第三章 藍上高校ゴーストバスターズ――さらに神室アイにとっての友だちとは

3-1 神室アイ

 自然と笑みがこぼれてしまう。


 こんなに楽しいのはいつ以来だろう。考えてみると、自分の体質に気づいてからひとときも心休まるときなどなかった気がする。心の底から楽しいだなんて思ったことない気がする。誰にも何にでも私の身体が触れないように気をつかってばかりで、ただそのことに尽力するだけで、人並みの学生生活など私は諦めていたのだ。


「それでアイちゃんは、いつ自分の体質が人に伝染るって気がついたの?」

 御来屋さんが私の横に並んで話しかけてくれている。


「それは、ええと、子供のころです」

 憧れだった彼女に、友だちみたいに話かけられるのはちょっと照れくさい。緊張してしまう。だから受け答えがどうもぎこちなくなってしまう。でもこの緊張は、なんだか心地よい。いつも私が強いられてる、誰にも触れさせまいという緊張感とはまるで別物だった。


 放課後の校舎の廊下だった。廊下を四人で並んで歩いている。


 あれから私たちは一度東洋哲学研究部の部室を解散し、放課後にまた集まる約束をした。授業中に教室を抜けだしたことなどなかったので、戻るときは少しヒヤヒヤした。だけど教室棟に戻るとそこにあったのは拍子抜けの風景だった。多くの生徒が教師の目がないことをいいことに、廊下に出て友だちとおしゃべりをしていたのだ。教室のなかも大喧騒だった。私が戻っても誰も気にもとめなかった。


 放課後までは大過なく過ごせた。


 そして再び東洋哲学研究部の部室で落ち合った私たちは、フェノミナ退治に校舎に繰り出したのだった。


 先頭を切って歩いて行くのは、零山くんだ。どこから持ちだしたのか今時珍しい竹のものさしをひゅんひゅんと振り回している。鼻歌も混じっている。楽しそうだ。


 その後ろに、私と御来屋さんが並んで歩いている。さらに後ろに黒川くんが付いてきている。零山くんは薄い印象の容貌のわりに印象的な言動をするけれど、黒川くんは正反対だ。印象が薄い。というより、ない。思い返すと、さっき大勢フェノミナが現れたとき、彼はその場にいたのだろうか? いなくなることはないと思うのでいたのだとは思うけど、確かに怖くて私も眼鏡をかけて下を向いて震えていただけということもあるけど、それにしても存在感、なさ過ぎな気がする。


 それ以上に。


 違和感がある。


 黒川くんがここにいるのはやっぱりおかしい……。


「アイちゃん?」

 いけない。考えごとをしすぎていた。気づくと御来屋さんが横から腰を落として上目遣いで私の顔を覗き込んでいた。


「あ、ええと何のお話でしたっけ?」

「答えたくなければ答えなくてもいいのよ。子供の頃に体質に気づいたって話」

「……いいんです。私もずっと話したかったのかもしれません。小学生の頃、仲の良かった友だちに言われたんです。私といると、いつもお化けを見るって……」


「はっけ~~~~ん!」


 唐突に叫んだのは零山くんだった。ものさしで物陰を指してる。その先に確かにフェノミナがいた。眼鏡を借りっぱなしというわけにもいかないので、今は裸眼の私にも見える。しかし零山くんには言動にまるで遠慮がない。たしかにフェノミナをものさしで指してはいるが、ものさしとフェノミナの間に無関係の女子がいた。その女の子は一瞬ビクッとしたが自分に注目が集まってないことを悟ると、逃げるように私たちから離れていった。


 零山くんはつかつかとフェノミナに寄って行くと、躊躇なくバコっとものさしを白い影にふりかぶった。しかし手応えがない。すーっとものさしは影を通り過ぎていく。


「ふううん。この程度の質量じゃダメなのね。なるほど」


 零山くんが腕を組みながら言うが、影に反応はない。相変わらずそこへただ突っ立っているだけだ。いつもと変わりない、私が普段良く観るフェノミナだった。零山くんがこちらに向かってくる。私と御来屋さんの間を遠慮なく割って入ると後ろにいた黒川くんのところまで行き、手のひらを黒川くんの肩へ置く。


