漸進の兆候 2
確認作業も最後となる七カ所目。魄魔により穿たれた扉があった場所に立ち、サユは安堵の息をついた。
「ここも問題なさそうね」
サユの言葉を受け、張っていた結界を至天が解く。空間の綻びが広がるのを防ぐためと、人間が誤って入り込まぬよう、目眩ましの効果を持たせ張っていた結界だ。
「これなら、予定どおり帰れるんじゃねぇか?」
「そうね。あんたの閉道の技に手落ちがあったことはないし……」
「どうした。なにか気懸かりでもあんのか」
「気懸かりと言われれば、そうかもしれないわね」
リシュウに来てから、至天にはいつも以上に気を遣わせているのかもしれない。少し考えごとをしていただけなのに、それさえ見逃さない至天にサユは苦笑する。
扉のあった場所を眺めながら考えていたのは、そのさきに放り込んだ封石の行方だったのだが。
「つねづね考えていたことよ。封石を回収する方法はないのかしらってね」
「回収ねぇ……。まぁ、まず無理だろうなぁ」
「あんたが無理だと言うのなら、そうなのでしょうね」
サユの横に立ち、至天も扉のあった場所へと目を向ける。
「閉道に使える石ってのがまた、希少で値の張るやつばっかだしなぁ」
そのぼやきこそ、サユが封石の回収方法を思案していた理由だった。
道と扉は閉道の封石を使って塞ぐ。魄魔により穿たれた道までは、太陽神の恵みも届かないからだ。根源を太陽神とする精霊も同様、立ち入りはおろか干渉すら拒まれる。だからといって扉だけ塞いでも、道がある限り、ふたたび綻びが生じる危険性は否めない。その綻びを放置すれば、じわじわと緑界を蝕み呑み込んでいく。
そこで、使族
だが、そのように封石の扱いに長けた、月守家という血統が使族に在ることを人間たちは知らない。魄魔が使族より袂を分かった存在であるという事実とともに、月守家のいっさいについても口外禁止とすると掟に定めてきたからだ。
理由は月守家の者をまえにすれば一目瞭然。彼らには現在に至るまで、連綿とその身に受け継いできたものがある。
闇に堕とされた者の烙印、黒髪黒瞳だ。
その昔。闇に身を染められながらも、同族とは争えないと赦しを請うた者たちがいた。そこでかつての当主会が出した結論は、彼らを赦免し、ふたたび使族に迎え入れるという寛大なものだった。使族に月守家が在るのはそれからだ。
だが、いまも月守家の直系に精霊の存在を認識できる者は生まれず、身内に宿るのは闇に属する力、魔力。とはいえ太陽神の恩恵は皆無ではなかった。
長らく精霊の息吹が濃く満ちる緑聖山に暮らしてきたため、力は浄化され、砂界で暮らす魄魔が有する魔力とはその質を異にしていた。欲望を駆り立てる要素がなく、負の衝動も煽られず揮える力。それは精霊の力と同種と言えた。
ゆえに月守家の魔力は精霊の力とも馴染んだ。
なかには月守家の魔力のみが込められた月魄除けのような封石も存在するが、最たるものはやはり、閉道の封石だろう。魔力ならば道への干渉を可能とする。その魔力を込めた石に、空間を安定へと導く地精の力を加える。すると両方の効果を発揮し、道を塞ぐことのできる封石を創り出せる。それが閉道の封石だった。
「まぁ俺なら、どんな石っころでも関係ねぇけど」
見栄でも誇大でもなく、至天ならば実際それを難なくやってのけるのだろう。だが、至天ができるからといって、月守家の者もそうだとは限らない。
「あんたに見合う魔力の持ち主がいないから、結局は値の張る貴石を使うしかないって、忘れてないわよね?」
そこでいつもなら、なにかしら口答えをしてくるのが至天なのだが。その双眸は眼前ではない、もっとずっと遠くを見ていた。
「扉だ。いま……開いた。あの泉の近くだな」
サユは瞬時に状況を悟る。
「至天。さきに行って」
「了解」
応えた至天の姿は瞬くまにその場から消えていた。すぐにサユも走り出す。
心が騒いだ。
砂界で生まれた魄魔は月魄と同じく少なからず陽の光を嫌う。それが昼間に現れたというのなら、太陽神の恵みを撥ね返すだけの魔力をその身に備えているはず。
つまりは、サユが二日前に相対したふたりより格段に力のある魄魔が、ここ、リシュウに現れたのだ。
騒ぐ心はこれを予見していたのだろうか。
まだ穂も出ていない、緑の広がる麦畑に挟まれた道。涙花の泉への近道を探し、サユがそこを通り抜けたところだった。
「……悪い。一歩遅かった」
さきに扉に向かったはずの至天が、決まりの悪い顔で待っていた。
サユの表情が厳しさを増す。
「見失ったのね」
「あぁ。きれいさっぱり消えやがった」
「あんたが追いきれないなんて……。今回の依頼と関係していると思う?」
「もとから魄魔の干渉が少ねぇ場所だしな。同時期に別の目的を持った魄魔が現れるっつうのも否定できねぇが……」
サユは頷きつつ口を開く。
「
ぱふりと、腰のあたりに重みを感じたサユは、首を捻って背後を確認する。そこには腰に抱きつく十歳前後の少女がいた。
サユを見上げるのは無機質な印象を受ける真珠色の瞳。緩く波打つ長い髪は乳白色をしている。陶磁器のような白い肌が少女の輪郭を朧に縁取っていた。目が合うと、少女は愛らしい笑みを浮かべた。途端、朧だった少女は精彩を放ち、その存在が確かにあることをサユに知らせる。
「ナツに、ご用事?」
サユも微笑み、夏霞の頭を撫でた。
「そうよ。兄さまへの伝言を頼みたいの」
「うん、いいよ!」
嬉しそうに承知した夏霞に使いを頼んだあと。新たに開かれた扉へと向かうため、サユはふたたび駆け出した。
涙花の泉へと続く林道からわずかに逸れた木立の合間。扉は隠されるようにあった。
扉のさきに続く道は砂界には繋がっていないようだが、漏れ出る気は清浄を蝕み、サユを不快にさせた。扉付近に漂う魔力の残滓には忌々しさを禁じ得ない。
サユは指示を待っていた至天を振り返る。
「扉に結界を張ったら、リシュウとその周辺に異常がないか調べて。魄魔の探索も引き続きお願い。私はクアジに警告してくるわ」
「気をつけて行けよ。まだ、近くをうろついてるかもしれねぇし」
至天の言葉を受け気を引き締め、すぐに動こうとしたサユだが。ふとあることが頭をよぎる。
「この近くよね? ランドルフ家別邸って」
口にしてみると、至天は即行で煩わしさを前面に押し出した顔をしてみせた。
「あんな奴のことなんか忘れてろよ。村長に伝えれば一番に報せが行くんじゃねぇの?」
「そうじゃなくて——」
「違うならなんだ。約束を気にしてんのか。それなら普通の人間は魄魔が出たって聞きゃあ外出なんか……いや、まさか——」
どうなろうが知ったことではない。そんな態度だった至天が急に口籠もる。どうやらサユと同じ考えに辿り着いたようだ。
「その、まさかかもしれないでしょ」
この村にはいるではないか。魄魔に手を出し災厄を招いた男が。そして彼がもし、自分が考えているような存在だとしたら。同様の愚行が繰り返されても不思議ではない。
「至天。ファイス・ランドルフの所在確認を優先して。魄魔の探索はシナキに頼むから」
サユのこの命に、異論が出ることはなかった。
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