【5‐2】――こんな無茶無体いつまで続けてられるかな? かな?


「そろそろ疲れてきたんじゃない? どこか入って休むかい」


 きたきた。きましたよ、お待ちかねの。


「いいじゃん。ここでしちゃおうよ」

「はは……大胆だなぁ、今どきの若い子は」


 残照の港湾沿い道路――澱んだ海面が臨める路肩に車を寄せて停めた。

 行き交う他車輌もまばらで辺りに人気はない。

 あらゆる意味で絶好のスポットだ。


「ちょっ……」

 いきなり肩を抱き寄せてチューしてこようとしたので露骨に拒否った。

 加齢オヤジの口臭バイオテロなんか食らったら、さすがのあたしも生存は絶望的だし。

「なんだい。つれないじゃないか」

「これが許されるのってカレシだけなんだよね」

 そう云ってごまかす。

「それ以外のことなら、なんでもしていいからさ」

「なんでも……ねぇ。うははっ、いろいろ考えちゃうじゃないか」

「じゃあねー、きちんとシートベルト締めてみて」

「はは……なんだろうね。もしかして交通安全週間の遵法運転プレイとかかな」

 いそいそとベルトを装着しながらも、期待と劣情ではち切れそうな醜悪づら――イラつく。

「さぁて、なにをしてくれるのかな」

「もしも体験したら、もはや草も生えないことだよ……おっさん」

「おいおい、おっさん呼ばわりはないだろ? せめて“おじさん”ぐらいにしといてくれよ」

「別に関係ないし心底どうでもいい」

 キチキチキチキチキチィッ……後ろ手で隠しているカッターナイフの刃を押しだした。

「どうせ、すぐ死ぬんだし」

「えっ? 今なんていっつ」


 ブツン!


 殴りつける勢いで腕を突っ込む――弛んだ顎下に刃先が埋まる。

 左側に抜ける方向で、ぶりぶりの皮下脂肪ごと掻いた。

 途端にブシャシャシャシャーッ!

 うひー!

 存外に勢いある噴血が洗浄液みたいにサイドウィンドウを内側から濡らす。

 返り血なんか浴びちゃたまらない。

 ドア側に逃れながら、オヤジの身体を足蹴にして、ぐいぐい向こうに押しやる。

 自分自身にチョークスラムでもかけてるように首筋を押さえたオヤジが、藁をも掴もうとする溺れる者みたく、もう一方の腕を伸ばし縋ろうとしてきた。

 その腕もろともガシガシ蹴りたくる。

 ブーツのソール越しに足裏で指のへし折れる感触。


 見る見るうちに胸元から拡がっていく血の染料で、ダサいシャツのカラーリングがなかなかイケてる感じに変色していった。


          ■


 串刺しみたいにシートベルトで固定されたまま、もっさり頭と腕を垂らしたオヤジが動かなくなってから、だいぶ経ったはず。


 窓外を窺う――異状なし。


 ジャケットの懐を物色するのに食い込んだシートベルトが邪魔でロックを解除。

 本革シートと股間で形成されるデルタ地帯に“お漏らし”のプールが発生している。

 臭気からして大&小のスペシャルなダブルコンボだろう。

 あーあ、もう最悪このうえない。

 さーいーあーくぅー。

 お財布を頂戴して、とっとと悪臭の籠った密室から脱出しようとしたところで。


「ヴォエ……!」


 はいぃっ!?

 開けたドアから思わず転げ落ちる。

 高M(笑)がゴブゴブと煮こごりめいた血反吐ゼリーを吐き戻しながら、フレッシュな生肉に飢えたゾンビさながらに車内から這いずりでてこようとしていた。

 伸ばした指先がロングブーツを引っ掻く。

「ひいぃっ……!?」

 地べたに尻餅をついたままのあたしは開けっ放しのスティールドアを夢中で蹴り込んだ。


 ガコンッ!

 天パー頭が上体ごと挟まる。

 反動で戻ってきたドアを、またぞろKICK――立て続けに両足でツーバスみたくドガドガドガドガドガッ!


 くらえキック×キック×キック×キック×キック!


「どんだけー! どんだけー!」

 がむしゃらで蹴り続ける。

「どんだけー! どんだけー!」

 オヤジの顔――めろりと縒れた肉がめくれて白い頬骨が見えた。

高Mたかミーってなんだよ! 高Mってなんなんだよ! どんだけだよ! どんだけなんだよ! なんなんだよ! その“ミー”って一体全体なんなんだよおおおぉぉぉ……!」


 もう必死。

 スティールドアの表面がベッコベコにひしゃげてくる頃には、オヤジの頭も同じぐらいメッコメコに陥没して、まるで空気の抜けたゴム鞠みたいになっていた。


          ■


 これだけのハプニングを誰にも見咎められなかったのは重畳――マジどんだけだし。

 とりあえず身体を検めてみる。

 ブラックレザーのライダースのおかげで返り血とかは全然目立たなかった。

 それから、ばらけた米俵みたいに扱いづらい天パーオヤジの屍体を、かなりの労力を費やして後部トランクに押し込める。


 うへぇ。

 ようやく人心地がついたところで財布の中身チェーック!


 ざっと見ても三十枚以上――もちろん万札で、だ。


          ■


 思えば、この一発屋の作家センセーに存外な現金の持ち合わせがあったのは、あたしのこれまでの人生上ベスト3にランクインする素敵なラッキーだった。

 おかげさまでヘアスタジオで茶髪にしたし、コスメグッズや衣類といった当座の生活アイテムをいろいろと買い揃えることができたのだ。


 高M(笑)さんくー。


 中2当時で160cmちょいあったあたしは、つやつやのあどけないフェイスをデカ目メイクでグリグリに盛るか、例のバカでかいサングラスでスッピン隠してれば専門学校生くらいには見えたはず。

 それからはスマホで〈出会い系〉掲示板をチェックする日々。

 利用形跡が残るから、BBS上での直接交渉はもちろんNG。

 情報だけを得て、それらしいスポットで“援交の声かけられ待ち”みたいな素振りをしてると、本当に笑えるほど入れ食いの爆釣状態になった。


 ほら、あたしもこのルックスだし?


