祝福の大地 2



 コウキが執務室を退出してまもなく。出会いがしらに挨拶でも交わしているのだろう。コウキと聖家の家人数名の明るく弾んだ声が扉越しに聞こえてくる。


「彼がいる場所は、いつも賑やかですね」


 溜息混じりに零したのはサハヤだった。

 だが、すぐに気を取り直したようだ。椅子から立ち上がると机を回りサユへと歩み寄った。その足運びはさして重く見えない。それが月日を費やし努力を続けた賜物だとサユは知っている。


「兄さま。賑やかといえば、コウキに寄ってくる精霊たちもいい勝負ですよね」


 サユが笑顔でそう言うと、コウキにはいっさい見せなかった微笑みを、サハヤは惜しみなく披露した。


「精霊を引き合いに出すのでしたら、あなたもコウキとそう変わりありませんよ」

「それは、そうかもしれませんが……」


 否定したかったが、自らに集う精霊の面々を思い返すと認めるしかなかった。


「顔をしかめることではないでしょう。精霊に愛されている証拠ですよ。昨夜の仕事も、あなたともども最良の働きをしてくれたようですし。つぎの案件も任せましたよ」


 通常の仕事時と変わらないサハヤの対応に、サユは努めて平静を装い頷く。けれど、すぐにでもリシュウへと出立したい気持ちは見抜かれていたのかもしれない。

 穏やかな口調で、しかし的確な言葉がつけ足される。


「ただし、くれぐれも短慮な行動は慎むように」

「……心がけます」

「では、まずは両手を出してください。あなたに渡しておきたいものがあります」

「なんですか?」


 サユは言われるままに、手のひらを上にして両手を差し出した。


「あなた用に装飾を新しくしておきました」


 手のひらに冷たい感触が落ちる。


 手渡されたのは一対の耳飾みみかざり耳環部じかんぶは金で、小振りなのに手が込んでいて、蔓草の模様が細かく彫刻されていた。目を引いたのは垂飾たれかざりに使われていたあかい石。小指ほどの細長い石で、雫が流れて直線を描いたような形をしていた。その鮮やかな紅は、紅玉の輝きにも似ていたが。


「兄さま、これは血晶石けっしょうせきですよね? それも父さまと母さまの——」

「血晶石に勝る守護石はありませんから」


 サユが確信のもと投げかけた問いを、サハヤは否定しなかった。それどころか重ねられた言葉に、サユは狼狽える。


「駄目です兄さま。受け取れません!」


 血晶石は血を結晶化させたものだ。使族には、成年を迎えた我が子にその無事を祈り血晶石を贈る風習があった。そしてこれは父と母が、息子であるサハヤを想って創った血晶石。簡単に譲ったりしていいものではない。


 サユは両手を突き出し耳飾を返そうとした。だが、突き出した手ごとサハヤの両手に包み込まれ、耳飾を握らされる。


「私にはもう、必要のないものですから」


 静かに、そしてどこまでも優しく微笑んだサハヤに、サユは言葉を失う。


 血晶石は地精の力を借りて創る。生成には子が産まれ成長し成年になるまでと等しい年月が必要だった。ゆえに、贈るのは節目となる成年を迎えた年、という風習が生まれた。


 緑王家のひとつでもある定家ていけには、血晶石の生成を代行してくれる者もいる。だが、使いに地精を持っていた父が定家に生成を頼んだという話はない。サユのための血晶石を父母が創ってくれていたとしても、残念だがそれは、結晶となるまえに父と運命を同じくし、失われてしまっただろう。


 兄妹に残された父母の血晶石は、サユの手のひらにある、このふた粒しかないのだ。

 躊躇いを隠せないサユをまえに、サハヤは仕事の話を続ける。


「真偽を見極めるにあたり、リシュウにはスイレイを向かわせます。八年前に取り逃した魄魔を、彼女は見ていますから」


 そのとき、サユは惹き寄せられるように手のひらの耳飾へと視線を落としていた。サハヤの言葉を受け、耳飾が重みを増したように感じたのだ。

 思い違いかもしれないが、大丈夫だと、励まされた気がした。なにより当主の采配に異論があるはずもなく。首を縦に振り、サユは了承の意を示す。つぎにサハヤを見上げれば、しっかりと視線を結び、力強く頷き返してくれた。

 それからサハヤは、サユの後方へと視線を移していた。


吹麗すいれい、聞いていましたね。頼みましたよ」


 サハヤが呼びかけると同時に、藤色の髪をふわりと広げ、女の姿を取った風精が部屋の中央に舞い降りる。サハヤに向けられたのは、雪消水ゆきげみずのように透き通った淡青色の瞳だった。


「委細承知しております」


 サハヤの使精、吹麗は、たおやかに微笑み、主に応えた。





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