作為の介在 2



「やはり、八年前と同じなのね」


 べつだん表情の変化も見せず、サユは事件の概要を確認していた。その両の耳許で、紅い石が揺れる。


 結局、血晶石を使った耳飾をサユは受け取っていた。父母だけでなく、血晶石には兄の祈りも込められていると感じたから。だからこそサユは思う。兄は、確信に近いものを得ていたのではないかと。

 まだ断定はできないが、おそらく今回の事件は——。


「同じ魄魔の仕業と見て、間違いないのかもしれないわね」


 独白に近いサユの言葉に、村長のクアジが応える。


「うむ。放置する場所や順番まで、正確に再現しておるからの」


 玄関先でのやり取りのあと。ファイスはクアジにすべてを任せて帰ってしまい、この場にはいなかった。


 そもそも兄からは村長に話を聞くよう言われていたし、始めから官吏としての責務を果たす気はなかったのだろう。もとより無責任な男なのだ。そう断言できるほど、サユはファイスについて知っているわけではなかったが。一年前の事件時も、渦中の人物だというのに、他人事のように成り行きを見ていたくらいだ。


 なので当てになりそうにない官吏の存在は捨て置き。当初の予定どおり、サユはクアジから被害の状況を聞いているところだった。


 すべては八年前。異変はリシュウ北辺の村外れから始まった。

 最初に犠牲になったのは森に棲む野生の動物。かろうじて原形をとどめたに過ぎない、無惨に引き裂かれた小動物の死骸が一体。早朝、これ見よがしに放置されているのが見つかった。

 その翌朝にも一体。そのまた翌朝にも一体と、日を置かず、晒す場所を村を囲うように移しつつ死骸は増えていった。


 それは恐怖という名の包囲網となり村民を搦め捕る。じわじわと人間の生活圏に入り込み、被害はついに家畜にまで及び始めた。しかも警戒する村民の目を擦り抜け、嘲笑うかのように事は運ばれるのだ。ここまでくると何者の仕業なのか疑いようもなく、誰もが眠れぬ夜を過ごしていた。


 そして皆が恐れていた事態が現実となる。とうとう人間にも犠牲が出たのだ。


 サハヤが派遣されたのは、五人もの命が踏み躙られたあとだった。

 さきに犠牲となった野生動物や家畜と同様に扱われ、納屋や家屋の壁にその身をはりつけにされていたという。憐憫の情など微塵もなく、そのような所行をやってのける存在は魄魔以外に思いつかない。


「当時はいつまた逃げた魄魔が襲ってくるかと、皆びくびくしておったが……。いまごろになって同様の事件が起ころうとはの」


 皺が刻まれた瞼、その奥にある青眼が不安で揺れる。それでも長らしく毅然としていようと努めてか、クアジはできる限りに背筋を伸ばし腰掛に座っていた。

 卓を挟み、クアジと向かい合って座るサユは、少しでも老爺の不安を取り除ければと笑顔を見せる。


「今回は村の人にまで被害が及ばぬよう、最善を尽くすわ」

「頼もしい限りじゃ。サユさまの名声はこの村にまで轟いておるからの。先代さま譲り、いや、かのかた以上に卓越した精霊の使い手じゃとな」


 それは心からの讃辞に聞こえた。

 クアジはサユが若いからといって侮ったりせず丁重に接してくれてもいた。使族の強さや重ねた年齢は外見だけでは判断できない。それが常識となっているのも理由にはあるのだろう。


「そういえば、どうして八年前は、犠牲者が五人も出るまえに依頼をしてこなかったの?」


 サユの質問に、クアジは困惑の表情を浮かべる。


斯様かような内情をサユさまに申してよいものか——」

「事件に関することなら、どんな些細な情報でも知っておきたいわ。よかったら教えてもらえないかしら」


 サユの真摯な姿勢に押され、クアジは躊躇いを残しつつも口を開く。


「当時、村には依頼に必要な代価がなくての」


 クアジの表情からは口惜しさが見て取れた。


 使族は依頼を請けるさいに相応の報酬をもらう。だが、なかには報酬が払えず泣き寝入りするしかない集落があるのも事実。その場合、慣れ親しんだ土地から離れる決断を余儀なくされる。命があれば幸い。最悪、集落ごと命まで消される結果になりかねないからだ。


 すべての人間を魄魔の手から護りたい。そうは思う。しかし実現するのは難しかった。使族が魄魔討伐に割ける人数には限りがある。そして使族も衣食住を賄って生きていかねばならない。それは人間と同じ。依頼によって得る報酬は使族にとってなくてはならない収入源だった。

 とはいえ実際、使族がどれほどの代価を人間に求めているのか、サユは知らなかった。


「ごめんなさい。代価とか、そのあたりの事情には疎くて」


 自身の無知を正直に告白したサユに、クアジが慌てて首を振る。


「滅相もない。八年前、支払うべき代価が用意できず、依頼もままならなかったこの村に、無償で救いの手を差し伸べてくだすったご厚情には、皆が心から感謝しておるんじゃ」


 それは初めて耳にする話だった。

 依頼がなかったにも拘わらず、兄たちはリシュウへ派遣されたというのだろうか。サユは疑問に思う。だが、リシュウは碧天都から近い。惨状を知った使族の誰かが見兼ねて聖家に救援を要請したのかもしれない。だとしたらそれが誰なのか、心当たりがないわけでもない。


 サユが思案していると、代価を用意できなかった理由をクアジが教えてくれた。


「当時の官吏が横領を働いとってな。本来、村の治水や整備に充てられるべき公金じゃったのに……」

「それが依頼できなかった理由?」


 クアジが表情も重く頷く。


「この村も月魄の被害は皆無ではない。その対策のための蓄えも充分にあったはずなんじゃ。なのに、それすらも官吏が使いきってしもうとってな……」


 息をついたクアジの表情がさらに曇る。


「真に赦せぬのは、使族への依頼を嘆願したわしらを適当にあしらい、横領を隠しとったことじゃ。横領が明るみに出たのはな、事が落ち着いてからじゃった。もし、官吏が悪事の発覚を恐れず、早期に領主さまへ報告をしておれば、あるいは助かった命もあったやもしれん」

「それは……、悔やまれるわね」


 サユが同情の言葉を口にすると、わずかだがクアジの顔に明るさが戻った気がした。


「詮なき過去についてまで申してしまいましたな。じゃが、悪いことばかりでもないですぞ。此度こたびについては前回があったからこそ、早くよりファイスさまが手を尽くしてくださり、こうしてサユさまには大事のまえにおいでいただけたのじゃしの」

「手を尽くしてって。彼——、ファイス・ランドルフが?」

「うむ。ファイスさまはお若いのに優秀じゃて」


 クアジが見せた親しみの籠もった笑みから、ファイスの働きには認めるべきところもあるのだろうとサユは推測する。

 それとも。クアジの言葉が真実ならば、彼の迅速な対応には感謝すべきだろうか。


「だとしたら、せっかくの働きを台無しにしないためにも、早急に解決できるよう努めなければならないわね」


 それはクアジに向けた台詞だったが、サユが自分自身に課した決意でもあった。





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