【2】……〈真っ赤な夜〉
【2‐1】――ああ^~ はよう臓物まみれになろうぜ
【2】
「ただいマッドマックスー」
玄関口でサンダルを脱ぎながら、そんなオリジナル挨拶を平気で独りごちるぐらいには楽観的なメンタリティを有していた小学5年生のあたしは、その頃まだ【
「♪ ぶっぶっぶっぶっ、ブサっしぃ~~~いっ いつでも元気にキモ汁っ、ブシャーッ! って……あれー。なつせママいるのー」
思わず廊下の奥へと呼びかける。
この時間帯はママもパートだし誰もいないはずなのに、家の中になにやら妙な気配が残留していたから。
「ただいマッドマックス サンダードォ……」
キッチンへの扉を開けた瞬間――視界に飛び込んできたのは、やけにけばけばしい色彩だった。
室内全体が、まるで赤黒いドロッドロのペンキを何十缶もぶちまけたような前衛アート。
むわっと真夏の熱気で蒸れた、沼の浅瀬に浸って腐敗した犬の死骸みたいな悪臭が鼻腔を穿つ。
これがなんなのか、そのときはさっぱり解らなかった。
■
たぶんリヴィングルームのサイドボードに飾ってあるフォトスタンドの写真から家族構成を推察したのだろう。
そしてダイニングキッチンの壁に掲げられたホワイトボードの予定表で、あたしが臨海学校に参加して不在なのを知ったあいつは、あたしが帰宅するのを昨日の夜からずっと待っていたのだ。
そういう事情を知ったのは、もちろん随分と後になってからだけど。
■
いったい、このたった今なにが起こっているのか。
状況――まったく把握できない。
ただ本能的に感じ取った、ひどく禍々しい雰囲気。とにかく悲鳴をあげようとした。
「いっ、いやあああぁぁはっ……んっぐうぅぅ……!?」
だけど絶叫はあたしの口から迸ってはくれなかった。
いきなり背後から誰かにグワバッと抱きつかれて、きつく口許を塞がれたから。
「るかたそ……おかえリンダブレア。まってたよ……」
奇妙なトーンの甲高い声音が頭の上から降ってきた。
「たのしかったかい……りんかいがっこう」
あたしの耳朶を甘噛みしながら、口に含んでチウチウと
「しおあじだね」
ゾワワワワッ……巨大ムカデが櫛比した歩肢を蠢かせながら這い登ってくるような悪寒が背筋を襲った。
それで身体のスウィッチがONになって、あたしはようやく抵抗し始める。
だけど細っこい体躯じゃ、せいぜい足をジタバタさせるのが関の山。
「あばれてもしようがないよ……やめなさいね」
それでも手掴みされた魚みたいにビチビチもがいた。
「おとなしくしてないと……」
ギチチイィッ……あたしを抱えている両腕が、きつく締め上げてくる。
口元を押さえていた掌がズリ上がって鼻孔までも塞ぐ。
苦しい……息が苦しいっ。
しかも痛い、イタいっ……!
身体も腕ごとヘシ折られそう……!
従順の意志を示すために頷きながら、とにかく暴れるのをやめた。
フッと拘束が緩む――鼻も開放。
「るかたそ……かしこすなぁ」
すっかり無抵抗になったあたしのうなじをニトニト舐り回し、後れ毛を口に含んでいる。
「はむっ……はふはふ……はふっ」
ポニーテイルの黒髪に鼻づらを突っ込んでくる。
「くんかくんか……くんかくんか……ぐっどすめる。るかたそ……ぎざぐっどすめる」
かつて誰一人として、そんな呼び方したことなどない勝手な愛称であたしを呼びながら。
なんなのっ……!
こいつマジで、なんなの!?
炎天下のアスファルトに落っことして潰れたシャーベットみたいに頭の中身がトロけている人間の言動がもたらす純然たる恐怖で、こっちまで本当におかしくなりそう。
「うえにいこう……」
抱きかかえられたあたしはプラリ宙吊りのまま、2階の両親の寝室まで連れて行かれる羽目になった。
■
まず後ろ手に廻された手首をハンドカフで縛められる。
そして両の足首。
最後に硬いピンポン玉を口中に押し込まれ、繋がっているゴムバンドを頭の後ろで固定された。
そんな梱包された荷物みたいな状態で、ぼむっとダブルベッドに放られた。
TVを点けたあいつがヴォリュームをそれなりの大きさに調節する。
「ちょっとまっててね……るかたそ」
そう云い置いて部屋から一旦でていった。
■
しばらくしてから戻ってきたあいつは、なつせママを一緒に連れていた。
今まで下階のバスルームにでも監禁していたらしい。
同じように手足を拘束されて、あまつさえ全裸。
ぐったりして双眸が虚ろなのは、なにかの薬効なのか。
ほっそり無防備なママの二の腕を掴んで、引っ立てるようにしてベッドの傍まで来させる。
あたしは叫んだ――だけどボールギャグで声にはならなかった。
虚空を漂っていたママの視線が、あたしの上で停まった。
瞳のフォーカスが合いそうになった瞬間、あいつがママの黒髪を引っ掴む。
疾る銀のきらめき――クパァッ!
