7.空


 ギィン、と空中で石器がぶつかり合う鈍い音が鳴り響いた。

 ゴブリンが苦しまぎれに投げた斧とそれを見てから迎撃のためにカイトが同じように投げた斧が衝突して双方ともあらぬ方向へ弾けとぶ。


「ギイッ!?」


 ゴブリンは悲鳴じみた声をあげる。

 無理もない。あれほどいた仲間は全て目の前にいるたった1人の冒険者の手によって倒れ、最後の仲間がやられた隙をついたはずの投斧がまるで予測していたかのように防がれたのだから。

 目の前の冒険者は決して倒せない相手ではなかったはずだ。モンスターとしての本能でゴブリンはそれを認識できる。

 敵の強さは控えめにいっても自分たちより少しレベルが高いだけ。10体ほどで囲んでしまえばどうとでもなる相手のはずだった。現にその冒険者の体はボロボロだ。

 にもかかわらず、最後に残されたゴブリンはただその姿に恐怖していた。

 あと一回でも攻撃を当ててしまえば倒せてしまえるのだろう。だがしかし、ゴブリンはもう、目の前の敵を倒せるなどとは思っていない。


 逃げろ!逃げろ!!逃げろ!!!


 ゴブリンの頭の中には、やられた仲間の仇討ちの事や同格の相手に大敗することへの屈辱の気持ちなんてなかった。そんな事をはっきりと考えられるほどゴブリンには知能がない。ゴブリンの心、感情、本能全てが逃走することを叫んでいた。


 本能の赴くまま、ゴブリンは踵を返し、目の前の敵から逃げるために通路へと走り出す。だが、それはあまりにも遅すぎた。―――先を見据えない逃走を選択した時点で勝負はついていた。いつだって勝つのは、最後まで闘う意思を捨てなかった者だけなのだから。


「これで、ラストッ!」


 ゴブリンが逃走するために一歩目を踏み出した時、カイトは斧を投げた勢いを利用し、片足を軸にして回転して既に投擲のモーションに写っていた。


「《シングルシュート》!」


 ゴブリンの、二歩目が踏み出されることはなかった。

 スキルによって青白い軌跡を残し飛翔した短剣がゴブリンの脳天を撃ち抜いた。







「へぶっ」


 べちゃっ。最後のゴブリンを倒したカイトはそう聞こえてきそうなほど情けなく、短剣を投げた勢いのまま地面に倒れこむ、


「お、終わった。……死ぬかと思った。いや絶対に3回くらい死んでた!しばらく、動きたくない、働きたくない。もう疲れたよ、限界だよお……人生全部の30パーセントくらいの労力をここで使った気がするよお……」


 うつ伏せのままでカイトは戦闘中は決して言わないようにと心がけていた弱音をここぞとばかりに吐き出す。

 その姿はとてもじゃないが、先ほどまでギリギリの死闘を繰り広げていた彼と同一人物には見えない。

 ぐでーっ、と地に伏せながら、ああ、地面って結構冷えてて気持ちいいなー。ホットになった俺の心をクールにしてくれるぜ!ふへへ……などとカイトが現実逃避し始めたときだった。


「あ、あのっ!大丈夫ですかっ!?」

「大丈夫……?」

「ふへ?」


 突然、声をかけられて気だるげにそちらの方を向く。そこには2人の美少女がいた。どうやら彼女たちが自分に声をかけてきたらしい。

 片方は艶やかな黒髪を腰ほどまで伸ばし、頭に獣の耳を生やした少女だ。ふさふさの尻尾を見るに狐か狼の耳だろうか?胸はゲームでよく見るような簡素なプレートアーマーごしでも豊満なことがわかる。ピッチリとしたショートパンツと黒ストッキングの絶対領域は美しいの一言しかない。

 もう片方の子は銀に煌めく髪を肩ほどで揃え、これまた頭に耳を生やした女の子。こっちの子も尻尾がふさふさで狐か狼かと思う。正直、その辺の見分けはつかないけど多分どっちかだろう。胸は先の子と比べると控えめだが、見た目の幼さからすると、十分、発育の良い方だろう。この位置だとスカートで隠されている健康的な肢体がチラチラと見えて目に毒……ってそうじゃなくて!

