【8‐2】――暗黒犯罪結社その名は《邪の眼》


 で……?


 また目が覚めたときに、あたしが大開脚の逆さ磔で局部に活け花を挿されてたり?

 あるいはボンレスハムみたくみつしりと緊縛状態で宙吊りだったりしたら大草原不可避なんですけど。


 でも残念ながら、そこまでのオモシロ展開じゃなかったらしい。


 見知らぬ天井に寝乱れた全裸のあたしが張りついていた。どうやらラヴホのベッド――全面ミラー張りの鏡地獄ルーム。


「致し方なくてね」

 離れたソファに腰かけていた楼蘭が顔を向けた。

「可能ならば、そのまま速やかに自宅まで送り届けるのがベストだった。しかるに、貴女は眠り姫の体たらく……そもそも住居がどこにあるのかすら知る由もない。ゆえに暫定的な潜伏場所として、こういう下賤なところにでも転がり込む他に術がなかったのさ」


 詰問したいことは多々あれど、喉の奥が廃棄油で揚げた鳥皮でも詰め込まれたみたいで言葉をうまく紡げない。

 頭の芯が膿み爛れた感じに熱い――重い。

 そして身体。

 汚水プールをバサロで泳ぎ切ったほどの穢らわしさに纏われていた。

 まろぶようにベッドから降りると、身体に絡めたブランケットを引きずったままバスルームへ。


 口中に使い捨ての歯ブラシを突っ込む。

 歯が軒並み抜けるぐらいの勢いで掻き回しながら、ホットシャワーの水流にうなじを打たれていると、いくらか気分はマシになってきた。


          ■


「あの《血達磨男爵》……いや、今や連続殺人鬼 《悪魔のコックさん》だと、その正体が明らかになったわけだが」


 とりあえずホテル備品のローブを羽織ってベッドに腰かけ、サイドテーブル越しのソファに収まっている相手の言葉をおとなしく拝聴しているあたしだった。

 語り始めるまで、楼蘭はかなり思い迷っていたみたい。


 だけど訊いとかないと、こっちだって合点がいかない。


「あの男は僕が探っている、ある〉と関連があるのではないか。そう睨んで、近頃ずっとその挙動に注目していたのさ。そして、どうやら今宵の彼奴がターゲットとして眼をつけたらしい貴女を尾行させてもらったわけだ」

「じゃあ……」

「そうだ。あなたが襲われ、かどわかされるところまで、よ。しかも彼奴がそうするであろうと薄々は察知……いやしていながらね。それでも、その時点では助けようとしなかった」


 くしゃっと髪に指を入れる――懊悩の表情。


「僕は貴女をデコイ……つまり囮として使ったのさ。貴女が彼奴に、ことは承知の上でね」


          ■


「貴女が積み込まれた車輌を尾行した僕は、あの郊外の邸宅に彼奴が貴女を荷物よろしく運び込むところまでを隠れながら窺っていた。さぁて……ここからが僕の葛藤の始まり始まりというわけさ」

 自嘲の苦嗤いを漏らす。

「もしも、あなたが物云わぬ骸となり果てて、あの建物内から発見されることにでもなるのならば……それはもうものだ。いくら怠慢がすぎる警察だって、さすがに動かざるを得ないだろう。あとは待っているだけでいい。そのはずだった」


 気まずい沈黙が、どんよりとこの場の空気にわだかまっていた。


「だが僕は……あなたが殺されてしまうことがほとんどわかっているのに、素知らぬふりで看過することが……どうしてもできなかった。それで押し入って……結果ああいうことになってしまったのだ。

 だけれど……場合によってはことすら選択肢としては、あり得たのさ。今さら謝ってどうこうなる問題じゃあないが……すまない。本当にすまなかった」


 肘をテーブルについて、指を絡め合わせた手許を俯けた額に押し当てている楼蘭だった。

 そういえば。

 昔キュラソ星人とペロリンガ星人に拉致られたときにも、こんなふうに土壇場で百目が助けてくれたっけ。


 なぜだか、あのときのことを想いだしていた。


「気にすることないんじゃん」

 あえてチャラく振るまう。

「ある意味、結果として命の恩人なんだからさ……終わり良ければってやつ? だいたい〈秘密結社〉を追うだのなんだのって、楼蘭さんは本当はなにしてる人なの。刑事とか……まさか探偵?」

