……助けて頂いたにも拘らず、失礼な言動ばかりを取り……」

 その言葉に、リウィアス以外の二人が眉を顰めた。

「お気になさらず。警戒するのは当然の事。それに謝罪ならば私の代わりに看病をしてくれていたあの子達にして下さい」

 自分には必要はないのだと告げるリウィアスに、ウォルターは謝罪すべき事を思い出し、ますます決まりが悪い想いを抱きながら小さく頷いた。

「……ウォルター。どういう事だ」

 レセナートの低い声音に、ウォルターが青褪めながらも口を開こうとするのを、先に言葉を発する事でリウィアスがそれを制した。

「大した事ではないわ。それよりも話を聞くのでしょう?あまり無理はさせられないから短時間で済ませて欲しいのだけれど」

 穏やかな口調で話を逸らしたリウィアスを、じっと見つめたレセナートは諦めたようにに息を一つ吐くと、右手を差し出した。

「──分かった。……──リウィアス」

 微笑んだリウィアスはその手を取った。

 レセナートは手を引き、隣に置いてある椅子へとリウィアスをいざなう。

 客人であるラルトを差し置いて座るなど本来ならばしたくはないが、導かれたためにラルトに対し軽く一礼するとそこに腰を下ろしたリウィアス。

 座ったのを確認してから名残惜しげに握った手を離すと、レセナートはウォルターへと視線を戻した。

 その視線に促されて口を開く。



「──私は、ロバリア国城内に潜入しておりました」

 ウォルターは瞼を下ろした。

 その瞼の裏に浮かぶのは──。


『……お前、確か二番隊の。……丁度良いや。これから俺を楽しませてくれよ』


 そう言って、残虐な笑みを浮かべる男。



 ロバリア国というのはセイマティネス王国より北にある隣国で、両国はあまり良好な関係にはない。

 一応二国間で平和協定を結んではいるが、それもいつ反故ほごにされるか分からない状況下にある。特に、現ロバリア国王の治世となってからは。

 ただ、仮にも協定国。嫌々ながらも来月に控えた祝賀会の招待状を送ってあったのだが──。

「──此度の祝宴の席にて、事を起こすつもりのようです」

 の国で九ヶ月もの間、諜報活動を行っていたウォルターは、探っていた場で耳にした会話を思い起こす。

「『難攻不落と言われるセレイスレイドに入る又とない機会。これを逃す手はない』、と」

 瞼を押し上げたウォルターの言葉に、レセナートは顔を顰めた。

 確かに、国家の賓客ならば表立って逆らわれない限り『死の護人』も『死の森』にて護衛に就かなければならない。

 つまりは腹の中はどうであれ、安全に『死の森』を通れてしまうのだ。──王の首を狙っている者としたら絶好の機会だろう。

「その事を報告しようとしていたところ、ロバリア国王が金で雇った男に目を付けられまして……」

「それはウォルターがセイマティネスの者だと気付かれたという事か?」

 レセナートの問いに、ウォルターはかぶりを振る。

「いえ、それはありません。ただ、あの男のとして目を付けられたのです」

 『暇潰し』という単語に、話を聞いていた三人は訝しげな表情となる。

「『祝賀会までは大人しくしていろ。今騒ぎを起こされてセイマティネス側に警戒されては話にならない』。……ロバリア国王にそう言われ、退屈していたのでしょう。私や騎士団の新人達、下男、侍女らが暇潰しの相手に選ばれ、その男と他に雇われた者らの『逃げる的』にされました」

 顔を顰めながら話すウォルターは、嫌悪を滲ませる。

「私は一応騎士団に所属していましたので目立たない程度に反撃出来たのですが、下男や侍女は戦う術を持たずに無残にもなぶり殺され、容姿の整った女は殺されはせずとも人の目がある中で男達に陵辱りょうじょくされました」

 そのおぞましい光景を思い出したのか、表情に苦悩が浮かぶ。


 ──いくら敵国の人間であっても、それをされる光景を目にして良い気はしない。

 助けられなかった事実もまた、ウォルターを苦しめるのだろう。

 潜入していたからには、本来の実力を出す事も慈悲心を出すわけにも行かなかったはず。自身の正体や目的を知られるわけにはいかないのだから。


「城壁の上まで何とか逃げおおせていた私は、外にあった堀に足を滑らせた振りをして飛び込んで脱出を試み──。途中、追手は掛かりましたが国境を越える前には撒いて、人目を避けながら馬を跳ばして──……現在に至ります」

