【4‐2】――「来いよ、どこまでもクレヴァーに抱きしめてやるぜ」


 ハッピーバースデー 2 U!

 ハッピーバースデー 2 U!

 ハッピーバースデー ディア るかぞう♪

 ハッピーバースデー 2 U!


          ■


 わーわーきゃーきゃーパチパチパチパチ。

 ふっふー♪


 ささやかな拍手と歓声で祝う二人っきりのバースデイパーティだった。

 ケーキの上の吹き消されたカラフルなミニキャンドルは素数の11本。

「お誕生日おめでとうだよね、るかぞう」

 切れ長の目許が柔和に緩む。

「今日も遅くなるっていうか泊まり仕事みたいだから、もうパパ抜きで先に始めちゃいましょっか」

 あたしのママ――黒髪のショートボブ。

 ざっくり顎ラインで切り揃えたサイドがチャームポイントなのだ。

「やったー。やろやろ」

 お母さんっ子のあたしは、むしろそっちの方が気兼ねなくて嬉しいぐらいだし。

 父親は関白というよりは単に無愛想な不可触オーラを発している印象しかなくて、実際にあたしの生活上でも積極的にコミュニケイトする局面はほとんどなかったように思う。

 DVだの虐待だのじゃなく、ネグレクトってほどでもなくて本当にただただ関心が希薄っていうか。

 思えば「あたしの下着、お父さんのと一緒に洗わないでよ!」だとか主張し始める思春期の娘に対する距離感覚だったのかもしれない。


「百目くんも来られれば良かったのにね」

「なんかバンドの合宿あるみたい。でもね? それが終わったら、あたしにスペシャルなプレゼントを用意してくれてるんだってさ。なんだろ」

「ははぁん……11歳のバースデイを迎えた、るかぞうに捧げるオリジナルのラヴソングとかじゃないの」

「あー……やりそう。百兄ィなら、いかにもやりそう」

 大学生の百目は当時あたしの家庭教師で、週に何度かは顔を合わせていた。

「もしかして今度の臨海学校で、砂浜に深さ2・5mの記念サプライズ落とし穴とかかもねっ?」

「それ普通に死んじゃうから」

 そして、お料理は焦がすわ、お風呂の水はあふれさせるわ、エスカレータに乗るときはお約束のように蹴つまずく。

 そんなドジっ娘キャラのステレオタイプみたいなママだったけど。


「そうそうー。なつせママ、本当はすごいんだってね。涙椎るぅしぃちゃんのママから聞いたよー」


          ■


 あたし自身は全然覚えてないんだけど、幼稚園ぐらいの頃らしい。

 散歩中にばったり出会したママさん同士の立ち話中に、一緒にいたあたしは突発的に車道へ飛びだしてコケたのだという。

 ほんのちょっと目を離した隙に何メートルも瞬間移動している、あの幼児期に特有の後先省みないプチ多動症めいた挙動の結果だろう。

 そこに極めてバッドなタイミングで車輌が突っ込んできたと。

 ちょうど信号も横断歩道も脇道もない区画で減速する理由もないから、かなりのスピード。

 あたしのちっちゃな質量はアスファルトとスティールに巻き込まれてザビザビに削り取られるはずだった。


 そこに一閃――まさに神速で飛び込んできたママが、訳も解らず地べたで唖然としているあたしを抱えあげた。


 だけど、肉迫する鉄塊を脇に避ける時間がないっ……!


 どうしたかって?


 なんとその場でジャンプ――ボンネットからルーフまでトタタタタッと軽やかに駆け登ったのだ。

 車輌が通過したときにはあたしを胸に掻き抱いたまま、平行棒の競技を終了したようにポーンと軽やかに道路に降り立っていたという。

 しかもサンダル履きのままで、それをやってのけたのだと。


 そんな往年の香港カンフーアクションみたいな、あり得ないミラクルを見せたそうだ。


          ■


「あぁー……あれねぇ。あのときは、るかぞうのことだけしか考えてなくて夢中だったから。きっと、火事場のなんちゃらってやつよね。もういいじゃない、そんなこと」

 ママはその話題について、あまり話したそうじゃなかった。

 忘我で演じた自分の無茶が気恥ずかしいのかも。

 そうやって照れ隠しみたいに笑ってた、なつせママだったけど。

 不意に真顔――膝を折って、あたしの目線まで屈んだ。

「……瑠樺」

 ぎゅうううっと両腕で抱きしめてくる。

「あたしの大事な瑠樺……あなただけは必ず護る。護るから。どんなことがあったって」

「なっ、なんなの!? 急にさ」

 さすがに戸惑う。

「護るったって……そんな危ないことだなんて、そうそう滅多にないよ? ほら、あたしも大概いい歳だし? もう、あんな道路に飛びだしたりとかデタラメしないからさ……ね?」

「そう……そうよね。るかぞうだって、もう子供じゃないもんね」

 ぐすっと鼻を啜る――もしかして泣いてる?

