【6】……〈Les Enfants Terribles〉

【6‐1】――キュラソとペロリンガと、ときどき百目


 【6】


「やぁ、暇してるね」


 声をかけられたのは新宿・歌舞伎町のゲーセンにて。

 一見したとき、そいつにこれまでのやつらとの差異は、さほど感じられなかった。歳は二十代半ばぐらいだろう。

 しかるに眼が小さすぎるヒョロリ馬づらのおちょぼ口で、こっちが気まずくなるほどのブサメンだった。

 美をつかさどる女神さまが粗悪なヤクのバッドトリップで造形したような、こいつを人並みの人間扱いにしてやるのがなんか癪で〈キュラソ星人〉と命名してみる。


「暇っちゃ、暇なんだけどさ。お兄さん……“足”あんの?」

 確認すると車で来ているというので、ひとまず交渉成立。

 靖国通りまで、てくてく徒歩で移動する。


 路駐の車――ドライヴァーズシートに、もう一人いた。


「なんなの」

 訝しげな顔を向ける間もなく――ドッカ!

 車内に突き倒されてツードア車の後部座席に追いやられる。

 シートを戻したキュラソが素早くナヴィに乗り込んだ途端に急発進っ……!


 夕刻の雑踏――あたしたちの挙動を気に留めた者は誰もいないようだった。


          ■


「ふたりとか聞いてないんですけど」


 あたしの発言は全部ガン無視でスルー。


 前席の二人とも揃って、むっつり顔の無言行を貫いたままで、走行する車内にはじっとりした剣呑ムードが充満していた。

 これは、もうロクな展開にならないのは「ハリウッドアクション大作におけるカーチェイス→大爆発→なぜかラストは素手での殴り合い」の法則よりも明らか。


 ドライヴァーもキュラソと同年代ぐらいで、ケロイドめいた赤剥け皮膚炎づらはブサさのレヴェルも負けていない。

 しかも、ルームミラー越しにときおり寄越す酷薄な視線に「鬱屈した欲望のためならレイプも辞せず」的な女性蔑視の凶暴さがにじみでている分、余計にタチが悪かった。

 とりあえず急務で、こいつは〈ペロリンガ星人〉と名づけてみる。


 スマホもカッターも、取りあげられたショルダートートの中。

 もっとも手許になんらかの通話用デヴァイスがあったところで緊急110コールなんて、あたしの立場上できるはずもないけれど。


 窓外を流れる景色――どうやら甲州街道から南下してるらしい。


          ■


 多摩川・河川敷沿いの路肩に停車したところで、ようやく膠着していた場面が動きを見せ始めた。


 前の席から身を乗りだしたペロリンガが、クリアの500mlペットボトルを突きつけてくる。

「飲め」

「なにこれ? 〈サントリー天然水〉とかフザケてんの。あたし〈コントレックス〉しか飲みたくないから」

 わざと、そういう憎まれ口を叩いてみる。

 ギチチィッ……筋肉の軋む緊迫感の高い音が車内に響いた。

「あっあっ……! ダメダメ、殴っちゃまずいって」

 ペロリンガの固められた拳――今にもあたしを強襲しそうだったところにキュラソの勧告。

「やっぱ顔はダメでしょ」

「くっそ……あんましナメてんじゃねぇぞ」


 振り上げた拳をわなわなと震わせながら、どうにか怒りの収めどころを見つけたらしいペロリンガが、その手で取りだした電動シェイヴァーみたいなものを、あたしのお腹に押しつけて――ズバーン!

 鳩尾を抉られる衝撃に撥ね飛ばされ、シートにのけ反ってしまう。

 スタンガンだった。


「ぐっふ……!」

 体躯を折って打ち震える――耐える。

 それしかできない。


「あのさ、親切心から云うんだけど。今のうちにおとなしく云うこと聞いといた方がいいよ。この人かなり無茶するから」

 だとかキュラソのおためごかし。


「だっ……だっだだだいぁ……」

 呂律がもつれる。

「だいたいさぁ……それもうキャップ開いてるし……? そ、そんな露骨な異物混入ドリンクとか……飲むわけないじゃん……常識的にかんが」


 バチチチィッ!

