漸進の兆候 1



 リシュウに派遣されてから迎えた、二度目の朝のこと。


「この村の地方官にファイス・ランドルフという男がいるでしょう? どのような人柄なのか知ってる?」


 サユは単刀直入に訊ね、緑樹亭の食堂で朝食の給仕をしてくれていた女、タルティの反応を見ていた。

 この宿に来た翌朝には、かなりの話好きだと判明したタルティだが。ファイスの名を出した途端、口振りがより軽快になり、満面の笑みまで浮かぶ。


「サユさまでも心惹かれるのですね。素敵なかたですものねぇ」


 うっとりとして的外れな返答をくれたタルティに当惑し、サユは結局曖昧に頷く。

 訊ねる相手を間違えたかとも思ったが。サユが知りたいのはリシュウの村民が持つファイスの印象。そう考えるとタルティの反応も参考のうちに入る。


 彼の人柄に問題はないと最終的に判断できればいい。そう考えるのは、昨夜の手合わせから生まれた疑念自体、思い違いであって欲しいとの心情がサユの胸中を占めていたからなのだが。タルティが見せた笑顔はその心情を強くするものでもあった。


 だからこそ曖昧にして終わらせるわけにはいかない。


「彼のこと、詳しく聞かせてもらっても構わない?」

「構いませんが、なにからお話ししましょうか」


 そう前置きしつつ向かいの席に腰を落ち着け、タルティはファイスについて語り始めてくれた。始終、それはもう嬉々として。


「早いもので、ファイスさまが村にいらしてから、そろそろ一年が過ぎますが——。サユさまは、ギニエスさまをご存知ですか?」

「彼の姉よね。一度だけ顔を見たことがあるわ」


 秀麗で淑やか。線が細く儚げで、簡単に手折れそうな肢体。豊かに流れ落ちる栗色の髪が、そこに華を添えていた。そして、伏せられた睫の隙間に覗く瞳は、瑞々しい若葉の緑。その緑は、使族の血を引く証でもあった。

 ギニエスとファイス。姉弟が立ち並んだ姿は否応なく人の目を惹いていた。


「おふたかたとも、お美しいですよね……」


 サユと同じく、タルティも姉弟の姿を思い浮かべているのだろう。ふたたびうっとりとした表情をみせた。


「あの、タルティ?」

「ああっ、年甲斐なく申し訳ありません。そうそう、ファイスさまがこちらにいらした理由でしたね。どうやら、ギニエスさまのお体を気遣われてのことらしいですよ」

「そう……なの?」


 考えもしなかった理由に、サユは少なからず驚きを感じる。首都であるオウトウを魄魔が襲うという事態を招いた咎により、厄介払いも兼ね左遷されたのだと本気で思っていたくらいだ。けれどタルティが言うには、体調を崩しがちなギニエスの静養を目的とし、姉弟は連れ立ってリシュウへと移り住んだらしい。


 実際、緑聖山は癒しの力が満ちた場所だ。保養地としてはリシュウからもうひとつさきの集落、セイランの街が利便性にも富んでいるため世間には周知されているが。姉弟がリシュウを選んだ理由には見当がつく。歴史を辿れば、ランドルフ家がリシュウの出であることはすぐに知れるからだ。


「村にはいまも、ランドルフ家のお邸が別邸としてありますから。ご姉弟は揃ってそちらにお住まいなんです」


 訊けば、邸の場所は涙花の泉の近くだった。


「正直を申しますと、始めはファイスさまの若さに心許なさを感じもしました。ですが、いまでは村一番、頼りになるかたなんですよ」


 タルティの笑顔に、クアジも同じようなことを言っていたなと思い出す。

 そこまでの信頼を得ているのは、彼が村のために尽力してきた過程があるからだろう。体験が公務に役立つと、暇を見つけては農作業を手伝っているという話は驚きだった。


 サユがひととおり訊ね終えても、ファイスに関する逸話は尽きないらしく、タルティからは話し足りない気配を感じた。けれど仕事も残っている。サユは気さくなタルティに笑みを零しつつも、切りのいいところで礼を伝え緑樹亭を出た。





   *****





「ねえ、あんたはどう思う?」


 魄魔により穿たれた道と扉が破綻なく塞がったか、確認のため緑樹亭から村外れへと向かう途中。至天よりさきを歩いていたサユは、まえを向いたまま唐突に質問を口にした。


「さぁな、塞いだ空間なら問題なく安定してるんじゃねぇか?」


 無責任とも取れる適当な言いぐさで応えた至天を、サユは歩を止め振り返った。


「ファイス・ランドルフのことよ」

「あぁ、あいつか。しっかしどう思うって、お前はなにが聞きたいんだ?」


 ふたたび歩き出したサユの横に並び、今度は至天が質問を寄越した。


「なにって……」

「まぁ、俺もあいつは気に食わねぇけどよ。言うことなすこと全部が気に障る奴だし」

「あんたが受けた心証なんて、聞かされなくても昨夜の態度に滲み出ていたわ」

「悪かったな。てか、それよりよ……。お前があいつの誘いを受けるとはな」

「納得のいく力量を見せてくれたなら喜んでつき合うって、約束したのは私だから」


 進行方向を見つめたままのサユに、至天が困惑した表情で声を漏らす。


「まさか、お前……。あいつに惚れ——」

「いま、なんの心配をしたの?」


 即座にサユは、横目で至天を睨んだ。

 そこでいったんは黙った至天だったが、やはり気になるのか言葉を続ける。


「お前が認めなければ済んだ話じゃないのか? なんで行く気になったんだ?」

「あんたは反対なの?」

「ああ、反対だ」

「どうして? 私は彼の目的がなんなのか明確にしたいだけよ」

「お前もオウトウでのあいつの噂を知ってるだろ。わざわざ時間を割いて明確にするまでもなく、ろくでもねぇ目的しかないに決まってる」

「いっそそのほうが、話も簡単に済んでいいわ」

「……よくねぇだろ。だいたいお前は無防備すぎんだよ。無自覚にも程があるって。そうなんだよ。好きにしたらいいとは言ったが……、やっぱ服装からなんだよ。またそんな、足が出るような恰好をしやがって……」


 なぜいま、しかもぼそぼそとした口調で服装にケチをつけられなければならないのか。まったく理解できないサユだったが。だからこそ聞き流し、顔をしかめた至天の右腕を軽く叩く。腕に手をかけたまま黒茶色の双眸を覗き込んだ。


「心配ないわ、あんたが一緒だし。そうでしょ?」


 サユが笑顔を向けると、至天は右手を額に当て頭を抱えた。しかしそれもつかのま。


「ふたりきりにするより、まだマシか」


 この件に関して主は折れそうにないと悟ったのか。至天は存外あっさりと、溜息とともにだが譲歩の姿勢を見せた。





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