【10‐4】――《邪の眼》入団試験



 かつて《邪の眼》に在籍した、若き女流暗殺者――。


 闇夜の淵よりも罪深き、漆黒の残忍さを宿した心根。

 憂いを帯びた儚い相貌は、まさしく暗闇の姫君と呼ぶに相応しい。

 彼女が刃を振るうとき。

 その墨色の長髪は水墨画の筆致めいて棚引いて。

 あたかも舞い踊るがごときあでやかな身のこなし。

 さすれば――嗚呼。

 たちどころに鮮血の竹林が乱立すると謳われし、暗黒から忍び寄る美しき刺客よ。


 その名を《夜見姫やみひめせつな》――人呼んで《闇姫》といった。


 しかるに。

 あるとき突然、彼女は本来ターゲットだったはずの敵対組織の男とともに遁走してしまったのだ。

 そんな造反行為の代償は極道社会での〈絶縁〉どころの処遇ではすまない。

 云わば〈忍びの者〉としては〈抜け忍〉であり、すなわち《邪の眼》の“掟”においては超特級の罪業なのである。


 それゆえの報復――必然だった。


 たとえ、今では一般人の素振りをして平和な家庭を築いていたとしても。


 そして――。


 なにも知らない無垢ながいようとも。


          ■


 嘘だっ……! そんなでたらめっ……!


 みたいな、ありがちな脊髄反射のリアクション。

 できない――どうしても、できやしなかった。

 あたしは腑抜けの放心づらでも晒してるしかなくて。


「だったら……まさか」

 ようやく言葉が漏らせる。


 ぞわ…… ぞわ……


 ぞわ…… ぞわ……


 あたしの心が嫌なトーンで騒めく。


……? 


「あっっったりまえやないかーーーい!」

 頭ごなしにどやしつけられる。

「ウチを誰やと思うてるん。これでも《邪の眼》日本支部・関東エリアの〈新人発掘・育成〉部門の担当責任者さまなんやで」

 そして得意げに語り続ける朱羅なのだった。


「つまりやね、その暗黒の血統のお嬢さまが適齢期になるまで、それとなく監視しながら泳がせとこうと思うてたわけよ。

 せやけど、嬢ちゃんが園長の眼ン玉にボールペンぶっ刺して《恩寵ひかり園》から逃げだしてしもたときは正味な話、ゾッとせんかったわ。そっからの足取りが掴めんくなってしもうたけんな。そのまんま地下に潜伏されでもしたら、どうしよう思うたわ。

 それやのに、まさか嬢ちゃんの方からも《邪の眼》を探してくれとったとは重畳やったねぇ。そういう意味では、あの着ぐるみサイコキラー……誰やったっけ?

 せやせや《フナC》こと《ファナティック・ケイオス》も、まんざら無駄死にやなかったわ」


 え……? どういうこと?

 《邪の眼》の指示で送り込まれた《フナC》との〈オフ会〉にっていうの?

 まさか。

 そんな都合のいい偶然――あり得ない。


「それは逆やね。ザクロ嬢ちゃんと鉢合わせたんが、たまさか、あの《フナC》やっただけや。

 ウチらは普段から、あの手の捨て駒サイコキラー予備軍を飼い馴らして、あちこちに放っとる。そんで、それらしい年格好の女の子がおったら画像を送らせて、こっちで確認しよったわけよ」


 そういえば、あのとき。


          ■


「お! ベネズエラヤママユガの幼虫やん! 踏んだろっ……いやいや、さすがにアカン気がするわ。おとなしく撮るだけにしとこか。 スマホパシャパシャー」


 ツイッターで「肝試しンゴwww」だとか画像入りの実況中継でもやっているのか、あちこち忙しなく駆け回っている矢奇宇はスマートフォンでの撮影に余念がない。


          ■


 《東京デスニートランド》で矢奇宇……いや《フナC》は、してなかっただろうか。

 そして猟奇アトラクション《マーダーライドjp》に侵入してからも、頻りにスマホをいじっていた。


 つまり《フナC》の一件が《邪の眼》の差し金だったのだとしたら……?


「そうや」

 蒼い紫煙を燻らせる薄ら笑いの朱羅。

「ザクロ嬢ちゃんは自分が動いた結果で、はたまた自分の意思で《xxxxダブルエクスクロス》やら《URNアンレイテッド ナイト》に辿り着いたと思うとったようやけど……実のところはウチらの撒いてた〈餌〉をポーポッポ、ポーポッポついばみながら、よたよた誘い込まれてきたっちゅうわけや」


 だったら。

 ついさっき、ザラ子さんを見殺しにしてしまったことも。

 ……っていうの?


