【10‐2】――悲惨の線
《邪の眼》――それは〈悪の組織〉である。(それっぽいナレーション)
とはいえ。
スポンサーである玩具メーカーの利潤追求が第一義にある、勧善懲悪な児童向け特撮ヒーロー番組のそれらとは少々趣が異なるようだ。
もしも、いたいけな少年少女が《邪の眼》の脅威に晒される場合。
それは「幼稚園の送迎バスジャック」程度の被害には留まらず、誘拐された彼らは陰惨な〈チャイルドポルノ〉制作のための餌食となってしまうのだという。
「組織の発生起源に関しちゃ《フリーメイソン》からの武闘派分派説やら《トゥーレ教会》残党説やら、眉唾もんの諸説が多々あるらしいんやけど、ウチも詳しいことはよう知らんわ。
《EOE――the EYES OF EVIL》いうのが正式名称でな。ウチら日本支部の《邪の眼》は云わばフランチャイズ契約やからねぇ。ビジネス書として会長の自伝でも出版されとりゃ、苦労話の数々も聞けるんやろうけど」
そんな荒唐無稽な弁論にも、空とぼけて耳を貸していた。
こいつらが両親の人生と、あたしの無垢な魂の仇敵だとは絶対に悟られないように。
だけど……疑念も残る。
どうして、あたしたち家族が狙われたのか。
そんな犯罪シンジケートみたいな暗黒に、なんら関わりのない普通の家庭だったのに。
それは他の多くの犯罪被害者と同じように。
ただ「運が悪かった」……それだけなのだろうか。
■
「あらまぁ、そろそろ『パーティ行かなあかんねん』タイムやね」
やけにウッキウキと弾んだ朱羅の声色に、なにかしら嫌な予感を覚えざるを得なかった。
「フランクな集まりやから気にせんと、そのまんまの格好でえぇのよ」
促されるまま通路へ。
薄暗い廊下を巡って辿り着いたのは小規模なホールだった。
高い天井に組まれた鉄骨のあちこちからアームで吊されたライト&キャメラ。
フロアはコーティングされたコンクリートで、ごく緩く傾斜していく中央に格子の嵌まった排水口がある。
そして、ぐるりとガラス張りになった吹き抜けの上階から、このスペースを見下ろせるようになっていた。
さながら公開実験室のような体裁だ。
やがて、ガラスの向こうに人の立ち姿が集まり始めた。
なにやら立食パーティよろしくグラス片手に談笑している連中は正装で、仮面舞踏会さながら目許にアイマスク。
そんなやつらが、ざっと二十人ぐらいは群がってガラス越しにこちらを見下ろしているのだ。
たしかに、ここが〈パーティ会場〉なのだろう。
ただし、こちらとガラス一枚隔てた上界とでは、まさしく冥府魔道と極楽浄土ほどの懸隔がある。
ほんの数メートルの高低差しかない立ち位置が真逆の命運を決定づけているのだ。
これから、この場でなにが行われようとしているのか――明々白々だった。
「人間さまの欲望は底方知らずやけんね」
あたしの肩に腕を回したままの朱羅。
「需要がある限りは、誰かが泥かぶって供給せないけんのよ。マーケットがあるとこには、ビジネスが成立してしかるべきやろ。対価を支払うんやったら相応の〈サーヴィス〉が提供される、と。そいつが資本主義社会の理念やわ。たとえ、それが社会通念においては“邪悪”と見做される範疇のものやったとしてもな」
それは、まさしく楼蘭が語っていた〈犯罪の企業化〉というやつ。
「たとえばやね、人殺しを体験してみたい……そういう暗黒な欲求を叶えるんに、わざわざスロヴァキアくんだりまで出向かんでもえぇいうわけやね。その往復の旅費と時間の分、人生丸もうけやわぁ」
ポケットの中――スウィッチブレイドを握りしめる。
「あたしを……殺すの」
「はぁん!? なして!?」
爆撃サプライズ顔の朱羅だった。
「ないないないない……あり得んやろ。なんや根本から勘違いしとるようやね」
と……フロアに新たなゲストが現れた。
例の《KKK》スタイルの黒装束が車椅子を押しながら入室。
