【11】……〈残骸〉

【11】――残骸が 残像が 残酷に燃える


 【11】


『なぁにしてくれとるんやあああああああああががががががぼぼぼぼぼゔゔゔゔゔゔゔゔゔ゛゛゛゛゛゛゛゛』


 マイクからの怒号――語尾はリミッターを振り切ってノイズ化。


 車椅子から立ち上がらせた楼蘭の手を取って、あたしは夢中で駆けだしていた。

 ホールから飛びだした通路――船内構造なんて解らない。

 とにかく必死で走り続けた。


 そして――。

 出合い頭の相手が誰であろうとも。

 《KKK》黒頭巾スタイルの《邪の眼》構成員だろうが。

 クルーズシップの添乗スタッフだろうが。

 正装アイマスクの乗客だろうが――一切お構いなし。

 がむしゃらで匕首を振るって、でたらめに刃を叩きつけてやった。


 この船に乗っている人間で大切なのは、今この手を引いている人だけなのだから。


          ■


 ふと……正気づいて立ち止まる。


 振り返ってみれば、あたしたちの駆け抜けた軌跡は一面が濃厚な血の海デッドレッドカーペット。

 匕首を握りしめるこの手は、爪の間までギットギトの血脂にまみれていた。

 きっと顔も全身もおんなじ状態だろう。


 もっと云ってしまえば――。

 あたしの心だって、とっくにそうだ。


          ■


「で……どういうわけなの」


 途中で貯蔵庫らしき区画を見つけて、ひとまずそこに身を隠した。

 食料品が詰め込まれた棚の狭間、通路の行き止まりに二人して腰を下ろす。

 ペットボトルのミネラルウォーターを失敬し、渇した喉に流し込んだ。


「すまない……まったくの不覚だ。不覚の極みとしか云えない。きみをバックアップしなければならないはずなのに、ご覧の体たらく……実に無様さ。まったくもって面目なんぞ、あったもんじゃあない」

 そう繰り言を述べる楼蘭は、あたり前だけど随分と焦燥した様子だった。


 曰く、あたしが朱羅に連れだされた直後から。

 名状しがたいキナ臭さを敏感に感じ取って即座に百目へと連絡し、急ぎ合流したのだという。

 そして、やはりあたしのスマホをGPSで辿って一緒に港湾の倉庫街までは追って来たのだと。

 だけど車内で様子を窺っているうち、不意に武装した多勢の連中……すなわち《邪の眼》構成員らに襲撃されたという。


「あっさり捕らえられてしまい、気づけばこのクルーズシップに担ぎ込まれ、きみと感動のご対面というわけさ。まったく……我ながら不甲斐ないったらない」

「百兄ィは」

 当然の疑問。

「それで百兄ィはどうなったの」

「そのことなんだが……」


 なぜだろうか。

 それに関して口の重たい楼蘭の表情には、疲弊以上のなにか懊悩めいたものが色濃く滲んでいるように感じられた。


 と……不意に室内が点灯される。

 はっと顔を上げれば。

 どこかで見たような顔のコックコートの男が横切るのが食品棚の間から覗けた。

 一旦は通り過ぎたものの、やはり視界の隅に見咎めたらしい。

 棚の陰から、ひょっこり覗いたのはミディアムゆるふわ茶髪。いわゆる〈料理人〉風情としてはチャラい部類に属しているようだ。

 シュッとしたイケメン気取りの当惑顔が、見る見る間に驚怖へと変じていく。


 ちっ……!

 もはや反射――身体が動いた。


 なにか意味のある言葉や悲鳴を発する前に。

 シェフの喉元は、どんなワインよりも濃い己のロッソを惜しげもなく迸らせていた。


「もう行こう……ここも安全じゃない」

 振るった匕首を握ったまま、やや自失茫然として突っ立っていたところに楼蘭が背後から肩を抱いてくる。

「だけど、どこに逃げるっていうの」

 こんな大海の洋上を航行する敵陣営のクルーズシップ内で、どこか他に危険じゃない場所があるとでも?