「はい黒川氏。タッチ」

「ええええ?」

「いや、俺、あんまりあれ触りたくないし、肉体労働とかゴメンなんだよね。ぶちのめしてよ黒川氏」


 黒川くんの視線が泳ぐ。私を見て、次に御来屋さんを見た。一瞬顔を下に向ける。前髪が垂れて表情が隠れた。すぐに顔をあげると……座った目に豹変していた。


「うおおおおおおお」


 奇声を上げて黒川くんがフェノミナに突進する。走りながらボールを蹴るように右足を振りかぶる。しかし目算をあやまったキックは白い影の前でむなしく空を切った。当たるはずのものに当たらなかった蹴りのせいで黒川くんは大きくバランスを崩し、そのまま尻餅をついた。リノリウムの床を滑ってなんだかよくわからない体勢のままフェノミナにぶつかる。


 音もなく、はじけるようにフェノミナが消えた。


 結果オーライなのかな? これは。


 傍目には廊下の柱の影に奇声を上げながら突進して転んだだけだ。廊下を行く人の数も少なくなかったので私たちの集団は妙に注目を集めてる。視線を浴びて我に返った私は恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。知らないふりがしたい。御来屋さんを見ると彼女も私は無関係ですとばかりにあさっての方向を見つめていた。しかし立ち上がった黒川くんが得意げな顔で私たちを見回して来るのだ。


 芸が成功した犬みたいだった。褒めて褒めてと目で訴えてくる。


 零山くんは既に私たちに背を向けて廊下を歩きはじめていた。遠慮もないが迷いもない。御来屋さんもそれに従って動く素振りを見せたので、仕方なく私は黒川くんに「すごいね」と声をかけてから御来屋さんの後を追った。

 

「しかし」


 再び歩きはじめた私たちだったが、フェノミナはどうも見つからない。しびれを切らして零山くんが喋りはじめた。


「探すといないもんだね。御来屋氏、こんなもんなの? さっきは増えてるとか言ってたけど」


 歩きながら人差し指を顎に当て、斜め上を見ながら御来屋さんが答える。

「そうねえ。最近は探し歩くこともなかったし意識してるわけでもないから、歩いてると何分おきには見かけるなんて正確に答えられるわけじゃないけど、こんなもんって聞かれたらこんなもんなんじゃないかなあ、ねえアイちゃん?」

「そうですね。私もこんなものだと思います」

 こうして御来屋さんと話していられるなんて、やっぱり夢のようだ、と私は思う。あれだけ嫌だった白い影が、いまはありがたいとさえ、思う。


「そっか。意外と効率が悪いなあ」

 と、前を歩いてた零山くんが歩いたまま振り返る。そのまま私と御来屋さんの頭を凝視した。デリカシーというものがない。人にジロジロと見られるのはどうにも落ち着かない。なのでたまらず私は言った。

「なんですか?」

「いやほら、妖怪レーダーってあるじゃない? 妖怪に反応してアホ毛がぴーんと立つやつ」

「半纏を着た少年といっしょにしないでください」

「まあねえ。リモコンで動く下駄も履いてないしねえ」

「茶碗を湯船にする目玉のお父さんもいませんよ」

「神室氏、きみ、いくつ? 漫画にしてもアニメにしても昭和だよ」

「それを言うなら零山くんだって同じです。それに鳥取出身を舐めないでください」

「へえそうなんだ。鳥取って島根の右だっけ? 左だっけ?」

「右側です。Tシャツあげましょうか? 着て覚えてください」

「でもあれって、島根バージョンもあるでしょ? 鳥取の右側と島根の左側って両方存在するから結局どっちか分からなくなるんだよ。お互いが主張して却って駄目になるパターン入っちゃってるし」

「だから島根の右側です。鳥取が右で島根が左です。わざと間違えてません? 屁理屈ばかり言ってると砂丘に埋めますよ」

 くすりと、御来屋さんが笑った。おかしそうに微笑みながら言う。

「あなたたち、息があってるわね」

「やめてください!」

 零山くんの空気に飲まれて、ついつい普段はしない丁々発止の会話をしてしまった。しかし、いくら御来屋さんでも聞き捨てならない。こんなデリカシーのない男といっしょくたにされるのはごめんだった。


