悲劇の顛末 1
真実という名の悪夢。それは昼夜を問わずサハヤを苦しめる。
ふとした隙に蘇り、過去に起こった惨劇を忠実に再現してみせる。まるでサハヤを責め立てるかのように——。
もう、春先だというのに、見上げた満月の光は真冬の冷たさを残していた。
サハヤは視線を前方に戻す。叔母と叔父でもあるユフとリクマの背を追い、森の獣道を走り抜ける。事態が緊迫した状況に向かいつつあるさなか、彼らの存在はサハヤに安心感を与えた。
まもなくユフとリクマが木立の陰で足を止めた。そこからは涙花の泉が一望でき、青白の光景がサハヤの目に飛び込む。泉の周囲には一年前と同じく、月紅草が競うように白い花を咲かせていた。
目を奪われていると、振り返ったリクマから無遠慮に睨まれる。
「なぁ。敵はふたりだとか言ってなかったか」
リクマの批判からサハヤを庇うため、ユフが割って入る。
「リクマは相変わらず鈍いね。いま増えたんだよ。奥にいる子供ふたり、人間に化けてるだろ?」
「あぁ、ガキが魔力を解放したのか。それじゃあなにか? あいつら仲間割れでもしてんのか」
涙花の泉に向けられたリクマの視線を辿れば、手前には若い男女の魄魔。リシュウの村外れからここまで、サハヤたちが追っていたふたり組がいた。その奥には、泉に膝まで浸った少年と少女。一触即発といった感じか、二対二で向かい合っていた。
人間に化けているというユフの言葉どおり、少年と少女は魔力を持ちながら、どちらも栗色の髪と青い瞳をしている。
「子供ふたりは真名が見えませんね」
サハヤが伝えると、リクマが即座に動く。
「じゃあ、俺と姉貴が奥にいるガキふたりな。行くぞ、姉貴。サハヤは残りをやれ」
「ちょっ、リクマ! ……まったく。あいつの頭には、様子見って言葉はないのか」
愚痴を零し終わるころには、ユフも武器である弓矢を手にしていた。
そのときにはすでに、泉へと躍り出たリクマの行動が敵の注視を集めていたため、サハヤも仕方なくあとに続く。
臨戦態勢を取った男と女の脇をリクマが駆け抜ける。サハヤの背後では、ユフが弓に矢を
「あなたたちの相手は私です」
そう口にして、男と女の関心を自分に引きつける。
あからさまに不服そうな顔を向けられたが、サハヤは意に介さない。
「
サハヤの呟きに、男と女は動揺を隠しきれず一歩後退った。本能で危機を察知したのかもしれない。
男が夕暎で、女が夜景。魔力を持たずとも魔力の真名が読めると気づいたのはいつだったか。精霊の真名と同じく、月魄や魄魔をまえにして自然と頭に浮かぶのが、魔力、ひいては魄魔をも支配し得る真名であると理解してからは進んで利用するようになっていた。
これほど有効な手段はないからだ。目のまえのような小者ならなお造作なく、望みを声に乗せるだけでいい。真名を盗られた彼らは、サハヤに逆らえない。
「夕暎。夜景。ふたりとも動かないでください」
そうやって足止めをしておいて、サハヤは腰帯につけていた小さな革袋からふた粒の封石を取り出した。
緑玉を基盤に、月守家の魔力と精霊一体ぶんの力を織り込んで創られたその封石は、魄魔を捕縛するための牢獄。サハヤが望めば、役割を与えられている封石は忠実に応える。夕暎と夜景、それぞれの周囲には風の檻が編み上げられていた。こうなるともう逃げ場はない。たちまちのうちに、彼らの姿は涙花の泉から消えていた。
「今回も簡単でしたね」
夕暎と夜景を封じた緑玉を革袋に仕舞い、サハヤは泉へと目を向けた。するとユフの放った一本の矢が空中で分散し、炎を纏った無数の槍となり泉へ降り注ぐ瞬間だった。
精霊に人格を見ればみるほどその存在の消失を恐れ、力を揮うことに躊躇いを覚える。総じてそんな精霊使は弱い。その点ユフとリクマは精霊を消耗品と捉えていたので強かった。
しかし真名が見えないだけあって、敵も相当の強者のようだ。泉にはユフの攻撃を阻む水の壁が出現していた。
湧水に魔力を与え築かれた水壁。そこに今度はリクマが使精の宿った剣を打ち込む。剣から放たれた力により見るまに凍りついた水壁は、破砕音を響かせ砕け散っていた。だが一転。砕いたはずの水壁が氷の飛礫となりリクマを標的と定める。すべてを剣で打ち払うには至らず、後退を余儀なくされたリクマの表情は苛立ちが顕著だった。
「くそっ、ただの威嚇かよ!」
激昂し吐き捨てられた台詞どおり、リクマが後退した途端、狙いを定め宙に浮いていた氷塊すべてが重みを取り戻しつぎつぎと落下し始めた。
その直後だった。視界に映り込んだ光景にサハヤは息を呑む。
落ちていく氷塊の向こうに立っていたのは少年と少女だけではなかった。ただただ目を疑うしかなく、そこには母、センリの姿までもがあった。それだけでも信じがたいというのに。センリはその身に闇に堕とされた者の烙印を纏っていた。
サハヤは驚愕し立ち尽くす。
センリの烙印を目にしたからではない。物心ついたころには母の出自が月守家にあると知っていたサハヤが、いまさらその程度で驚きはしない。衝撃を受けたのは、偽りなき姿を晒してまで魄魔の子を背に庇い立つという行為にだった。
信じられない面持ちで目を向ければ、センリは濡れるのも構わず泉の砂底に両膝をつき、肩で息をしていた。
無理もない。ユフとリクマが扱っている武器はどちらも名のある封石。そこから放たれた精霊数体ぶんの力をセンリひとりで防いだのだ。相当な魔力を消費したに違いない。
だが、センリはすぐに毅然として立ち上がる。その黒瞳はユフとリクマに向けられていた。
「おふたりとも、武器を収めていただけませんか」
疲労を感じさせない、はっきりとした口調だった。重ねてセンリは訴える。
「この子たちはただ、ここで遊んでいただけです」
なぜ、母が魄魔の子を庇うのか。現状の把握が追いつかないサハヤを置いて、ユフがまえに出る。
「センリ。あんたは魄魔を見逃せっていうの? それにその姿。約束を忘れたのかい?」
ユフが口にした約束とは、黒髪黒瞳、そして魔力の秘匿。それを条件とし、センリは聖家に籍を置くことを許されていた。その盟約を破ってまでの行動——。
「それじゃあまるで、子を庇う親だぜ」
サハヤの心情を代弁したリクマの台詞にも、センリは動じなかった。
「そう受け取っていただいて構いません。我が子を庇うのに理由など必要ありませんから」
迷いのない母の宣言が耳に届いたそのとき。背後から肩を叩かれ、サハヤは驚いて横を見る。向けた視線のさきには、父であるイスズが立っていた。
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