【9】……〈HYPER LOVE〉
【9‐1】――ネオロカビリー兄貴 VS ヴィジュアルショック貴公子
【9】
「でよ……ザクロ。おまえの云い分は要するに、こういうことかい」
生のゴキブリでも噛み潰したような苦虫咀嚼フェイスで膠着している百目が口を開いた。
指の間に挟みっぱなしの煙草から、伸びすぎた灰が自重で折れ落ちる。
うちのダイニング――フローリングにクッション直敷きでローテーブルを囲い、ツラ突き合わせて善後策を話し合っているところなんだけど。
「自分からデコメになって、相手の懐に飛び込む……と」
「だからデコイだって……囮って意味。なんでJC・JKに大人気のメールなの」
「どうでもいいわ。デコビッチでもデコトラでも、なんだってな」
苛立たしげに視線を移す。
「で、あんたはたった15歳の小娘に、そんな危険すぎる真似をさせるつもりなのかい」
「まさか……15……だって?」
想定外という顔の楼蘭だった。
「ああ、こいつはこう見えても、まだたったのそれだけしか生きてねぇのよ」
■
百目コールで今度は替えのショーツどころか衣服一式を持ってきてもらうと、楼蘭の案内で郊外にある《悪魔のコックさん》邸に赴いて屍体を積み込み、そこから百目が《氏賀ミートセンター》へ出向いて処分している間に、あたしたちは地下厨房の現場を後始末する。
ひと仕事終えて戻ってきたときには、もう夕方になっていた。
《邪の眼》の実体に近づく可能性――まだ失われていない。
「《紅蓮の魔女》だっけ……朱羅さん」
だったら、これが最善の策。
「あの人が、あたしを気に入ったみたいだって楼蘭さん、いってたよね。だったら、そこからなにか探れないかな」
「それは……たしかに妙案かもしれない」
寄せていた愁眉が、するりと解かれる。
「精いっぱい頽廃や猟奇を気取ってはみたが所詮、僕程度のアプローチでは次のハレー彗星が飛来するまで待っても彼女のお眼鏡には適わないだろう。これじゃ埒が明かないと薄々感じてはいた。
だが、ザクロくんが彼女に近づいてくれるというのならば……あるいは」
次第に乗ってきたようで、語りも熱っぽくなっていく。
だけど、そんな楼蘭に比して、やけに醒めた態度の百目だし。
「あるいは……ってかい。へっ、端から全部バレバレだったりしてな。あきらかに罠なんじゃねぇの」
とにかく《邪の眼》の核心に迫るためなら、あたしは大概のことはやるつもりだった。
関係者に気に入られるために小芝居を打つのも、場合によっては若手アイドル声優よろしく〈枕営業〉的な下賤な行為も厭わないつもりだ。
でも、あたし独りだけで闇雲に突っ走っても無為無益。
意向を確かめんべく百目に熱視線を捻じ込んだ。
どうよ百兄ィっ……どうなのよっ……!