「まあでも、妖怪レーダー的なものがあれば、効率いいじゃない?」

 御来屋さんの息があってる発言には一向に反応せずに零山くんがそうまとめた。


 そこへ後ろから声が掛かる。存在希薄な黒川くんだった。

「あの……効率を求めるなら旧棟の屋上とかどうだろう」

「黒川氏、なに? 屋上?」

「さっき部室がある三階の廊下の窓から見て思ったのだけども、あそこは教科棟も新棟も廊下側の窓は見渡せる。中庭も見えるし、屋上に登れは校庭側も見えると思う。闇雲に探すよりは俯瞰して見渡したほうがいいと、そうは思わんかい?」


 それもそうだと私は思った。存在感がない分、周りがよく見えるのだろうか。いや、少しひどいことを思ってるな、私。


「ふうむ。俯瞰ねえ」

 零山くんが立ち止まって考える。

「じゃあ部室に戻ろうか?」

 零山くんの提案に黒川くんがオオム返しで尋ねた。

「部室?」

「秘密兵器があるんだよ。直射日光に晒されて暑い屋上なんてまっぴらゴメンだしね」 

 そうして、私たちは東洋哲学研究部の部室にまた戻ったのだった。

 

 この部室を訪れるのは今日で三度目だ。


 一度目は、トイレでシロフクロウにこっぴどくやられたあとに、わけも分からず連れて来られた。


 二度目は、放課後に集まるために訪れた。その時はすぐにまた部屋を出たので落ち着く暇もなかった。


 そしてこれが三度目。乱雑なのか、がらんどうとしてるのか分からない部室。一度目は見慣れない、落ち着かない場所だと思ったけれど、三度も入るとさすがに慣れてくる。部屋に薄く香る珈琲の香りにふと居心地の良さを覚える。それまでまったく接点のなかった私たちを繋ぐ場所。これから私たちは友だちになるんだろうか。もう友だちと呼んでいいのだろうか。長く友人関係を築けずにいた私には、友達関係のはじまりというのがよく分からない。でも、きっとはじまりなんてないと思うのだ。恋人関係にははじまりは多分ある。たとえば、絶対にない話だけれど、今日の昼休みに私が中垣くんの告白にOKをすれば、そこがはじまりになったと思うのだ。だけど友人関係にはじまりはない。友だちになりましょう? と言って承諾すればはじまる話じゃない。そんなこと改まって頼んでくる人などみたことがない。もしいたら、ちょっと怪しいんじゃないかとも思う。そうではなくて、きっとなんとなくはじまって、なんとなく続いて、そして気がついたらそうなっていた、という関係が友だちだと思う。


 だから、その『なんとなく』が続いて欲しいと思った。


 そういう意味で、この関係を継続させてくれた黒川くんには感謝をしないといけないのかもしれない。彼があそこで、ちょっとすっとんきょうな演説をぶちまけてくれなければ、そこで終わってたと思う。


 まあ、でも御来屋さん以外はおまけの友だちかなあ……。


 いつのまにか定位置になった長机の前のパイプ椅子に座って、そんなことを考えていた。


 パソコンデスクの椅子にふんぞり返って、零山くんがマウスを動かす。

 今まで消えていた四枚のディスプレイが点った。零山くんがキーボードを素早く何箇所か打つと画面に何枚ものウィンドウが現れた。整然と碁盤の目のように並んだそれを見て、私は息を飲んだ。


 校内の防犯カメラの映像だった。


「えへへ。これが秘密兵器」


 アーロンチェアを回転させて私たちに向き直ると、零山くんが言った。

「この学校、なぜかいろんなところに防犯カメラがあるの気づいてた? 天井の黒い丸いやつね。用務員待機室のサーバに映像が送られてるんだけど、ちょっとハッキングして見られるようにしてみました。どやっ!」


 どーんと指を私たちに突き出してご霊山くんがポーズを決めたが、あまりのことに反応できない。横を見ると御来屋さんが頬杖をついて冷めた目で画面を見ていた。その奥で黒川くんが口を半開きにしてる。


「ねえ、それって部室棟三階のトイレ前も映ってるけど、爆発があったときに私たちがいたってバレちゃうんじゃない?」


 御来屋さんが頬杖をつきながら尋ねる。あっ、と私は声にならない叫びをあげた。たしかに、私たちのせいではないのだけど、あの場にいたことが教師にバレると少々やっかいなことになるかも、と思う。


「あ、大丈夫大丈夫。心配ご無用。用務員室のモニターは節電とかいう理由で消えてるし、録画はされない設定に変えてあるよ。ついでにサーバーの管理者パスも変えたから、システムを強制的に落とさない限り防犯カメラが見られるのはここだけという……」

