3-2 黒川仁
まるで魔法だった。
神室さんが電源を入れなおしたモニタは、即座に計二十枚の防犯カメラウインドウを映しだした。皆その二十枚のウィンドウに目を走らせた。
いたのだ。
二十の映像のうち、七つに映っていた。
フェノミナが。白い影が。ぼんやりと。
低解像度の白黒映像に映るフェノミナは、非現実的で、かつて暇つぶしに観た動画サイトの幽霊映像のようだった。実際に見るのと映像を通してみるのとは印象も違う。
しかし、これは紛れも無い現実だ。カメラの向こうにそれは存在するのだ。全員が息を呑む。すると零山がキーボードを何やらものすごい勢いで叩きだし、なぜか傍らに置いてあったヘッドセットマイクを頭に装着するとこちらに向き直った。
不敵な笑みを浮かべる零山であったが、何も言わない。すると後ろで田の字に並んだ四枚のモニタに画面を埋めるほどの文字が一文字ずつ浮かんだ。
『計』『画』
『通』『り』
とことん阿呆だ。ずる賢いのは似ているとして、新世界の神にお前じゃなれぬ。ただ、本人が必死にキメたつもりの顔が思いの外面白かったので僕はアイフォンを取り出すと写真を撮ってみた。
カシャリ、と間の抜けた音が部室に響いた。
「黒川氏! グゥット! あとでそれ送って」
どうもこの部室にいるとこの男の空気に飲まれるのだ。満足したのか零山がモニタに向き直り、再度防犯カメラのウィンドウを並べ直す。白い影をひとつひとつ指さしながら言う。
「新棟の一階と四階、それから教科棟の、これは三階の視聴覚室前か。あと教科棟は昇降口のとこにもいるな、おっと一階と二階の間の階段踊り場にも一匹。いちにいさんしいご、これで五体。部室棟にはもういないみたいだね。あとは校庭に……野球部のバックネット裏に一匹と、体育館の舞台に一匹。とりあえずカメラに映る範囲だと全部で七体だね」
「そうね」
答えたのは御来屋さんだ。頬杖をつきながら、あまり興味無さそうに続ける。
「いつもの感じからいって、そんなものね。時間によって現れたり消えたりもあるから、全部じゃないと思うけど」
「ふうん。まあでも見事に場所がバラバラだね。これぶちのめしにいくの面倒くさいね。いやあ、御来屋氏が諦めたっていうのも分かるね」
「おい、御来屋さんは面倒臭いから諦めたんじゃねーだろ」
思ったことがそのまま口に出た。ようやく自分も会話のペースを思い出してきた。たいへんな進歩である。
「いやだって暑いし、校舎の中はギリ冷房が効いてるからいいけど、外は嫌だなあ」
「ていうかおまえ、さっきも自分で倒す気なぞ、まるでなかったじゃないか?」
「おまえ、と来ましたか黒川氏。ま、なんか直接触れるとぬとっとしてそうで嫌だってだけで、武器があれば俺も倒すよ。倒す気満々」
「どうだか……」
そこへ割って入ったのが、神室さんであった。
「あのう、あの鳥がいませんね。どこ行っちゃったんでしょう」
そうだ忘れていた。あの鳥、シルクハットに片眼鏡に蝶ネクタイ、おまけにギターを背負った奇妙なシロフクロウ。さらに人語も操るというあやしいやつ。僕にも何か言っていた。他のフェノミナと違ってこちらに物理攻撃ができる点を考えても、熟慮に値する。
つまり、やつこそキーマンである。マンというかバードか。
非常に都合よくことが運ぶなら、あの鳥を倒せば全てのフェノミナが消えたりするんではないか? そこまで都合が良くなくても、なんらかのご褒美があってしかるべきでないか。
視線を横にずらす。御来屋さんの表情を盗み見る。先ほど来、ずっと冷めた顔をしていたが、ふと目に力が宿ったのが分かった。そうだ、これまでも彼女は繰り返し繰り返しフェノミナをぶちのめして、やがてその数の暴力に心が折れたのだ。今更仲間が出来ようとも、それでフェノミナを何体か倒したところで、ただ彼女の徒労の上塗りを少々するだけである。もっと大きなパラダイムシフトが必要なのだ。
