【17】……〈KISS ME GOOD-BYE〉

【17】――崩れてしまうほど 壊れてしまうほど いつでもここにいて 見つめていたい


 【17】


 浜辺にでると、すでに夜は白々と明け始めていた。


 緩やかに打ち寄せ、足許を洗う波。

 淡い仄白さに次第に侵食されていく群青色の天空。

 ひんやりと香って頬を撫で抜ける潮風。

 なにか血腥い所業の痕跡ひとつない、そんな波打ち際に佇んでいると存外に長かった昨夜からの諸々が、ひどく現実感の乏しいものに思われてくる。


 ぜんぶ嫌な夢だったんじゃないだろうか。


 だなんて……柄にもなく感傷的な気分に浸っていたムードを、不粋にもぶち壊す騒音が響いてきた。

 遠方から蜃気楼めいて姿を現すのは、砂煙をあげて疾駆してくる多数のジープ群。

 どうやら《邪の眼》戦闘員が積載量オーヴァで満載されているらしい。


 いいよ。やってやるよ。

 今なら何十人だって相手にできる気分だ。このままハイテンションのハイパーアクティヴで乗り切ってやる。


 とはいえ――もはや無手。

 使える得物は絵合わせの貝殻1枚すら持ち合わせないとなると、いささか心許ないよね。


 すると。


 迫り来るジープの一団を、どこからか爆撃が見舞った。

 立て続けに炸裂し、舞い上がった砂場が鉄板の破片や肉片まじりの危険な土石流となって文字通り“土砂降り”で降り注いでくる。


 濛々たる爆煙を突っ切ってジャンプした車影――新手のバギーカー。剥きだしのパイプフレームやロールバーに簡素な装甲が施されている。

 あっという間にジープの軍勢を追い越して、あたしの脇をすり抜けるスピンターンで砂塵を巻き上げつつ停車した。


「乗りなさい」

 そう告げたドライヴァー――メタルのファントムマスク。

 厄丸さんだった。


          ■


「身体どっか悪いんじゃなかったっけ」

 ステアリングを駆る横顔に問う。

「元々こいつのプロトタイプは戦闘用途に特化した〈車椅子〉でね。となれば自分の足も同然というわけだ」

 半分だけの顔に余裕の笑みすら浮かべていた。だけどウィッグなしだと全面ケロイドに覆われた禿頭の痛々しさが際立つ。


 行く手の砂浜――。

 最初の爆撃で仕留め損ねたジープが数台、連なって肉迫していた。

 厄丸さんが、なにごとか片手でレヴァーを操作する。

 バギーのサイドカヴァーが開き、出現したのはロケットランチャー。

 FIRE!

 ジェット燃料の白煙を噴きながら一直線に空を切って、迫り来るジープのただ中に炸裂した。


 そして、また別のレヴァーを操る。

 今度はガトリングガンのおでましだった。

 リング状に配置された複数のバレルが撒き散らす夥しい弾丸の暴風雨の前に、もはや機動力の残る敵車輌は一掃されていた。


 だけど、まだ戦闘は終結には至らない。

 破壊された車輌から投げだされた《邪の眼》戦闘員たちが歩兵よろしく立ち向かってくるのだ。


 バギーのフロント部分がオープン。高速回転するラウンドソウ(円鋸)を先端に装着した伸縮マジックアームが現れ、触れる肉体を次々と分断していった。


 あらあら、とんだギミックてんこ盛りのバギーですこと。


          ■


 怒濤のカーアクションを終えて、ようやくエンジンを停止したときには。

 嫌な朱色にぐっしょり染まった砂浜に動くものはなにも見当たらなくなっていた。聾された聴覚に、急激に訪れた静寂が痛いほどに際立つ。


「あのさ……いろいろと聞いたんだよね。なつせママのこととか」

「そうかね」

 それだけで察したのだろう。ややあって、意を決したように語り始めるのだった。

「もう百目から聞き及んでいるかとは思うが……当初は、おまえを暗黒な諸々から遠ざけておくつもりだった。だから《邪の眼》のことも、我々 《MAD》のことも含めて、なにも知らせないつもりだったのだ。

