【14‐4】――絶望ダイヴ
「さらに明かしておくとだね」
楼蘭の得意げな解義トークは続く。
「あの《悪魔のコックさん》にザクロくんを襲うように指示したのも無論、我々の計画のうちだよ。よもや身内にその場で殺害されることになろうとは彼自身、想像だにしなかったろうがね。
しかし『敵を欺くには、まず味方から』……ときには少々の犠牲が陳腐な小芝居にリアリティを生むのさ。
そして、僕はきみと百目くんの再会劇を『あまりにドラマティックにすぎる』と評してみせ、その信頼関係の間隙に疑惑の種子を植えつけたわけだが……『絶体絶命の窮地に参上し、
すなわち、すでに述べたように『あんな怪訝極まりない状況をして“運命”や“劇的”といった言葉で得心できてしまえる辺り、さすがのザクロくんもまだまだ普通の女の子といった風情だね』……と。
ふははははっ! 違うかい?」
■
こいつらっ……!
こいつらは人の命を……心をなんとも思っていない。
実に。
実に手の込んだ
云い知れない屈辱に、この身を隅々まで食い荒らされている気分だった。
だけど。
もう、ダメみたい。
あたしの魂は、くじけ果ててしまったらしい。
抗うハートも……牙も爪もなにもかも毟られて。
揃えたネイルじゃ、とても狙えないよ。
■
「ひとつだけ……」
もはや顔を上げる気にすらなれずに、うな垂れたままで言葉を落とした。
「もうひとつだけ教えて」
「なにかな」
「あのとき……クルーズシップの大ホールでの〈審査〉のとき。あたしが……あのとき、あなたを殺そうとしていたら、どうしたの。それとも絶対に、あたしにはできないって、それだけ気持ちが自分に向いてるって自信があったの……?」
「いいや。あの段階では、それはまだなかったね」
軽く否定。
「かといって、僕も姉さんを独り残して《邪の眼》の理念のために、みすみす殉じるつもりもない。そこまで粋狂じゃないさ。だけど、最初の腕や足の一本ぐらいは構わなかった。もしもの場合は、そこらでストップがかかる手筈だったのさ。
だけど、さっきの二択問題の時点ではね。
百目くんではなく、きっと僕を助ける選択をすることは、ほぼ100パーセント以上の確率で確信できていたよ。
理由かい? それはザクロくん自身が一番よく解っていると思うのだけれど……?」
きっと余裕綽々の嘲笑がへばりついていることだろう。
もう、あの人の顔貌の片鱗でも視界に収めることすら厭わしい。
「うっくくく! くやしいのう……くやしいのう……あひゃひゃひゃひゃっ! うひぃ~、爆笑エクササイズで腹筋割れてまうわ!」
あたしを指差して高笑いで愚弄する朱羅だった。
しかも、その“爆笑”は誤用だと得意げに揚げ足とってやることもできない。
なぜならば暗黒チアガールズも一斉にケラケラ哄笑しているのだから。
「せやけどね」
そして不意打ちに甘言で唆してくる。
「ウチら《邪の眼》は嬢ちゃんを心から歓迎するわ」
これ見よがしで提示された温情に、ぐらっと揺さぶられた。
そうか。
そういうことなの。
わざわざ仕組んだ小芝居の数々は、あたしの自由意思の余地をなくすため。
あたしの心の退路を断つため。
あたしから平穏な生活の基盤を奪い、生き甲斐を奪い……一縷の希望を与えておいて、また奪い去る。
そんな〈アメとムチ〉の攻勢を徹底的に繰り返す。
あたしが心底から《邪の眼》に忠誠を誓うしかなくなるように。
もう、あたしに選択肢はない。
もう、あたしに帰るべきところはない。
あたしを受け入れてくれる、誰かと一緒にいられる場所はない。
弱者の共同幻想が生みだした〈司法〉という制度に雁字搦めにされた社会で、あたしが帰属できるクラスタなんて……いったい、どこにあるの。
そうだ。
そのための《邪の眼》なんだ。
暗黒に穢れた魂が従属するべきところ――。
それは邪悪なる背徳の楽園ともいうべき悪徳の栄える新天地。
なにか宗教的な象徴に、自分の心身を含めた存在のすべてを託してしまいたくなる〈信者〉の心理というのは、こういうものなのかも知れない。
「どうだい。これでもうザクロくんが《邪の眼》への加盟を拒む理由などないはずだけど」
勝ち誇った調子で楼蘭が云い放った。
「それに……ときどきは抱いてもやるさ。あのときのようにね」
■
このまま己心を滅したマインドレスな《邪の眼》の傀儡として〈暴力ツール〉となって活躍の場を与えられるってか。
それもいいじゃん――一興だよ。
あたしの帰依できる世界なんて、もうこの世に存在しないのだから。本当に、どこにもなくなってしまったから。
だけど。
ぎりぎり。
まだ、ぎりぎり最後の矜持を示してやることもできる。
あんたらのいいように都合よく使われてたまるかっての。
あたしのラストの選択権――残っている。
自決。
自決だっ……!
やってやる。
やってやるよっ……!
両の腕を着く。膝を入れて、なんとか片脚で立ち上がった。
ギプスの左足を引きずって、そのまま重心を前へ前へと倒して――。
ゆらり。
フェンスを乗り越えた。
――落下。
■
人生の終焉に際して、その人物がこれまで体験した記憶の断片が、さながら〈走馬灯〉のごとく脳裏に去来するという。
――落下。
存外に長く感じる、この墜落する時間のうちに。
――落下。
あたしの観るラストムーヴィは、どんなものなのか。
――落下。
願わくば、ひどく低俗で下劣なものでないように。
――落下。
だけど、なかなか上映開始されやしないじゃないの。
■
「なーに早まってんだよ……ザクロ」
聞き覚えのある声がした。
「そういう無茶して、ケリつけた気になるのは、やめとけよな」
頭上から降ってくる、この声音は。
「どんだけ、ご大層な理屈くっつけたって、そんなのは弱虫毛虫の逃げ道でしかねぇんだからよ」
はっと見やる。
あたしの足下――宙ぶらりん。
フェンスからぶら下がっている相手に、襟首を掴まれていた。
そんな……!
まさかっ……!
百兄ィ……ッ!?
■
落下したときに百目が咄嗟に取った行動――。
それはワニの顎門の中へと自ら飛び込むことだった。
その瞬間ザクロは直視するのに堪えられず眼を伏せていたし、そんな葛藤リアクションを目の当たりに味わおうと、悪趣味な朱羅はザクロの表情や挙動のみを注視していた。小芝居の一環で自ら吊られていた楼蘭に至っては云わずもがな。
それらプラス心理作用……「落ちれば、ただちにアウツ」という思い込みゆえに、この場の誰も落下後の百目の行方を明確には目撃していなかったのだ。
だから百目が賭けた土壇場の決死行に気づかない。
すなわち一旦ワニの口蓋内へと身体を投じてしまえば、そこは他のワニの襲撃から身を護る、最高に頑強なシェルターとなるのである。
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