第四章 激坂弾丸列車作戦――零山参謀大いに語る
4-1 黒川仁
その光景はあまりにでたらめであった。
荒唐無稽にも程がある。
「……これはもうダメかもわからんね」
そう呟いた零山を見ると、口がだらしなく開いている。視線を移動してモニタを見る。二十の防犯カメラ映像は大半がある意味普段と変わらない放課後の日常を映し出していた。校庭では運動部が練習をしている。教室や廊下では生徒たちが談笑し、昇降口から校門へ向かって友だちと連れだって家路につく群れがある。
だからこそ。
その異様さが際立っていた。
体育館の屋根の上にシロフクロウが突如として現れていた。姿かたちは数時間前にトイレで見た時と変わらない、ともすれば滑稽ないでたちであった。シルクハットを被り、片眼鏡にカイゼル髭と赤い蝶ネクタイ。そうしてレスポールのギターを抱えている。ただし、大きさが異常だ。
頭から足まで、五メートルはあるだろう。
その巨大なシロフクロウが置物のように体育館の上で佇んでいる。
そしてさらに。
どの防犯カメラ映像にも、ひらひらとまるで花吹雪のように透明なガラス板状の破片が舞っていた。次から次へと、空から無数に降ってきている。
その空に。
無数の亀裂が走っている。
元来、空に亀裂が走ることなどありうべき事象ではない。嘘だ。まったくのでたらめである。しかしそれが目の前で起こっている。モニタの中だけの出来事じゃない。モニタから部室の窓に目をやると、実際に空はひび割れている。交通事故で大破した車のフロントガラスのように無数の亀裂が走っている。そして、空の真ん中、天辺からパラパラと無数のガラスの破片が堕ちてくる。ゆでたまごの殻が剥がれるように、空が剥がれ落ちてきている。
すでに剥がれ落ちた部分は、暗闇だ。
夜よりも暗く、色もない、ただ何もないだけの虚無空間。
その暗闇に、真鍮色の巨大な柱が等間隔に何本も立っている。柱は天辺に向けてゆるやかにアールを描きながら、ちょうど真ん中ですべてが交わっていた。端的に言えば、鳥かごだ。割れた空の向こうに巨大な真鍮製の鳥かごがあり、鳥かごの向こうは何もない暗闇だ。
鳥かごに、世界は閉じ込められていた。
ひび割れた空の穴は、加速度的に広がっていく。もう数十秒も経てば、空はすっかり落ちてなくなるだろう。虚無の闇と、ただ巨大な檻が頭上に広がる空は、それでも空と呼んでいいものだろうか。
やがて、世界は闇に包まれた。
しかし、どういう訳か地上は昼の明るさを保ったままだ。天気雨に遭遇すると、日が差した地面に雨粒が落ちるのを見て妙に居心地の悪さを覚えるが、そんなものではない。空が墨で塗りつぶしたように真っ暗なのに明るい世界というのは、ただの暗闇以上に不気味であった。
そして、このでたらめな風景の一番の怖さは、我々以外校内にいる人間全員が、この異常な世界の変化に気づいていないことだ。
「これを見て!」
御来屋さんがモニタの一枚を指さして叫ぶ。そこには開きっぱなしのツイッターのクライアントがあった。
AI:1C神室アイ:白いフクロウなら今私の前にいます。巨大な姿で体育館の上で羽を休めています。その金色の目にとらわれた者はガラスの花となり、翼を広げれば青い空は割れて全てを冷たい檻で閉じこめるのです。
神室さんのリプライであった。
どうやら零山の推測が当たったようだ。
零山の言ったとおり、神室さんの望んだかたちで、シロフクロウは再度我々の前に降臨した。これはつまりシロフクロウの姿を借りた彼女の内面なのであった。
彼女は、檻にとらわれている。
助けなればいけない。
彼女を檻の中から救い出さなければいけない。
しかし、どうやって?
「うーん。ちょっとやりすぎたかなあ……」
零山が頭を掻きながら自分に言い聞かせるように呟いた。モニタを眺めたまま、御来屋さんが訊く。
「つまりわざと神室さんを怒らせたというワケ?」
「まあ、神室氏が望めば、あのシロフクロウが現れるのは確実だと思ったんだけど、同時にそれは強い……なんというか、もっとドロドロとした心の底から湧いて出る望みでないとダメだろうと予測したんだよ」
「どうして?」
「あのシロフクロウに再度ご登壇願いたい、というのは多かれ少なかれあの場にいた全員が望んでいたと思うんだ。神室氏も例外でなくね。シロフクロウの話題を持ちだしたのは神室氏だったし。それでもう少し強いインパクトが必要なのかと思って、ゆさぶってはみたものの……」
「こういう結果は想像しなかった、と」
「じゃあ逆に聞くけど、御来屋氏には想像できたとでも?」
「想像はつかないけど、泣かせて飛び出させるほど追いつめる必要はなかったと思うわ」
「いやそもそも……」
零山と御来屋さんの議論は続いていた。正直僕には分からない。これで良かったのか悪かったのか、そんなことを今白黒つけることに意義があるとも思えない。大切なのは彼女を助けることじゃないのか。僕は二十の防犯カメラ映像に目を走らせた。いったい、神室さんはどこにいるのか。私の前にシロフクロウがいるとツイートしてた。体育館の屋根が正面に見える場所だ。
「いたっ! あれだ!」
僕は叫ぶ。水掛け論に終始していたふたりが何事かと僕を見た。黙って僕はモニタを指さす。
部室棟の屋上に倒れている人影。
「神室さん!」
御来屋さんがそう大音声で名前を呼んで教室を出ようとしたときだ。
「ちょっと待って、御来屋さん」
僕の声に御来屋さんが止まる。再びモニタを指さす。それまでずっと置物のように佇んでいたシロフクロウの首がぐるりと回った。あたりを睥睨するようにゆっくりと回転する。
しゃりん、と遠くから冷たく乾いた音が鳴った。
モニタを注視する。なんだ? なにが起こっている?