 だが……覚えているかな。私が初めて接見したときのことを」

「顔を触らせてもらったときだよね」

「そうだ」

 片方だけの目許が柔和に微笑む。

「あのとき、おまえと対面して……恐ろしいほどに実感したよ。『血は争えない』とね。この子は紛れもない《闇姫》の血筋なのだと。たとえ忌避したところで“暗黒”の方が勝手に吸い寄せられてきてしまうほどの引力……そんな抗えない宿命を背負っているのだと。

 だから、あえて焚きつけたのだ。

 決して逃れられない運命ならば、いっそ自分からその渦中に身を投じ、あらゆる逆境を跳ね返すほどの強靱なタフネスを有した人間になって欲しいと。

 もちろん、あの《闇姫》の娘ならば、それができると信じていたからだ」


 しばしの間を置いて言葉を続ける。


「《闇姫》と……わたしの娘ならばな」


 たしかに、あのときの教唆が契機になって、あたしは〈サイコキラーキラー〉としての自分の生き方を定め、自ら暗黒と猟奇に身を投じる決心をした。


 だけど……それで、なんなの?

 いったい、あたしになにをさせたいわけ?


 悪の組織 《邪の眼》と闘わんがために選ばれし星の下に生まれた8人の勇者を探す旅にでろって? それとも、さらなる強敵に備えて過酷な修業を積まんべく、偏屈ジジイキャラのお師匠さまに弟子入りでもしろっていうの?

 そういう憎まれ口をぶつけてやりたい気持ちもなくはなかったけど、あえて言葉にはしなかった。


「わざわざ、暗黒と猟奇の渦巻く倦んだ世界に突き落とすような真似をしたと思うかもしれない。だが、信じて欲しいのだ。わたしが、おまえに望むのは至極あたり前のことだけだと」


 懊悩めいた、あたしの感情を汲み取ったのだろうか。

 なにかしら言葉をかけてこようとする。


「ただ……。わたしの望みは本当にそれだけなのだ」


 〈倖せ〉――まるで今のあたしからは最も遠く離れた、ほとんど天文学的な光年の彼方にある概念のように思えた。

 だけど。

 それは世のほとんどの父親が、自分の娘に望むものと。

 きっと同じ想いなんだろう。

 〈倖せ〉――考えたこともなかった。その言葉の意味すらも。

 でも、今からだって遅くはないのかも知れない。


「そういうのってさ」

 半分だけの顔を見つめる。父親っていうのは、誰しもこんな表情で娘と会話するものなのだろうか。

「まず、なにから始めたらいいんだろ」

 訊いた。


 うっすらと微笑んだ厄丸さんが、なにごとか言葉を口にしようとした。

 そのとき。



 忽然――あたしの視界から消失した。



「えっ……?」


 巨大な半月型の刃が。

 厄丸さんの脳天に深々と突き立っていた。


 ごぼう抜きで高々と振り上げられた〈大鎌〉が頭部に食い入っていて、ぶら下がった身体が宙空で揺れている。

 その忌まわしい大鎌を振るう黒衣の〈死神〉は、髑髏の面相ではなく……麗しい人間の美貌を有していた。


 ブウン! 大鎌が翻る。

 素っ飛んでいった厄丸さんの身体が、泥砂混じりの飛沫を撥ねあげつつ海辺に落下した。


「姉さんの姿が見当たらないようだが」


 目深なフードの下では、忘れられやしない妖艶な双眸が、あたしを見据えていた。


          ■


 バギーから飛び降りて波打ち際へと駆け寄る。


 あぁ……どうして、こんなことばかりっ……!


