祝福の大地 1



 ナラン大陸を南北に二分するように連なる山々のひとつ。緑聖山りょくせいざんの山頂には、使族が古森いにしえのもりと呼びならわす深い森が広がっている。

 千年を優に超える樹齢を重ねた大木があちこちに見られ、複雑に絡む蔦、苔むした木の根幹や岩肌、何層にも積もった腐葉土が織り成す森の空気は濃厚で厳粛だった。


 そんななか、立ち入りを阻むように続く険しい山道を登っていくと、緑の天井が途切れて開けた土地に出る。

 まず目に入るのは、見上げる高さまで積まれた石の防壁。しかしそれは崩れるままに放置され、蔓草や木々の侵入を容易く許していた。完全に崩れ落ちた箇所もあり、門扉を開けずとも通り抜けできてしまう防壁はその機能をまったく果たしていない。


 崩れた防壁の奥には石造りの家並みも見えたが、こちらも家全体が蔓草に覆われていたり、立ち並ぶ家々が遠慮がちに見えるほど、木々が葉を生い茂らせていた。その隙間から覗く塀や壁は風化が進み、自由に育った緑と相俟って、経過した歳月を偲ばせる。


 緑に呑み込まれた都。だが、そこが廃墟でないのはすぐに知れる。

 広場を走り回りはしゃぐ子供たちや、世間話で盛り上がる住民の笑い声。道行く人々が交わす親しげな挨拶の言葉は、都が活きていると教えてくれる。

 そして見れば皆、髪と瞳の色が緑だった。


 ここ碧天都へきてんのみやこには、太陽神旺妃より箱庭の守護を任された使族の末裔が、いまもその使命を担い、暮らしている。





   *****





 都の中央にある広場を通り抜け、高台へと続く坂道を行く。すると碧天都で一、二を争う広い敷地を有する邸が見えてくる。そこに建つ館は荘厳な構えをしていたが、やはり時の経過を感じさせ、緑が優勢だった。

 その邸の主、聖家せいけ当主の執務室に向かい、サユは廊下を歩いていた。


 至天に宣言したとおり、寄り道もせず邸へと帰ったサユだが。急ぎ歩くのは、戻るやいなや、聖家当主から呼び出しを受けたからだった。

 つぎの仕事の話だろうと、用向きの見当はついていたが。


 使族には、総称して緑王家ろくおうけと呼ばれる六つの王家がある。便宜上、纏め役としての族長はいるが、使族間の重要な案件は緑王家の当主たちが中核となり取り決めがなされる。

 その緑王家に名を連ねる聖家は、使族へ寄せられる依頼に関するすべての采配を一任されていた。ゆえに聖家当主の執務室にサユが呼ばれるのは、仕事の話をするときくらいだった。


 だが、目を伏せ気味に歩くサユの面持ちは明るくなかった。

 急を要するとは、きっとまた魄魔絡みに違いない。どれだけ依頼を解決し続ければ、魄魔が起こす事件はなくなるのか——。そんな暗澹とした考えに囚われていたからだ。

 しかしそれもつかのま。執務室へと通されたサユの顔からは翳りが失せ、明朗な表情さえしてみせた。


 こういうところを含め、兄に遠慮をしているのかと至天は訊いてきたのかもしれない。

 問われた言葉をふと顧みたサユだが、それも顔には出さなかった。それより予想していなかった先客を見つけ、そちらに興味を引かれる。


「サユ、お帰り」


 さきに声をかけてきたのは、緑王家のひとつに数えられる真家しんけ、その当主カロの長子でもあるコウキだった。


「珍しいわね。コウキがここにいるなんて」


 サユは思ったままを口にした。

 三歳年下で、身長はサユに追いつきはしたが、同年の少年たちと比べればコウキの顔立ちは幼い印象を受ける。純粋な眼差し。ふわふわと柔らかく癖のある髪。のんびりとした話しかたや所作もその一因だろう。

 だが、今日のコウキはいつになく深刻な顔をしていた。


「つぎの仕事、サユをひとりで行かせるって聞いたから。抗議しに来たんだ」

「なにか問題でもあるの?」


 ここ一年、基本的にひとりで仕事をこなしてきたサユは首を傾げる。


「疑いがある。ただそれだけですよ」


 コウキに先んじて返答したのは聖家の現当主、兄のサハヤだった。

 椅子に座り、執務机に両肘をつき、重ねた手の甲に顎を乗せたサハヤの面差しは、兄妹なだけあってサユと似通った部分も多い。だが、その瞳は理知的で沈着な色を浮かべていた。


 そんな、しかも十は年上のサハヤに、コウキは遠慮の欠片もなく食ってかかる。

 座るサハヤの正面に立つと、音が鳴り渡るほど強く、執務机に両手を突いた。


「疑いがある。それが問題なんでしょ。場所に手順。ご丁寧にもそれがまったく一緒なんだよね? 時期だっていまごろだったし、少なくとも偶然とは言えないでしょ。たとえ模倣だったとしても、もっと警戒するべきだとは思わないの?」