 なにか――。

 ぞろっとしたものが、あたしの中で蠢いていた。


「せやけど、この案配がなかなか難しゅうてね。嬢ちゃんには『自分の行動の結果』やと錯覚してもらわんと、そこは意味ないやろ。他人から指図されて動くだけの〈指示待ち人間〉にはなって欲しくないんよ」

「自分の……家族のさ……」

「はいィ?」

「大切な家族の仇なのに……そんなやつらの云いなりになるとでも思ってんの」

「ウチらは嬢ちゃんに〈安心〉をあげよう云うてるんよ。強大なバックアップの庇護下で心ゆくまで好きに人殺せるとか、願ってもない条件やろ。

 それとも公序良俗を乱す者として社会から除去されて、また白い部屋にずっと閉じ込められるんと、どっちがええと思うね」

「あたしたち家族を……あたしの心を」

 真っ向から睨めつける。

「おまえらがムチャクチャにしたんだ」

「そら因果応報いうやつやろね。恨むんやったらを恨むんやな」


 朱羅のドヤ顔――イラッときた。


「なつせママが、昔どうだったかなんて」


 スウィッチブレイドッ!


「関係ないっ……!」


 俄然、轟音――閃光。


 抜いた瞬間にブレイドが弾かれ、砕け散っていた。

 顧客たちが騒然となったフロアを空カートリッジの雨粒が叩く。


 鷹揚にパイプを吹かしたまま――。

 片手でサブマシンガンを構えている朱羅だった。

 キンキン灼けて軋むマズルから硝煙が立ち昇っている。


「そないな、チャチいナイフやらドライヴァーやらで相手を殺せる思うてるうちは、まだまだやね」

 まるで粗相をした子供に云い聞かせる母親みたいに。

「せやけど、ウチには、ようわかっとる……ザクロ嬢ちゃんは磨けばギラギラ光り輝く眩しい原石っ子やとね。《邪の眼》に来たら、なんでも仕込んじゃるよ。エリート育成のスペシャルなカリキュラムを組んでな。

 あっはは! 云うて、こらまた上等な暗黒の〈お受験〉コースやねぇ」


          ■


「なんぼ、あの《闇姫》はんのご息女さまいうたかて、そうそう親の七光りが通用せんのは、どこの世界も一緒やろ。とくにウチらは実力第一主義やしね」


 ドアが開かれた先のホール。

 凄惨な血染め曼陀羅が展開していたフロアも清掃を終えて、すっかり綺麗になっている。


「よって、ここらで嬢ちゃんの実力と適性を見るための〈審査〉を行わせてもらいますわ。うまいこと合格したら、晴れて《邪の眼》への正式な参加を認めたるわ……〈特待生〉としてな」

「不合格だったら」

「そら、いろいろと残念なことになるわな。あらゆる意味でなぁ」


 背中に押し当てられたマズルが小突いて入室を促す。

 ホールの中央に歩んでいく背後で、鉄製ドアの閉ざされる音が重く響いた。


          ■


 やけに従順になったのは、なにもサブマシンガンを突きつけられたからじゃない。


 《邪の眼》――たしかに仇だ。

 あたしのすべてを奪い去った怨敵。

 憎い。

 許せないに決まってる。


 だけど、ここで無闇に激昂しても詮ない。

 せいぜい朱羅程度と刺し違えたところで、すみやかに次の担当者にすげ替えられるだけ。組織の母体は厳然と存在し続けるだろう。

 あまつさえ、こんな志半ばで、せっかく挑んだ闘いの途上で潰える羽目になったりでもしたら、とんだ殺られ損だ。


 だったら……あえて、ここは受け入れる。


 そして、この試練を見事に乗り切って《邪の眼》という組織の昇進システムに自ら身を投じてやるのだ。

 いつしか、もっとずっと連中の枢要に肉迫できる地位に昇りつめる、そのときまで。

 極私的な心証に基づけば「好感を持っていた」とは到底いえない存在だったとはいえ、あの無関係なザラ子さんまで……まがりなりにも親密にしていた人間までも、みすみす見殺しにしてしまった。