 くずおれて、たまらず縋りついた厄丸さんの身体は、もう動くこともなくて。

 濃紅がにじむ濡れ砂に半ば埋まったままで、寄せては返す波の緩やかな脈動に洗われているだけだった。


「聞こえたろう。姉さんをどうした」

 背後から降る声音。

 冷たくなっていく身体に押しつけた額も上げられずに。

 ただ噛みしめて……奥歯の底から吐き捨てる。

「おんなじだよ」

「なんだって」

「あなたが、なつせママや……今こうやって、あたしのパパにやったみたいに……おんなじことをしてあげたの」

「ははっ! 莫迦な戯れ言を述べているんじゃあない」

「嘘じゃないよ。あっちの沼の方で、業界も大注目の『ピラニア・ダイエット』に成功したみたい」

「なん……だと……?」

「極限スリム化で、憧れのスケルトン・ボディを手に入れてたよ」


 そのひと言だけで察したらしい。


 ヴォン! 空気をつんざく気配に反射で飛び退いた。

 あたしのいた位置――切り裂く刃。

 その同じ地面に大鎌を翳しては何度も……何度でも振り下ろし続けている。まるで耕してでもいるように幾筋もの亀裂が執拗に刻まれていった。


 ここまで来る途中おそらく沼の近辺で喰い散らかされた何者かの残滓でも見かけたのだろう。無論そのときは正体を知る由もなかったのだけど。


「うっふふふ……ふふっ……ふっ」


 最初は漏れるような忍び笑いだった。


「ふふっ……ふははっ……ふはははは」


 それが次第に声量と濃度を増幅させていき、まるで終わりなく繰り返されるエコーの反響が飽和したハウリングのように。


「うわっは! うわはははははうあああああぁぁぁぁーーーッ!?」


 終いには狂ったみたく哄笑し続ける楼蘭なのだった。


 狂ったみたく……?


 いや……きっと、もうとっくにSAN値メーターの針はMAX以上に振り切ってしまっている。


          ■


「はは……ふはは」


 どれほどの時間が経ったろうか。

 ひと頻り続いていた楼蘭の狂笑が、まるでガス欠になったエンジンのように力なく途絶えていった。

 波が打ち寄せる砂浜にうずくまった黒ローブの姿は、まるで自然とそこに存在している岩礁の一角のように見える。


「これで……」

 不気味に膠着した黒い塊が喋り始めた。

「これで、僕たちは二人とも……お互いに最も大切な、なにもかもをなくしてしまったというわけだね」

 その言葉の真意――問わずにはいられなかった。

「百兄ィを、どうしたの」

「うふふ。さぁてね……? なんだったら自分の眼で、しかと確かめてくるといいさ。

 それよりも……どうだい? 今や寄るべき相手を失った天涯孤独の相身互い。これまでの遺恨に憎悪に欺瞞すべてをリセットして、ここから本当に良き兄妹となって、共に新たな人生を歩み始めたっていいじゃあないか。人間だもの……そうだろう、みつを?」


 ぎろりと剥いたイキっ放しの瞳で、イカれたガイジトークを披露し始めるのだった。


 この人は、もはや完全に頭の中身がトロけてしまったのか。

 もしも対峙しなくてもいいのならば……正直したくない。

 そう思って、諸々の決着は百兄ィ任せにしていたけれど。

 だけど。

 これも、あたしが……あたしが自分自身で、きっちりと向きあわなくちゃいけない“決着ケリ”なんだ……!


「そういえばさ」

 膨れあがった腫瘍に触るみたく話しかける。

「あたし、たしか『嘘ついたら、サリン千本飲ます』って約束してたよね」

「別に嘘はつかなかったろう。僕は無為に死んだりはしなかったじゃあないか」

 そこかよ。

「それでもいいさ。さぁさぁ! ここにそのサリンを千本、今すぐズラリ並べてみせてくれたまえよ! 見事すべて飲み干してみせようじゃあないか!

 さぁ、さぁさぁっ……!」


 そんな一休さんの〈屏風の虎〉みたいな頓智を宣いだした。


「楼蘭さんの、そういう小理屈をもてあそぶようなところ……わりと好きだったよ」

「なにを云いだすんだい、この期に及んで。

 ははっ、そうか。そうかい、そうかい。わかっているよ。そこから甘言を弄して、巧みに命乞いにすり替える……そのつもりなんだろう」

「そんなことしないよ」

 するわけがない。

「あたしの、この気持ち……今も変えられない。そんな急には変えられないよ」


 それは本心だ。

 あたしの心はデジタルなデータの集積じゃない。

 都合次第で軽々に上書きや削除なんて、できやしない。


「だから、その想いが……

「なにを云っているのだい。訳がわからないな」


 そう。

 あなたには解らない。

 解るはずもない。

 己の奸計のために人心を散々もてあそんでおいて事もなげな、あなたとはもはや魂の座標軸が違いすぎているのだから……!