「ふーん。まあ、ミョーに落ち着いてるからそんなことだろうと思ったけど、どうするの? カメラにはフェノミナは映らないわよ。何度か実験してみたけど、一度だって映らなかったわ」

 ぶすうと子供みたいに口をとがらせて、零山くんが答えた。

「そんなの……見てみなきゃ分からないじゃん」

 再度椅子を回転させてモニタに向き合うと、またがちゃがちゃとキーボードを操作し、左上のモニタに数秒おきに防犯カメラのひとつの映像が拡大表示されるように変更した。


 しばらくモニタを全員で眺めていたが、フェノミナはどのカメラにも映らない。


「ま、でも全然いないよね。おっかしいなあ……なんて、俺が諦めるとでも思ったか!」

 デュクシ! デュクシ! と言いながら零山くんが唐突に四枚のモニタへチョップして電源をオフにした。防犯カメラの映像が消え、ブラックアウトする。そうして彼がまたも私たちの方に振り返る。視線があった。


 ――嫌な予感がする。


 満面の笑みで零山くんが私に向かって手招きする。

「神室氏、神室氏」

「な、なんですか?」

「ちょっと、モニタの電源付けてくれないかな?」

 その瞬間私は零山くんの企みに気づいた。横を向くと神室さんがふっとため息を付いて、そういうことですか、みたいな顔をしている。その奥で黒川くんは私と零山くんの顔を交互に見回して、眉をしかめていた。彼も気づいている。


 どうしよう?


 零山くんは私の『モノにも霊感体質が伝染する』能力を利用しようとしている。


 試したことはないけれど、鏡だって伝染る体質だ。感染って映る。モニタ映像にだってうつらないはずがない。その可能性は高い、と思う。


 ただ、私はそれが嫌で嫌で、ずっと今まで……悩んできたのだ。いろんなものを犠牲にして、苦しんできた。そうやってしばし逡巡する私に声をかけてきたのは黒川くんだった。


「やめだ。やめよう」

 黒川くんは零山くんに向き直り、静かに言った。


「彼女はずっと……泣くほどそのことで苦しんできたんだ。利用するべきじゃない。べつに屋上から見たっていいじゃないか。な、そうしよう」


「キレちまったぜ。屋上へ行こうぜ、っスか?」


 小馬鹿にした口調で零山くんが言う。私を見つめたまま、続ける。


「神室氏の懊悩なんて、他人の俺には分からんよ。まったく分からん。分かる気もない。興味が無い」

「おい!」

 私の代わりに黒川くんが憤っている。私はでも、零山くんの言葉に聞き入ってしまっていた。

「いいから聞け。そう、ただ、俺は羨ましいね。同じ世界にありながら、まったく違うものを見てる神室氏が羨ましい。いらないというなら、俺が譲り受けたいくらいだ。神室氏にとって唾棄するべきものでも俺にとっては欲しくて欲しくてたまらないものだ。ただ俺の願いは叶わない。でも神室氏はそこのモニタにちょっと触れるだけで分け与えることができる」


 椅子のキャスターを引いて零山くんが私に近づいた。


「なぜしない? なぜ押さない? キミにとって泣くほどいらないものならなぜ手放さない? 感染ったからといって、なくならないものでも、後生大事に抱え込む必要があるの? それに、俺は他人の痛みの共有なんて絶対に嫌だけど、それが俺の得になるものならなんだって引き受ける。それが神室氏の痛みでもだ。なあ、黒川氏、言っていたなあ? 憤りを共有して和らげるって。そういうことじゃないの? 今神室氏が望まれてることってのは?」


 まるでこの場の全員に望まれてるような言い方だが、企んだのは零山くんだ。明らかに詭弁の臭いがする。でもなんだか嬉しかった。私のことを庇ってくれた黒川くんも、痛みを引き受けてくれるという零山くんにも。たとえそれが嘘だったとしても。零山くんは零山くんで違う世界を見ている。私はそれが羨ましい。でも、そのうちきっと世界を共有できるのかもしれない。それが友だちなのかもしれない。さっきはおまけの友だちなんて思ってごめんなさい。横を向くと御来屋さんが私に向かって微笑んでいる。本命の友だちもありがとう。


「押します。私、電源入れます」

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