それがあのシロフクロウだと、彼女も思いはじめてるに違いない。
「鳥ねえ」
零山が顎を撫でながら言う。
「校内を網羅した防犯カメラと言えども、映らないことには探せないしなあ。なんかヒントがあればなあ」
零山の言葉を受けて、御来屋さんが真剣な眼差しで言った。
「そういえば、神室さんもあの鳥に声をかけられたと言ってたわね」
「ええ」
話を振られた神室さんは一度目を閉じて記憶を辿ると、続けた。
「たしか、オブザーバーの少女よ、我が幻影を望め……とか、そんなことを言われました」
話はまた僕を蚊帳の外側に追いやったまま進んでいく。
幻影を望むとはなんだろう? 何も思い浮かばない。沈黙が続く。僕は手持ち無沙汰に全員の顔を見回した。皆考え込んでいる。妙案が出ないと口を挟めない空気感になっている。
どうやら先に妙案が浮かんだのは、零山だった。
何事か思い浮かんだ零山は、一度とびきりいやらしい顔をしたが、すぐに真顔に戻るとこう言った。
「こういう場合は、集合知だね。三人寄れば文殊の知恵、百人乗っても大丈夫」
「物置じゃねーよ」
華麗なツッコミをキメた僕であったが、スルーして零山が続ける。
「フェノミナが見えるオブザーバーなんだけど、もしかしてここにいる人間以外にも意外といるかもしれないよ。だから訊いてみればいいんじゃないかと」
そう言いながらまたPCのキーボードを操作する。
「訊くって、どうやって?」
僕は尋ねる。
「黒川氏は知らないかもしれないけど、世の中にはツイッターって便利なツールがあるんだよ……ほれ、ターンッ」
そう言いながら大げさな動作でエンターキーを押す零山に僕は何も言い返せない。ツイッターくらい知っている。知ってはいるがやっていないだけだ。やれ暑いだの、飯がうまいだの、そんなくだらないことを毎日ネットに垂れ流すことに意味を見出せない。
けっして自分に友だちがいないからじゃない。
はじめてはみたものの、まったくフォロワーが増えないからいつのまにか見なくなったとか、そういうことじゃない。
「あ、ツイッターなら私も訊いてみます」
僕が心のなかで盛大に言い訳をしているさなか、神室さんがスマートフォンを取り出して画面をスワイプさせた。御来屋さんをちらりと見ると、特にケータイやスマフォを取り出す気配もないので、彼女もツイッターはやっていないようだった。心強い味方を得たと僕は安心する。
ツイッターなぞやらなくとも、高校生活は万事滞りなく送れるのだ。
そう、万事滞りなく。
僕が教室カースト最底辺のぼっちでいることなど、断じて滞りとは言わないのである。
しかし、ツイッターで訊くというのは案外名案かもしれない。あの鳥は、見ることさえ適えば、目立つ。誰の目にも留まる。フェノミナの目的が観測されることなら、他にオブザーバーがいればあの鳥は姿を現していることだろう。観測されていることだろう。だから、訊けばいいのだ。あの鳥をどこかで見ませんでしたか? 観たひとはいませんか? と。
ところが。
ツイッターアプリを立ち上げた神室さんが、一、二度画面を撫でたかと思ったら固まってしまった。ツイートをするわけでもなく、ただ画面を凝視している。表情がどんどん曇っていく。御来屋さんもその様子に気づき、不安げに彼女の顔を覗き込む。
「これは……」
画面を見つめたまま、かすれた声で神室さんが語りだした。
「これは、どういうことでしょう? なんで魔冬さんが……」
「あ、それ俺!」
答えたのは零山だった。
「えっ?」
神室さんがスマフォから顔を上げ、驚いた表情で零山を見つめる。
「かわいい女の子かと思った? ざんねん、零山ちゃんでした!」
「ふ……ふざけないでください!」
今までになかった強い口調で神室さんが詰め寄った。長机にスマフォが投げ出されたのでその画面を覗きこむと、そこにはこうあった。
