【10】……〈darker than darkness〉
【10‐1】――《紅蓮の魔女》ご招待ミッドナイトクルーズ
【10】
「なぁなぁ、楼蘭はん。今夜ちょいっと嬢ちゃん貸してくれんね」
きたきた。きましたわー。
やがて深夜を過ぎて宴もたけなわという頃合いに、またぞろ不意打ちの〈スナッフ〉が上映された。
今回の映像はすべて前回とは別物だったけど(どんだけ映像ストックあるんだっていう)効果はご同様。
そこで脆弱なメンタリティが篩にかけられ、蒼白な顔面を俯けた新参グループどもがぞろぞろと退場していった後のVIPルームにて、まったりしていたところに《紅蓮の魔女》朱羅さまのご登場と相なったわけ。
ついに得たり、この千載一遇。
「貸すもなにも……彼女自身が、そのように望むのならば。僕の関知し得ぬことですので」
しかし、その気色をおくびにもださず努めて冷静に対応する楼蘭だった。
「なんね、えらい他人行儀やね。めっきり保護者づらして嬢ちゃんにべったり張りついとるから、一応断わり入れとこ思うただけやわ」
視線があたしにくる。
「で、どないするん?」
「なにを……ですか」
「そないに警戒せんでも、たいしたことやないよ。お姉やんとご飯でも食べに行かんかと思うてな」
ここで尻尾振ってホイホイついていく従順キャラを演じるか……?
はたまた「えー……あたし門限早いしー」的に拒絶しとくとか……?
あたしのシナプスがフル稼働。
考え得るメリット&デメリットを最速で検討する。
畢竟――。
たかが食事程度で、なにをそんな大げさなという結論に達し、0・05秒後には脊髄反射で元気よくソファから立ち上がっていた。
「ごちそうさまでーす」
「あっははは! えぇリアクションや。えぇでー、そういうの」
妖艶なラフレシアのようなデコレイティヴドレスの後ろ姿についていき、ルームをでる段になって、ちらと背後を振り返る。
憂慮を孕んだ楼蘭の視線に応えて、一度だけ無言で頷いてみせた。
■
「どないしたん。リラックスしぃや。なんも灰皿でテキーラ飲まそういうとるわけやないんやし」
さすがに緊張気味でレンタルキャッツ状態なあたしの隣りで、ワイングラスを片手に鷹揚と微笑んでいる朱羅だった。
クラブを後にして地上にでると、歩道沿いに横づけされた黒塗りのロングリムジンへ促されるまま乗り込んだ。
グラスのロッソも揺れないほどにスムースな走りで、ミニバーつきのゆとりある車内は空調も効いて快適。
「なんか飲まんね」
ここでドリンクに一服盛られでもして、目が覚めたときに今度は一体全体どんなヴァラエティに富んだ辱めを受けているのやらと想像してみるだけで軽く死ねる。
だからペットボトルのミネラルウォーターが未開封なのを確認してから、それだけ貰っておいた。
ぽつぽつと身の上話めいたことを口にする。
「ははぁん。お兄やんとふたり暮らしなんか。健気やね。ご両親はどうされたん?」
「あたしが、ちっちゃな頃に……事故で」
「あはぁ。それはたいそう気の毒やったねぇ。で、なんか食べたいもんないん?」
「基本なんでも食べられますけど。それよりも、こんなテキトーな格好で大丈夫だったのかな」
黒ベロアのコルセット風フリルスカートにシルクブラウス。
Gジャンタイプのタイトなレザージャケットを羽織って黒×紫ボーダーのニーソックスに足許はショートブーツというゴシック+パンクスタイルだった。
「そないに堅苦しいとこ行くわけやないから、気にせんでええよ。ジブンの好きなもんって、なんね」
正直に答える。
四川風 麻婆豆腐/ハバネロカレー/ペンネ アラビアータ/トムヤムクン/チリコンカーン/エンチラーダ/その他メキシコ料理全般が大好き。
「なんやスコヴィル値高そうなのばっかやないね。とびきりカプサイシン娘かいな」
前部シートにはドライヴァーを含めた二人の黒服。普通のブラックスーツで、さすがに例の《KKK》色違いの格好はしてなかった。
「そういや、こないだから楼蘭はんとは随分と仲良うしてはるようやね。ああいうV系のナルシー暗黒王子さまみたいのが、ジブンの好みのタイプやの?」
「そんなんじゃないけど。他に知ってる人もいないし」
「せやったら、ええけど。まぁ、嬢ちゃんもせいぜい気ィつけとかんとねぇ」
「なにが……ですか」
「あの人、ホンマはメッチャ普通の人やのに。なんか背伸びっちゅうか、かなり無理しとるんがバレバレやわ。なして毎回きっちり顔だしとるんか……謎やわぁ」
これは……話題の矛先がキナ臭い。
額にぷつぷつ嫌な汗が浮いてきそう。
