作為の介在 1



 領主、サーク・ランカースが治める地、ランカース公領にリシュウという村はある。碧天都から南へ下り、古森を抜けると最初に見えてくる人間の集落がそうだ。


 緑聖山の中腹、起伏の少ない広原に位置し、田園や牧草地が土地の大半を占めていた。見晴らしを邪魔する防壁がないのもリシュウの特徴だろう。

 多くの集落は月魄の侵入を阻むため、防壁を張り巡らし密集して居住地を造る。リシュウが例外なのは、使族の住む碧天都が近いためか魄魔の干渉も少なく、普段は長閑のどかで平和な村だったからだ。


 そして、年中濃い緑に覆われている古森とは違い、緑聖山もここまで下ってくると木々や草花が季節ごとに変化を見せ始める。いまは、麗らかになり始めた陽射しに後押しされ、緑が芽吹く季節。しかし夕刻ともなると、まだ冷え込みは厳しい。

 そんな夕暮れが迫るまでほどない時刻。碧天都からは徒歩での移動だったが、サユは半日もかからず、依頼を受けたその日のうちにリシュウへと来ていた。


 胸の高さまである、一見乱雑に積まれたような石垣越しに、古びた煙突屋根を見上げる。その視界を横切り、手のひらほどの小さな精霊が一体、サユの肩にちょこんと着地を決めた。

 道案内を買ってでてくれた風精だ。


「ここが村長むらおさの家?」


 サユが確認すると、風精はこくこくと頷き、落ち着くまもなく空へと舞い上がった。役に立てたことが嬉しいようで、サユの頭上をくるくると旋回したあと。強く吹いた風に乗り、道沿いに続く並木の向こうまで、あっというまに運ばれていってしまった。


「まるで逃げるみたい」


 ひとり取り残されたサユは、精霊に避けられ続けていた幼いころを思い出す。

 けれど、あの頃とは違う。

 過去の自分を振り払い、目的の家へ視線を戻す。すると玄関の扉が開き、ひとりの青年が戸外へと出てきた。

 その顔に見覚えのあったサユは目を疑う。


 ナラン大陸ではよく見かける栗色の髪。けれど、冴えた群青の瞳は印象に残る。しかも端麗な容姿に、洗練された物腰とくれば——。


「ファイス・ランドルフ?」


 農村にいるのが似つかわしくない青年の名を、サユは訝しんで呟いていた。

 だが、見間違いではない。

 声が届いたのか、青年がサユの存在に気づく。そのとき一瞬だけ、青年が驚いた顔をしたように見えた。しかしそれは瞬くまに人好きのする優しい笑顔に変わる。


「君が来てくれたんだ。以前よりも大人びて、いちだんと綺麗になっているから見違えたよ。なにより僕の名を覚えていてくれただなんて、光栄だね」


 忘れられるわけがない。彼を発端とし、ひとつの都が壊滅の危機に陥ったのだ。

 サユは、ファイス・ランドルフという傍迷惑な存在が引き起こした事件を思い返す。


 ランカース公領には領主の片腕とも目される、近衛武官長バナド・ランドルフという人物がいる。バナドは魄魔と対等に渡り合い、しかも勝利したという武勇伝により近隣諸国にまで名を馳せていた。

 ファイスはそのバナドの甥で、年齢は二十歳くらいか。早くに両親を亡くした彼は、伯父であるバナドに養子として引き取られ、育てられたと聞く。


 だが、ランカース公領の首都オウトウにおいて、バナドの血縁である以上に、彼は別の風説によって名を知られていた。

 首都に暮らす多くの女性を、その類稀なる容姿で魅了し、十八のころにはすでに、数々の相手と浮名を流していたためなのだが。月に映える夜の色と称される群青の瞳から、彼は『月夜の君』とまで渾名あだなされていた。


 そして昨年。年明けそうそう事は起きた。彼の瞳に惑わされた者は人間だけにとどまらず、あろうことか魄魔の女まで虜にしてしまったのだ。

 彼と魄魔のあいだにどのようなやり取りがあったのか。月魄の群に首都を囲わせてまで魄魔が望んだのは、ファイスの身柄引き渡しだった。


 結末はというと、見てのとおり、彼は事なきを得たわけだが。

 サユはあえて、群青の瞳へと視線を注ぐ。


「月夜の君。もしかして、一年前の事件を理由に、首都から厄介払いでもされたの?」


 冗談半分。残り半分は皮肉を込めてサユは問うた。

 しかしファイスの返答を聞くまえに、ふたたび玄関の扉が開かれ、白髪の老爺が顔を出す。サユと目を合わせた老爺の顔に、驚きとともに、安堵にも似た色が浮かぶ。


「これは、使族のかたじゃの。もうお越しいただけたとは——。して、ファイスさまとはお知り合いかな?」


 話し声に気づいて出てきたのだろう。老爺はサユとファイスの顔を見比べていた。


「彼女には以前、助けてもらったんだ」


 腰の曲がった老爺の背に、労るように手を当てながら、ファイスはサユへと顔を向けた。


「紹介するよ。彼は村長のクアジ・レイモン。そして彼女は、聖家のサユ姫だよ」


 サユの名を聞いた途端、老爺が目を見開いた。


「では、八年前の——」

「彼女が来てくれたのなら、ひと安心だね」


 老爺の言葉を遮り吐かれた無責任な台詞に、サユは薄ら寒さを感じる。


「それで? どうしてあなたがここにいるの?」


 今度は、さきほど確かめ損ねた疑問そのものをファイスにぶつけた。


「この村の地方官に任じられてね。といってもここには上司もいないし。一応、僕が君の依頼主になるのかな。だけど協力は惜しまないから、遠慮なく頼ってくれて構わないよ」


 見る者に安心感を与える、親しみ深い笑みを浮かべたファイスだったが。サユは懐疑的にならずにはいられなかった。

 本気で協力する気が、彼にはあるのだろうかと——。





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