悲劇の顛末 2
「サハヤを向かわせるとは聞いていたが。まさか、お前たちまで派遣されていたとはな」
イスズの表情は、いつにもまして厳格さを感じさせるものだった。
「いつからだ。お前たちは、いつからリシュウにいる」
「そんな怖い顔しないでよ、イスズ兄さん。リシュウには正式な依頼で派遣されたんだからさ」
ユフの言葉にサハヤは首を傾げる。派遣はセンリから要請があり、イスズが決定したのだとトウゴからは聞いていた。さきに現地入りしていたのがユフとリクマなのは確かだが。
そこにリクマが鍵をくれる。
「依頼内容は官吏家族の護衛っていう、簡単で退屈な仕事だったけどな」
「そうか、お前たちは否定しないのだな。人間が犠牲になるのをむざむざ見過ごすという、道理に反する行いを——」
憤るイスズは、おおまかな事情を把握しているに違いない。
リシュウの村民に犠牲者が出たのはサハヤも聞いていた。その事実に胸を痛めた母が、派遣を要請するのは充分に考えられる。父が迷わず派遣を決めるだろうことも。
ただ、ユフとリクマが故意に動かなかったのだとしたら。理由は官吏家族の護衛という任に縛られていたからではない。自分が派遣されてくるのを待っていたのだ。たとえ母からの要請がなくとも、別件から戻れば、自分はリシュウへ派遣される手筈になっていた。
サハヤがそのような考えに至るのは、魄魔を生け捕ることに執着を見せ始めていたトウゴを知っていたからだ。魄魔の真名が読めるサハヤは難なくそれを可能にする。
自分はどう動くべきか。事情が飲み込めたからこそ、サハヤは迷う。
目前では、渋面をつくったイスズがセンリの手を取り泉から引き上げているところだった。
「お前はサユについていろと、使いが伝えただろう」
「聞きましたが、この子たちが外に出て行くのを感じては、じっとしていられないでしょう」
イスズに反論するセンリの背後には、すでに泉から上がっていた少年と少女がいた。イスズとセンリを信頼しているのか、使族に囲まれているのに、彼らからは不安や焦りが感じられなかった。
サハヤはいっそう理解に苦しむ。実際、彼らと父母はどのような関係なのか。
「イスズ兄さん。その子らが匿ってるっていう魄魔の姉弟かい?」
ユフの問いは、サハヤが抱いた疑問の答えそのものだった。しかし簡単に受け入れられる内容ではない。日ごろ命の尊さを口煩く説いている父母でも、まさか敵である魄魔を匿うような真似まではすまいと、心の中で否定していた。
だが、非難を込めてユフが続ける。
「トウゴ兄さんに話を聞いたときには耳を疑ったけど。月守の女だけでは飽きたらず、本物の魄魔まで囲うとはね」
「なあ、冗談だよな、イスズ兄。そいつらには恨みを抱きこそすれ、情けをかける価値なんてないだろ」
ユフに重ねて、リクマも懇願するような面持ちで強く訴える。
しかしイスズは無言だった。たたみかけるユフとリクマを正面に見て、イスズが一歩を踏み出す。センリ、そして少年と少女の許から離れたイスズは、サハヤたちの間近まで歩み寄ると、落ち着いた口調でユフとリクマを諭し始めた。
「命を軽んずるその驕りこそが月光神につけいられる要因となり、使族であった者を魄魔と呼ばれるまでに貶めたというのに。なぜ、お前たちは、過去の過ちを教訓として活かそうとしない」
一喝されたわけでもないのに、ユフとリクマは驚くほど静かに、イスズの言葉を聞いていた。
「お前たちの行いは堕ちた者となんら変わらぬ。犯した罪を自覚し、処罰を受ける心構えをしておけ」
犯した罪とは、リシュウの村民を見殺しにしたことを指しているのだろうか。イスズから受けた警告に、ユフは硬い表情を見せた。
「トウゴ兄さんの読みどおりだね。イスズ兄さんは、私たち聖家を本気で裏切るつもりなんだ」
裏切り——。ユフが発したそのひとことで、サハヤは完全に正解を見失う。
目に映る確かなものといえば、魄魔の子を背に護り立つ父母の姿。それこそがもうユフの指す裏切りと取れた。ゆえにサハヤはそのとき動けなかった。
正面から顔を突き合わせ、ユフがイスズの右腕を掴んだ。必死に嘆願を繰り返すユフの声がサハヤの耳を衝く。
「そこの魄魔を差し出せば赦すって言ってるんだ。お願いだから応じて、イスズ兄さん!」
「断る。赦しを請わねばならないような行いをした覚えはない。真に悔い改めるべきは、お前たちだろう」
イスズは提示された譲歩案にも応じず、頑なだった。
ユフがイスズの腕を掴んだまま力なく俯く。
「どこまで行っても平行線だね。残念だよ……。そうだよね? リクマ」
「ああ、家族より魄魔を選ぶなんてな。あんたに、俺たちの上に立つ当主の資格はない」
そう断言したリクマは、いつのまにかイスズの背後に立っていた。
「離叛者には相応の罰を——。トウゴ兄も言ってたぜ。それが過去から学んだ教訓だ」
リクマの言葉が終わると同時に、ユフがゆっくりとイスズから手を離した。
そのとき。
紅い雫が散り落ち、月紅草の花を染めた。
ユフが見ていたのはイスズの胸許。散り落ちた紅い雫はそこから流れ出た命の断片だった。その有様は、サハヤから掛替えのないものを奪いゆく、悪夢そのもので——。
イスズは背後から、リクマの剣により胸を刺し貫かれていた。
顔色を失ったセンリがイスズに向かって駆け出す。けれど、ユフの放った矢に道を阻まれたセンリが、イスズに辿り着くことはなかった。
サハヤが見た、それが父と母の最期。
それ以上に、魄魔の姉弟が微動だにせずこちらを見据えていたことが、サハヤの記憶には鮮明に残っている。
そして母の喪失と同時に、少年が動くのを視界に捉えた。
佩いていた剣を抜き、少年が軽々と舞う。即座に反応を見せたユフとリクマだったが、どういうわけか足枷を填められたように動きが鈍っていた。おそらくは少年を助勢するため少女が放った魔力の効果。さらに相手が子供だという油断もあったのだろう。ユフとリクマが攻防も虚しく討たれていくのを呆然と眺め、サハヤは思った。
つぎは、自分の番だ。——と。
母は真名を呼び、姉弟をとどめていたのだ。ユフとリクマ、そして息子である自分をあの姉弟の手から護るために。
自らに迫る白刃を目で追いながらも冷静に考えを巡らし、サハヤはそうと悟った。
*****
「……ヤ。……大丈夫ですか? サハヤ」
執務机越し。吹麗に顔を覗き込まれたサハヤは、その一瞬で過去の記憶から解放される。
「大丈夫ですよ、つぎの策を考えていただけですから。そんな不安そうな顔をしないでください」
まだ、心配しているのだろう。
サユから取り上げた捕縛の封石だ。その中身が空だと知ったトウゴの手で床に叩きつけられたため、いまは無惨にもふたつに割れていたが。
「叔父に古森での待ち伏せを提案してください。見張っていれば、サユは必ず碧天に戻ってきます。そしてサユを追って、彼もやってくるはずだと——」
吹麗は憂慮の色を瞳に浮かべていたが、サハヤは微笑んで応える。
「もう、サユの存在を気に病む必要はなくなりました。あとはただ、証明するのみ。それに私にはまだ、あなたの姿が見えます。声も聞こえる。それだけで充分です」
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