【1‐3】――彡(>)(<)〈経堂 解体殺人事件〉って未解決じゃないですかヤダー!


「ははーん。この区画は、さながら〈未解決事件〉シリーズって趣向ですなぁ……うんうん」


 フラッシュライトを巡らせながらジグジグが嬉しそうに得心する。


 光輪の中に仰臥した女性の屍体が陰影くっきりに浮かびあがる。

 たくし上げられたマタニティドレス。

 ばっくり縦に掻き裂かれた腹腔にプッシュホン式電話機とミッキーマウスのキーホルダーが詰め込まれていた。

 黒ストッキングの両足の間に取りだされ、短い手足を竦ませている血まみれの嬰児。

 呪われし出生の産声をあげる皺くちゃの顔まで克明に再現され、羊水に濡れた様を表現する垂れた蝋涙が嫌すぎるリアリティをもたらしている。


 忌まわしき〈名古屋 臨月妊婦惨殺事件〉だ。捜査の手は犯人像の片鱗にすら迫れないままで、とっくに時効を迎えてしまった。



 〈世田谷 一家4人惨殺事件〉は展示スペースの都合で実際の現場とは異なり、家族らの遺体は一堂に会されていた。

 ただし刃物による滅多刺しの死因のうちで男児だけが窒息死で無傷という部分まで事件を忠実に再現している辺りに、ひどく薄ら寒いものを感じる。


 未だに忘れた頃に興味本位のメディアで取りあげられ、その度に様々な犯人像が提示されている下衆な視聴者好みの事件だ。



 〈柴又 女子大生 刺殺放火事件〉のコーナーではミディアムレアにローストされた焼死体が口と手足を粘着テープで縛められ、焦げたフローリングに横向きで、ごろんと放置。

 「顔見知りの犯行ではないか」という憶測の根拠となった遺体に被せられていた毛布は展覧の都合上で割愛されていたけれど。



 むごい。本当に惨たらしい。


 もちろん展示物には、この凶行シーンをクリエイトした者の姿はなく……ただただ犠牲者たちの亡骸を模した蝋細工のみが、人としての尊厳を剥奪された命なき肉塊の代替物として晒されているだけ。


          ■


 まさしく“猟奇”――悪趣味と不謹慎の極みとしか云えない。


 〈防犯〉と〈生命の尊さ〉をエクスキューズにした残虐見世物は、さながら衛生思想啓発をお題目に掲げて、大衆のエログロ興味を扇情した昭和初期の衛生展覧会と同レヴェル。

 こんな陰惨アトラクションを正気も正気でフィーチュアした、一部の好事家が喜ぶだけの超カルト的アミューズメントパーク《東京デスニートランド》……潰れて当然至極だろう。


 だけど、これら鬼畜の所業が実際に、のも、また紛うことなき事実ではある。

 これは決して鬼や悪魔といった形而上の存在の仕業じゃない。

 たしかな肉体を有したある人間が、同じ〈ヒト〉という生物学上の同種族に対して、こんなにも情味を欠いた暴力による仕打ちができるという――。


 そのなのだ。


          ■


「いやぁ、我らが日本もかなりキテるっすね。ロンドンの《切り裂きジャック》パイセンとか、屍体オシャレ職人ゲイン先生の匠の技に全然負けてないっしょ」


 そうやって各自が得手勝手にライトを巡らしながら散策してたんだけど。


「ひぇっ、そうきたんかいな……!」

 さっきから頻りにスマホをいじるばかりだった矢奇宇が、ある展示物の前へきた途端に感嘆まじりで声をあげた。

「うん……? ははっ、たしかにこいつは渋いチョイスですわ」

 すかさずジグジグも同調する。

「なんすか、これ。あんまメジャーじゃなくね?」

 埃まみれのプレートをギャ男が指の腹でこすった。


 現れた文字――〈経堂 解体殺人事件〉。


「わたくしも存じないですの」

 零使も小首を傾げてフシギ顔。

「そんなに有名な事件なんですの」

「云うてもマニア向けやし、ギャオニキやルイッズネキが知らんでもしゃーない」

 したり顔の矢奇宇が宣う。

「せやから云うて経堂かて世田谷なんやけどな、便宜上そう呼ばれとるんやで」


 ふーん。どんだけの代物だよとばかりに眼をやった途端に。



 ギクンッ……!