 今度は首筋にきた――相当キツい。

 焼いた鉄パイプで打ち据えられたようなダメージに、もうシートに額をグシグシとこすりつけるしかなかった。


 なんという屈辱。

 こんな、ちゃちなエレキ発生装置ひとつに屈服するしかない、あたしの肉体の脆弱さを呪わしく思った。


「わかった……わかったから……もう、やめてよぉ……」

 泣き入った懇願で服従を演出。

「飲むから……やめて……」

 震える手で受け取ったボトルから、とりあえず口いっぱいに含んで――ブバーッ!

 ペロリンガのアトピーづらに噴いてやった。

 刹那、頬っぺたが弾けてぶっ飛ぶ――シートでバウンド。

 逆上したペロリンガの脊髄反射ビンタを食らっていた。


「あーあーもう、だからダメだって殴っちゃ。しっかし、ここまで果敢に抵抗する子は初めてだよ。別に死ぬわけでも減るわけでもないし、もう観念しちゃいなって」

「くっそぉ……このメスガキ。撮るモン撮り終わったら、どうなるか覚えとけよ。その生意気なツラ、熟れすぎて割れた土手カボチャみたいにしてやっからな」

 あたしの髪を引っ掴んでガクガク揺らしながら顔を拭っていたペロリンガが、シートの間から後部座席に乗り込んでくると後ろから羽交い締め。

 さらに足を絡めて蟹挟みで拘束する。

「へっへ……ざまぁねぇな。いくらナメた態度とってても、どうせメスガキの力なんてこんなもんよ」

 お尻にぐにぐにと嫌な感触で凝固したものが当たってきていた。

 懸命に身をよじるけど力が入らないし、そもそも電撃食らったハンディがなくても、こいつの巨躯には端から抗えなかっただろう。


          ■


 これは不意を突けなければ、大の男に力では敵わないという厳粛な事実を思い知らされ、なおかつ自分の非力さを痛感させられた出来事だった。


 この苦い経験を自戒として、後日あたしはそれなりに身体を鍛えあげて、武術的な格闘スキルを習得することになる。


          ■


「はいはいはいー、そんな暴れない暴れない。いらないケガしちゃうよ」


 キュラソが持ちだしてきた器具――漏斗じょうごだった。

 ペロリンガに押さえ込まれているところへ、漏斗の先端が口中深くに突っ込まれる。

 中世ヨーロッパの魔女裁判における異端審問の水責めよろしく、味もなにも解らないままボトルの中身をダイレクトに喉の奥へと流し込まれた。


 がぶがぶがぶ……ごぼごぼぼぼぼ、げぼげぼっ。


 咳き込んでみても所詮は儚い抵抗だった。

 ズトーンとくる重圧を額の奥に感じる。

 シートの下から這いでてきた無数の腕に掴まれて身体ごと引きずり込まれるような落下感覚。

 ぬるい汚泥の中に急速潜航していくサブマリンっぽい悪寒に呑み込まれて…………とぷんっ。


 意識が……沈んだ。


          ■


「こっちの方、どうするよ」


 聴覚を不愉快にザビザビこする声音で気がついた。


「もちろん、お口も使うっしょ」

「バカか。そうじゃねぇよ。でっけえ声だされたらヤバいだろうが」

「あぁー、そっちかい。それなら問題ないでしょ。あんだけ効いてりゃ大声だす気力なんてないはずだから」


 ででんと墓標でも乗っけられたように重たい頭を巡らせてみる。

 天井の高いガレージめいた場所だった。


 あたしはフロアに置かれたマットレスの上に転がされている。

 まだ服は脱がされてないものの、後ろ手で手首を縛められていた。

 食い込む金属の感触――ハンドカフの類い。

 身体を起こそうとしたけど、カタツムリみたいにムニューッともたげた首を、またぞろかび臭いマットに落としただけ。


