【18】……〈蜉蝣 -かげろう-〉
【18】――舞い上がるように 舞い散るように あなたと夢で踊る
【18】
「百兄ィ……ッ!」
よもや〈血の池地獄〉かと見紛うほど拡散した深い血溜まりの中に。
横倒しで浸っている身体を見つけた途端に駆け寄った。
ぐしょ濡れの上体を、ざぶりと抱き起こす。自慢のブロンドリーゼントも、くったり萎れて髪の芯まで鮮烈な緋色にまみれていた。
対して、彩度を失った土気色の肌と顔は……もう、すでに。
死屍累々――。
戻ってきた《邪の眼》施設内では、まさにそう形容する他ない惨憺たる状況が展開していた。
〈黒服〉の《MAD》構成員と、ジャンプスーツの《邪の眼》戦闘員。いちいちカウントしなかったけど、どちらもだいたい同数ぐらいが息絶え果てているのが敷地内の至るところで散見できた。
それらのうちに、よもや百目の姿が紛れていないかと云い知れない不安を噛み殺しながら探索していたところ……書架が立ち並んだ書斎めいた部屋で発見したのだった。
「そんな……嘘でしょ。嘘だよ……ね?」
ぐったり力なく垂れた頭――がっしと両肩を掴んで激しく揺さぶる。
「嘘だといってよ! 百兄ィッ!」
ガクガクガクガクッ!
もう二度と離れやしないから。
ずっと、ずっと一緒にいるから。
「だから、お願い! 目を覚まして……ッ!」
ガクガクガクガクッ!
ガクガクガクガクガクガクッ……!
お願い! 死なないで百兄ィ……!
もう、あたしを独りぼっちになんかしないで……!
「死んじゃヤだ! 死んじゃヤだよぉ……ッ!」
ヤだヤだヤだヤだヤだヤだヤだァーッ……!
ガクガクガクガクッ!
ガクガクガクガクガクガクッ……!
ガクガクガクガクガクガクガクガクッ……!
「ちょ……やめーや! 首もげて死んじまうわ!」
「百兄ィッ……!」
嬉しくて堪らず、力いっぱい抱きしめてしまう。
「生きてたぁ……ッ!」
「そりゃあな」
弱々しくも不敵に刻む口端の笑み。
「あんなワニ地獄に堕ちても生還した不死身に自信ニキの百目さまだぜ。この程度のカスリ傷……なんてェことねぇのよ」
でも、それ……お腹の中身でろろっと見えてますけど。
「つーかよ。あのV系パイセン、えらい大慌てで姉貴のケツ追っかけていっちまってな。おれの死亡確認もせず、とどめも刺さずってのはマジありがたかったけどよ……って?
おいおいザクロ、おめーも大概だぞ」
たしかに、あたしも結構ひどい。
身体中に突き立っていたダガーは全部ひとまず抜いたものの、ぼつぼつ孔だらけだし。ディルドーやスレッジハンマーでなぶられた以前のダメージも蓄積しててマジヤバい。
とりあえず、お互いに応急処置。
百兄ィはツナギの上半身をはだけて腰のところで袖を結んでサラシ代わりに。
あたしは刺傷に絆創膏を貼って塞ぎまくってたら、なんか全身に無数の眼がある妖怪みたくなっちゃったし。
なんだっけ? あぁ……《
とにかく長居は無用なのは確定的に明らか。
「とっととフケちまおうぜ。まだ、おれたちが生きてるうちにな」
■
ひたすら上へ……上へ。
とにかく施設内の上階を目指して移動する。
やがて屋外――島の高台にある丘陵にでた。
眼下に臨める海岸線。
薄汚れた着衣の集団が、わらわらと駆けでてくるのが見えた。ここに囚われていた一般の人たちだろう。《MAD》構成員らに先導され、次々と輸送ヘリに搭乗している。
たしかに懸念だったけど。
あたしたちだって今は自分らのことだけで手いっぱいだ。
でも良かった。これで心の負荷が、ひとつ晴れた気がする。
だなんて。
らしくもない安堵を得たのも、ほんの束の間のことだった。
浜辺に並列していたヘリが次々に爆発し、機体が吹っ飛んで灼けた残骸が四散した。ベージュの砂浜が、たちまち逆巻く火炎と黒煙に呑み込まれていく。
絨毯爆撃――ビーチを虱潰しで強襲しているのだ。
はっと見上げた上空では、巨大な怪鳥めいた爆撃機が悠々と旋回していた。
そして沿岸の洋上には、櫛比した幾隻もの船影が迫っている。
つまり《邪の眼》各支部に応援を要請したという朱羅の捨て台詞は、まんざらコケ威しじゃなかったらしい。
あたしと百兄ィは――。
互いに抱き合うように支えあったままで。
眼下で展開している地獄絵図を、ただただ傍観しているしかなくて。
いつしか――。
海辺は尋常でない量の肉片と鮮血で、どろどろに澱んだ血みどろの入江と化し、もったりした波の動きは半流動体のように重たく、粘ついていた。
「どうやら……のうのうと逃げ帰るだけってわけにゃいかなくなっちまったみてぇだな」
そう呟く百兄ィの声音は、今まで聞いたこともない寂々とした響きを帯びているようだった。
■
夜明け間近の薄明。
闇と薄紫とが絞り染めにされた天空を、果てしないとすら思える広大な水平線が、絶妙な色調まで再現して映している。
その狭間に、ぽっちりと落ちた一点の橙色が溶け込んで、次第に周囲をも己の色に染め変えていく。まるでラム酒の海から浮かぶ太陽。
灼熱の恒星と、惑星の表面にしがみついた大量の水分とが束の間見せるランデヴーの瞬間は、なかなかにスペクタクルな景観だった。
だけど。
残念ながらロマンティックな気分に浸っている場合じゃない。
あれから一夜明けて――。
いまだに海面では何十隻もの国籍不明の船舶が旋回し、この孤島を包囲するように航行している。
そして、この台地から一望できる裾野や海岸では、今や無数の〈サイコキラー〉どもが立錐の余地もないほどに集結していた。ちょっと総数は数えたくない気分だし。
しかも、どんどん増殖しているみたい。
「あぁ~、マジかよ……さすがのおれもこれはドン引きだわ」
「なに露骨にテンションさげてんの。ほらほら最後までアゲアゲでいこうじゃん」
施設の兵器庫から運びだしてきた、あらゆる武器と爆発物の数々。
弾薬にダイナマイトやプラスティック爆弾〈C‐4〉――ざっと百年間ぐらい立て籠って徹底抗戦できるほどに山積みだった。
「ちゃんと生きて帰るんだよね。あたしたちの、あの部屋にさ」
「あぁ、ただいマッドマックスー……つってな」
「あー……懐いね、ただいマッドマックス。あたしも昔よく使ってたっけな」
「結局1ミリも、1ミリ パラベラムバレットも流行んなかったけどな」
「あはは。それも流行んないから」
あたしは蛮刀と小振りなチェーンソウを手にする。
百兄ィはいつものメタリックな二挺拳銃で。
「しゃーねぇわな。きっちり生きて帰るためにも、とっとと殺っちまうか」
「うん。殺っちゃおうよ」
ついに。
あふれて佃煮にするぐらいギチギチ犇めいていた〈サイコキラー〉の集合体が飽和して一斉に雪崩れた。
まさしく雲霞のごとく、荒れ狂う悪意の奔流となって眼下に押し寄せてくる。
今や凄まじい地鳴りと怒号とが、この島全体を揺るがしていた。
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