「ホンマはいらんこと探りに来とる潜入捜査の刑事とか、探偵やったりしてな……なぁんて、あり得へんわ!」
からからと大笑する朱羅だった。
だけど、困惑が不可避のあたし。
どうして、そんな心証を無防備に打ち明けるのか。
■
到着したリムジンから降りた途端、ヘドロ臭混じりの潮風が香る。
あきらかに港湾の埠頭だった。
こんな辺鄙な場所に知る人ぞ知る〈都会の隠れ家〉的なカルト料亭があるとでもいうつもりだろうか。
「そないな顔せんでもええわ。こっからジブンを国外に売り飛ばそういうわけやないし」
朱羅に手を引かれるまま、無愛想な建造物が威圧的に立ち並ぶ倉庫街を進んだ。
師の影を踏まぬようにと恭しく三歩下がった二人の黒服が黙々とつき従ってくる。
やがて……倉庫街を抜けた先で。
存外な光量――。
異星人の第三種接近遭遇よろしく盛大に降臨していた。
眩しさに思わず手を翳して仰ぎ見る。
海面にそそり立った豪華なハイクラスホテルのような、それ。
巨大クルーズシップ――。
きらびやかにライトアップされてドックに停泊しているのだ。
「なんなの……これ」
「嘘はついとらんよ。なんでも好きなもん食べさしたるし……あん中でなぁ」
いたずらっぽく微笑んでウインク。
「ただ、ちょいっとナイトクルージングにつき合うてもらうだけやって」
■
「ちょっとスマホ使ってもいいかな」
ごくごく軽い調子を装って訊いてみた。
内心の不安や疑念――気取られちゃまずい。
「たぶん兄貴が余計な心配すると思うから、今夜は戻らないってだけでも云っとかないと……わりと先走って警察に捜索願いとかだしちゃう人だし。なんか過保護すぎて笑えるんだけど」
「たった一人のお兄やんやもんね。嬢ちゃんが大事でしょうがないんやろ。せやったら電波の届くうちにかけとった方がええわね」
そしたら数コールのち「おかけになった電話は電波の届かない云々」の不通アナウンス。
「あれ……どうしたんだろ」
わざとらしくリダイアルする素振りで、今度は楼蘭にコール。
だけど、またしても素っ気ないヴォイスが流れるばかり。
ジャクージつきの温水プールまである広々とした屋外デッキには人っ子一人いない。それでも皓々とライティングされているのが余計に寂寥ムードを弥増していた。
ドブ泥臭を孕んだ潮風が吹き抜ける。
この危機感漂う展開のときに、なにやってんの二人とも。
あたし孤立無援かよ。
よもや急遽こんな状況になるとは思ってもなかったから、今はチャチなスウィッチブレイドぐらいしか携行してないのに。
とりあえず百目&楼蘭の即席タッグが見せるアドリブに期待したい。
きっと楼蘭さんは、あたしが朱羅に連れだされたことを百兄ィに連絡しているはず。
そうすれば、あたしのスマホをGPSで追尾してくれるぐらいのスキルはある。
だけど……結局はそこまでか。
いったん洋上にでてしまえば、もう二人ともフォローしきれないだろう。
だから素早く決断した。
今はおとなしく朱羅の云いなりになって無事に乗り切ろう。闇雲な危険に踏み込むのは、もっと自分の身の安全が確立されているときでいい。
とにかく無事で、再び陸に上がるのが最優先だ。今回うまく乗りきれればチャンスは、きっとまたある。
「冷えるやろ……そろそろ中に入らんね」
そろりと回されたサテンドレスの腕が、あたしを背後から抱き竦めた。
耳朶に熱っぽい吐息……そして甘噛み。
「あの……あたし、そっち系の趣味ないんですけど」
「そうなん……? たかがジェンダーごときで恋愛対象を限定するやとか、莫迦げたことやのにねぇ」
「恋愛って……ただ性的にいろいろしたいだけなんじゃないの」
「そうともいうわねぇ。ま……たいした違いはないわ」
悪びれもしない朱羅だった。
■
案内された部屋――外資系ハイエンドホテルのインペリアルスイート並みの豪奢さだった。
礼服のスタッフがワゴンで運び込んでくる料理が次々とテーブルに並んでいく。
クルーズ客船としては最高級レヴェルの〈ブティック〉というクラスらしい。薄利多売的な大衆向けクルーズとは一線を画し、船型をそれなりに小規模に抑えることで、より高度なサーヴィスの向上が望めるのだとか。
「あたし、お酒関係は全然ダメなんだ」
問答無用でワインを注いでくる朱羅を押し留めた。
「すぐに頭が割れそうに痛くなっちゃうから。もう脳味噌ぽろっと白子みたく転げでてくるんじゃないかってぐらい」
「あらま、そやの。なんちゃらいう、えっらいバカッ高いワインらしいんやけど」