 不意に心臓を不可視の剛腕で握り潰された。


 ギチギチ。ギチギチギチィ……ッ。


 あたしの脳髄を這い回っている静脈が無数の気色悪い昆虫の節足みたいに軋み始める。


          ■


 ダブルベッド――濃厚な紅殻塗り。

 まるで初めから、そう指定してあったかのような鮮烈なカラーリングだった。

 でも違う。

 本来は全然違う。

 元々はホワイトと木目調なのに。

 シルクのシーツは分厚いカンヴァスみたいに、がびがび赤黒く凝固してしまっている。


 で。


 で。


 で。


          ■


「どや? ザックロネキは知っとるんかいな」


 そんな呑気な問いかけに応えるどころじゃあない。

 動けずに立ち尽くしてるあたしを尻目に、矢奇宇とジグジグは無闇に盛りあがっている。


「云うて、未解決の猟奇事件は数あれどやな。あえて、これを持ってくるセレクションの妙が実にワイ好みやわ」

「たしかに。自分的には〈井の頭公園バラバラ殺人事件〉と並ぶレヴェルのフェイヴァリットケースですわ。つまりだ、という点においてね。これって一家の父親は結局いくつぐらいにバラされてたんでしたっけ」

「おっ、さすがは『猟奇犯罪に自信ニキ』のジッグなかなか詳しいやんけワレ」


 まさに我が意を得たりといわんばかり、ギョロ目を更に見開いた矢奇宇は喜色満面だ。


「ところでやな……解体の理由についてはワイなりの見解があるんや」

「へへぇ。そりゃ是非とも、お聞きしたいですなぁ」

「サンキュージッグ。ほな」

 改まって、こほんとしわぶきひとつ。


「本来やな、屍体をバラバラにするんには目的があるわけや。

 それは身元を不明瞭にするためやったり、遺棄する場合の運搬の利便性のためとかやな。

 はたまた下水や河川に流したり、可燃物としてさりげなく〈燃えるゴミの日〉の回収に紛れさせるやとか……つまり物証となる遺体を隠滅することで、事件そのものを発覚させないためやね。

 あるいは犯人にカニバリズム嗜好がある場合は調理や食事のためっちゅうのもあるんや。

 ともかくやね、遺体切断にはそれぞれ明確な目的が本来あるんやで。


 せやけどな、この事件におけるとは……ぶっちゃけ、ただの“暇潰し”やったんやないんか……とワイは考察しとるんや」


 はぇ~?

 呆気づらの一同を見渡し、ご満悦そうな矢奇宇がウッキウキで続ける。


「つまりやね、こういうことや。

 犯人はまず旦那はんを殺害し、そして奥はんを凌辱しただけやと飽き足らんかったんや。

 どうやら犯人は犯行時には臨海学校で不在やった、の帰りを次の日まで家の中で待っとったようなんや。

 要はそれまでの時間潰し……単なる“手すさび”で肉や骨を削ぎ切りにした〈人体ジグソーパズル〉を無為に作成しとったちゅうわけや。

 こりゃ、ルストモンドとネクロサディズムのミックス系とでもいうんかいな。

 云うて、完全なる快楽愉悦殺人犯の所業やんけ」


「その……女の子を待っていたとは、どういうことですの」

 血腥い話題に零使が興味を示してくる。


「すでに前日にゃ殺害されとった旦那はんに対してやな、奥はんの死亡推定時刻は翌日の夕方以降……すなわち娘はんが帰宅してから後も、しばらくは生かされとったと解釈できるわけや」

「意図を汲みかねますけど……?」


 矢奇宇の尖った口唇が覿面ニタリと粘ついてゲス顔。


「せやから犯人はな、いわゆる〈〉いう畜生行為を実践したんやろうなぁ」

「なんて下劣な……矢奇宇のお兄さま最低ですの」

「なんでや。ワイは状況から推察でき得る、もっとも可能性の高い所見を述べただけやぞ。だいたいやな、そんなニッチな業界の専門用語を知っとるルイッズネキも大概やで」


 ファーーーーーwwwww

 そんな奇怪なテンションでから笑う矢奇宇だった。


「ま……云うて、その小学生の女の子だけは殺害されんで助かっとるんやけどな」

「そっ、それは僥倖でしたの」

「せやろか」

「どういう……ことですの」

「帰宅した女の子は拘束されてな、オノレの目の前で母親が殺される様をまざまざと見せつけられとったんやで。もちろん詳しくは報道されとらんが、そげな頭のトロけたやつと、ひと晩中ずっと一緒におったわけや。なにをされとったかは云わずもがなやんけ」


 深海めいた冷たい静寂が場を支配していた。

 ライトの中で塵埃が舞いあがっては、やがてプランクトンの死骸のように緩やかに沈殿していく。


「その子は保護された後、しばらくは医療施設におったようやで。そっからどうなってもうたかの情報についちゃあ、ネットでもほとんど流布しとらんけどもな」

「まぁ……せめて命があっただけでも儲けもんってやつっしょ」

 沈鬱ムードを払うかのようにギャ男が努めて軽く応じた。


「せやろか」

 だけど矢奇宇が抗弁。

「この世の中にゃ『死んだ方がマシ』やと思える所業が実際にあり得るんやぞ。そげな目にあわされて、その子がまともな精神を維持できとるとは、ワイは到底思われへんのやが。生き長らえてしもうたことは彼女にとってやね、云うて……」


 得々と解説している矢奇宇の声が、そこまでは聞き取れていたけれど。


 あたしは旧式のブラウン管TVみたく…………ぶつんっ!



 ――――ブラッ――――ク――アウ――――ト―――――――

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