 しばらくの間、惚けていたカイトだったが、不意に我に返る。


「うん、平気だよ!気使わせちゃってゴメンね」

「本当に大丈夫なんですかぁ……?」

 

 シュバッ!そう表現出来そうなほど勢いよく立ち上がってカイトはそう見栄を張った。

 レベルアップ時の回復のおかげで見た目ほど体の状態が酷いわけではないが、長期戦を戦い抜いた事に、スキルを連発した影響もあり、立っているのもやっとの筈なのだが、カイトは何のこともないといったようにそこに立つ。

 男は女の子の前では格好つけずにはいられない生き物なのだ。

 黒髪の少女はほんの少し不安そうに首を傾げるが、それ以上の詮索はしなかった。

 2人はペタリと地面に膝と手をつき、深々と頭を下げる。


「ヤタと申します。助けて頂きありがとうございます」

「ユキ、です。ありがと」

「うわっ、ちょっと!俺が勝手に割り込んだんだから、そんなにかしこまる必要なんて無いよ!」

「そうですか……?えと、えーっと、その」

「と、とりあえず!早く外に出ないと。あの子放っとくと危ないだろうし!」


 カイトはどう反応したものかと焦る。いや考えてみれば命の危機を救った訳で、このくらい感謝されてもおかしくはないかもしれないけど、数少ない友人といるとき以外は基本人とのコミュニケーションがないカイトにとって、女の子に頭を下げさせているというシチュエーションは気が気でなかったのだ。

 とりあえず、この空気を何とかしようとあたふたと脱出の提案をしたカイトはヤタが何か言いたそうにもじもじしているのに気づかないでいた。

 カイトが目を逸らし、歩き出そうとしたところでヤタは意を決して口を開く。


「あ、あの!わ、私の事はどうしてもいいですから!どうかこの2人は見逃してもらえませんかっ!?」

「……っ!」

「……はい?」


 ヤタの言葉でユキはむっとした顔になり、カイトは疑問の声を上げた後、ギギギと音がなりそうなほどにぎこちなくヤタの方へ振り向いた。


「私はリーダーなんだから、もっとちゃんとしてなくちゃいけないです。こうなったのも全部私のせいなんですっ!だからっ……!」

「ヤタ。それ以上言ったら、私怒るよ」

「でもっ!このままじゃ3人とも奴隷にっ……!」

「……さっきも言ったよね。ピンチになったのはみんなの責任だって。ヤタだけが責任取るのは、ズルい」


(えっ、えーと……なにこの展開?つまり俺がこの子たちの体目当てに助けたって思われてるの?ってかそれがまかり通る世界なのかー。それってなんて世紀末?やだー、ひくわー。早く元の世界に帰りたい……)


 1人、蚊帳の外といった様子で少女達のやり取りを見ていたカイトは遠い目をしながらそんな感想を抱いていた。

 どうやら、自分はとんでもない世界に来てしまったらしい。そんな事をぼんやりと考えながらカイトは2人の仲裁に入ろうとする。


「2人とも一旦、落ち着いてよ!?一体全体、何言ってんのさ!?」

「ですが……うう、やっぱり私1人じゃダメなのですか?」

「ヤタと、レラは勘弁してあげて。私が、なんでもするから」

「そうじゃなくて!んーと……」


 パニックになりながらもなんとかこの2人の誤解を解こうとカイトは思考を重ねる。

 こっちの世界じゃ無償で人を助ける奴なんていないから私たちを助けたのには理由があるんでしょ!例えば私たちの体とか!要するに少女たちはこう言ってる訳だ。

 健全な男子高校生として自分の好きに出来る可愛い女の子に興味がない訳ではないが……ゲームならともかく現実でやっちゃうと、自分の性格的にきっと自己嫌悪で死にたくなるだろう。

 とにかく、このまま流されて少女達を奴隷にするのだけは却下だ。彼女達を助けるために来たのにそんな事したら本末転倒だ。

 そこまで考えてカイトはそうだ。と思いつく。助けることに何か理由がいるというのなら適当な理由を作ってしまえばいいのだ。少女達にデメリットがなく、ついでに自分の利益になる理由。ちょうどそんな理由を自分が持っていることを思い出したのだ。