「いいや。今はただ至極、個人的な理由で動いているだけさ」

 そろりと、まるで舌先で剃刀の刃でも押しだすようにして呟いた。


「ずっと……妹の行方を追っていてね」


          ■


 女子大生だった妹さんが、ある夜、女友だちと3人でドライヴにでかけると云い置いて家をでた。

 数日後、生活圏にまったく縁のない遠隔地の郊外型マーケットの駐車場で車輌のみが発見される。

 それが5年ほど前だという。


「ほんの些細な、脆弱な情報の欠片を手にしたらフリークライミングさながらに、次なる僅かばかりの手がかりを指先で探る。そんな調査を地道に繰り返しては、辿って……辿って……辿り続けて……ようやく行き当たったのが、あのイヴェント《アンレイテッド ナイト》だったのさ」

 「そこまでわかっているのなら警察に」ってのは愚問中の愚問。

 そんな機関に駆け込んでなんとかなるレヴェルの話だったら、こんな素人の潜入捜査みたいな間怠っこしい真似はやってないだろうから。


 それはともかく、なんなの〈秘密結社〉って、そのざっくり大味な概念は。

 勧善懲悪的な往年の特撮アクションの悪役じゃないんだから。

 そう率直に告げてみた。


「そうだね……たとえば経済活動を例にとってみよう」

 楼蘭は真顔で説明し始める。

「個人で小規模に立ち回るよりも、企業化した方がずっと効率が良いだろう。ならば、犯罪活動もそれに倣い、組織化すれば良いのではないか。総体としての統制を取り得るのならば発覚の危険性だって、ぐっと減少する。いわゆる〈完全犯罪〉の成就が、ずっと容易になるのさ」

「それって《ショッカー》とか《国際ダイヤモンド輸出機構》みたいなもんなの」

「軽々に比較はできないが……己らが利益を追求するために他者に害をなすことを厭わない、そういう点では共通性があるといえるのかもしれないな」

「あたしも暗黒な事柄に関しては、いろいろ興味本位でさんざん嗅ぎ回ってきたもんだけどさ。そんな組織の噂の片鱗すら耳にしたこともないよ」

「いやしくも〈秘密結社〉だからね。これ見よがしに看板掲げて、鐘や太鼓で喧伝して回っているわけではないだろう。ひと口に〈秘密結社〉といっても、かの《フリーメイソン》のように存在が公になっている団体もあるが……はるかに邪悪な思想の下に結成された、国際的な犯罪シンジケートとでもいうべきなのか」


 そして楼蘭の唇が紡いだ言葉。


「その組織は――《じゃ》という」


          ■


「えっ……?」


 外耳道をくぐり抜けて鼓膜が受信した音の周波が変圧され、内耳神経から聴覚皮質に伝達された電気信号を大脳が速やかに変換してくれない。


 今……なんて云ったの?


「《邪の眼》……“よこしま”な眼球の“眼”だ」


          ■


「〈ヘンリー・リー・ルーカス〉……ご存知かな」


 知らないわけがない。


 『おれにとって、人を殺すのにはなんの感慨もない。ただコップの水を飲むようなもんだな』と嘯き、全米17州に亘って優に300人以上を殺害したとされる極悪のカリスマ。

 歴代サイコキラー人気チャートTOP5に常時ランクインする希代の連続殺人鬼だ。


「そのヘンリー某が一時期所属し、刺客として活動していたという《死の腕》と呼ばれる犯罪カルト集団の存在が示唆されている。強盗や殺人、また幼児や児童の誘拐および〈スナッフムーヴィ〉の作製など、凶悪な犯罪活動を行う国際的な暗黒組織……しかし未だに摘発には至っていないのが現状だ。

 そして、その《死の腕》すらも実際は《邪の眼》の末端組織に過ぎなかった……と、そういう風説もあるのさ。

 では《邪の眼》と、あのSNS《xxxx》にイヴェント《URN》……これらが、なぜ組織に関連してくるかというと、どうやらという意義があるようなのだ。新たな担い手を、云わばスカウトするためにね」

「ってことは《紅蓮の魔女》――朱羅さんってのは」

「連中の一味なのかどうか、そこまではわからない。ただし、無論なにか承知の上でのことだろう。だが、それももう……ここまでだ」


 ふうっと深く呼気を漏らす。「こぼれたミルクを嘆いても詮ない」と云わんばかりに諦念が色濃い表情だった。


「貴女が無事だったのは幸甚だ。それはたしかなことさ。だけれど、これで……すべてが反故になった。せっかく、ここまでして得た端緒も……もう、なくしてしまったのだからね」

「まだ全然いけるよ。余裕じゃん」

「なんだって……?」

「要するに、あいつの屍体をなくしちゃえばいいんだよね」


 だったら、あたしらの得意分野だ。


「そしたら、あのウザいダルマデブ最近ちょっと姿見ないねっていう。それだけの話だし」

 怪訝を通り越して、もはや不可解の域に達している楼蘭の顔に、上向けた掌を突きだした。


「とりあえずスマホ貸してくれる?」

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