コンクリートのフロアに軋むファットなタイヤはオフロードバイクの前輪ぐらいあった。椅子の構造自体も通常のものより、ずっと頑丈な仕様だ。
座上の人物――手足首と頸を革ベルトで台座に固定されているからには、どう見ても自分の意思で望んでここにいるとは思われない。
頭部にすっぽりと被せられた麻布袋の下から、くぐもった嗚咽が漏れ聞こえていた。
どうやら若い女性らしい。
車椅子を排水口近くの金具にがっちり固定すると黒装束は退出。
入れ替わりで別のとんがり頭巾が、ぴかぴかのワゴンを搬入する。
ただし台上に並べられているのは銀のクロッシュを被せられたディナーなんかじゃない。
大小さまざまなタイプのナイフや工具――まるでDIYの見本市。
そうやって素材と道具が適宜、調達されたところで。
満を持して〈顧客〉のご登場だった。
醜く弛んだ中年太りの薄汚い裸体に、防水エプロンとゴム長靴のみ着用に及ぶという、トレンチコートをフルオープンする全裸の変質者よりも数段タチの悪いコーデだ。
顔の上半分を覆う〈処刑人マスク〉から、セミロングの痛んだ茶髪と締まりなく垂れ下がった頬肉がこぼれていた。
辟易したっぽい朱羅が耳打ちしてくる。
「あれ、
追う塩? 追い
「それなりに売れとったみたいやけど……六本木ヒルズの〈ヤリ部屋〉に呼びつけたキャバ嬢に『来たらすぐいる?』いうて合成麻薬の〈MDMA〉いわゆる〈エクスタシー〉食わせたら中毒でブッ飛んでもうてな。せやけど救急車呼ぶでもなく放置して逃走しくさって。そら、嬢も逝ってまうわ。
なんてゆうたっけ……そやそや『保護責任者遺棄致死罪』やらで2~3年お務めして最近でてきたみたいやね」
たとえ上客とはいえ、裏ではどんな陰口を叩かれているか解らない。
そんな醍醐味もサーヴィス業ならでは。
「どうも事件の黒幕である某政治家の息子の名前を頑なに云わんやったから出所後は、ご褒美として“闇のタニマチ”の庇護で悠々自適らしいで。白昼の路上キッスを芸能週刊誌の記者に凸されたときも『ぶっちゃけ、けっこう儲かってる。なにをやってるかは云えないけど、芸能界の頃より全然儲かってるよ(ニヤリ)』とかチョーシくれとったな」
なんという畜生――末広がりにクズかよ。
「もう芸能界は引退しとるみたいやけどバンド活動は今もやっとるみたいやな。なんていうたっけアルファベット3文字の……せやせや《
そんな中年DQNロッカーは悠然と諸手を拡げて上階の観客にアピール。
オペラ歌手気取りか、こら。
歓声と拍手に包まれつつ、中央に歩みだしていくと車椅子の背後に立つ。
ゲストの頭を覆っていた袋を掴んで、さっと取り去った。
その下から現れたのはボールギャグを詰められた微妙なロリ顔。
誰あろう――ザラ子さんだった。
■
ほつれた茶髪を振り乱し、メイクがどろどろに流れた涙まみれの瞳が忙しなく周囲を必死サーチ。
「うぐゥー! むんぐゥー!」
どうやらフロアにいる、あたしの姿を認識したらしい。相変わらず目敏いよね。
プラボールを咥え込んだ口許がなにかを訴えようとする。
よせばいいのに処刑人オヤジが後頭部の縛めを緩めた。
「ざっはぅ……ざっ、ザクロちゃん! そこにいるのォ、ザクロちゃんだよねっ!? ねっ? ねっ? ねえええェェ……!」
死に物狂いすぎる絶叫が、容赦なくあたしに浴びせかけられる。
「なんなのォ、これ! どうしてェ、あたしがこんなことされてんのォ……!」
存じません。
「人違いです」という醒めた表情を取り繕って、プイとそっぽを向いた。
ごめんね、ザラ子さん。
知らないふりをする他ない。
「アフターっ……! アフター行こうかってェ……ついてきたら、いきなりこんなァ……!」
見苦しい裸エプロン姿の中年太りが車椅子の前に廻り込む。
「あっ……追塩くんッ!? 追塩くんでしょ!? 追塩くんなんでしょ! どうしてェ、こんなこと……XSのっ、元 《
いやいや、ザラ子さん……?