魔冬@新曲ヨロ:後輩に聞いたんだけど、藍上高校にギター抱えた白いふくろうのお化けが出るんだって! なにそれマジヤバイ! 見たことあるひとおるかー?(たった今)
どうやらこの魔冬というのが零山のアカウントらしい。そして、そうとは知らずに神室さんがフォローしていたらしい。僕の隣で同様にスマフォをのぞき込んでいた御来屋さんも、事態を把握したようで、零山に尋ねる。
「零山くん、説明」
「お、おこなの?」
「説明! いいから」
「最近のマイブーム。ソーシャルエンジニアリング。この学校の生徒のSNSのアカウントから本人を結びつける遊びをしていたのね。そのためにいろんなアカウントを片っ端からフォローする必要があったんだけど、学校の卒業生の女子ってことにしとくと、怪しまれないんだよこれが。ほいほいフォロー返ししてくれるワケ。それで、たとえニックネームで登録してても、いろんなツイートから類推すれば、けっこう誰が誰だか分かっちゃうんだコレが。神室氏はAIってニックネームだったっけ? あは」
「全部ウソなんですか?」
顔を真赤にして神室さんが問い詰める。
「ウソっていえば、まあ嘘だよね。魔冬なんて女子大生は存在しないんだから」
涼しい顔で零山が答える。
「曲もウソなんですか?」
「あ、そういえば神室氏は曲よく聴いてたよね。ありがとうね」
「零山くんが作ってたんですか?」
「ああ、あれは……そう兄貴だな。兄貴が作った」
「やっぱりウソだったんですか?」
今にも泣き出しそうな表情で必死に問い詰める神室さんと、それに涼しい顔で応じる零山を見て、妙に耳の後ろが痒くなった。
「誰が作ったものでもいいじゃない。曲気に入ってたんでしょ?」
「誰が作ったかは重要なんです! でないと……でないと……」
「激おこなの?」
「しりません! あの曲が……ウソだったら、それに救われてた私がバカみたいじゃないですか! 私の気持ちまでウソみたくなっちゃうじゃないですか!」
「あ? だいたいウソって何なんだ? 音楽にウソもクソもあるかよ。誰がどう作ろうと作品は作品だね。それこそフェノミナのようにそこにあるだけだよ。それを自分の都合の良いように解釈して、それが現実と違ってたからウソだなんて、おこがましいにも程があるだろ?」
次第に激昂していく神室さんと零山であったが、蚊帳の外である僕にはなんのこっちゃサッパリ分からんのであった。ふたりがヒートアップすればするほど、冷めていくのを自覚する。冷静になって見てみると、どうも零山はわざと神室さんを怒らせているようにも思える。だが、その思惑がちっとも分からない。
「意味分かんない意味分かんない意味分かんない意味分かんない意味分かんない意味分かんない意味分かんない意味分かんない意味分かんない……」
神室さんがそれまでずっと睨んでいた零山から視線を外し、下を向いてぶつぶつと呟きはじめた。膝の上におかれた両手が震えている。
いかん。これは、確実に激おこぷんぷん丸だ。ムカ着火ファイヤーだ。いや、激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームだ。とにかく、そういう最上級の怒りであった。怒髪天を衝き、怒りのゲージが仮装大賞で大賞を取るグループみたいな速さでピピピピピと上がっていく。
猛烈な勢いで神室さんが立ち上がった。だんっ、と両手を長机に叩きつけた。パイプ椅子が後ろに倒れる。
「はぁ? もうぜんっぜん意味分かんないしッ!」
この小さい身体からどうしてそんな大声が出るの? という程の絶叫をあげて……、
とうとう神室さんは部室を飛び出していった。
あまりの成り行きに、止める暇もない。見かねた御来屋さんが神室さんの後を追おうと立ち上がりかけたが、ふっとそこへ竹のものさしが差し出された。