 話している途中から、僅かに息が上がってきたウォルターの様子に、そろそろ限界だと判断したレセナートは手短に確認せねばならない事だけを訊ねる。

「その男は何者だ?」

 ウォルターが気にする男。

「名は、ギセド・サウード。剣の腕は化け物染みていて、血に飢えた獣のような男です」

 告げるウォルターの表情は険しい。

 ──ギセド・サウード。

 この名を聞いたレセナートとラルトは、微かに反応を示した。

 しかしそれには触れず、最後の確認を行う。

「雇われた者らの総数は?」

「軽く千は超えているかと。主に賊や野心のある者を寄り集め、それらを数百の旅団に見せかけてセイマティネス国内に送り込むようです」

「分かった。──ご苦労だった。今はゆっくりと休め。後は私達が引き受けた」

 頷いたレセナートは、報告の役目を果たしたウォルターに労いの言葉を掛ける。

 少し息が荒くなったウォルターに、席を立ったリウィアスが水を飲ませる。

「──包帯を替えるから、居間にいてもらえる?」

「分かった」

 言葉に従い二人が部屋を出ると、リウィアスは手際良く包帯を取り替える。

「──何から何まで、申し訳ありません」

 それに顔を上げたリウィアスは微笑む。

「そのように改まる必要はありませんよ」

「いえ、そういうわけには……」

 意識がある時に初めて対面した際は、警戒していたためか口調も比較的荒く、一人称も『俺』であったウォルターは、レセナートによるリウィアスの紹介を受けてからは態度がすっかり改まった。

