【12‐2】――遊びはここで終わりにしようぜ


 なんなの、それ……!


 つまり、あたしと親密さを深めた腹癒せに楼蘭を《邪の眼》に売り渡したってこと? そんな中坊の痴話喧嘩みたいな理由で?


 承服しかねる話――到底呑めない。


「じゃあさ……もしも仮に5兆6億歩譲って、百兄ィが楼蘭さんの身柄を《邪の眼》に引き渡したとしてだよ?

 それって、いったいなんのメリットがあるっての」

「ならば、今一度思い返してみてくれないか」

 退くどころか、まだまだ抗弁してくる。

「きみの過去の経歴のあらましは僕も聞き及んでいる。たとえば百目くんと再会したときのエピソードだ。少々不自然な点が散見できるのだが……妙だとは思わなかったのかい」


 かつてキュラソ&ペロリンガの性欲ダブル星人に、あたしが拉致られた事件のことか。

 あのときは、なんとなく“運命の再会”的な流れで納得しちゃってたけど。


「ザクロくんは、まったくランダムで出会った援助交際が目的の相手に不意に連れ去られたと。そうだったね」

 ま……そうっちゃ、そうだよね。

「では悪事を目論んでいるそいつらが、いかがわしい行為の撮影ヘルプ要員として依頼した〈便利屋〉が、偶然にも旧知だったとは、いったいどのくらいの確率だと思うかい」


 だって、そこはそれ……運命の邂逅ってやつでしょうよ。

 数値化するなんて不粋じゃん。


「そう。やけにドラマティックな再会劇だったね。だが、文字通りにあまりにもドラマ的にすぎやしないかい。

 ふふっ、こんな怪訝極まりない状況をして“運命”や“劇的”といった言葉で得心できてしまえる辺り、さすがのザクロくんもまだまだ普通の女の子といった風情だね」


 ムッカ。

 気分を害した感が露骨に表情にでる。


「いや失敬。少なくとも、僕程度の冷静さを有した成人男性の論理的な観点に鑑みれば、いささか滑稽にすぎる出来事に思えるってことさ」

「で……結局なにがいいたいわけ」

「つまり『かつて懇意だった兄属性の男性との運命の再会』プラス『絶体絶命の窮地にあるザクロくんを騎士ナイトよろしく救助する』というシチュエーションを演出することにより、結果として多大な信頼を得るための〈マッチポンプ〉……すなわちんじゃないかという疑念が生じるのだが、どうだろうか」


 あまりにもロマンティシズムに欠けるドライな現実主義だけど。

 そう云われてみれば、たしかに一理あるのは否めない。

 だけど。

 もしも、そうだとしたら。

 どういうことなの……?


「そして指摘したいのは、もうひとつ……“ジャノメ”というキーワードを端緒に〈サイコキラー〉どもを狩っていたという、いわゆるフィールドワークに関してだ。

 そのとき実際に現場で活動するのはザクロくんの役目で、百目くんは常にバックアップ。つまり彼自身が立ち回ることは、ほとんどなかった。違うかい」


 たしかに……その通りだけど。

 でも、それは数をこなすうちになんとなく、そういう連携に自然と落ちついたからで。


「それがなにを意味するのか。わからないかい」

「わからないよ。そんなの」

「実戦の場数を踏ませることで、ザクロくん自身のに繋がるからさ」

「どういう……ことなの」

「おそらく百目くんは、かなり初期の段階から《邪の眼》と内通していたのだ。

 いや、それどころか。

 つまり端から連中が送り込んでいた、お目付け役 兼〈育成係トレーナー〉的な存在だったのではないかな」

「だけど……だって、あいつは……朱羅は」

 でも、まだ反論できる。

「《東京デスニートランド》のときに、あたしを見つけたって。《フナC》からの報告で発見できたって、そう云ってたもん」

「それはその時点では、そう信じさせておくべきだったからだろう」

 間髪入れず切り返される。

「連中の書いた絵図では、僕はザクロくんの手で殺められるはずだったのだから」


 一旦言葉を区切って肉迫してくる楼蘭の眼差しを。

 あたしは――。

 もう直視することができなくなっていた。


「きみが土壇場で僕を救出して逃走するだなんて超展開は考慮してなかっただろうからね」


 やだ。


 聞きたくない、そんなの。

 そんなわけない。

 そんなわけ、あるはずない。

 あっていいわけ、ない。


「ンなわけないじゃん! バッッッカじゃないの!?」


 叫んでた――声を限りに。


 だけど返ってくるのは静寂……それだけ。

 ちろちろと流れる渓流の水音が、あたしの聴覚を嘖んでいる。


 やがて。


 悄然としたトーンで、ぽとりと落とされた言葉――。



「すまない」



 なんなの。

 謝んないでよ。

 なんで謝ってんの。


 だって……百兄ィだよ?

 あの百兄ィだよ?


