復讐の因果 1
「相変わらず、このあたりの月魄は使えないわね。こんな小物しか捕まえてこないのだもの」
木々の隙間から射す月光の下。黒髪黒瞳の女は、動かなくなった灰色兎を取るに足らないもののように爪先で蹴った。
「太陽神さまの息吹に毒気を抜かれているのさ。それに言葉を忘れた時点でもう、月魄とは呼べないだろ」
同じく黒髪黒瞳の男は、地中から頭を出した岩に腰掛け、退屈そうな面持ちで女の様を眺めていた。
彼らが纏う黒は闇に堕とされた者の烙印。その身に宿るのは闇の力、魔力で。男と女は紛いもない魄魔だった。
彼らを視界に捉え、サユは息を詰める。
まだ、魄魔という言葉が存在せず、使族がひとつであったころ。のちに魄魔と呼ばれるようになった者たちは、月光神との契約により強大な魔力を手に入れた。だが、その代償は大きかった。
彼らが失ったのは使族の象徴であり誇りでもある緑の髪と瞳。陽に透かした若葉のごとき緑は、月のない夜よりも暗い黒へと染め上げられていたのだ。
それが魄魔の血にいまだ受け継がれ続ける魔力と、闇の烙印の根源だという。
ただ、伝承が真実で、彼らが月光神に
げんに、忌まわしい魔力はサユの胸を詰まらせ、息苦しさを誘う。
だが、怖じけはしない。
サユは横並びに立っていた至天と頷き合い、一歩まえに出た。周囲にまったく気を払っていない様子の魄魔らに対し、静かに、しかし明瞭に声をかける。
「あなたたち、ここでなにをしているの?」
問いに反応して振り返った女が、サユへと視線を投げた。
「なあに? 突然。驚かせないでほしいわ」
女はわざとらしく顔をしかめていたが、驚かせるなと憤慨したわりに落ち着いていた。近づくサユに気づいていたのだろう。己の優位を確信しているのかもしれない。
それならそれで構わない。サユは会話を成立させようと話を続ける。
「月明かりがあるとはいえ、森の散策には向かない時間帯よね。目的はなに?」
くすりと女が
「あら。私たちの目的が知りたいだなんて。彼女、変わってるわね」
「そうだな。それに、知ってどうするっていうんだ」
呆れ気味にそう口にした男も女と同様、サユの問いに返答する気はないらしい。座ったままで動く気配もない。
「迷ったというのなら、私が案内してあげるわ」
「小娘ひとりで道案内か。舐められたもんだな。それとも、ほかの奴らはこそこそ隠れて不意打ちでも狙っているのか?」
小娘ひとりと言うからには、男にとって精霊は頭数に入らないのだろう。
通常、魄魔や人間は精霊を視認できない。だが、精霊使との契約を介し具現化した精霊の姿ならば誰の目にも映る。ゆえに、サユの後方に控える至天の姿は男にも見えているはずなのだが。
ならば。と、男の考えにサユも従う。
「私だけよ。ほかには誰もいないわ。それで侮られたと思うのなら、質問に答える余裕くらい見せたらどうなの」
物怖じしないサユに、ようやく女が応じる姿勢を見せる。
「そうね、ちょうど退屈していたところだし。つき合ってあげてもいいわよ」
世間話でもするつもりなのか。気さくに響く声を不愉快に感じながら、サユは女の足許に横たわる事切れた兎を見やった。
「八年前の事件も、あなたたちの仕業なの?」
「八年前? また、ずいぶん昔の話をするのね。ねぇ、あなたは覚えてる?」
女は男に顔を向け、話を振った。
「あぁ、よく覚えているよ。それで、お嬢ちゃんが聞きたいのはあれだろ? 俺らを狩りに来たのに逆に狩られて全滅したお仲間の、死にぎわの話、だろ? 違うか?」
男の顔に不敵な笑みが浮かぶ。明らかにサユを挑発していた。そこに反対の声が上がる。
「全滅ではなかったわ」
不服を湛えた声の主は、サユではなく魄魔の女だった。サユを擁護しようとしたわけではない。続けられた台詞からもよく判る。
「あなたの記憶違いよ。だってひとり、惨めな生き残りがいたもの」
「生き残り? そんな奴がいたか?」
「ほら、片足を斬ってしまったから不様にも地に這いつくばっていたじゃない。たしか、あのときはまだ可愛い坊やだった。けれどいまはそう、肩書きばかりは立派な、聖家のご当主さま!」
女はそう冷やかしてひとつ手を叩いた。サユが取り乱すところでも見たいのか。神経を逆撫ですることが目的としか思えない言葉の選択に加え、表情は喜悦満面といった感じだ。
だが、わざわざ乗ってやる義理はない。
「あなたたちで間違いないのね」
サユが少しも動じないからだろう。女は口調が変わるほどの苛立ちを見せ始める。
「だったら、どうだというの」
低く言い放ち、蔑みの色を浮かべた双眸をサユに向けた。
男も笑みを消し、岩から腰を上げる。
「いいかい、お嬢ちゃん。俺たちは八年前より派手に殺り合いたいだけなんだよ。あのときの高揚感が忘れられなくてさ。そのためにわざわざ、こんな僻地まで来てやったっていうのに。出迎えがお嬢ちゃんだけだなんて落胆するだろ? 普通」
ぎりっと強く、サユは歯を食い縛る。
こちらが大人しくしていれば勝手ばかり口にして。吹麗から同一犯だとは聞いていたが、このやり取りだけでも充分だった。
男の傲慢な言いぐさが、いま為すべきことだけにサユを集中させていく。
「ならば最初から回りくどい真似などせず、直接、碧天に来ればいいものを……。だけど、そうね。どちらにしても——」
親の仇と確信した相手をまえに、常と変わらず冷静でいる自分にサユは驚く。それどころか感覚が研ぎ澄まされていく気さえした。
腰に佩いた短剣に右手で触れたその直後。息衝く暇くらいはあっただろうか。
「おい……。待てっ! サユっ!!」
慌てて制止の声を上げたのは至天だった。だが、肩へと伸びてきた至天の手を擦り抜けサユは動く。
「至天。黙って」
振り返らず、絶対の強制力を以て至天に命じたサユにはもう躊躇う理由はなかった。そしてそれは一瞬の出来事だった。
女が
それきり、ふたりの魄魔はぴくりとも動かなくなった。
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