 後戻りなんてできない――したくもない。

 もう、どんなことだってやれる。やってやる。

 なんとしても、この〈審査〉を乗り越えてみせる。


 だけれど。


 ぎりぎり崖っぷちエッジな、あたしのこういう選択や理念を……いつの日か、百兄ィや楼蘭さんは理解してくれるんだろうか。


          ■


 フロアの中央に仁王立ちでスティールドアを見据えながら、あたしは思惟を巡らせる。

 いったい、なにをさせられる〈審査〉なのだろうかと。

 凄腕サイコキラーと命を賭して闘わされるのか。

 それともトラやライオン、またはヒグマといった猛獣系とのガチバトル。

 あるいは数十人が入り乱れるバトルロワイアル形式の死合い?

 はたまた謎のバイオテクノロジーにて強化調整されたヒューマノイド的サイコキラーだとか。

 あまつさえ眉唾ものの工学理論に則った〈サイボーグ――サイバネティック・オーガニズム〉との対決なんてのも展開上あり得る。


 いいよ。なんでもオールOK。

 なんであれ――殺ってやる。

 それだけだよ。


 観音開きのドアが左右に割れた。

 例の《KKK》頭巾の黒装束が二人、車椅子を押しながら進んでくる。


 まさか……そんなッ!


 座上で拘束されている人物が、ぐったり俯けていた顔を擡げた。

 長い黒髪の下で憔悴した瞳があたしを見上げている。


 紛れもない――。

 だった。


          ■


『えー、今回の〈審査〉では、おもにザクロ嬢ちゃんの〈心性――メンタリティ〉を見さしてもらいますわ。どんだけ〈暗黒〉に徹しきれるかをな』


 上階から監視している朱羅のマイクアナウンスがホールに響き渡る。


『さささ……そのナルシー王子さま、今すぐ目の前で殺してみせてもらおか。大マケにマケて、ちまちま拷問とかで時間かけんでもええわ。すっぱあ! と一瞬で楽にしてやりぃな。

 しっかし……もはやガイジの無限大やね、楼蘭はんも。いらんことに首ィ突っ込んで結局、自分の妹とおんなじ運命辿りよるやん。ミイラ捕りがフリーズドライにされとったら、ホンマに世話ないわ』


 あたしはワゴンに並べられた数々の得物に眼を走らせた。

 銃器の類いはなし――刃物か金物。

 ひとつ選ぶと、それを携えてゆっくりと戻る。

 匕首――刃渡は20cm弱でリーチは短い。

 車椅子の真っ正面に立った。


 あたしを見つめる楼蘭の眼差し――達観がある。

 ボールギャグで言葉は発せないけど、あたしの決意を見透かしているみたいだった。

 良心の呵責――ないわけじゃない。

 だけどロングスパンで、大局的に物事を捉えてみて。

 《邪の眼》のような犯罪組織を真の意味で根絶しなければ、あなたの妹さんと同じ犠牲者はこれからも後を絶たない。そして家族を失って途方に暮れる人たちも。

 あたしや、あなたみたいに。

 たとえ、ここで今あなた一人の命を助けても、それは決して抜本的な解決にはならないから。


「だから……わかってほしいの」

 それだけを言葉にした。


 それで楼蘭は言外の多くを理解してくれたようだった。

 シャープな眉の下で見つめる瞳に非難の色はない。

 やがて覚悟を決めたのか……瞼を伏せる。


 あたしは白木の鞘から刃を抜いた。


 呼吸を測る――踏み込む。


「つぁ……ッ!」


 銀線が幾筋もひるがえる。


 のけ反った楼蘭の黒髪が暴風雨に晒された柳のように乱れ――。

 そして、がっくりと前のめりにうな垂れた。


 きちちっ……。

 刃を鞘に収めて背を向けると、あたしは匕首を胸に抱いたままで、その場にくずおれてしまう。


 近づいてきた黒装束の二人が楼蘭の身体を検め始めた。

 それだけ近づけば、さすがに気づくだろう。


 あたしが、ただだということに。


 だけど――。

 ここまで近寄ってくれば、あたしのリーチ圏内。

 蹲っていた姿勢から、振り向きざまに跳んだ。

 逆手の匕首――8の字を描く。


 それだけで、やつらは喉元から赤い内圧を噴きだしていた。


          ■


 たしかに《邪の眼》は殲滅したい。

 だけど目の前の仲間一人、助けられないのなら。


 そんな決着なんて――いらない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る