しかれど、ひょいと躱して肩を竦めてみせるばかり。
「おまえのしたいようにすればいいだろ。たしか有名な格言あったよな。コケツ……いや『おケツに生で入らずんばHIVポジを得ず』だったか」
そういうのは得なくていいから。
そして生はやめて危険すぎる。
「ただな……」
ずい、と楼蘭に向き直ると真っ向から見据えた。
一人娘を嫁に貰いに来た若造に対峙する頑固親父さながらの険しい顔になる。
「もしも、ザクロになにかあったら……こんな物騒なネタを持ち込んできてくれやがったあんたを、おれは絶対に許しゃしねぇからな。そんときゃあ、それなりに覚悟しといてくれよ」
だけど臆せずに相手を見据える楼蘭だった。
「妹を大切に思う気持ちは、僕も重々わかっているつもりだ。それに“覚悟”というのなら……この件に踏み込んだ5年前から、もうとっくにできているさ。そもそも――」
さらに反抗の眼差し。
「危険な潜入任務に従事している“妹”を、きっちりバックアップすること。それが本来“兄”たる者の務めなんじゃあないのかい。
きみが予定通り、昨夜ザクロくんを迎えに来ていれば、あんな物騒な目に遭うことはなかったはずだろう……違うかい」
「ははっ……! たしかにな。マジに仰せの通りだわ」
もはや自棄気味の百目。
「だけどよ。もしも、おれがその場に居合わせてたとしたら、かわいい妹がイカレたB級グルメダルマに拉致されるところを、むざむざ黙って見過ごすなんて無様な真似は到底できねぇけどな」
「ふん……云ってくれるじゃあないか」
座したまま、ジリリと上体を前に傾げる楼蘭。
「ああ……云ってやるともよ。いくらでもな」
百目も負けじと身を乗りだす。
テーブル越しに、互いに額を突きつけ合うほどに近接させて、今にも取っ組み合いでもやらかしそうなテンションだった。
剣呑な空気が張りつめる。
「ちょっ……やめなってば、ふたりとも」
たまらず仲裁に入らざるを得ない。
「あっ、あたしも無事だったし? そのうえ悲願だった《邪の眼》の手がかりにまで、こうして到達できたわけだしさ。結果オールライトじゃん? ほら、アプリ片手にソファで、いっぷくでもしたら? ね……?」
だけど一向に収まらない。
あたしには一瞥もくれず、睨み合いは静かに激化していくばかり。
〈直情型のロカビリー兄貴〉 VS 〈デカダンなゴシック系の耽美派〉
そもそも相容れる道理もなかった。
「そんなの、たまたま無事だったってだけだろ。もしも万が一、万々々々にひとつでも、良からぬ事態に発展していたらと考えると……おれは、おれ自身を含めて、それに関わったすべての人間を許すことは到底できねぇだろうよっ……!」
「そんな仮定を宣えられるのは、ザクロくんが生きて今ここにいるからこそ。もうとっくに失われてしまったものを、取り返すことはできないのさ。今たしかに、ここにある存在を……それを失わないためだったら……僕ならば、全世界を敵に回してでも護り通してみせるがねっ……!」
今や二人とも立ち上がって、もはや〈トンネル効果〉ですり抜けちゃうんじゃないかってぐらいの勢いで、ぎちぎちと互いに詰め寄り合う。
激した圧迫感が場に充満して臨界寸前に。
あまつさえ背景で荒ぶる巨大な龍と虎が取っ組み合い、閃光と雷鳴が轟くヴィジョンまでも幻視されてくる始末。
もう即時退避が必要な、ただちに危険なレヴェルにまで膨張しきった――そのとき。
いきなりドアチャイムが鳴った。
■
外界との不要な接触を極力避けるために、普段はもっぱら居留守なんだけど。
その後に「3・1・2」の合図ノックがスティールドアを鳴らしたので応対せざるを得ない。
一応ドアスコープから確認。
インディーズAVだったら食糞させられてるレヴェルのスッピンのロリ顔が、得意の営業スマイルで小首を傾げている。
ざらっ……! お隣りのキャバ嬢、ザラ子さんだった。
「こんちわー。あン、晶くゥ~ん。ほらほら今日さァ、たまの休みだしィ? みんなで、お鍋でもどうかなァ~なんて思っちゃってさァ、ほらァ、材料いっぱい買ってきちゃったぁ~」
