復讐の因果 2



 周囲には鮮血。


 薄闇に散った深紅の血は禍々しい漆黒に見えた。サユの身をも染め上げた漆黒は、握り締められた短剣の切っ先からも滴り大地へと落ちていく。サユが無表情に見下ろしていたのは、首を深く斬られ血溜まりで事切れたふたりの魄魔だった。


 サユは蒼白にも見える顔つきで、いましがた至天により遮られた台詞の続きを口にする。


「あなたたちの相手など、私ひとりで充分よ」


 だが、短剣を持つ手は小刻みに震えていた。いまも残る肉を断った感触に驚愕を覚えていたからだ。


 精霊を剣に宿して戦えば、相手は命を奪われた瞬間に塵と化す。さらに精霊は奪った命を浄化し、緑界へと転生するよう導く。たとえそれが魄魔の魂だったとしてもだ。だからこそ、サユは精霊の力を借りず自身の手で魄魔の命を絶った。


 身勝手な理由で、人間の、そして父母の命を奪った相手が、太陽神の恵みに満ちたこの緑界に転生するなど許せない。刹那に浮かんだその感情に歯止めを失っていたのだ。

 自分は少しも冷静ではなかった。我を忘れていたのだと、目のまえの惨状を直視してようやく気づかされる。


「……至天」


 心を落ち着け、手の震えがどうにか治まるのを待ち、サユは地精の真名を呼んだ。力なく振り返ると、至天は予想どおりの顔をしてくれていた。これ以上はないというくらい不快感を前面に押し出した顔だ。


「お前なぁ、救いようもねぇことやってくれんなよ。全身血塗ちまみれじゃねぇか……。怪我は? してねぇな?」


 後半には気遣う言葉をくれた至天に、胸に重く伸しかかっていた罪の意識がほんのわずかだが軽くなった気がした。


「あんたを盾にするのを忘れていたわ」

「そうかよ。冗談が口に出せるんなら大丈夫だな」


 至天の表情が緩むのを見て今度はうしろめたさを感じる。

 こんな結果を招かないためにも平常心でいようと努めていたのに。私怨に駆られるまま動いてしまった自分に唇を噛む。


「本当に頭になかったの……」

「なら、もう二度と忘れるな。いいな? それからよ、悔いてる暇があるんなら、いますぐリョウを呼べ」


 普段は見ない真剣な眼差しと語調の至天に、サユは異議もなく柔順に頷いた。


燎永りょうえい、来て」


 真名を呼ばれた火精が、少年の姿を取り賑やかに燃え立つ。


「はい、はぁい! 一日ぶりだね……って、サユ。これってまさか……」


 惨状を見つめる燎永をまえにして、サユは口にしかけた謝罪の言葉を飲み込む。

 そんなサユに燎永はちらりと視線を送り、ひとつ溜息をついた。


「その様子だと、お説教はもうシテンからされたのかな。だとしたら、僕はぼくの役目を果たすだけだね」


 慈悲からか、魄魔に向けられた緋色の瞳が緩やかに深みを増した。橙色の髪は場違いなほど、ほのぼのとした暖炉の火を連想してしまう。容姿さながらどのような場面でも温もりを失わない燎永に、サユはますます申し訳ない気持ちと後悔を募らせる。


「頼んでもいい?」

「おやすい御用だよ」


 そう返事をするが早いか、燎永の輪郭がぐにゃりと崩れ内側から炎が噴き出す。輪郭が完全に消失したころには、たおれた魄魔もろともあたり一面を炎が舐め尽くしていた。燃え盛る炎はサユをも巻き込む。だが、燎永が服や素肌を焼くことはない。心地よい熱で包み、サユを染めた漆黒だけを消し去っていく。


 死の匂いまで焼き払う浄火。そのなかで形を失っていくふたりの魄魔を虚ろに眺めサユは呟く。


「本当に父さまたちは、この程度の奴らに命を奪われたの?」


 その問いに答えをくれる者はこの場には誰もいなかった。

 ただ、炎の生んだ風がサユの髪と血晶石の耳飾を煽り、かしゃんと小さな音を立てた。


「完了だよ」


 ふたたび燎永が少年の姿でサユのまえに立ったときには、炎はもちろん、血の一滴すら残さず魄魔の亡骸は消えていた。


「ありがとう、燎永」


 サユが謝意を伝えると、燎永は嬉しそうな笑みを浮かべた。そしてつぎの瞬間。


「うん。また、いつでも呼んで」


 言葉だけを残し、ひと息で闇に紛れ、吹き消されるように見えなくなった。


「至天。つぎは扉を塞ぐわよ」

「つぎは、じゃねぇよ。今日の仕事は終わりだ。てか、お前。本気で自覚がねぇのか?」


 仕事を続けようとしただけなのに。呆れ気味な至天の言いようにサユはむっとする。


「なんのこと?」

「自分の状態だよ。シナの世話焼きは毎度の話だが。一度呼んだら帰れと命じても居座るリョウがあっさり帰ったり、呼んでもいねぇのに勝手に出てくるナツが、こんな水源豊富な場所にいるってのにちっとも顔を見せねぇのはなんでだと思ってる」


 指摘されて初めて、もう一体いる使精、水の精霊である夏霞なつかの姿をここ数日見ていないと気づく。


 その場に火や水があれば別だが、火精と水精は呼ぶだけでも力を消費する。とくに火精は精霊使への負担が大きい。しかし戦いの場以外で精霊が具現化し続けるのをサユが負担だと感じたことはない。つい先刻、燎永を呼んだときもそうだ。


 サユは思わず、不安な表情で縋るように至天を見ていた。


「嫌よ。枝切も燎永も夏霞も、それにあんたも。誰も失いたくないわ」


 すると至天が盛大な溜息をつく。


「ったく。しょうがねぇな、うちの姫は」


 そう零しながらも、至天は面倒がらず続ける。


「精霊使の力は落ちちゃいねぇよ。毎回立て続けに仕事を受けやがって。最後にまともに寝たのはいつだ。昨日からは一睡もしてねぇよな? それで疲れてんだよ。だからちゃんと休めば回復する。扉なら結界を張ってあるし、ひと晩くらい放っておいても問題ない。あいつらもさ、お前が心配だから——って聞いてんのか? サユ?」


 話の途中で俯いてしまったため、至天から気遣わしく名を呼ばれる。


 こんなにも動揺してしまうだなんて情けない。自身を心中で叱咤し、サユは至天を見上げる。その顔からは、さきほど垣間見えた脆く繊細な印象は掻き消えていた。


「大丈夫よ。いまから宿に戻って休むわ。まだ、仕事は終わりじゃないしね。だいたいあんたの力が並外れているのが一番の問題なのよ」


 普段どおり振る舞ったサユに、至天が苦笑を浮かべる。


「そんな俺を使精にできる姫も相当だぜ。いや、それ以上か?」


 強がっているだけだと、どうせ至天は見抜いているのだろう。だからといって使精のまえで心の弱さを曝け出すなど自分に許すわけにいかなかった。これで終わりではないのだ。これからさきも魄魔とは戦い続けなければならないのだから。

 木立の奥に淀む夜の闇を睨むように見つめていたサユに、至天が声をかける。


「なぁ。この仕事が終わったら、サハヤに休みをもらおうぜ」


 この提案にサユは素直に頷く。

 形はどうあれ、これで八年前の事件にもようやく決着がついたのだ。決着がついた、そのはずなのに。


 サユの心は少しも晴れなかった。





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