【2‐2】―― お み ず を の み た い の
「じゃあぁのぉめぇ……じゃあのめ……」
ひどく調子っぱずれの無闇に寂しげな童謡めいたメロディが、ずっと、ずうっと耳の奥底まで届いていた。
「りゃりゃぴた……りゃりゃぴた……らいらいお……」
あたしのお腹やお尻の中で、真っ赤に焼けた火箸を突っ込まれて掻き回され、だけども優しくはらわたをこねられるみたいな、変てこな痛みが絶え間もなく、うずうずと蠢いてる。
「るかたそ……かわゆし……まいしてゆ……」
でちゃう。
あたしの中身でちゃう。
全部でちゃうよぉ。
「じゃあぁのぉめぇ……じゃあのめ……」
お腹の奥がモツ鍋でも煮込んでいるみたいにグツグツグラグラ熱くなる。
物体的な感覚は喪失して、なにもかもが液状化で止めどもなく溶けだしてしまいそうだった。
「りゃりゃぴた……りゃりゃぴた……らいらいお……」
やだ。
「じゃあぁのぉめぇ……じゃあのめ……」
やめて。
やめてやめてやめてやめてやめてっ。
お願い、もうこんなひどいこと、あたしにしないで……!
そんな懇願――もちろん無駄だった。
■
ぎりぎりタイトロープだった意識の最後のラインが、あえなく途中で切れてしまったのは、せめてもの僥倖というべきか。
おかげで具体的になにをされたのか……畜生行為のディテールは今もって不明のまま。
きっと思う存分、あたしの隅々までも味わい尽くしたことだろう。
■
ふと。
ふうぅ……っと。
気がついてみれば、いつの間にか、あいつはいなくなっていた。
手足の縛めもボールギャグも外されているようだ。
だけど、お尻も含めた下腹部一帯に、まるで溶かした鉛でも流し込まれたみたいな、お腹の奥まで焼けつく重い痛みが根を張っている。
しかも、お尻の下には、ぬったりとへばりつく粘泥の感触。
あはっ。あたしのうんちっちーですね、わかります。
全身を余すところなく探ってみてもほとんど残留してやしない、わずかばかりの〈力〉を掻き集めて、なんとか寝返りを打ってみる。
せーの! ごろりと身体を転がしたら。
視界いっぱいを埋め尽くす距離で、なつせママの顔があった。
腐ったゆで卵みたく濁った瞳は、あきらかにあたしを見てはいないけれど。
きっと、あいつがベッドの上に運んで置いていってくれたのだろう。
「なつせママ……おはよう」
あたしはママの抜け殻にしがみついた。
そうやって、いつまでも、いつまでも動かずに、じっと息を殺していることしかできなかった。
■
なにもかもが、まるっきり悪い夢みたい。
チープなたとえだけど、それが本当の実感。
あたしの頭の中で、ちっちゃな行灯に火が灯されてるような絶えずボウッと熱に浮かされた感じが、ずっと続いている。
おみず……水を飲みたい。
ひどく喉が渇いていた。
身を起こそうとすると、凝血でカンヴァスみたいにごわごわ強張ったシーツが、あたしの身体にへばりつく。
ちょっとやそっとじゃ剥がれやしない。
まるで、最初からあたしの一部だったみたいに癒着している。
ビリッ……ビリリ……ビリリリリィ……ッ。
ほとんど自分の生皮を剥離するほどの痛みを押し殺して、ようやくベッドから抜けだせた。
フロアに転げ落ちて、カタワの芋虫みたいに身体を緩慢に伸縮させながらドアをめざす。
それだけでも、かなりの険難な行程。
脳味噌代わりに砂利を詰め込まれた重たい頭を、ようやくドアに押しつけるところまで来られた。
ものすごい高層で生えているように感じるドアノブに手を伸ばす。
そして一度だけ振り返ってみる。
ママはまだ眠たいみたいで、当分は起きてきそうにない。
きっと朝食だって食べたくないだろう。
おやすみなさい、なつせママ。
■
手すりに縋って、ぶら下がるようにしながら一段ずつ、一段ずつ……ナメクジが峡谷を冒険するみたいに階段を下りていく作業に集中する。
ようやく階下に辿りついたときには、心身が疲弊っていうレヴェルじゃなくザラザラに摩耗していた。
その場にへたり込むと壁に身体を預けて……ただただ、うな垂れることしかできない。
今は昼間なのだろうか……周囲は明るかった。
外からは通過する車の排気音や子供たちの嬌声といった日常の喧騒が聞こえてくる。
だけども。
そういう普通の生活音が、今のあたしにはひどく遠いものに感じられて……そのまま瞼を閉じた。
■
そして気がついたときには、すっかり暗くなっていた。
あたしは、またしても這うようにして、というか実際のところ干あがりそうなナマコみたいに体躯を伸ばし……縮み……伸ばして……縮めて……そんな動きを繰り返しながらキッチンに向かう。
やけにガビガビしたフロアを踏破ならぬ“這破”して、ようやく辿りついた冷蔵庫に凭れかかった。
ドアの狭間に指を入れて身体ごと、ぶっ倒れる勢いで引き開ける。
ラックに並んでいるミネラルウォーターのペットボトル。
容器の中で揺れているクリアな液体は、それ自体が発光するようにきらめいていて、あたしには掛け値なしで〈伝説の秘宝〉にしか見えなかった。
■
飲みかけのペットボトルを抱えたままで、どうやらまたぞろ、あたしは意識を喪失していたらしい。
いつの間にやら、もう何巡目かも判然としない明るい時間帯。
白々とした昼間の陽に晒された惨状は、逆にひどく滑稽なものに見えた。
と……陰惨な色彩で塗りたくられた中に、異質なトーンのカラーを発見。
あいつに後ろから抱き竦められた瞬間に取り落としたらしいトートバッグが、赤黒く澱んだ空間にヴィヴィッドなスカイブルーの鮮烈さで自己主張していた。
身悶えするだけの棘皮動物からは少しばかり進化できていたようなので、そろりそろりと四つ足を繰りだしながら這いずっていく。
スマホの電源を入れると、あたしは人生上初めて発信する3桁のシンプルなナンバーを押した。
■
その通報で駆けつけてきた最寄りの派出所の警官に保護された――そういうことらしい。
どたばた忙しない人々の出入りの気配だとか、ストレッチャーで搬送されているときの曰く云いがたい浮遊感だとか、そのぐらいしか覚えてない。
『どんなに汚れてしまったっても きみさえ笑えばいいブサっしー♪
きみが悲しんでいるときは すぐ笑顔にさせるブサっしー♪(ヒャッハー!)』
いやいや、さすがに無理だから。
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