喉元に嗤う紅い三日月。
そのままママの顔をあたしに押しつけるように突きだしてくる。
ブッシャシャアアアァァーーーッ!
頸動脈から噴出する生あたたかい鮮血のシャワーを頭といわず顔といわず浴びまくって髪の芯までずぶ濡れになる。
粘っこくビタビタになっていくシーツの上で、あたしは火で炙られた芋虫みたいに、ただただ激しく身を捩らせる……それだけしかできないでいた。
血の放水が終わったところで、あいつがママの身体をフロアに横たえる。
手にしていた鉤爪ナイフ――ママのあそこの繁みにグブッと打ち込む。
そのまま引っ張って一気に掻き捌く。
処女雪の大地に口を開けた暗黒のクレヴァスみたいな亀裂が、ぺったり生白い下腹に瞬く間に走っていき……ガツッと肋骨に引っかかって、上向いた乳房の丘陵の狭間で止まった。
■
ゴプゥッ……腹腔から抜いたあいつの両手には、はらわたの果実がこんもりと盛られていた。
それらを手繰っては鉤爪ナイフを器用に振るって収穫し始める。
そして無言のうちに作業しながら、切り取った“実”をいちいち投げ寄越してくるのだ。
それらは必ず一旦あたしの身体に当たってからバウンドしてベッドの上に転がった。
未熟な胎児みたいに身を縮こめた胃袋には長い食道の尻尾がくっついている。
腎臓は好物のチリコンカーンに入っていたキドニービーンズみたいな湾曲した楕円形なんだと知った。
ぼってり肉厚つるつるの肝臓はレバニラ炒めのレヴァーとおんなじ小豆色。
ぱんぱんに膨れた薄い被膜の膀胱は、一度ぼよよんと弾んでから爆ぜ割れて、しゃびしゃびの尿を散らした。
そして神々しく両翼を拡げた女神の宮殿――卵巣と子宮だ。
そうやって、あたしの小さな体躯はママの臓腑の堆積に埋もれていき、あっぷあっぷ溺れてしまいそうになる。
捧げ持った小腸――ハワイ空港での歓迎のレイよろしく、あたしの首回りにかけてきた。
そのまま身体中にぐるんぐるんと巻きつけて雁字搦めにする。
キャミソールとヴィンテージデニムのミニスカでオトナっぽく決めた、おしゃれティーンズなあたしに、さらにイケてるはらわたコーデ。
ベッドの上に溜まったヌトヌトの血汁を掌いっぱいに掬うと、あたしの頬に……ぬたらっと塗りつけてくる。
自失呆然で、ほとんど感情スリープ状態だったけど、これはさすがに結構きた。
うぐぇっぷ……たまらず込みあげる。
吐瀉物で窒息されることを厭ったのか、一旦ボールを外された。
帰りのバスの中で食べた、おやつ……〈きのこの山〉と〈蒟蒻畑 グレープ味〉の残滓を酸っぱい胃液ともども、その場に吐き戻す。胃の腑が手掴みされたみたいに、ぎうっ……ぎう、ぎぎうっ……何度も痙攣した。
でるものも出尽くして……えぐっ……えひっぐげっけへふぇぇっ……空えずき。
余計な悲鳴をあげる前に、再び赤ピンポンを詰められる。
あいつの指が掬う――今吐いたものも一緒くたに。
血。
はらわた。
文字通り頭のてっぺんから爪先に至るまで、全身に忌まわしい粘料を塗り込められる作業は、ある種の宗教的な儀式さながらの崇高さを伴って黙々と続けられていく。
「…………」
その間あいつは無駄口ひとつ利かずに。
やがて……あたしの全身を真っ赤にコーティングし終わると、また部屋をでていった。
■
「るかたそ……ちまみれでかわゆしなぁ……かわゆすよぉ……」
戻ってきたあいつの声音には露骨に喜色が濃かった。
いったい、これ以上あたしになにをするつもりなのか。
そう。
この時点では、あたしはまだ本当のひどいことをされていないというのに、まるっきり気づいていなかったのだ。
後ろを向いてごそごそやっていたあいつが、くるりとこっちを振り向いた。
思わず、息が止まった――死にたくなった。
できれば本当に、もう本当に、この場で死んでしまいたい。
その方がマシだ。
心の底から、そう思った。
得意げに腰を反らした、あいつの股間からそそり立ったもの。
まるでガッツポーズをする赤ちゃんの腕みたいな肉の柱だった。
赤黒く噴出するマグマの奔流めいた質量を目の当たりにして、本能的な恐怖が込み上げてくるのを押さえ切れない。
子供なりのささやかな性知識に基づく認識とは、まったくレヴェルが違っている。
そいつは、それ自体が邪悪の権化ともいうべき、獰悪な狂獣クリーチャーそのものだった。
なっ、なんなの……? なんなの、これ……!
やだ! やだあああぁぁ―――ッ!?
■
たまらず叫んだ。
だけども悲鳴は、くぐもった呻きになるだけ。
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