「ストォッッップ、御来屋氏」
零山が御来屋さんを止める。
「なに? 私を止めるからにはそれなりの理由はあるんでしょうね?」
御来屋さんも語気を荒げて尋ねる。
「鳥を燻り出したいでしょ? たぶんこれでいいはずだよ」
「だから説明しなさいよ」
「まあまあ、今説明しちゃうと面白くないですしおすし。それよりお二方、ちこう寄りなさい」
あくまで冷静に零山が言うと、今度はものさしをモニターに向けた。
ツイッターのクライアントアプリがウィンドウに出ている。文字が小さいので長机からは見えにくいので僕は席を立つ。御来屋さんも渋々したがった。
「これ、俺が作った特製クライアントね」
エクセルで作った表みたいなそっけないUIだった。
そこに、けっこうなスピードでツイートが次々に表示されていく。
「いま、だいたい全校生徒の八割程度の人数をフォローしているのね。七百五十人くらいかな。もう殆どの人間がやってるよね。発言が少なかったりして本名と紐付けてきてないのが五十人くらいいて、ウチの生徒か怪しいのも混じってるけど、まあそれは置いておいて……」
零山がキーボードを操作する。
「そろそろ、さっきの発言のリプライが来ると思うんだよね……ほら!」
リプライが色付きで抽出される。
もんじゃ納豆:1D周防学:シロフクロウ? なにそれ誰が言ってんの?
ニックネームの次にクラス名と本名が表示されている。これはソーシャルエンジニアリングとやらで零山が勝手に付け足したものだろう。そのもんじゃ納豆こと1Dの周防くんの発言を皮切りにポツポツとリプライが表示されていく。
ミネラル:2A宮崎香織:かわいい! それだったら私も見たいな
挽きたてカフェラテ:1A川上絵美:白いフクロウって昔学校で飼ってたらしいよ
サーキットの浪:3D山岡宏:シロフクロウなら俺の隣で寝てるよ
「うーん。目撃談はないなあ」
「それが答え? 神室さんを怒らせた答えなの?」
御来屋さんがやや声を荒げて問う。
「御来屋氏焦るなって。ま、実を言うと他にオブザーバーがいるなんてそんなに期待してなかったけどね。今までのツイートの中で、そんな話してるヤツいなかったもの。トイレの花子さんレベルの学校の七不思議とか、鏡越しに白い影を観たとかはあったけど、あれはたぶん、神室さんの例の体質絡みだろうし」
「じゃあどうして?」
「幻影さ」
幻影? 神室さんが例の鳥に言われたという、あの話か。話が読めない。
「幻影を望めってのは、つまり、彼女の望む通りのカタチで、あの鳥が現れるってことだと思う」
「は?」
「観測が事象を確定するのさ。フェノミナがそもそも、死者に会いたいという主観的な願望みたいなものなのだから、望めば出てくるんだよ。フェノミナは」
その時だった。
ぱりん、とガラスが砕け散るような音が響いた。
ただし、生半可な音量じゃなかった。音というより衝撃波だ。津波のように押し寄せる音と言う名の暴力であった。たまらずに僕たちは耳を両手で塞いだ。
なにかが起こっている。
しかしそれが何であるかまるで分からない。
ほんの一瞬の出来事であったが、感覚的には数分にも引き伸ばされたような心地だった。かつての震災体験のような不安と恐怖が襲う。これだけではけっして終わらない、予想もつかないなにかがはじまるという予感。音が収まるとその正体を確かめようと御霊山がPCのキーボードを操作する。さすがに冷静ではいられなかったようで何度かミスタッチをしたようだ。モニター上に防犯カメラの映像がまた並んだ。
そこに映しだされた光景に我々は固唾を飲み込んだ。
どうやら御霊山の企みは、最悪なかたちで実現したようである。
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