第3話

 父がどんな人間であったかを正確に語るのは、きっとわたしたちの役目ではない。わたしたちが彼について知っているのは、あくまでも家族としての一側面にすぎない。そしてそれは、おそらく彼を語るにはあまりに小さな断章だ。

 家庭や子供のことをほとんどかえりみない、仕事人間。わたしの身体を流れるこの血の、その半分は彼のものだという事実だけが、わたしの悲嘆を支えるただ一つの根拠である――というのは、いくらなんでも言い過ぎだろうか。

 人工子宮から出産されたわたしを抱える父。その写真を、彼は終生大事にしていたのだという。保健省でこの体外妊娠技術や医療分子機関利用治療メディカル・ナノマシニングに関わってきた父にとって、わたしの存在は、まさに象徴的な意味を持っていた。完全体外妊娠は、世界に先駆けた日本で28年前に実用化を見、わたしたちがその第一世代なのだ。

 ゆえに、わたしは愛された。

 ゆがんだ愛情表現。今となってはそう回想されかねない偏愛は、確かに存在した。姿の見えない父から常に向けられている期待や情熱のこもった視線は、私の背中をじりじりと焼き焦がしていた。

 年に数度、会うかどうか。

 写真で見た父は、凡庸な顔立ちに、矮小な体躯しか持ちえない普通の人間だった。そこには厳格な父の風格も、有能な官吏のたたずまいも存在しない。

 失望にも似た感情を覚えたわたしは、実際に会う前から、憂鬱な気持ちでいた。

「こんにちは」

「……こんにちは」

 物心がつく前、数度会ったのみという男の声は、ひどく繊細な響きでもってわたしの耳に届いた。そのときの彼が一体どんな思いで娘に接していたのか、後になってから分かった。彼は、期待と情熱――それ以上にひどく怯えていた。

「言子は、パパのこと覚えていないと思うけど」

「うん」

 苦笑した父の顔を、わたしは怪訝そうに眺めていた。笑ってごまかさなければ、たぶん居ても立っても居られなかったろう。隣で笑っていた母は、よく耐えたと思う。きっとわたし以上に、彼女もまた寂寥を感じていたはずだ。

「パパは、言子のことをよく知っているよ。毎日、いい子にしててくれたんだね」

「うん……」

 娘と交わす会話に、当たり障りのなさを求める父親というのはやはり可笑しい。まるでよその子を褒めるかのような口調で、父はわたしについて色々と並べ立てた。ぼくはこんなに、君のことを知っているんだよ。だからわかってほしい。――そんな方法でしか、父は愛情表現を成し得なかった。

「言子の身体の中にはね、パパたちが一生懸命作った小人さんたちが働いているんだよ」

「そうなの?」

 身体をしきりにさすりはじめる娘を前に、父は笑った。

「目に見えないくらい小さいんだよ。それが、言子を元気に産んでくれたんだ」

 彼の目はあの時、わたしを見ていたのだろうか。彼の目には、わたしを流れる分子機関ナノマシンが見えていたのではないか。それしか映っていなかったのではなかったか。死人になにを聞こうとしたところで、答えなど出るはずはない。わたしたちはこの手の問題に対して、自らの独断の内に解決を見なくてはならないのだ。

「……ではお父さんとは、そこまで」

「ええ」

 刑事というのも難儀な職業なのだろうな、と他人事のように考えた。近親者を失ったばかりの遺族に話を聞く役目というのは、かなり気の滅入るものだ。近藤の後輩であろう若い刑事は、先に母や兄の陰惨な雰囲気に当てられて、既にほぼ白旗を上げていた。

「……すみません、わたしは仕事があるので、この辺で」

 席を立った遺族に、若い刑事は深々と頭を下げた。

「御不幸の中、わざわざありがとうございました」ようやく解放されるという晴れ晴れとした表情が、顔を上げた刑事にはあった。「国家憲兵……でしたっけ」

「ええ。調査部の」

 なるほど、同業というわけですね。刑事の男は羨望とも嫉妬ともつかぬ、奇妙な視線でわたしを捉えた。私人としての感情と組織人としての感情が、ないまぜになった迷惑な目。内務省と国防省にまたがる国家憲兵隊は、しばしば内務省警察との軋轢を生んでいた。

「それじゃ、失礼します」

「捜査、がんばってください」

 警察署から出たわたしには、冬の澄み切った晴れ空はまぶしすぎた。思わず顔をしかめると、冷たい風が頬を突き射していく。首のストールをよりきつく巻いてから、わたしは職場へ向かって歩き出した。

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鬼胎 揣摩臆測 @seafield13

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