【3‐3】――ヾ((( ..ºัั ∇ºั..)))ノ 脳汁ブシャー!


「なっし……なっしー」


 背後から例の嫌らしい哄笑が降ってきた。

「どうしたなしか、ザクロたん。さっきまでの爆アゲなテンションはどこへやら、今のそのダウナーっぷりはなんなっし。そんなんじゃあ、まるで双極性障害の人みたいなっしよ~」

 こんな絶体絶命の窮地でも、あたしは動けない。

 マグライトとドライヴァーのグリップを握り締める強張った拳が微弱に震えるだけ。

 意識はこんなにも明瞭なのに指先ひとつ思い通りにならないなんて。


 あいつの生暖かい呼気が着ぐるみの布地越し、耳朶を舐るほど近くに感じられる。

 そして首筋に添えられるメタルの冷たさ――ククリのブレイド。


「ふなな? そういえば、さっきもこのセットを見て、いきなりパニック障害っぽくなってたなっしなー……」

 口許近くに手を添えて、なにやら沈思のポーズを決め込む。

 しばし黙考……やがて頭上に懐かしの裸電球がピカーとライトON。

「そうなっし! あれはきっとだったんだなっし!」

 ハッと想到からのしたり顔。

「はふーん……読めてきたなし。この事件で生き残った女の子が当時たしか小学校5年生だったから、今じゃ15~6歳ぐらいのはずなっし。そしてザクロたんはケバいメイク盛り盛りで、一見したところ二十歳ぐらいには見えるなしね。だけど、もしかしてんじゃないのかなっしー?」


 得心した《フナC》が背後から二人羽織のように抱き竦めてきた。

 あたしの両手首を握って持ち上げ、マリオネットよろしく操演し始める。

「ほーら、身体がプラプラだなっし。そーれ♪ どうぉ~か踊り~ましょう熱いダンスゥを~ ほーれ♪ すぅ~べぇてぇ呪うような黒いドレスゥでぇ~なっし~」

 手首で吊ったあたしの上体ごと左右に揺らし、しばらく興じていた。

 が……やがて飽きたオモチャみたいにポイッとベッドに仰向けで放りだされる。


 ミニスカとニーソックスの狭間――素肌剥きだしの大腿。

 いわゆる〈絶対領域〉に扁形動物が這い回るような粘稠で陰湿な視線をひしひしと感じる。

 ごくり……生唾を嚥下する、ベタついた音が殊更に嫌らしく響いた。

「まるっきりの無抵抗で、まるでオリエント工業製の生体ラヴドールなっしねぇ。だったら、その通りの使い方をさせてもらうなっしな~」

 靴下詰めにしたような不格好な手先を、おそるおそる伸ばしてくる。

 脂汗で湿った掌と指がぬたりぬたりと大腿をさんざんにまさぐったあと、スウェードスカートがじわじわ捲られていった。

 黒シルクのショーツを熨斗みたく無造作にずり下ろす。

 立てた膝を押し拡げられる――M字開脚の辱め。

 ライト片手で女体神秘の観察に没頭しているようだった。


「はふーん……いろいろとありがたがってみても所詮は内臓の粘膜が体外に露出してるだけなっしな」

 などと勝手な感慨を述べる始末。

 だけど機能を放棄したサボタージュ声帯からは、情けなく漏れる嗚咽以外に意味ある音声はなじり言葉ひとつでてこない。

「それでも、とりあえず使えれば問題ないなっし! ヒャッハアアアァァァーーーッ!」

 挙句、飛び込みポーズからのハイジャンプであたしの上に覆いかぶさってきた。

 たぷたぷのメタボ腹ごと、ハードオンした股間を不器用に押しつけてくる。

「どこなし……ぐにゅぐにゅしてて、よくわからないなっし……ふなな? ここなしか? なっし、なっしー……なっし、なっしー」

 夢中になって腰を前後にグラインドさせ始める。


 一切なんにも気づかないままで。


「はふーん……フナCの燃料棒がフットーしちゃいそうだなっし……ついに炉心もメルトダウンなし……それどころか、もはやメルトスルーすら起きた可能性もあると認めざるを得ないなっしよ……!」