校庭で部活動に汗を流していた野球部の部員が忽然と消えた。いや、消えたのでない。部員一人一人が、透明な薔薇の一輪に変わったのだ。シロフクロウが見下ろす視線の先から、人が次々とガラス細工の花に変わっていっている。校庭の端から順番に人間が玻璃の花へと姿を変えていく。モニタ越しに見えるその風景はどこか儚げな美しさをともなっていた。
しかしこれは現実だ。
圧倒的に。
絶対的に。
嘘偽りなく。
紛れもない現実であった。
しかし、パニックが起こるわけでもない。あそこにいる大勢の生徒の誰一人として、このでたらめな現実に気づいていない。隣の人間がガラスの花に変わっているのにも気づかずに、サッカー部の部員はボールを蹴り続け、そして自分もガラスの薔薇に変容する。ボールだけが取り残される。ただ黙って、その現実を受け止めていく。なすがままに、檻へととらわれていく。むしろパニックを起こしているのは、ここでモニタ越しに異変を眺めている我々だ。
やがて、校庭は透明な薔薇が咲き乱れるバラ園と化した。
シロフクロウはさらにその首をもたげ、ゆっくりとあたりを睥睨する。
校舎の中にいる生徒や教師も次々と毒牙にかかっていく。
その光景を、我々は黙って見続けた。固唾を飲んで見守り続けた。
やがて訪れた静寂。
モニタに動くものの気配はない。
全てが薔薇に変わった。暗闇の空から眩しく差す西陽に、きらきらと輝く元人間だった薔薇の花の群れ。
どういう訳か、我々だけがガラスの薔薇にならずに済んだ。
いや、我々だけなのか? そうだ神室さんは? 慌ててモニタを凝視する。神室さんはもとの人間の姿のまま、部室棟の屋上に倒れたままだ。映像の解像度が悪く、息をしているのかの判別はつかない。彼女がただ気を失っているだけなのを祈るばかりだ。
「お、終わったのか?」
御霊山がざらついた声で言う。
「そのようね」
表情を失った御来屋さんがようやく答えた。モニタの中のシロフクロウを確認すると、また置物のように静かにそこに佇んでいる。僕も言った。
「見てくれ。神室さんは人の姿のままだ。理屈はサッパリ分からんが、僕たちだけがあの薔薇にならずに済んだ……みたいだ」
「理屈なんてないのよ」
吐き捨てるように御来屋さんが言う。
「いや、きっと理屈はあるはずだ。たぶん、俺たちがガラスにならずに済んだのは、オブザーバーだからだ……」
「それは確実なのか?」
僕は問う。
「あの鳥がフェノミナの総元締めみたいな存在である限り、観測者の存在は必要なはず……おや?」
零山がモニタの一点を見つめている。釣られて僕も見る。校庭の奥から体育館の裏を通り、校門の方へ抜ける市道を、車が一台走っていた。車はこの学校で起きている異常な事態に気づく気配も見せずに通り過ぎていく。
「うーん。あれには反応しないんだな……場所なのか、速度なのか……あるいは両方か……」
考え込んでいる零山であったが、考えている場合か。
いずれにしても、神室さんをあのまま放ってはおけない。放心状態でいた御来屋さんに僕は声をかけた。
「神室さんを助けに行こう」
「え?」
「あのまま放っておけない」
「そうね……そうよね」
一度は神室さんの姿を見るなり助けに行こうとここから出ようとした御来屋さんだったが、人が次々とガラスの花に変えられていくシーンを目の当たりにし、さすがに色を失っていた。へこたれていた。今まで彼女が戦ってきたフェノミナは、人畜無害でこちらに手を出さないものだった。まして無関係な人間を無差別に手をかけることなど想像の埒外だったに違いない。思いがけない彼女の弱さを垣間見て、僕は強くならねば、と心に誓う。
僕は、ただぼっちなだけで、コミュ障なだけで、けっしてへたれではない。
と、思いたい。
御来屋さんに好かれたい、相思相愛になりたい、甘美なる桃色の高校生活を送りたい。そんな下心ありきのまやかしの勇気であってもいい。むしろそれで何が悪い。昔から言うではないか。愛は地球を救う、と。
僕は心を奮い立たせ、精一杯の勇気と、ちょっとばかりの下心を持って、御来屋さんの手を引いた。
「あ、俺はちょっとここでいろいろ考えてるから。いってらっしゃい」
零山がモニタを見つめたまま言ったが、ちょうどいい。僕と御来屋さんのランデブーに、お前など必要ないのだ。僕は御来屋さんの手を引いたまま走りだした。
御来屋さんの手は冷たくて、心地よかった。
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