「ロマネコンティ、2003年産のものでございます」
傍らで控えていた初老のソムリエが丁重に告げる。
「この年はわずかに3千本しか出荷されておりませんでして」
「いらんわ、そないなウンチク。なして、こないなブドウ汁が、何十万もするんやろね……ってジブンまだおったんかーい!」
シッシッと蠅を払う仕草でソムリエを退室させた。
「だいたい、なんやの〈テイスティング〉って。アホちゃうのん。飲めりゃええんやわ、飲めりゃ。酸味がどうしたやの、甘味がこうしたやの、ゴチャゴチャせわしいこと述べよる輩は〈すし酢〉でも飲んどりゃええんよ」
ボトルのネックを掴んで呷る――ぐいぐいラッパ飲み。
一気に半分ぐらい空けると、まるで紀州梅干しを口いっぱいに詰め込まれでもしたみたいな苦渋顔で唇を離した。
「うっへぇ酸っぱあああぁぁぁ……ほら嬢ちゃんも遠慮せんと、たんとお食べぇな」
あきらかに完食できるわけもない量のディッシュを前にして、逆に食欲LOSTしそう。
それでも魚介サラダだのガンボっぽいスープだのタコスだのメキシコ風ステーキだのに赤や緑のサルサを適宜ぶっかけながら口に運び、もそもそと咀嚼してはレモンとデスソースをたっぷり垂らしたトマトジュースで流し込む。
もはや味わいがどうだこうだとか、意識高い系グルメみたいなことに拘泥してる気分じゃなかった。
■
さんざん食い散らかされた料理の残滓が慇懃に下げられた後――。
有閑マダムみたいな絵画ポーズで優雅にソファに寝そべっている朱羅だった。
燻らせるキセルパイプ――淡い群青色の甘ったるい紫煙が漂う。
「これ《ブルーシャトウ》いうて、ウチらのオリジナルのデザイナーズもんなんよ。高純度のアンフェタミンをベースにしとってな、あの娘ウチが《ブルーシャトウ》キメたらどんな顔するやろ……って、こっち関係もまるで興味なさそうやねぇ」
ちょこなんと隣りで小さくなって、アボカドペーストをつけたトルティーヤチップスをチミチミ噛っているあたしにそう振ってきた。
「煙草も吸わんし、アルコールもダメ。ゼッタイ。ほいでヤクも嗜まん……っと。ええことやねぇ。身体をクリーンにしとくのはホンマに、ええことやわぁ」
伸びてきた指先――あたしのピンク混じりの茶髪をちりちりと縒るように絡めてくる。
「せやけど……? いったいメンタルの方は、どんだけクリーンなんやろうねぇ」
いたずらっぽく、だけど……なにか曰く云いがたい邪気を孕んだ薄らスマイルを寄せてきた。
「嬢ちゃんさぁ」
「はい」
はい、じゃないが。
「あの、えげつないエロダルマ、どないしてしもうたん?」
「え……?」
「おとぼけかいな――《悪魔のコックさん》やわ」
毒蛇のように首筋を這っていた手が、あたしの顎下にキュッと環の形で入ってくる。
なにこれ……雰囲気ヤバいっ……!
革ジャンのポケットにスウィッチブレイド。
フルスピード――思考MAX!
どんな云い逃れが可能?
無理無理バレてる殺るしかない。
殺んなきゃ――殺られる!
だけど。
喉を押しつけていた掌が翻った。
ぺろんと愛しげに頬を撫でてくる。
「別にええんよ……そもそもウチらはそういう子を探しとるんやから。そのための募集の窓口になるんがSNSの《xxxx》やし。ほんで実際に顔見て、面接がてらに品定めするためのイヴェントが《アンレイテッド ナイト》なんやからね」
視界いっぱいを埋めるほど近接した、ぽってり紅リップが言葉を紡ぐ。
「ジブン……人を殺すの全然平気なんやろ」
「しゅっ……」
枯れ木みたいになった喉の奥から声を搾る。
「朱羅さん」
「なんね」
「あたしを、どうしたいの」
「ぶっちゃけ、スカウトみたいなもんやわ」
「スカ……ウト?」
■
ぴったりと身体を寄せた朱羅に肩を抱かれて、誘われるまま別室へと移った。
ダブルのベッドルーム――冷気めいた感覚がみぞおちを嘖む。
ついにきた〈枕営業〉の覚悟っ……!
でも、そういう意図じゃないらしい。
壁際のスウィッチを操作すると、壁一面を覆っていた分厚いヴィロードの緞帳がズルズルと左右に分かれていき、埋め込まれたものがあらわになった。
ゴールドのレリーフ――。
「巨大な眼球に絡みついた2匹の蛇」というデザインで、虹彩部分の円形は地球を模しているようにも見える。
「あれ、シンボルマークでな」
耳元に吹き込んでくる。
「ウチら《邪の眼》いうんやけど。ひと言でいうたら……〈悪の組織〉やね」
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