こういう媚びたアニメ声でナチュラルに喋れるのは、ある意味で素直に感心するけれど。
長ネギやら大根の葉っぱ部分やら嵩張るものが突きだしたエコバッグを両手に、ずかずか上がり込んでくる。
たしかにオフらしく、出勤時には〈昇天ペガサスMIX盛り〉のゴージャス仕様にされるゆるふわカールの茶髪は、ざっくりとヘアクリップでまとめただけ。
オーヴァサイズのパーカーに、カットオフのデニムショートパンツ&レギンスというラフな格好だ。
「あっれェ? お友だちも来てるンですかぁ~? もし良かったらァ、ご一緒しませンかぁ~?」
この人の空気の文盲っぷりは、ほとんど障害者手帳が即時発行されそうな勢いだし。
結局、この微妙な関係性の4名様で「和やかに食卓を囲む」という日常ヴェクトルへと場がシフトしてしまったらしい。
■
「ではまずゥ、皆さんからの希望を募りたいと思いまァす」
すでに一杯加減のザラ子さんが缶ビール片手に場を仕切り始めていた。
現時点の状況下において、いわゆる“鍋もの”向けの基本具材はすでに買い揃えられている。
そこから鍋自体のアイデンティティへと深刻に作用してくる問題が勃発。
すなわち、ベースとなるスープのテイストの方向性だ。
ぶっちゃけ「なに鍋にするか」ってこと。
「じゃあ晶くんはァ、なに鍋がいいと思いますかァ~?」
「〈すき焼き〉とかどうよ」
「えええぇぇェ~~~ッ! なんでェ!? マジ信じらんないしィ」
「なんでって、なんだよ。そんな大袈裟なリアクション取るようなところじゃないだろ。鍋ものの定番じゃねぇか」
「だってぇ~、あれって甘辛い醤油の味しかしないしィ、ぜェんぶ同じ味になっちゃうよぉ~」
「そりゃ鍋ものは基本、全部同じ味になるだろうが」
「だってさァ『すき焼きなんぞ牛肉を一番まずく食べる料理……これでは死んだ牛も浮かばれんわ。せめて魯山人風すき焼きぐらい食わせてみろ』っていうしィ~」
「海原 雄山かよ!」
「と・に・か・くっ、それ却下ッ……じゃあ、こちらの超絶ヴィジュアル系のお兄ィさまはァ、なに鍋がいいと思いますかぁ~?」
座卓に正座待機で居心地悪そうな楼蘭に振ってくる。
そして、その妙な潤んだ流し目やめろ。
「なんでも結構ですが」
「またァ、すぐそうやって思考放棄ですかァ? そういう『斜に構えたオレさま超かっこいい』みたいな態度ってェ、どうかと思いますけどォ」
「ははぁ……では〈タジン鍋〉などはいかがでしょう。無水調理の蒸し野菜のようなもので随分とヘルシーだと聞き及びますが。そして味つけはベーシックな塩コショウのみに仕立てておけば、あとは取り皿を充たすタレの種類によって、食する際のテイストは各個人の趣味嗜好に委ねられる」
「なんとタジンっ! さっすがの着眼点っ……! だけどォ、実は特殊調理器具としての大型タジン鍋そのものがないのですゥ。ちなみにィ、おんなじ理由でジンギスカンとかもアウツでェす」
いやいや。
だったら、まずは調理に使用可能な購入材料を広く開示するべきだし。
それらの組み合わせの次第によっては〈薄味の昆布だしスープ〉で〈モツ鍋〉だとか空恐ろしいことになりかねない。
「ザクロちゃんは? 何味のお鍋がいいのォ?」
「メキシカンレッドホットチリコンカーン鍋」
「そ、それってェ〈キムチ鍋〉みたいなのかなァ?」
「メキシカンレッドホットチリコンカーン鍋はレッキとしたメキシカンレッドホットチリコンカーン鍋だから。
キムチ鍋とかプルコギピザとかサムゲタンだとか腐れ脳味噌マスゴミのステマ韓国ブームのゴリ押しマジうざいし。K‐POP(笑)とか日本人は誰ひとりとして聴いてないっつーの」
安穏とした会話のやり取りに若干イラきてたあたしのメンタルは、ちょっぴりネトウヨ嫌韓ガイジ化し始めていた。
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