過去の記憶 2



 自室のある居住棟を出たサユは、コウキとともに邸の本棟へと来ていた。


 同じく訃報を聞いたのだろう。駆けつける大人たちを避け、邪魔にならない場所を探し求める。なかば押し出されるように辿り着いたのは、中央階段の踊場だった。そこからは、開け放たれた玄関扉と広間が見渡せた。


 夜間にも誰かしら出入りのある本棟だが。昼間でも、これほど一族の者が顔を揃えているのをサユは見た記憶がない。

 邸中に張りつめる緊迫した空気が、日常の消失を物語っていた。手を繋ぎ立ち尽くす幼い子供ふたりに、注意を払う者もいない。皆が厳しい顔つきで、せわしなく目のまえを通りすぎていく。


 ことに緊張感の漂う広間には、剣や槍、弓など、自らが得意とする武器を携えた、十数人の男女の姿があった。

 討伐隊かもしれない。すぐにでも出立しそうな様子の彼らに、サユはそう思った。

 情報源は大人たちの口から断片的に漏れ聞こえる話だけだったが、このときにはサユにも、おおよその経緯なら見え始めていた。


 父と兄の仕事は、人間から依頼された事件の解決。請け負うのは主に、魄魔はくまと呼ばれる者たちの関与が疑われる依頼だ。

 それが太陽神より遣わされた一族、使族しぞくに課せられた務めでもあった。


 そしてこの夜。先代当主である祖父に報せがもたらされたのはつい先刻。報せは兄の使役する風精が持ってきた。


 兄とは別件で仕事に出ていたはずの父。就寝時には確かに、この邸にいた母。だが、そのあと父母はそれぞれに、兄の派遣先へと向かったらしかった。

 そのさきで、父母は命を奪われた。

 父母の命を奪った相手は魄魔に相違なく、兄とともに派遣されていた叔母と叔父までもが同じ魄魔の手にかかり、たおれたというのだ。


 いまだ信じられずにいたサユは、確実な情報を求め、全神経を広間に向け続けていた。

 そこに重厚な声が響く。


「敵はふたりだが、けして油断するな。だが、お前たちなら必ず決着をつけてくれると信じている。くれぐれも頼んだぞ」


 広間に集まった者たちを激励した男は父の弟——叔父のトウゴだった。


 不在の多い父に代わり、トウゴは当主代行として実質この家を取り仕切ってきた。いまも一族の指揮を執っているのはトウゴなのだろう。そして広間にいた者たちはやはり、討伐隊だったようだ。

 ただ、兄からの報せを事実とするならば。討伐隊の派遣が指し示すのは、四人もの命を奪っておきながら、その張本人である魄魔たちがのうのうと生き延びているという現状だ。


 サユは唇を強く引き結ぶ。

 報告の行き違いでも、たちの悪い冗談でも構わない。皆が無事で生きているという希望に結びつく言葉が、いまは欲しくてたまらなかった。


 そのとき、討伐隊を見送ったばかりのトウゴの視線が、踊場にいたサユとコウキに向けられた。最初から気づいていたのかもしれない。トウゴはまっすぐに広間を通り抜け、階段へと足を運んだ。厳しい表情を保ったまま、ふたりの許までやってくる。


 叔父ならば信頼できるし、確かな情報が得られるはず。だからこそサユはこの場にとどまり、トウゴに話しかける機会を窺っていたのだが。

 これでやっと、叔父から話が聞ける。そう思ったときだった。


「サユ。ここでなにをしている」


 トウゴから咎めるような視線を向けられ、サユは声にしかけた言葉を呑み込む。

 目のまえに立つトウゴの顔が、父と重なって見えたからかもしれない。


 厳格で、ときには頑固とも呼びたくなる父。いつもそこには筋の通った理由があり、闇雲にただ厳しいだけ、というわけではなかったが。そんな父とは対照的に、トウゴの顔からは温厚な人柄が窺え、実際に人当たりも柔軟だった。

 しかしいま、サユの目に映るトウゴの顔は恐ろしく、常とは別人に見えた。


 状況を考えれば無理もない。トウゴからしてみれば、兄と兄嫁、そして妹と弟の命が一夜にして奪われたのだ。憤りを感じるには充分すぎる理由だった。

 そのトウゴの目がコウキにも向けられる。


「なぜ、お前までここにいる」


 問われた瞬間、怯えたのか。繋いだ手に力が込められた。

 そこでサユは、コウキに代わって弁明しようと口を開きかけたのだが。


「……父上」


 コウキの口から小さく声が漏れたのを聞き、視線を移す。

 ほどなくトウゴの後方からコウキの父、カロが階段を上がってくるのにサユも気づいた。


 カロは使族随一と謳われる剣士で、サユの父さえ感服する腕を持つ。だが、その名声を聞いてから当の本人に会うと、誰もが疑いの目を向ける。線の細い体格に加え、虫も殺さぬ柔和な顔立ちをしていたからだろう。


 カロは悠々とした足取りでこちらまでやってくると、息子の頭に片手を置いてひと撫でし、トウゴには心底済まなそうな顔を見せた。


「トウゴさん。このような急場にこいつが勝手をして申し訳ない。すぐに家の者に連れて帰らせるから、赦してやってくれないか」


 対するトウゴは厳しい眼差しのまま、父子を見比べていた。


「どうやら息子のほうが機敏のようだな。討伐隊はすでに派遣した。それに手も足りている。貴殿は息子を連れて自邸に戻り、待機していてくれ」


 皮肉とも取れる言葉にも、カロは柔らかな物腰を崩さなかった。


「役に立てればと思って来たのだけれどね」

「逸らずとも貴殿には役に立ってもらう。新規の依頼で、兄が戻ったら任せようと考えていた仕事がある」


 それは間違いなく魄魔絡みで、解決には困難が予想される仕事なのだろう。父の活躍を知るサユは、そう推測する。

 ゆえに、代任できる者も限られる。


「ならば、引き受けるしかないな」


 やむなく承諾したカロに、トウゴが頷く。


「詳しい依頼内容は、追って使いをやろう」


 そう言い終えてからサユに向き直ったトウゴだが、表情はいくぶんか和らいで見えた。


「サユも部屋に戻っていろ。ひとりが心細いならお祖母ばばのところでもいい。なにがあったのかは、あとでちゃんと説明してやるから。気がきでないのは解るが、もう少し待っていてくれ。いいな?」


 誠実な姿勢でトウゴから諭されてはサユも異を唱えられず、しぶしぶ頷く。するとようやくトウゴはいつもの笑顔を見せてくれた。


「いい子だ」


 そして当主の執務室に向かうのか、上階に続く階段のさきへと消えていった。





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