遺憾だけど、その方々すでに亡くなられて久しいから。
Everybody... be strong... 人は生きなければいけないっ……!
錯乱するザラ子の前に屈むと、追塩パイセンは「シィーッ」と野良犬の肛門みたいに窄めた汚らしい唇に人差し指を立てた。
ようやく、ザラ子は考えなしの絶叫を諦めたようだ。
ひっく、ひくくっ……鼻を啜って、しゃくり上げている。
「嘘じゃないぜ。もうじき会わせやるとも」
炙られた蜘蛛みたいにもがいている右手を、そっと包み込んだ。
宥めるように優しくさすりながら、ティファニーのファッションリングが嵌められた薬指を、ぴんと立てる。
ちゃき、ちゃき、ちゃきんっ。
追塩が手にしていた金属が哭いた。
交差したブレイド――小振りな〈剪定ばさみ〉だった。
「ふえェ……?」
涙目のザラ子が理解するよりも素早く、シャープな尖先がネイルと指先との隙間に潜り込んだ。
ぐっち、ぐちぐちぐちみちぃっ。
煌めくラメのネイルが見る見るうちに浮きあがり、白い指は一気にフレッシュな濃厚レッドソースにまみれる。
それでもブレイドは、ぐにぐにツイストしながら指先の柔肉を抉り続けた。
いつ終えるとも知れない懇願と悲鳴が、ずっとコンクリート張りのホールに反響している。
さすがに堪らない――耳を塞いだ。
だけど後ろから抱き竦めてきた朱羅が、そっとあたしの腕を下ろして惨劇のシーンに身体を向き直らせる。
「なんぼジブンが眼ェ背けたからいうて、あれがなくなるわけやないんよ」
たしかに……一理ある。
ならば眼前で展開する惨劇を真っ向から受けとめるしかない。
「おっと……こいつは返してもらっとくぜ。また次に使い回すからな」
ケチャップかけすぎなアメ公仕様のフライドポテトみたいになった指の付け根を、交差した刃が咬む。
グリップを握る手に力が籠もる。
ぎちぎちぎちぎち……ブレイドが薄い皮膚に肉に骨に食い込み……。
ぶっつん! 剪定された小枝がフロアに転がる。
OKサインを形作った追塩の指には、どっぷり濡れた真っ赤なリングが摘まれていた。
■
それから。
ザラ子さんの手足指の残り19本が一本ずつ、きっちりと律義に生爪を剥がされてから切り取られていった。
そして追塩パイセンは無茶な美容整形を施そうとし始める。
でも、どうやら専門的な修練は積んでこなかったみたいで。
生半可な素人スキルでザラ子さんの顔は適当にいじられるのだった。
瞼を摘んで引っぱり上げ、じょぎんじょぎん切り取られると文字通りに血の涙が流れた。
ぽってりと肉感的だったモテリップもひん剥かれ、チャーミングな歯茎と八重歯がダイレクトに露出。
それぞれの鼻腔に余計なスリットが刻まれていき、終いにはひとつの大きな空洞として繋がった。
もちろん耳殻なんて早々に除去されている。
仕上げとして、ばつばつばつっとアバウトにハサミを入れられ、頬や額から肉厚の赤い三角形が、べろんと捲れて垂れ下がった。
結果的に……いつの時代のどこの国の文化に鑑みても少々〈美人〉とは評しがたい、オリジナリティあふれるユニークフェイスに生まれ変わってしまったのだった。
だけど、最も恐ろしいのは……それでも、まだかすかに息があったことだ。
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