 臨界に達するのが早すぎだろ。イックーさんかよ。

「ふななななっ……ただちに影響あるなっし……怪しい特濃みるくセシウムさん漏れちゃうなっし……なっし、なっしー……なっし、なっしー…………なっし?」

 ふと正気づいたらしい。

 あたしから身体を離すと自分の臍下を見下ろす。

「はふーん……?」

 《フナC》の粗末な代物はチリソースまみれの真っ赤なチンジャオロースみたいに、でろでろの紐状にスライスされて股間から垂れ下がっていた。

「ヒャッハアアアァァァーーーッ!?」


 ざまぁないよね。


          ■


「ほら、ザクロ。これ仕込んでけよ」

 百目ひゃくめが手渡してきたアイテムは、最初なにかタチの悪いディルドーみたいに見えた。

「なにこれ。露骨に卑猥な造形に心底うんざりするんですけど」

 拒否るのが至当。

「なんの罰ゲームだよっていうか、羞恥プレイAVのロケじゃないんだからさ」

「いやいや、これマジで使えるからよ意外とな」

「どうだか。なんだかんだで理由つけて、結局あたしをダシに百兄ひゃくニィのいびつな欲望を充たすつもりなんじゃないの」

「そんな悪し様にディスるなよ。おれは女子校の体育教員かっての」


 とりあえずディテールを確認してみる。

 厚手コンドームのような筒状ラテックスの内部に装着されたサージカルステンレス製リング。

 内周には剃刀の刃先よりも細い鋼線が格子状に張り巡らされていた。


 ヨハネスブルグだの韓国だの大阪民国だいはんみんこくだの、女性の性犯罪被害が深刻な地域向けに開発されたレイプ対策グッズにヒントを得て、百目が手ずから作製した試作品だという。

 こいつをあそこに仕込んでおけば憂いなし。

 もしも誰かが無理矢理インサートしてきても、ぱつんぱつんに充血したそいつの海綿体はたちどころに、ところてん方式でズタズタの細切り肉に変じる……って寸法らしい。


「これ早めに登録商標、取っといた方がいいよな。『貴女の貞操を完全ガード!』の売り文句で商品名 《ペニスライサー》ってのはどうよ。いやいや、もっと小林製薬的なネーミングセンスが望まれるな。うーむ……『レイプその前に』……『ペニコロリ』……」

「ないから」

 言下に断じざるを得ない。

「そもそも、あきらかに挿れられてるわけだし。まったくガードされてないじゃん」

「浅はかだな、ザクロは。そもそも“貞操”ってのは形而下に存在するものじゃないんだぜ」

「その概念自体も挿入時点で、すでに穢されてんじゃん」

「だから、そうじゃねぇだろっての」

「もういいよ、そういうウザい詭弁は」


 それでも実際に功を奏したのには正直なところ、驚きを禁じない。


 百兄ィさんくー。


          ■


「ヒャッハアアアァァァーーーッ!?」

 股間を押さえて前屈みの《フナC》が伊勢エビみたく、すさまじい勢いでパヒュヒューッと後退する。

 その悲痛な絶叫がトリガーとなって、あたしの呪縛を解いた。

 まるで他人のもののように痺れていた指が伸びる。

 腕が回る。

 脚が上がる。

 身体が――動く!


 ベッドから跳ね起きる。

 そのまま片足を旋風で薙いだ。

 やつの横づら――ブーツの爪先がクリティカルヒット!

 きりきり錐揉みでフロアに倒れ込んだところに、すかさず飛び乗って頭を踏みつける。

「なんかさー、さんざん好き勝手してくれてたよねぇ……このツブレガエル野郎ッ!」

 振りかぶったドライヴァー――ロッドを耳孔に突っ込む。

 さらにガキュガキュッと掻き回す。

 鼓膜も耳小骨もブチ破れ!

 三半規管のリンパ液もシェイク&シェイク!


 節足をちぎり取られた虫みたいにジタバタとその場で回転しながら、もがき苦しむ。

 ひと頻りバタ狂って……めそめそ啜り泣き。

 ゆらりと膝立ちで身を起こした。


「ふなっ、ふなっ……ふざけんなし……なにしてくれてるなっし……こんなことするなんて同じなんだなっし……」


 だとか息も絶え絶えに宣う《フナC》だった。


「ザクロたんだって人殺しなっしよ……!」



 そうですけどなにか?



