【14‐5】――帝都自警団その名は《MAD》


「おーらよぉ……っと!」

 振り子の要領で揺らした勢いのまま身体ごと上に放られる。

 フェンスを越えて、どっさと元のフロアに投げ落とされた。

 そして自力で這い上がってきた百目が得意顔で云い放つ。

「恐るべき〈ワニ地獄〉からの華麗なる脱出、見事に大成功っ……! ってとこだな」


「云うてイリュージョニスト気取りかいな、ジブン! ったく、長年かけたウチらの『《闇姫》はんの嬢ちゃん《邪の眼》誘致計画』台なしにしてくれよって! ホンマにアッタマくるやっちゃー! クキィーッ!」

 駄々っ子ばりに地団駄まで踏んで本気で悔しがっている朱羅だった。

 その傍らには心霊現象にでも出会したみたいに蒼白な顔色の楼蘭が、額いっぱいの脂汗を拭いつつ控えている。

 あたしたちを囲繞している《邪の眼》チアガールズたちも呆気にとられ、ポンポンを手にしたままポカンと棒立ちの体たらくだ。


 これで役者が揃い踏み。

 あいつらがすべて取りあげてしまったはずの、あたしの手持ちカード。

 あたしのハートの切り札――天下無双のワイルドカード。

 ひどくイカした最高のやつ。

 まだ残っていたなんて……!


 だけど。

 云い知れない気まずさが介在するのは否めない。

 あたしが、この手で一度は百兄ィを死の淵へ突き落としたのに間違いはないのだから。


「……ごめん」

「そこは『ごめん』じゃねぇだろ」

「え……?」

「『ありがとう』だろうがよ。頼もしい不死身の兄貴でいてくれて、ありがとう……ってな」

 あたしの悔悟を慮ってか、いつもの調子で軽く応じる百目だった。

「実際のところ、おまえに隠しごとしてたってのは事実だしな。なーんとなく疑いたくなっちまうのも無理はねぇさ」

「隠しごと……って?」

「いいねぇ~。解説を誘導する、そのオウム返しの台詞。だったら、ひとつ説明してさしあげようじゃねぇの。この場の皆々さまにもな」

 不敵にニヤリ。

「実のところ、犯罪シンジケート《邪の眼》の存在とザクロの母親〈菱蕗なつせ〉……《闇姫》こと〈夜見姫せつな〉が、そこから足抜けしてきた元〈暗殺者〉だってことは端から承知だったんだぜ」

「そう……だったの?」

「おれが家庭教師として、あの家に出入りするよりもっと、ずっと前からな。そもそも、それだって菱蕗の一家になにか危険が及ばないように、それとなく監視するって意味があったわけだ。

 つまりザクロの〈お目付け役〉にして〈育成係トレーナー〉だったってのは間違っちゃいねぇのよ。ただし《邪の眼》さんサイドじゃねぇけどな」

「それって……?」


「そうだぜ。おれだって《MAD》のメンバーなんだからな」


          ■


 《MAD》構成員――百目 晶。

 彼はいつだって常に〈菱蕗 瑠樺〉改め《血死吹ザクロ》を守護天使よろしく陰ながら見守っていたのだ。

 たとえばキュラソ&ペロリンガ、あの二人組に想定外で拉致られたときも速やかに車輌を追跡した。そしてガレージ付近で待ち伏せし、元々依頼されていた本物の〈便利屋〉をその場で“片づけ”て、素早く代理要員に成りすまし踏み込んだのだ。

 皮肉にもザクロに疑惑をいだかせる契機となったあの不自然な登場には、そういう裏の絵図があったのである。


          ■


「さっきから話にでてくる、その《MAD》って、なんなの」

「やっぱ、そこから話さねぇとダメかよ。ま……いいだろ。説明ついでってやつだ」

 肩を竦めてみせる。

「そもそも《MAD――メトロポリス アフターダーク》は敗戦後、間もない頃に国際的な犯罪組織 《EOE――アイズ・オブ・イヴィル》の日本進出による《邪の眼》の登場を受けて、ほぼ同時期に発祥したと。そう聞かされてるけどな。

 『光あるところに必ず影あり』……古来からの箴言だがよ、すなわちってこった。影があるのならば、それを照射するべき光も自然と生まれざるを得ないってな。

 どうやら時間もないようだしな。ざっくり云えば、警察だの裁判だのといった司法制度……国家主導の治安維持システムの手が及ばない混乱期にあった『真の闇が訪れた帝都メトロポリス アフターダーク』を自警する目的で結成された組織……そいつが《MAD》ってわけだ」