 AVぎりぎりの過激な露出でもするしかない、そこいらの脳たりんU‐15グラドルとか、握手会だとかの「会える」距離感でアピールする地下アイドルなんか目じゃないし。

 あんたらブスどもは、あたしの歩く先に、さっさとレッドカーペット敷いてくれる?


 活動タイムは主に土日休日の夕方から。

 渋谷/新宿/池袋/上野――次第に活動範囲を拡げて、だいたい週に1~2人ペースでクズいエロオヤジを釣っては、その薄汚い魂を形而下の桎梏から解放してやるという慈悲深い〈キャッチ&リリース〉を繰り返していた。

 最初の件を基本パターンに試行錯誤を続けて改良し、次第に誘いと殺しのスタイルを確立していった。

 どっか、その辺のラブホでショートタイムってのは、屋内外の防犯キャメラもあって相当にヤバい。


 だから、もっぱらアウトドア指向――基本は車持ち狙い。

 軽くドライヴをねだって、人気のないところで行為コトに及ぼうとしたとき、頸動脈めがけて不意打ちカッターを食らわせるっていう安定パターン。

 つまり車内エッチに都合のいいロケーションは、転じて「殺しにも最適」だってこと。

 とにかく人目を憚ることには違いがないから、そういった方向性での誘導はまったく警戒されなかったし。

 しかも、このドライヴ作戦には思わぬ利点があった。

 買春側は不本意な〈美人局〉のトラップを回避する安心を得られる。

 だからこそ、つけ入る隙も生まれるってわけ。


 それにしても、どいつもこいつも先走るリビドーの腐れ粘液を取り澄ました理性というツラの皮一枚の表面張力で辛うじて取り繕っているようなやつらばっかり。

 だけど結局はあたしにその臭っさい臭っさい膿汁をぶちまけようと躍起になっているだけ。

 やっぱり最初の天パーセンセーだけが例外だったみたいで稼ぎは一回につき、せいぜい数万円がいいとこ。

 しかも端から“ただ乗り”するつもりで所持金が数千円とかのクソザコ野郎もザラにいたし。


 そんなナメくさった輩は殺ってからも、入念なアフターサーヴィスで派手に屍体を損壊してやった。

 下顎直下の喉元をばっくり掻き捌いた裂傷から舌の筋肉をネクタイよろしくビローンと引っ張りだしてやる処刑スタイル、その名も〈コロンビアン・ネクタイ〉だとか。

 はたまた、あたしにねじ込むつもりだったチンケなポークビッツを根元からブツ切りにされ、己のディープスロートに詰め込まれる羽目になった連中も多々あり。

 切開した腹腔から引きずりだした色形のヴァリエイションに富んだ臓腑を車内のあちこちにぶら下げてアングラパーティよろしくデコレートしてみたり。

 小腸と大腸の連なった全長8m前後のロングはらわたロープをシートベルト代わりにぐるぐる巻きで縛りつけてやったり。


 そういう、ひと手間余計な解体の作業工程もなかなかに愉快だった。

 別に身体全体をバラバラにするわけじゃないから初期装備の建築用カッター1本で事が足りるのもポイントが高い。


 ただし、すぐに血脂でギトギトになっちゃうんで替刃の豊富な用意は必須だったけど。


          ■


 さすがに頻発する猟奇的な類似事件を、連続した同一犯の犯行と捉える見解が世間では強まってきていた。

 だけど、どうやら警察は通り魔的な“快楽殺人犯”の線で捜査を進めていたらしくて、ただ財布を失敬して生活資金を得たかっただけの云わばシンプルな“強盗”目的のあたしとは犯人像がとんだ見当違い。


 悪ふざけというか〈地獄のユーモア〉気分でやってた“屍体損壊”だったけど期せずして捜査攪乱の目眩ましに役立ってたってわけね。


 だから一連の事件は「まったく物騒な世の中だよね」ぐらいの話題にはなっても、まさか今その話をしている援交相手こそが、当の犯人だとは思わないらしい。


 人は誰しも、そういった暗黒が自身の安寧な生活とは無縁のものだと思い込んでいる。

 自分の首筋に鋭利なステンレス刃を捻じ込まれて頸動脈を抉り掻かれ、ぐしょぐしょと胸元を濡らしていく己の血液の存外なぬるさを感じる瞬間まで、まるで根拠のない盲信を捨て切れない愚か者なのだ。


          ■


 その活動以外は24時間営業のネットカフェや漫画喫茶を転々として夜を明かす、いわゆる〈サイバーホームレス〉のネットカフェ難民みたいな生活だった。

 待て余した暇――ウェブにアクセス。

 メイクのスキルや処世に関する、いろいろなことをそこから学んだ。

 《メコメコ動画》の生配信視聴やゲーム実況、はたまた《バズボックス》への煽り書き込みで、時間は無限に潰せそうな気がしたし、実際にそうやって過ごしてきた。

 今にして思えば半年近くも、よくぞ無事に乗りきったと我ながら、ほとほと感心する。

 コツは下手に深夜に徘徊しないこと。

 行動は陽のでている間が吉。

 もしも職質くらって身元確認でもされようものなら即アウツ……!


          ■


 だけれど。


 こんな綱渡りのぎりぎり刹那な生活――無茶無体をいつまでも続けていられるわけもなかった。

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