「このクラスの船舶ならば、きっと避難用の救命ボートがいくつもあるはずだ。それを奪取することができれば……あるいは」


 なるほど活路が見えてきたじゃないの。

 だけど、どうせ脱出するのなら。


「ひとつだけ、やっときたいことがあるんだけど」

「うん……?」

「こんな船ブッ壊してやろーじゃん」


          ■


 人間の害意が満載された暗黒クルーズシップ――沈没させてやる。

 地球における生命誕生の源泉たる、この大海に生ゴミ以下の〈廃棄者〉どもを還して浄化するのも、ある種のエコロジー思想だから。


 厨房エリア――。

 楼蘭と手分けして業務用ガスコンロのコックを片っ端から全開にして回った。たちまち周囲に可燃性ガスが充満。

 キッチンに詰めていた何名かの調理スタッフらは今や、足許のタイル張りフロアにて寡黙のうちに転がっている。

 直接、犯罪行為に手を染めていないまでも、忌まわしい事情を承知の上でとなれば、もはや同罪。


 慈悲など無用……だよね?


          ■


「まったく……こんなことなら、ただの水道水1杯で¥800ボッタくる……自分の店だけやってれば良かったですよ……うふふっ」


 どうやら、まだ息があったらしい。

 純白のコックコートを伊達な色違いに染められたシェフが口許から血泡混じりで漏らした。

 フロアの床に足を投げだす格好で、辛うじて起こした上体を食品棚に凭せている。


「そりゃあ『料理人は料理だけに集中して取り組むべきだ』という意見もあるでしょう。それはそれでひとつの考え方だと思います。しかし、ボクはお店で1人ひとりのお客さまに喜んで貰うことなんかよりも、もっと限られた特権階級の方に喜んでいただきたいんです。《邪の眼》さんに協力するのはそのためです」


 生死の境界線を反復横跳びしながら錯乱しているのか、そんな戯言を述べだす始末。


「ボクが〈トーチャークルーズシップ〉に乗ることでクルーズ自体を楽しんでもらうと同時に、選ばれし上級国民の方にボクの存在を知ってもらうことができます。すると自分が《邪の眼》さんとコラボレーションしてプロデュースした〈商品〉も彼らの手に取っていただける。その結果、関わる多くの人に喜んでもらうことができるわけです。だから少しぐらいしんどくても、批判を受けたとしてもやるべき仕事だと思っているんです」


 あー……ウザ。

 とどめをくれてやるつもりで、ペティナイフ片手に歩み寄った。


「ちょ、待ってくださいよ。あなたたちを責める気はないんですよ。それとなく覚悟はしてましたからね。いつか、こんなことになるんじゃあないか……なーんてね」

 口端で諦念の濃い笑みを刻んだ。

 おもむろにコックコートのポケットから、なにやら取りだしてみせる。


 ガストーチ――。

 いわゆるライターだが、炎口ノズルがロングパイプの業務用タイプだ。


「こいつで最期の仕上げといきましょうか。焼き加減は、ちょいとウェルダンにすぎて、むしろ食感はクリスピー……かも?」

「ちょっ……!」


 今この隣接したキッチン内の状態で、そんな真似されたら。

 あの有名な中国爆発シリーズ、俗にいう〈チャイナボカン〉よりもあっさり爆裂するだろう。

 ただちに殺す。

 こいつが着火するよりも素早く絶命させてやる。


「いやいや、お待ちなさいって……そんな焦ることはないですよ。せめて、あなたたちがここから逃げ延びるまでは待っていてさしあげますから」

「どういう……ことなの」

「つまり、今のボクは便利な〈〉ってわけですよ」

 ちらりと上目遣いのおねだり視線。

「ただし交換条件といっちゃあなんですが。少々頼みがあるんですけどね……うふふ」


 そして。

 死に損ないシェフの指示通りに、あたしらは食料倉庫から真っ赤な洋酒のボトルを探しだした。

 ラベルには〈ABSENTA SERPIS〉と意味不明の文字。

 後はチーズ/サラミといった適当なサイドディッシュを見繕って紙袋に突っ込む。


「ああ……こいつならストレートが至高です……面倒がなくていい。できれば最後に密造ものでも飲りたかったところですが……残念ながら角砂糖を炙っている暇も……もう……」