 つまりは犯罪結社と、その浄化作用としての自警集団だと。

 そういう対立構図は把握できたけれど。


「どうして、その《MAD》とやらが、あたしに執着するの」

「ある程度は、こいつらにも聞いたろ。ザクロ……おまえは双方にとって大事な切り札となる存在なんだよ。

 いや。おれたちにとっちゃ、ただ単純にそれだけの意味じゃないがな」

「おれたち……って?」


「おれと……厄丸やくまるさんだ」


          ■


 かつて《邪の眼》を離脱した時点で《闇姫》は、その手引きをした《MAD》幹部の男との子供を身篭っていた。

 しかるに。

 一般社会に溶け込むべき、これからの新たな生活において自分などが傍にいては、いずれ《闇姫》のみならず、その娘にすら危険が及ぶ。そう判断して、幹部の男は身を引いたのだ。

 そして信頼の置ける部下に妻合わせて『菱蕗』という仮初めの〈家庭〉を築かせたのである。


 しかし、ついにその平穏な韜晦も露顕するときがきた。

 5年前――〈経堂 解体殺人事件〉として世に知られる、あの凄惨な事件である。


 その菱蕗家への襲撃が行われた際に、時を同じく〈陽動作戦〉として実行されたのが《闇姫》の離反に関わった男へ対する報復行為――爆破テロ。《MAD》幹部の乗用車に爆弾が仕込まれていた。

 その緊急トラブルの対応に煩わされている間隙をついての、菱蕗家での凶行だったゆえに、あのとき百目は護衛役としての任を果たせなかったのだ。


 件の《MAD》幹部の男は《邪の眼》によるテロリズムの犠牲となって爆死。記録上そうなっており、実際しめやかに葬儀すらも執り行われた。

 だが。

 彼は九死に一生を得て、生き延びていたのだ。ただし、顔面の半分以上を破砕され、下半身不随の身体になってしまってはいたが。

 男は表舞台からは姿を消し、陰ながら《MAD》運営に関わるべく地下に潜伏することと相成ったのである。


          ■


「はあ~~~ん!? なんやってぇ!?」

 長々とした説明の間に手持ち無沙汰だったのか。この期に及んでソファで一服、悠長に麻薬煙草 《ブルーシャトウ》のキセルパイプを燻らせていた朱羅が過剰に反応した。

「あのオッサン、まだ生きとるいうんか! 乗っとった車ごと粉々に吹っ飛ばしたったのにぃ! ムッキャアーーーッ!」


 半狂乱で取り乱すのを尻目に、あたしの気持ちはそれどころじゃなかった。

 今の話からすると、あたしの本当の父親である《MAD》幹部の男っていうのは……?

 そして決して嫌いじゃなかったはずの〈菱蕗〉の父さんに、どうして本心から馴染めなかったか。

 なんとなく腑に落ちた気がした。


「ま、ええわ。それならそれでなぁ」

 なんとか平静を恢復した朱羅が苛立たしげに吐き捨てる。

「云うて? そういうことなら、しゃーないわ。ま、ええとしようやないの。

 ほいでぇ? 問題はこの後どないするんかっちゅうことよ。

 《MAD》の百目はんに、ザクロ嬢ちゃんよう。どないするつもりやの、たった二人っきりで。ウチの合図ひとつでジブンら、たちまち蜂の巣エメンタールチーズやで」

 パイプを振って指し示す。


 油断なく控えている《邪の眼》チアガールズも、いつの間にかポンポンに代わって銃器を構えていた。

 たしかに進退窮まっている感は否めない。

 なのに。


「そうやって勝ち誇ってるやつァ、たいてい痛い目ェ見るってよ……はっきりわかんだね」

 ウーンと伸びをしながら挑発する百目だった。

「どないしたん。えらい余裕やんか。それともアジの開き直りで逆ギレかいな」

「あんたらよ」

「なんね」

「とりあえず、おれを拉致ったのはいい。そいつは的確な判断と行動……GJグッジョブだったぜ」

 あくまでも不敵。

「だけどよ、ロクなで、こんな《邪の眼》の拠点にまで生かしたまま連行してきちまったってのは、いかにもマズかったよな。ザクロの精神を追い込むのに利用するつもりだったとしても、せいぜいクルーズシップに連れ込んだ時点で、せめて洋上で始末しときゃ良かったのによ」