「だから、ずっとママと一緒にいてね」

「あたしはどこにもいかないよ。なつせママ置いて、どっかいくわけないじゃん」


 愛しているよ Mama。他にはなにもないよ。

 愛している。愛してる。他になにも。


「そっ……それよりも臨海学校、たしか来週からだったわよね」

 あたしから腕を放し、そうやって話題を切り換えてきたママは、いつもの調子だった。

 さっき泣いてたってのは気のせいかも。

「うん、それそれ。南房総の岩井海岸だってさ。メメクラゲの群体でるかなー。百兄ィのおみやげに捕まえてこようっと」

「じゃあ週末に、おニューの水着でも買いに行っちゃう? 行っちゃう?」

「マジで!? マジいいの!?」

 うちの小学校は私立ゆえか、わりと校風が自由でお仕着せのスク水以外も“あり”なのだった。

「もちろんよー。そして、この夏るかぞうは大胆ビキニの悩殺ボディで、ビーチに群がる男たちの視線をひとり占めしちゃうZO! しちゃうぞ?」

「それはないから」

「落とし穴も掘っちゃうぞ?」

「それまた推してくるよね。断じて掘らないから」

「とにかく実際お店に行ってから、いろいろ見繕いましょ? ささっ、ケーキ切るわよケーキ。るかぞうの大好きな、苺のチョコケーキっ」


 生チョコクリームをサンドしたチョコレートスポンジケーキに、大粒の苺をふんだんにあしらった濃厚なストロベリーソースが大量にトッピングされた至高のスイーツだ。

 艶めくストロベリーの表面に銀のケーキナイフが沈んだ。

 途端、切り口からトロトロあふれだすジューシィな赤黒いソース。

 あふれる。あふるる。あふれらるる。

 あふれまくって苺も細胞分裂みたく、もりもりもりもりっ……と増殖していけば、たちまち辺りは膨大なストロベリーソースのプールになってしまう。


 いや……違う。


 これは苺なんかじゃない――

 真っ赤なゲル状の表面に、ぽつんと浮いた白っぽい玉が……ギロリンッ。

 虹彩を開いてこちらを睨む。


 だった。


 ンゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・・・・

       ンゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・

    ンゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・

 ンゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・・・・

       ンゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・

    ンゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・


 海底から轟く重低音の唸り。

 血の大海が騒めいて泡立ち、紅い波間を断ち割って陸地が浮上してくる。

 浮き島のように漂う生白い隆起――なつせママの蒼褪めた横顔。

 その下に拡がった黒髪が浅瀬の海藻みたいに、ゆらり、ゆうらりと揺蕩たゆたっていた。

 そして血海の潮騒は、すでに忌まわしい合唱へと変じている。


 じゃあぁのぉめぇ………………じゃあのめぇ……………………

 ………………じゃあぁのぉめぇ…………じゃあのめぇ…………

 じゃあぁのぉめぇ………………じゃあのめぇ……………………


 深紅の海原ではヌトヌトの血泥ヘドロが海洋汚染さながらに渦巻いていた。

 その汚穢が天空を貫く楼閣のように盛り上がる。

 巨大な暗黒の建造物はだんだんと人体風なシェイプを形成しながら、あたしに近づいてくる。

 ピリリリリッ……ヘドロに亀裂が走る。

 三日月型に裂けて笑う口が垂れ流す不気味なヴォイスが、執拗にいやらしく鼓膜を嬲る。


「……るかたそ……」


 やめて。


「るかたそ……かわゆし……」


 やめてっ……!


「るかたそ……ぎざかわゆしなぁ……ぐらんどおめがかわゆす……」


 やめてえええぇぇ―――ッ!


          ■


「ザクロっ……」


 近すぎる気配――反射で突いた。


 パンッ! 百目に手甲で払われる。


「アブっ! アブいな、おいおい」

「あ……」


 逆手に肘を固められたあたしの腕――ナイフを握っていた。

 どうやら常備してるバタフライを抜いていたらしい。


「どうせ寝床に持ち込むんなら他にもうちょい、かわいげのあるアイテムとかあんだろ。等身大ブサっしー抱き枕とかよ」

 手負いの毒蛇をリリースするように、そっと腕がほどかれた。

「つか……なに勝手に部屋に入ってきてんの」

 ちゃきちゃき畳んだナイフを枕の下に突っ込む。

「妹に夜這いするような、頭のトロけたイカレ兄貴を持った覚え、ないんですけど」

「そりゃノックぐらいはしたけどな。全然起きる気配ねぇし」

「そんなので、いちいち目とか覚ますほどデリケイトだったら、ラーメン屋で蹴り殺される物騒な都会じゃ生きてけませんから」

 とりあえず憎まれ口でも叩いておいた。


 髪を掻きあげる――湿気た根が指に絡む。


 ったく、もう……頭をゆるゆると巡らせ怖気を振るう。

 全身が寝汗でどっぷり。

 シルクパジャマがシロップに漬け込んだように素肌に張りついている。

 あまつさえシーツまでもが、なにかしら変な恥ずかしい染みみたく、しっとり湿っていた。


「あれか……またいつもの」

「ううん。昨晩のカレーが辛すぎたせい」


 もちろん、そんなわけない。

 だけど、お互いに解りきってることを今さら再確認してもしようがないし。


「あとシャワーも熱かったから。でてこいよ! なにが火袋ホテイだよ! 火袋ってなんなんだよ! ……って喚き散らしながらホテルのドア乱打するところだったし」

「それどこのYASHIKI様だよ」

 やれやれと肩を竦める。

「だけど下手すりゃ、新手の心霊スポットだって噂になりかねんぜ」

「そんな……声でてたんだ」

「おれがお隣りさんだったら霊媒師に除霊を依頼してるレヴェルだわな」

「なんか……ごめん」

「ま、いいけどよ別に。夜な夜な女の呻き声が聞こえてて『なんか嫌だなぁ、怖いなぁー』って稲川淳二の怪談語りっぽくなって、例の事故物件公示サイト《大島てる》で検索してみたらガチで炎マークついてたンゴwww……ってのよりはいくらかマシだからな」


 わざと軽口を利いてくるのは、なにげにショボーンとダウナー入っちゃってるあたしを気遣ってのことで。

 それがなんだか本当の……お兄ちゃん? っぽい感じがしてさ。

 そういうときの百兄ィって、わりと嫌いじゃないんだよね。


「どうよ、ザクロ……? たまには一緒に寝てやろうか。来いよ、どこまでもクレヴァーに抱きしめてやるぜ」

「メンズナックルかよ」

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