 言い迫るコウキに対し、サハヤは一歩も引かなかった。


「もっともな意見ですね。しかし確証もなく私事にかまけ、貴重な人員を割くわけにはいきません。だからこそサユを選んだのです。それに模倣でないのなら、なおのこと妥当な人選かと思いますが」

「それこそ職権濫用だよ」


 コウキはそっぽを向き、唇を尖らせた。

 いったいどのような依頼なのか。説明を求めるべくサユはサハヤを見る。


「難しい依頼なのですか?」

「戻ってそうそう、つぎの仕事で申し訳ないのですが、あなたにはリシュウに行ってもらいたいのです」

「リシュウに、ですか?」


 途端、速まる鼓動と肺腑を抉られるような感覚にサユの表情が凍りつく。


「まさか、いまのコウキの話……。八年前と同様の事件が起きていると——、あのときの魄魔が、生きていたというのですか?」


 父と母、そして叔母と叔父の命を奪ったうえ、討伐隊の手からも逃げおおせたふたりの魄魔。生死不明のまま、いままでなにひとつ彼らを追うための手懸かりは掴めていなかった。

 その動静を知る糸口になるかもしれない話を聞かされ、気持ちを整理しきれず戸惑いを見せたサユに、サハヤが頷く。


「その可能性もあります。行ってくれますね」

「はい、否やはありません」


 サハヤの要請に戸惑いを一瞬で振り払ったサユは迷いなく応じていた。

 逆に焦りを見せたのはコウキだった。


「ねえサハヤ。緑王家の若衆はいまどこにいるの? このさいミトでもいいからさ。誰かひとりでも呼び戻せない?」


 助けとなるであろう者の名を挙げ、いまにも泣きそうな顔で懇願するも。


「コウキ。それ以上は越権行為ですよ」


 サハヤから一蹴されてしまう。

 途端に力なく項垂れたコウキの様子から、ここで諦めるのだろうと思いきや。


「ケチ」


 ぼそりと吐き捨てたコウキに、しおらしい態度は芝居だったのだと悟り、サユは呆れる。


「コウキが心配することじゃないでしょ。それに、いつもの仕事と変わらないわ」


 安心させる目的も含め、笑んでみせたサユだったが。コウキは耳を貸さなかった。

 サユを横目に新たな提案をする。


「若衆が駄目なら僕が行く。未成年の僕ならサハヤの管轄外でしょ。それに僕なら実績もある」


 これは、さすがに悪足掻きだ。今度はすぐに看破し、サユは密かに溜息をつく。


 確かにコウキは間違っていない。使族の成年は十六で、それを過ぎれば聖家采配の許、仕事を割り振られるのが決まりだった。対して未成年の育成は、武芸の才に秀でた真家が受け持っている。

 だが、そんな理屈を捏ねたところでサハヤが決定を翻したりはしない。

 そして予想に反せず、サハヤは一貫して冷静な態度を取り続けた。


「あなたの実力は認めます。ですが仕事に関しては例外なく、聖家当主である私の指示に従っていただきます。不満でしたら緑王家当主会にその旨を諮りなさい」

「それって当主会の結論が出るころには、サユはひとりでリシュウにいるって寸法だよね」


 コウキは負けじとサハヤを睨んだ。

 サユの目には子供が拗ねているようにしか映らなかったが。愛らしい、けれど軟弱とも言い表せる容姿だけを見ていると、実力を知るサユでさえ、コウキが持つ肉体の強靱さと能力を疑いたくもなるのだ。


 しかし見目はどうあれコウキは真家の直系。その実力は侮れない。王家が王家たる所以は、それぞれの血族が受け継いできた特殊な能力にあるのだから。たとえば聖家に生まれたサユが、契約に必要な真名を精霊から明かされずとも、見て知り、読むことができるように。


 その例に洩れないコウキが心強い味方となるのは事実。心配してくれるのも嬉しく思う。とはいえこれは仕事の話。聖家当主が決めたこと。サユに迷いはなかった。


「コウキ。私なら大丈夫だって、あんたが一番よく知っているでしょう?」

「そうだけど——」


 コウキはまだなにか訴えたそうにしていたが、それきり口を噤んでしまった。

 そこにサハヤが駄目押しをする。


「本来なら私自らが赴きたいところ。それができれば自分の不始末を妹に押しつけるような真似はしていません」


 たちまちコウキの機嫌の悪さがいや増すのが見て取れた。サハヤの言葉が反論の余地を与えない内容だったからだろう。


 サハヤには、左足の膝下からさきがない。これも八年前に奪われたもののひとつだった。

 杖を用いずとも義足により歩くのはもちろん、速度を問わないのであれば走ることも可能ではあるが、実戦となると話は違う。


「納得していただけたところで、サユと仕事の話をしたいのですが」


 サハヤから言外に出ていくよう示唆され、コウキはふてる。


「納得なんて……してないからね!」


 そう口にしつつも、万策尽きたのか、コウキにつぎの言葉はなかった。





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