「はんっ、なにを負け惜しみをゆうて……」


 途端――グラッと足許が揺れた。

 続いて重厚な地鳴りめいた震動が轟々とフロアを揺るがす。

 そして頭上……地上から轟く地響きは、なにか図太い爆裂音を伴っているようだった。


「どうやら、ようやく始まったみてぇだな」

「なっ、なんやっ……!」

 泡を食った朱羅が大慌てで壁面のモニター群を軒並みONにする。


 浜辺――。

 所狭しと多数の武装ヘリが着陸している。

 ドックから基地内に侵入してくる、ブラックスーツにサングラスの〈黒服〉集団と、それを迎え撃つ《邪の眼》部隊。

 モニターに中継されている、そこかしこで小競り合いの戦闘が勃発していた。


「なんやのん、これ……」

 絶句する朱羅。

「云ったろ」

 ドヤ顔の百目が告げる。

「おれだって、いやしくも《MAD》構成員の端くれだぜ。、忘れてねぇのよ」


 すでにあちこちでパニックになっているらしく、危急を告げる警報が鳴りっ放しだった。

 と――。

 強烈な爆発音とともにスティールドアが吹き飛んだ。

 直後、白煙に紛れて雪崩れ込んできた〈黒服〉部隊が、手にしているマシンガンを掃射。ほとんど応戦する暇もなく《邪の眼》チアガールズたちが血祭りに。着弾の衝撃で弾かれてプールに落ちた者は狂乱索餌の〈ジャノメワニ〉と戯れる羽目になる。


 混乱した状況下で、ひと際甲高い音が場をつんざいた。タイヤのスキッド音かと思われたのは、なんと馬の嘶き。

 駆けつけてきた〈カウボーイ〉――氏賀うじがさんだった。

 いつものハット/ウェスタンシャツ/チャップス/ブーツのスタイルは当然としても、今はリアルの荒馬に騎乗し、巧みに手綱を手繰っている。


「百目ちゃん、これを……!」

 馬上から氏賀が放ったシルヴァーのオートマティック二挺セット。

 空中ジャンプでキャッチした百目が、たちまち舞い踊るかのような拳銃捌きで乱闘に加勢する。


 瞬く間にして《MAD》構成員たちが、この場をほぼ制圧してしまうのだった。


          ■


「あっ、ありきたりやけど? ここは一旦退くしかないわ! 云うて〈戦略的撤退〉やな! 蘭ちゃん! 早よう逃げるでっ!」

 物影に身を潜めていた朱羅が叫ぶ。

 しかし。

「ら、蘭ちゃん……?」

「逃れてください……姉さんだけで」

 楼蘭の退路を断つように、ゆらりと立ち塞がる影がひとつ。

 百目だった。

「どうやら、僕に易々と敵前逃亡はさせてくれないらしい」

「そないなやつ、蘭ちゃんのヴィジュアル系パワーで瞬殺したったりぃな! ほな、先行って待っとるからな!」


 この部屋にもある例の《邪の眼》シンボルマークのゴールドレリーフ。

 銃弾が飛び交う最中、首を竦めて駆けだした朱羅がピタッと背中を張りつける。どんでん返し的なギミックで壁がクルリと回転した。


「追えよ、ザクロ」

 楼蘭を牽制しながら百目が近づいてくる。

「あの真っ赤なインチキ関西弁ネエちゃんは任せたぜ。おれはこっちの気障なV系パイセンと、少々込み入った話があるんでな」

 いきなり手を握ってきた。

「なっ! なにやってんの、こんなときに」

 だけど掌中になにやら異物感。

「よく『冥土の土産』っていうけどよ、それって変だよな。これから旅立つ相手に渡すのに“土産”っておかしいだろ。むしろ、そこは“餞別”だよな。だから、こいつは本来の意味で『冥土からのおみやげ』ってやつだ」

 なにかを手渡される。

「さあ行けよ、ザクロ。おまえ自身の手で決着ケリをつけてやれ」

「百兄ィ……さんくー」


 ぶらんぶらんの左足――ほとんど使い物にならない。

 それでも、なんとか片脚だけで立ち上がれていた。

 脇腹の傷もアバラも冗談みたいに痛む。

 だけど歩ける――行ける。

 あたしはもう後ろを振り返らなかった。

 朱羅の消えた壁――ダストシュートめいた非常口がオープン。

 一切の躊躇もない。


 その暗闇に、あたしは身を投じた。

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