 ブーツのアンクルポケットに突っ込んでいたものを抜きだした。

 ハンドガン――《邪の眼》基地への侵入前に楼蘭が手渡してきたやつだ。


「はぁ……? ふははっ、無駄無駄っ! そいつは無駄の無限大さ」

 オートマティックを手にしたあたしを見て、せせら笑う。

「以前に、やんわり遠回しに忠言してあげただろう。きみは〈銃器の女神〉に愛想を尽かされているレヴェルで才能が欠落しているのだと。

 無駄だよ。当たるものか。いや、掠りだってするものかい。

 そら……撃ってみるがいいさ」


 諸手を拡げて胸元を晒し、余裕綽々に応じてみせる。


 たしかに、それは真理だった。

 「当てよう」として狙って撃ったら、きっと何千万発撃ったって絶対に掠りすらしないだろう。


「だけど」


 今のあたしの気持ちじゃ、あなたを撃つなんてことは到底できやしないから。

 当然、憎しみや怒りといった負の感情はあるし、なされた非道な仕打ちを頭では理解してもいる。

 それでも、あたしの心がまだそれを受け入れられないから。


 片手で構える――マズルを突きつける。


「だから」


 一旦、狙い定めたマズルを全然でたらめ……あさっての方向に振り向けた。


「決して、と……あたしの心が、そう思っているのならっ……!」


 まったく見当外れのままで、指先がトリガーを絞る。



 ――パンッ。



「なっ……!?」


 楼蘭の胸元が緋色に弾けていた。


「なん……だって……?」


 見る見る間に、あふれた出血がローブを濡らしていく。


          ■


 こんなでたらめで撃って、もちろん普通なら当たる道理もない。

 だけど。

 射撃センスがゼロどころか無限にマイナスのあたしが。

 一切当てるつもりもなく。

 まったく狙おうともせずに。

 そして、それがだったのならば――。


 それゆえにという恐るべき“逆説の作用”が現出しているのだった。


          ■



「あなたを撃つだなんて」



 ――パンッ。



「とてもできないよ」



 ――パパパンッ。



「あたしには……できない」



 ――パンッ。



「できるわけないよ」



 ――パパパパパンッ。




 当たる。

 当たっていく。

 見事に命中する。

 遠くで、あの人がなにごとか叫んでいる。

 嫌だ――聞きたくない。

 片手で耳を塞いだ。

 トリガーを引き続ける腕――肩口で塞いだ。

 塞いだ耳に、それでも届く叫び。

 聞きたくない。

 なにやら喚く声がする。

 それが呪詛なのか。

 はたまた懇願なのか。

 それとも単なる断末魔の悲鳴なのか。

 知らない。

 知りたくもなかった。


 じくり。じくじくっ……と。

 あたしの胸や、お腹に。

 腕や脚に。

 身体中に刺し込む痛み――投擲されたダガーが何本も突き立っていく。

 だけど、お構いなし。避けるつもりも更々ない。


 ただトリガーを。

 ただただ無我夢中で引き続けるだけ。



 そして。



 いつしか全弾を撃ち尽くしていたらしい。

 あたしは無為にトリガーだけ、いつまでも引き絞り続けていた。


 いつの間にか、やけに頬が濡れているのに、しばらくは気づけないでいた。


          ■


 さよなら。


 あたしのハートにスルリ忍び込んできた恋泥棒。

 ほんの刹那だけどガチで愛してしまった気障なナルシスト。

 あたしの初めての純真を踏み躙った、麗しくて愛しい人。

 あなたは、あたしの心の脆弱さ……そして迂闊さの墓標なんだ。

 だから埋葬したり弔ったりはしない。

 こうやって沼のほとりで野晒しにしていくよ。

 せめて姉弟仲良く……ピラニアのお腹の中で、また一緒になれますようにってさ。



 どこか、ずっと遠くから絶え間ない爆発音が聞こえていた。

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