 だよ?

 

 百兄ィが……なんで?


          ■


 思えば――。

 ずいぶんと憎まれ口を叩いてきた。


「なにそのウッキウキのニヤケづら。どうせザラ子のとこでもいくつもりなんでしょ。ガイジかな」

「あたしも畜生じゃないんでぇ~、ちゃんと口で云えばぁ〜、わっかるんでっすぅ〜」

「はいはい1ミリ パラベラムバレット、1ミリ パラベラムバレット! はいはい。はぁ~(クソデカ溜息)」

「だーかーらー? 納豆にポン酢かけんのマジやめてって何度も何度も何度も何度もゆってんじゃん! アスペかよ!」

「いいけどさ別に。でも金髪リーゼントにスカジャンって“いかにも”って感じじゃん。行きつけのコンビニで絶対『クローズくん』とかあだ名つけられてるよ。『ぷっ、クローズくんポテサラお買い上げ〜』ってバックルームで大ウケしてるって」

「で、でたーwww 夜なのにグラサンかけ奴wwwww」


 それどころか、ほとんど暴言すら平気で吐きつけていた。


 それでも、ずっと一緒にいたじゃん。

 いてくれてたじゃん。


          ■


「瑠樺ちゃんだよね。今日から、きみの家庭教師をすることになった百目っていうんだ。百の目でヒャクメって書くのさ。よろしくね」

「なんつったけ……アワビ? ワサビ? なんか食いもん系だったよな。マグロ? シラタキ? あぁ、ザクロだっけな……了解了解」

「ふーん読書感想文かい。題材は〈屍食教典儀〉か。いいチョイスじゃないの」

「今日の麻婆豆腐はガチで四川風にしといたぜ。花椒アホほどブチ込んであっから脳味噌ブッ飛びスパイシーヘヴンへようこそってな」

「はいこれ、るかぞうちゃんにお土産。〈今井商店〉限定ご当地ブサっしーストラップだよ。どこ行ったかって? 藤岡で〈BUCK-TICK〉トリビュートイヴェントがあってね。バンドででてきたんだ」

「あのV系ニキにハジキ関係のコツ教えてもらえばいいだろ。おれ? おれのは我流だから初心者にゃ無理だぜ」

「えっ、彼女いるのかって? はは、どうかなぁ」

「そういやバイト代入ったからよ。なんか欲しいもんねぇの新しい服とかよ。ん? そりゃあ、もちろん表のバイトよ裏も表も仕事に貴賤はございませんってかサーセン」

「誕生日って来週末かい? たしかバンドの合宿とカブってたな。だけど戻ってきたらプレゼント用意しとくよ。とびきりスペシャルなやつをね」

「今日よぉ海鮮のいいのが手に入ったんだよな。丼にすっかな握ってもいいけどよ」

「ギター弾いてみたいって? ついに、るかぞうもロケンの魂に目覚めたってわけか。今度おれのホワイトファルコン練習用にあげるよ」


          ■


 気づけば。


 水辺に大腿を半ばまで浸して、くたくたっとその場にくずおれているあたしだった。

 すぐさま立ちあがる気力なんてない。

 そんなものは潮や砂の汚れと一緒に、どこか遠くへ流されてしまった。

 楼蘭の推論を言下に否定する根拠すら、ちょっと見当たらない。


 なんなの。

 なんなの、それって。


 ときどきは本当の兄貴かもって思えたこともあった。

 どころか、それ以上の感情を抱いたことすら。かつて瞬間風速的にはなかったわけじゃないのに。

 あたしを、ずうっと騙して一緒に生活してたっていうの?


 どういうことなの百兄ィ……。


 覿面ダウナーに陥ってしまったあたしに、壊れ物に触れるように語りかける楼蘭だった。

「この事態を招いたのは、ある意味で僕の責任でもある。

 あのとき出逢ってしまったことが、そもそもの間違いだった。

 きっと連中の計画では、もっと手がかりを小出しにしながら、きみ自身の手で探らせ、さらにスキルを高めつつ成長させていく算段だったのだろう。

 本当に……あのとき僕たちは出逢うべきではなかったのだ。

 そうでなければ……あるいはザクロくんとの疑似的な家族関係はまだ継続し得ていたのかもしれない。

 たとえ、それが……偽りのものであるとしてもだ」


 どんな慰めだよ。


「身近な人に欺かれる辛苦というのは、また格別だろう。たとえ血が繋がっていなくても、それでも兄と妹だったというのならばね。いかんせん……人間関係において“信用”だの“信頼”だのと軽々に口にするが、実際はそんなに容易じゃないということなのさ」


 ほろりとこぼれるような楼蘭の言葉の数々も――。

 あたしの心には、ほとんど響いてこない。


 いつも、ずっと普通に。

 当然のようにあったもの。


 それが、いつかなくなることがあるなんて。

 考えもしなかった。

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