          ■


「だから“ジャノメ”ってなんなの」


 だけど《フナC》はひたすら「ガジベリビンバ」「百々百々駄惰堕どど・もも・だだだ」「レッツ・ポジティヴ!」「中絶(という選択肢を提示してくれて本当に)ありがとう」「STAP細胞は、ありまぁす(発見したとは云ってない)」「ドラゲナイ」「We broke up」「アッチョンブリケ」などと〈ヴォイニッチ手稿〉よりも意味不明の発言を繰り返すばかり。

 これは頭蓋の充填物をちょっと激しくマッシュアップしすぎちゃったかもしれない。

 だったら、こいつの頭の調子と相談しながら、ゆるりと時間をかけて問い質すまで。ありきたりだけど得意の〈拷問〉ってやつで。


 となればスマホで百目に適宜ヘルプコール。


『あいよ』

「あー百兄ィ? 今からすぐ来れるかな」

『おうよ。つうことは、もしかして今回は収穫ありだったのかよ』

「そそそ。いろいろ訊きだしたいことあるからさ、1匹拉致る方向でよろしく」

『なにげに急展開だな。だいたい昨日更新した最新話のPVだって0だしよ、これもうすぐ打ち切りエンドで終わんじゃねぇの。おれたちの闘いはまだまだこれからだっ……ようやく登り始めたばかりだからな。この果てしなく遠い〈血みどろ坂〉をよ……』

 なにやらメタな戯れ言を述べ始めた。

 ウザいので強引に言葉を被せる。

「とにかくすぐ来てよ一刻も早く素早く迅速にライナウっ」

『あー……はいはい。お迎えに上がりますとも』

「あの、あとね……」

 さすがに羞恥で言い淀む。

『あん?』

「下着……持ってきて」

『え? なにを持ってこいって? ひたぎ? ひたぎクラブ?』

「下着だよ下着。替えの……ショーツ」

『カエルの精通? これまたマニアックな第二次性徴だな。あーテステステス。なんか電波の状態が悪くて、よく聞こえねぇのよ。あーテステス』

「もうサムラゴーチとか流行んないから」

『ヒャッハハッ! サーセン!』

 とりあえず、そんなところでスマホをOFFった途端に。


 ぞろり、と。


 うなじの辺りから脊椎に沿って、青白い鱗腹の爬蟲類に這い回られるような悪寒が落ちていった。

 ちらと肩越しに一瞥してみる。

 つい今し方まで地べたに倒れていたはずの、あいつが……《フナC》が。


 いつのまにか、あたしの背後に――


 繁茂したセイタカアワダチソウの中、手にしたククリをステッキ代わりにした前傾姿勢で立ち上がっている。

 着ぐるみ背面の線ファスナー〈イリュージョン〉から羽化よろしく上体を覗かせた血まみれの中の人。

 鬼火めいた怨嗟を纏った幽鬼のようにこちらを睥睨していた。


 その眼力――《矢奇宇》だったときのキモいギョロ目じゃない。

 いや、たしかにキモい。キモMAX。

 だけどキモい中にも今は、そう……云わば“決死”のなにかが、ひしひしと感じられるのだ。


 こいつ、ガチで殺る気か。たとえ刺し違えるとしても。

 あたしもドライヴァーを抜く――臨戦態勢で対峙。

 今にも膝先から崩れそうな《フナC》が、ふらつきながらもククリのブレイドを正眼で構える。


 だけど、なにか妙な……?

 んんん……? やつの構えたククリ――だし。

 まさか自害するつもり!?


「ヒャッハアアアァァァーーーッ!」

 俄然、気合いの咆哮。

 反らした身体と伸ばした両腕にベアトラップみたいなテンションが漲る。

 頭突きっぽく屈した上体と、撥ねあがった手許が――バインッ!

 凄まじい勢いで咬み合った。


 《フナC》の顔面――額を深々と抉ってブレイドが突き立っている。

 ストンッとその場に膝をついて、前のめりに倒れようとしたが……ククリのグリップが地面につっかえた。

 そこから体躯が自重で更に前傾していくにつれて獰悪な刃が……ミチッ……ミチミチィッ……前頭骨を押し割って顔面に食い入っていく。


「ンゴゴゴゴゴゴゴゴ……」


 眼球がグルンッと血走った白目を剥いた。

 血染めで真っ赤な苦悶に歪む顔。

 軟体動物の触手みたいに口腔から躍りでてきた舌が異様に長い。

 縦割りの亀裂が上顎骨に差しかかったところで、ようやくブレイドが停止。

 メタボリックなボディが、どうっと大地に斃れる。


「なっし……なっ……しー……」


 断末魔の余韻が消えていった後には、頭部が咲いたように艶やかな《フナC》と、呆気づら晒して立ち尽くすマヌケなあたしが残されたのでした。



 ぽかーん。

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