作為の介在 3



 クアジの家を出ると、陽が沈んだばかりの西の空が残照で赤く染まっていた。

 点在する家屋には明かりが灯っているはずの時刻だが、鎧戸を閉めきっているのか漏れる光もなく、家の輪郭がかろうじて判別できる程度だった。

 出歩く者の姿もない。


 八年前のこともある。窓や扉を固く閉ざし家に引き籠もっても、魄魔が相手では無意味だと身に沁みて判っているはずだ。それでも家族で身を寄せ合い夜をやり過ごすしか、力なき者に手立てはなかった。


 怯えるだけの人間を追いつめて、なんの意味があるというのか。


「吐き気がする」


 まだ見えぬ敵を見据え、サユは言い捨てた。

 そこに冷気を孕んだ風が吹く。歩を止めたサユは、空中を仰ぎ口を開いた。


「どうだった?」


 問いに応じ、サユの正面に風がすっと落ちる。見ればひとりの女がすらりと立っていた。背で揺れた長い髪が薄明にあっても銀の輝きを放つ。


「村内に魄魔の気配はありません」


 淀みなく返答した女は風精の枝切しなきだった。その瞳は一点の曇りもない、冷たく澄んだ冬空のような青色をしている。


「引き続き警戒します」

「お願いするわ。それにしても——。陽があるうちに動かないのも前件と同じね。これは夜明かしも覚悟しておいたほうがいいわね」


 努めて明るい口調に終始したつもりだが。そんなサユの顔を枝切が覗き込んだ。


「僭越ながら愚見を申し述べます。顔色が優れないようですが」


 ここが暗闇でも、微細な表情の変化さえ枝切は見逃さないだろう。下手な誤魔化しは通用しないため、サユは差し障りのない答えを選ぶ。


「ここしばらく仕事が続いているから。でも、心配するほどじゃないでしょう?」

「ですが、まずは宿へ行って、少しでも食事と仮眠をとられてはどうです?」


 枝切は初めて会ったときから細かな気遣いをしてくれる精霊だった。サユも普段なら抵抗なく従っただろう。しかしどうしても食事をする気になれないサユは、枝切の言葉を煩わしく感じていた。心配してくれる枝切を蔑ろにしたくはないのだが。


「食事も仮眠も必要ないわ」

「……そう、ですか」


 サユから断言された枝切は、それ以上なにも言わなかった。いや、なにも言えなかったという表現が正しいか。

 真名を呼ばれずとも、主が強い意志を持って口にした言葉は使精にとって逆らいがたい強制力を持つ。サユも承知していたが、枝切を黙らせるため、あえて口にしてしまった。

 そのとき、サユの背後から男の声が届く。


「シナぁ、そこで諦めんなよ。姫に倒れられたら俺ら、なんもできねぇんだぜ。姫もさ、シナの言葉くらい素直に聞いとけって」


 会話に加わる最良の時機を計っていたに違いない。振り返らずとも誰の声かは明白だった。


「至天。そっちはどうだったの?」


 サユは地精の真名を呼び、言いぶんには耳を貸さず状況を訊ねた。


「無視かよ……。まぁいい。あったぜ、扉。全部で七カ所。で、最初の現場近くにある扉は特に歪みが酷い。あれは確実に砂界さかいに繋がってるな。いまのところ村内に魄魔が入り込んだ形跡はねぇが——。ったく。無駄にぼこぼこ穴開けやがって。誰が塞ぐと思ってんだ」


 心底厭そうな顔をした至天を、サユは睨む。


「愚痴らないで。あんたの得意分野でしょ」

「そうだけどよ。ちょっとばかし数が多すぎんだろ」

「力を持て余しているあんたには、それでも物足りない仕事量じゃないの?」


 とはいえ数が多いという至天の見解には同意できた。


 月光神の箱庭は砂界と呼ばれている。荒涼とした砂の海、さらには不毛の大地がどこまでも続いているという。そこから太陽神の箱庭、緑界りょくかいへと、魄魔は道を穿ち扉を開けやってくる。

 道や扉は放っておくと緑界に悪影響を及ぼす。扉の存在に気づかず足を踏み入れ、砂界に迷い込む人間もいる。そうなるまえに処置を施すのも使族の仕事だった。


 そのやらなければならない仕事を増やされ、愚痴を零した至天だったが。思いのほか従順に本筋の話に戻る。


「残りの扉は森で捕まえた動物の移送にでも使ったんだろ。まぁ、扉がある時点で魄魔の仕業なのは確定だけどな」

「そうね」

「なに辛気くさい顔してんだよ。八年前の事件の再現ならつぎの現場の予測もつく。それに相手は森の月魄を狩りに使ってる。動き出すまでにはまだ時間もあんだろ。それまでお前はすることがねぇよな。だからさ」

「宿で大人しくしていろと?」


 話を引き取り、サユは不満も顕わに言葉にした。

 なのに。至天は唇の両端を持ち上げ、にっと笑ってみせる。


「ああ、そうだよ。それからさぁ、サユ。言っておくが、俺はお前と心中する気はねぇからな」


 普段と変わらない軽い口調だった。それが逆に重く感じられた。


「私だって……そんなつもりはないわ」

「じゃあさ、自分の仕事をしようぜ。お前は宿で待機。俺とシナは見張り、な」

「サユ、そうしてください。わたしはシテンの提案に賛同します」


 ずっと黙っていた枝切も、ここぞとばかりに至天の意見を推してくる。

 使精たちに詰め寄られ、もっともな理由で説得を受けたサユは反論の言葉を失う。そこに続けての念押しを至天は忘れていなかった。


「宿に着いたら、ちゃんと飯も食え」





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