「おっ? お目覚めかな。今日はレディースデイの特別コースで、いっぱい用意してるよ。いろいろ使った方が、お互いに愉しめるんじゃないかと思ってね」

 キュラソがテーブルに並べていたアダルトグッズを、これ見よがしにいちいち掲げてくる。

 レザーとシルヴァーで構成されたSMチックな拘束具だとか、ピンクローターにヴァイブ。

 極めつけにはモコモコのボールが連なったアナルパールですか。

「こいつは文字通りの出血大サーヴィスになっちゃうよねぇ……むひひっ」


 はぁ。

 もう溜め息しかでてこなかった。

 ったく、女を嬲ることしか頭にないクソ野郎どもは、どいつもこいつも死ね死ね死ね死ね手足の先から腐れ死んでしまえ。


「なんぞこれ。おまえ『つくってあそぼ』の〈わくわくさん〉リスペクトなのかよ」

 あたしのトートバッグを物色していたペロリンガが建築用カッターナイフ/ドライヴァー/ダクトテープといった工作グッズに反応。

 チキチキチキッ……カッターのブレイドを押しだすと、鼻をひくつかせて顔をしかめる。

「なんか……やけに鉄錆くせぇな」

 だけど、その本当の意味も解らないまま興味を失したようで無造作にテーブルへ放った。

「それはそうと、あの例の〈便利屋〉どうした。キャメラが来ねぇと始まんねぇだろうが」

「遅れてんのかな。さっきから何度も電話してんだけど」

 だとか云ってる傍から、外から叩かれたシャッターがワシャワシャと鳴った。


「はろー」


 開いていく電動シャッターをくぐって、場違いに呑気な声が響く。

 苛立ち気味にキュラソが吐きつけた。

「遅っせーよテメー……って、いつものやつじゃねぇのかよ」

「あー、あいつなんか縁日の冷やしキュウリにアタっちまったみたいで……O‐157つーの? 緊急搬送されちまってよ、急遽おれが代理でね。でも段取りとか、ちゃんとアタマ入ってっから問題ないぜ」

「つか誰でもいいけどよ、電話してんだからでろよな。なんのための“もしもし”だよ」

「いやいや申しわけねぇな。鳴ってたのは気づいてたけど、なにしろ運転中だったもんで」

「はぁ? なに寝言いってんの。鳴ってんのわかってんなら、とっととでりゃいいだろ」

「でねぇよ」

「あ……?」

「だいたい、運転中の通話を取り締まられて『電話は相手からかかってきたので悪くない』とか『同乗していた子供がでてしまい、取りあげたところを見られた』だとか、どんな云い逃れだよ。社会人として恥を知れってのな」


 男の声音は存外に生真面目で、なんらかのジョークのようには聞こえなかった。

「たとえばウェブ小説投稿サイトのコンテストでな。みんな入魂の作品を投じて真剣勝負してんのに、仲間褒めでレヴューと★をつけ合ってランキング上位を占拠する《ワナビ相互評価クラスタ》だの、大量に作成した複数アカウントで自作に★投げ続ける爆アゲだの……ってよ。そういう著しくモラルを欠いた不正工作だとかを、おれは許せねぇのよ」

 などと、なにやらトチ狂った倫理観を振りかざす始末。

 さすがに呆れてキュラソも抗弁は諦めたようだ。


「あ、もうキャストさんはスタンバってるわけ? “おれ待ち”だったってか? どーも、サーセンね」

 明らかに異常な監禁状況下にある、ぐったりと春泥のように寝そべった手足拘束のあたしを見ても慌てる素振りもない。

 すべて承知ということか。

 いそいそと撮影機材の準備をしているのが気配で解る。


「ん……?」


 構えたDVキャメラのファインダー越しにあたしを捉えた、そいつが意想外な言葉を口にした。


「マジかよ。まさか……“るかぞう”なんかよ?」



(えっ……? なんで今あたしの昔のあだ名を……)