 しかし、それも仕方がないのかもしれない。

 リウィアスは『代理者』であると同時に、仕える主君の未来の妻なのだから。

 苦笑したリウィアスは、早くウォルターを休ませるために話を切り上げる。

「──さあ、眠って下さい。もう何も心配はありませんから」



 ・*・*・*・*・*・



 レセナートとラルトの待つ居間に移動すると、二人はリウィアスを振り返った。

「眠ったわ」

 大丈夫だと微笑むと、二人は、ほっとした表情になる。

「ありがとう、リウィアス」

 微笑み、礼を述べるレセナート。言葉には、手当の事だけでなく森での保護も含まれていた。

 リウィアスはそれにかぶりを振る。

「彼が生きているのはデイヴォのお陰よ。デイヴォが獣達を抑えていてくれたから彼は死なずに済んだの。──デイヴォの縄張りの外だったなら、今頃生きてはいないわ」

 ウォルターは、森に足を踏み入れたのも意識を失ったのも叡智えいちのデイヴォの縄張りだったからこそ、今命がある。

 血の匂いは獣の獰猛な本性を刺激する。

 他の『王』の縄張りだったなら『侵入者

 であるウォルターは立ち入っただけで間違いなく殺されていた。

「そうか、『赤王』が……。感謝しないとな」

 ぽつりと呟くように言われた言葉に、リウィアスは穏やかに目を細めた。

 デイヴォはリウィアスにとっては良き理解者であり友だ。

 けれども彼は恐るべき存在。普段、リウィアス以外からは畏怖の心しか向けられる事がない。

 そんな中、目の前にいる愛しい男は感謝の心を向けてくれた。

「──ありがとう」

「ん?」

 突然礼を言われ首を傾げたレセナートだが、リウィアスが嬉しげに笑んでいるのを見て気にしない事にした。


 二人に香草茶を淹れ、それぞれの目の前に置くと、レセナートに促されてその隣の椅子に腰を下ろした。

 今度はラルトも卓子テーブルを挟み、向かい側に腰掛けている。

「──最悪、戦争になるな」

 先程のウォルターの話から推測する事柄。

 レセナートの予測に、二人は同意見を示した。

 セイマティネス王国とロバリア国の戦争ならば、セイマティネス側が負ける事はない。これは顕然けんぜんたる事実である。

 にも拘らず苦悶の表情を浮かべているのは、戦争になるにしろならないにしろ、確実に戦闘が行われる場所が王都だからだ。


 ここ王都セレイスレイドは難攻不落と言われている。

 それは周囲を人を喰らうものが棲まう森や湖に囲まれているため。

 王都に侵入しようとしても、ほぼ確実に辿り着く事は出来ない。

 譬え、万が一奇跡が起きて辿り着けたとしても満身まんしん創痍そういである事は確実。

 そのような身で王都をおとす事は不可能。


 ──けれどもそれは、逆にも言える事。


 王都の外からではなく内側から攻められた場合、そして苦戦を強いられた場合、民が外へ逃げ延びる事は出来ない。

 外からの侵入を防ぐ『死の森』『死の湖』という強固な砦は同時に、緊急時、中から外へ脱出するという行為を妨害していた。

 それは言うなれば、諸刃ものはつるぎ

 レセナートが懸念しているのは戦う術を持たない民が被害を受ける事。

 ロバリア国王が手勢を連れて自分達に剣を向ける事が分かっていても、本意ではないとはいえ正式に招待している以上、王都への立ち入りを拒む事は出来ない。

 それをすれば、外交上セイマティネスに不利に働く事となる。

 それは避けなければならなかった。

 ──国は民の命と共に国益も護らなければならないのだ。

 被害を最小で抑えられるよう最善は尽くすが、それでも相手が行動を起こすであろう日は祝賀会当日。

 その日は多くの賓客が訪れ、招いた側として彼らの身の安全を図らねばならない。

 その中で王都内での警備に人材を割く余裕は、あまりない。

 王都にある自警団を使ったとしても、決して十分とは言えなかった。


 暫く何かを思案する様子だったリウィアスが口を開こうとし、けれど何かに気付いて窓の外へと顔を向けた。

 その様子にレセナートとラルトは不思議そうにリウィアスを見遣る。

「どうした?」

「……お師匠様が戻られたわ」

 その言葉通り、程なくして玄関扉が豪快に開かれた。

 扉を開いて現れたのは、外套のフードを目深に被った背の高い人物。

 長身であるレセナートよりも拳一つ分は高い。

「リウィアス、今帰ったぞー。……と、おお、殿下とラルト殿。うまやにお二人の馬が繋いであったからもしやとは思いましたが。──いらっしゃいませ」

 フードを取りながら人好きのする顔で笑う短髪の男。歳は四十前だが、少年のような笑みを浮かべる彼は二十代後半から三十代前半の容姿をしている。

 そんな彼こそリウィアスの剣術の師で、当代『死の護人』であるアゼルクだ。

「お帰りなさい、お師匠様。ご苦労様でした。陛下に帰還の挨拶はまだですよね?それが終わってからお食事になさいますか?」

「ああ、まずはお前の顔を見てからと思ってな。飯は全部終わってからゆっくりと食いたい」

 傍に寄り、無事の帰還に頬を緩ませるリウィアスの頭を撫でて目を細めたアゼルクは、顔をレセナートの方へと向けた。

 もうそこに笑みはない。

「──で、何ありました?」

 何『か』、ではなく、何『が』。

 アゼルクはリウィアスやレセナート達の空気を敏感に感じ取り、何かが起こっていると察した。そしてそれは決して歓迎出来るものではないという事を。


 アゼルクへの説明を担ったのはラルト。

 彼は今起きている事、これから起きる事を説明した。途中、リウィアスがウォルターの保護に関する事を補足する。

 説明を受けたアゼルクは眉根を寄せた。

「──あの連中は仲間か」

 独りちるようなそれに、三人は怪訝そうにラルトの隣に腰掛けるアゼルクに視線を向けた。

「どういう事です?」

 リウィアスが代表して訊ねると、アゼルクは険しい表情のまま思い出すように口を開く。

「移動中、幾つか不審な旅団や人間を見たんだ。どう見ても徒人ただびととは思えず、探りを入れたり挑発してみたらそれが当たりでな。害意があったから片付けておいた。数が多かったから念のため警戒するように言っては来たが……。色々と吐かせようとしたが口を割らなくて、唯一『自分達は雇われただけだ』と言っていたんだが、──そうか、そういう連中だったか……」

 考えを巡らせるアゼルクの言葉に、リウィアスは、やはりと思った。

 極力怪しまれないためには、一斉に送り込むのではなく、期間をずらして少しずつ送り込む方が良い。一斉に送り込んで、王都に辿り着く前に全て叩かれては、意味を成さないのだから。