 ボトルを手渡したときに、ぬっとりと血染めの腕で手首を掴まれた。

 料理人の掌――華奢な細い指。

 瀕死で今にも三途の川越えそうなシェフだった。

「こんな言葉……場違いかも知れませんが……せいぜい幸運を祈ってますよ」

「あんたのドヤ顔がプリントされてたオススメの『キムチ』……わりと好きだったよ」


          ■


 そんな事後の諸々を託したキッチンを後にして。

 一路、船体後尾を目指して通路を駆け抜けているうちに……どうやら目的の場所に到達したらしい。

 タタタタタッ……タラップを急いで駆け降りて屋外デッキ周辺を窺う。

 思惑通り、緊急避難キットが消火栓ボックスよろしく壁面に設置されていた。


「いいぞ……いける」

 チェックしていた楼蘭が、なにやらドサッとデッキに放った。

 圧縮された簡易ゴムボート。

 エアポンプが作動して、むくむくと急速に膨らんでいく。

「これを」

 手渡してきたライフジャケット。

 かさ張るレザーのライダースは脱ぎ捨てて、ブラウスの上から着用した。

 程なくしてエア充填が終わり、ボートの形成が完了。


 こいつを深夜の大海に投げ降ろして、こんなおぞましい〈トーチャークルーズシップ〉からは、とっととおさらば――事後の対策は後回し。

 今はとにかく脱出が急務だ。


 二人してボートを抱えあげて「せーの!」で欄干越しに放ろうとした。

 途端――降り注ぐ撃発音。

 間近で跳弾の火花が散った。


 見上げると例の《KKK》スタイルの《邪の眼》構成員の一群が、タラップ上から銃撃してきている。

 多勢の火器相手に、こちとら飛び道具はもちろん武器らしきものすらなくて、せいぜいキッチンから持ちだしてきたショボいナイフ系オンリー。

 とてもじゃないけど太刀打ちする気にもなれやしない。

 だなんて逡巡している一瞬の間に、せっかく膨らんだボートも被弾してブボボ モワッと穴だらけに。


 そして更なる追撃を仕掛けようとしたトンガリ帽子の一団が――。

 突如、強烈な閃光に呑み込まれた。

 黒い影となった姿が火炎の竜巻に巻き上げられて散り散りに消し飛ぶ。

 直後に吹き抜ける爆圧。


 あのチャラいシェフは律義にも約束を果たしていたらしい。

 いつの間にか、あちこちから轟く爆発音と振動が船体を揺るがしていた。

 キッチンでの爆発を文字通りの火種とし、各所で誘爆の連鎖を発生させて着実にシップ内部を破壊が侵食しているのだ。

 抜き差しならない極限状況――。

 もはや悠長に新しい救命ボートを用意してる余裕なんてない。


 飛び込むしかない――この身ひとつで。


 その覚悟は口にださずとも楼蘭も承知のようだ。

 アイコンタクトを交わし、素早く欄干を跨ぎ越えた。

 眼下――十数メートル。

 うねる黒い大海原に、白い波頭の筋が静脈のように絡みついている。


「飛び込んだら、とにかく船体から距離を取るのを心がけるんだっ。スクリューに巻き込まれでもしたら、ひと堪りもないっ……!」

 存外な勢いで吹きつける潮風に負けじと声を荒げて。

「僕から離れないでくれ」

 差し伸べられた手を、しかと握り返す。

 なんかタチの悪い投身心中みたいで縁起悪いんですけど。

 迫り来る爆風と音圧を背後に、掴んでいた欄干から手を放し――。


 せーの! 二人してデッキから跳躍した。


          ■


 がぼ。

 がぼあぼわぼ。

 がぼあぶぼぼがぼぼぼあっ。


 氷柱漬けにされて凍結しそうな痛みが全身に走る。

 それでも辛うじて手足を動かすことはできた。

 呼吸――まだ無理っぽい。

 怒濤の奔流に翻弄されて身体が錐揉み。

 もう前後不覚で上下滅裂、右も左も解らない。回転する洗濯槽に放り込まれた仔猫の悲惨を実感する。


 だけど。

 この繋いだ左手には、たしかな感触がある。

 放さないで――。


 暗黒にちりばめられた一面の光点の群れ。

 クルーズシップの照明か、はたまた澄んだ夜空を埋める満天の星ぼしなのか。

 それらが夜光虫みたく、あたしの身体にまとわりついて煌めく。

 煌々……と。

 秋虫の囀りめいた音を伴って、眩いほどに瞬く。


 そして。

 活火山の噴火のような巨大なオレンジの火柱が高々と噴出したのを視界の端に感じた。

 まさしく天地が引っ繰り返る衝撃が海中を見舞う。


 意識――希薄だった。


 だけど、これだけはお願い。

 もしも次に目覚めることができるのならば。


 またしても、なにか手ひどい破廉恥な辱めなど決して受けていませんように。

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