 錆びた鉛でも詰められたみたいに軋む、鈍い頭をなんとか擡げる。


 そいつを見た。


 黒いジャンプスーツのワークウェア。

 プラチナブロンドをリーゼントスタイルに気取って撫でつけ、小顔にフィットしたキャッツアイのサングラスがクールな男だった。


 だけど、こういう売れないネオロカビリーバンドのメンバーみたいなタイプの知り合いには皆目、心当たりがないんですけど。


「あー……もう覚えてねぇかな。ほら、百目つーんだけど」

 ネオロカ野郎がサングラスを外す。

 シャープだけど優しげな目許があらわになった。

 クレヴァーな輝きを湛えたその瞳――たしかに覚えている。


 ましてや、かつて一度は淡くも恋心めいたものを覚えたことすら。


「え……マジで……百兄ィなの……?」

「そそそ、おれおれ」


 昔と変わらないテンダーな声。

 そう感じた。

 なんだか、驚いたやら懐かしいやら嬉しいやらで感情のたがが外れてしまったみたいな。


 気づけば、ブワッと弾けた涙が、しとど頬を濡らしていた。


          ■


 百目 あきら――あたしが小5の頃、週2で来ていた家庭教師。


 B+ランク大学の現役学生で、当時はもちろん今みたいなちんぴらルックスじゃなくて、長めサラサラヘアの爽やか系で普通にカッコいいお兄さんだったのだ。

 同級生の男子たちが押し並べて愚劣なガキっぽく思われる、お年頃の女児に顕著な〈微熱〉症候群。

 ちょっと年上の異性に無闇と憧憬を抱いてしまう、ありがちな思春期の陥穽に、あたしもまんまとハマっていたクチだ。

 “百兄ィ”とか呼んで、かなり懐いてたっけ。

 もしも、あのままの関係性がもう少し続いてたら、なにかちょっとした疑似恋愛的なハプニングが起こってたかもしれない、みたいな。


 だけど程なくして――例の事件。


 だから、そういう甘ったるい戯れごとはあたしの中から、すっかり洗い流されてしまっていたはずなのに。


          ■


「なに勝手に“なごみモード”入ってんだ、オマエら」


 あたしたちのやり取りを眺めていたペロリンガが怪訝そうに訊いてくる。

「実は……この子さ」

 こともなげに百目が云った。

「おれの従妹いとこなんだよね」

「あ?」

「だから、ちょっと勘弁してもらえねぇかな。もちろん金も返すし」

「知るかボケ」

「だったら同額を上乗せして、おれがそっちに払ってもいい。倍プッシュだ……!」

「意味わかんねぇよハゲ」

「『意味わかんねぇよハゲ』……からの?」

「あ!?」

「『意味わかんねぇよハゲ』か~ら~の~~~っ?」

「なにグダグダ眠たいこと述べてんだテメェは」

 もはや完全に憤怒の表情のペロリンガだった。

「だいたい、なんでパシリの便利屋風情が上から口きいてんだ……あ? いっぺん死んどくかコラ」

「ふん。残当――残念でもないし当然ってか」

「あぁんっ!?」


 食ってかかるペロリンガのケロイド激昂づらが、いきなりメキュッと窄まったかと思うと――グパン!

 後頭部から顔の中身がぶちまけられた。

 ガレージのシャッターがカンヴァス。

 紅殻色の油絵具が大胆な筆致で奔放に芸術を爆発させる。


 そういった光景が奇妙な緩急タイミングのスローモーションで展開して、あたしの視界に映っていた。

 それから、ようやく轟音の残響が耳を聾しているのに気づく。


「これもうわかんねぇな」


 ボソッと吐き捨てた百目――いつの間にか手にしているハンドガンのマズルが煙っていた。

 顔色ひとつ変えてない。

 それどころか、むしろ口許は微笑みに近い。


「あっ、あの、あのあのっ、なんかマジすんませんっ!」

 突然の凶行に絶句していたキュラソが、アワアワ慌てて哀れ。

「おれら気に障ることとかしてたんならマジすんませんっ! かっ、勘弁してくださいっ……! なんでもしますからっ……!」

 半泣きの涙声で訴える。

「ん? 今なんでもするって云ったよな」

「えっ、えぇ……」

「だったら〈屏風絵の虎〉を退治してみせろよ」

「はい……?」

「そしたら勘弁してやらなくもないぜ」

「ええぇっ……? それって、あの……一休さんの“とんち問題”的な」


 ブッバチキュウ―――ン!

 困惑したブサ顔の背景に赤い放射状の流動物が花火みたく飛び散る。


「死ねってことだよ。云わせんな恥ずかしい」

 一瞥すらくれず、肘から先だけを振り向けて正確に額のど真ん中を撃ち抜いていた。


「なんか、えっらいこと久しぶりじゃねぇの……るかぞう」


 はだけたジャンプスーツの懐にハンドガンを収めつつ、フロアに転がった灼けたカートリッジをハンカチ越しに拾っている。

 乱雑に散らかったテーブルをあさる。

 小さなキー発見。

 あたしの傍に来ると後ろ手のハンドカフを解錠してくれた。


「なんのプレイしてんだよ、こんなクソザコナメクジ連中と」



 それはどちらかというと、こっちのセリフだし。

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