 故に、早くも送り込まれた者らがいるのだろう。

「──レセナート」

 何かを決心したようなリウィアスに、レセナートは嫌な予感に表情を硬くする。

 リウィアスの瞳は、何処か哀しみに揺れていた。

「私は、敵を殲滅させる事に専念させてもらう。だから、……っ、出席出来ない」

「!っ」

 何に、とは訊かなくとも分かる。──祝賀会に、だ。

 確かに敵が大人数だと分かっている今、戦力は欲しい。

 けれど、やっとリウィアスの心を手に入れる事が出来たのだ。

 二十歳の祝賀会は、公的にリウィアスを婚約者だと、自分のものだと宣言する又とない機会。

 レセナートは苦渋に顔を歪ませた。

 ラルトも言葉の意味を理解し、心痛に顔を顰める。

「……どういう事だ?」

 一人、訳を知らないアゼルクが首を傾げた。

 レセナートが、そっとリウィアスを抱き寄せながら口を開く。

「……リウィアスは来月の祝賀会に、私の婚約者として出席する予定なんです」

 その言葉に目を見張ったアゼルクは、次いで、嬉しそうに破顔した。

「そうですか。やっとリウィアスは自分の気持ちを認めましたか」

 言うと、アゼルクは優しい笑みを湛えたままリウィアスに顔を向けた。

「ならばリウィアス、お前はそのまま祝賀会に出席しなさい」

 リウィアスは困惑したように眉尻を下げる。

「けれど、お師匠様……」

「大丈夫だ。話を聞いて考えていたんだが、まもり人に招集を掛ける」


 護り人とは、正確には『地の護り人』と呼ばれる者の事。これは、セイマティネスの各街や村に存在する、そこを守護する役目を担う一族の事である。

 この護り人の存在自体は人々に広く知られてはいるが、誰がそうなのか、またどの一族がそうなのか。『地の護り人』の血を引く者ですら知らない。

 そして、その『地の護り人』を統括するのが『死の護人』である。


 リウィアスは困惑の表情のまま、レセナートの腕の中で口を開く。

「ですが護り人は後継者選びや代替わりが相次いでいるのでしょう?」

 今日こんにちまでアゼルクが王都を留守にしていたのはそのため。


 次代の護り人を指名するのも、護人の重要な務め。

 そして近年、多くの『地の護り人』が年齢的に後継者選びの時期に来ていた。

 通常護人は『死の森』を長く離れる事は出来ない。だが、今は『代理者』が存在する。

 ならば、と『死の護人』であるアゼルクは自ら各地に赴き、各一族の中から後継に相応しい器を精選せいせんしてきた。

 そして指名したのち、少ししごいて鍛えたために長期にわたった。


「ああ、だから招集を掛けるのは当代の方だ。万が一にも後継を失うわけにはいかないからな。──それに今回選んだ後継はかなり優秀な者ばかりだ。自覚もある。後継となったばかりで負担も大きいだろうが、当代の留守を護れないような弱い者らではない。俺もそんな温い扱き方はしていないしな」

 それでも不安そうなリウィアスに、アゼルクは言葉を掛ける。

「それに一番の敵は中枢に来る。それを避けられないのならば内側で迎え討て」

 にっ、と笑うアゼルクに、漸くリウィアスは頷いた。

「──はい」

 リウィアスの返答に安堵したように、抱き締めるレセナートの腕に力が籠り、ラルトもほっと息を吐いた。

「よし、決まりだな。じゃあ、俺は陛下に帰還の報とその旨を伝えて護り人に招集を掛けて来る」

 そう言って椅子から立ち上がり、早速家を出ようとしたアゼルクは、ああそうだ、と足を止めてリウィアスを振り返った。

「森の王達への協力依頼をリウィアス、頼めるか?」

 ──『協力依頼』。それは一定期間、護人の守護なく森に侵入した者らを殲滅してくれるよう森の七王に依頼するという事。

 この依頼は、森を巡り、各王に会いに行かねばならない。

 それは広大な森の中。縄張りのどこにいるか分からない王を見つけ出して行わなければならず、尋常ではない程の体力を消耗する事になる。

 油断すれば命を落としかねない場所も通らねばならない。

 また依頼人に少しでも不満があれば、王は容赦なく攻撃してくる。

 各王への依頼が済むまでは一切気が休まらない状況に置かれ、精神力もかなり消耗するだろう。

 命を失う可能性のあるそれに、しかしリウィアスは迷わず頷いた。

「承知しました」

「頼んだ」

 アゼルクは片手を上げて家を後にする。その表情には、リウィアスに対する絶対の信頼が浮かんでいた。

「では、私も陛下への報告に戻らせて頂きます」

 ラルトも後を追うように、城へと帰って行った。


 二人残ったレセナートとリウィアス。

 未だレセナートの腕の中で、リウィアスは顔を上げた。

「……ごめんなさい」

「うん?」

「出席しない、って言って……」

「いい。ちゃんと分かっているから。リウィアスが俺やみんなを護るために言った事だって分かっているから」

「ありがとう。……──愛してる」

「俺も、愛してる」

 二人は互いの想いを確認し合うようにしっかりと抱き締め合った。

「……明日のシャルダン公爵との対面、出席出来そうか?」

 ──そう、明日はとうとう王弟シャルダン公爵夫妻と養子縁組を結ぶ日だ。

 リウィアスは頷いた。

「大丈夫よ。協力依頼には終わってから出発するから。でないと、何時戻れるか分からないもの」

『死の森』は広大。万事順調でも最低三日は掛かる。

「──無事に帰って来てくれ」

 懇願するような声音に、リウィアスは強く抱き着く。

「必ず戻るわ。レセナートの許に」

「約束だからな」

「ええ、約束──」

 誓うように、二人の唇が重なった。






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