 そうと決まれば話は早い。


「ふっふっふ、そうとも!なんの目的もなしに人を助けるなどありえない。確かに君たちを助けたのは目的があっての事だ!」

「やっぱり私たちの体を狙って……」

「おとーさん、おかーさんゴメンなさい……私、汚されちゃいます、グスン」

「違うから!女の子がそういうこと言っちゃダメです!」


 この子ら俺に害意がないの分かってて、からかっているんじゃないだろうなと思いつつもカイトは話し続ける。


「……コホン!実は帰り道が分からなくてね。すっごい困ってるんだ。だから出口までのガイドをお願い出来るかな?」

「……ふえっ?そんな事でいいんですか!?」

「ここまで来たなら、帰り道知ってる。のに、なんで私たちに、聞くの?」


 (あー、うん。やっぱり突っ込まれるよなあ。こんだけ広かったら結構迷いそうなもんなんだけどな。流石に「異世界から来ました〜!」なんて言えないし。……ここは定番のアレでいくか)


 カイトは出来るだけ神妙そうな顔で、いかにも困ってますよ〜といった表情で口を開く。


「……実は記憶が無いんだ」

「えっ」

「目が覚めたら、ここにいて。自分が誰か。それだけしか覚えてなくて。とりあえず死に物狂いでここまで来たけど……うん、君たちに会えて良かった」

「大変だったんですね……」


 カイトがニコリと笑うと、ヤタはホロリといった様子で目頭を押さえていた。


(なんで信じてるのさ、ヤタちゃん!こんなの都合のいい作り話だってわかるだろ!ユキちゃんくらいにジト目で見るくらいでちょうどいいんだって!)


 カイトとしては別に信じてもらおうと思って言った訳ではない。ついでにこっちの世界の常識なんか教えて貰えると有りがたいなー。と思ってありがちで適当な理由を言っただけだ。

 ユキのような訝しげな反応が当たり前であり。まさかそのまま信じるなどとは思っていなかった。

 カイトは素直な良い子を騙している罪悪感にひしひしと胸を痛めながらもここまできたらもう突き通すかと、それを悟られないように話し続ける。


「えーっと、だからさ。君たちにガイドさんをお願いしたいんだけど頼めるかな?」

「おやすいごよーです!恩義に報いるのは狐人族の務めですから!」

「うん。私、助けてもらった。借りは返す」

「そうか、良かった!俺はカイト。速水 海斗だ。好きな風に呼んでもらって構わない。……短い間だけどよろしく頼む」

「はい!カイトさん!」

「……よろしく。カイト」


 ホッと息を吐き、心底、安心したといった表情をしたカイトはヤタとユキに手を差し出す。2人はそれをギュッと握った。


「それじゃあ行こうか!この子の治療も早くしないとね!」

「あっ、ちょっと待ってて下さい!」


 カイトが倒れてる女の子を背負い、地面に置かれていたリュックを手にとってここから移動しようとすると、ヤタから静止の声がかかる。

 そちらの方を振り向くと、ヤタとユキの2人はせっせとゴブリンの死体の心臓当たりをナイフでブッ刺していた。


「……いくら殺されそうになったからって死体を辱めなくても……」

「違いますよー!もう!私、そんなアブナイ子じゃないです!」

「本当に、いろんな事、忘れちゃったんだね……」


 カイトが口元に手を当て、恐ろしい子っ!とリアクションを取ると、怒ってヤタが反論する。が、ユキの一言でカイトが記憶喪失()だという事を思い出し、あっと声を上げる。


「ああ、そうでした。そんな事まで忘れてるんですね……ほら、見てください!」

「これは……宝石?」

「魔石って言うんですよー。ゴブリンから手に入るもので売れるのはこれくらいですから、ちゃんと取っておかないと。回復魔術をかけてもらうのにもお金がかかりますからねー」


 何でもない事といった様子でザックザックとゴブリンの心臓辺りを刺しながらヤタは手のひらに持つ、ピンポン玉くらいの赤く鈍い光沢のある宝石のようなものをカイトに見せる。


(事情は分かったけどグロいなあ。モン◯ンの剥ぎ取りみたいなもんだって頭の中じゃ理解できるけど……)


「これ売らないとレラちゃんの治療代で本当に私たちの身体が売られちゃいますからねー。冒険者は万年、金欠なんですよー」

「カイトの分も、やっておく」

「ああ、うん……」


 女の子にだけやらせる訳にはいかないのだろうけど、流石に異世界にきた初日にモンスターの死体を捌くという経験には中々踏み出しにくい。結果、カイトはぼんやりとヤタとユキの解体作業を見ていた。


「世知辛いなあ……」


 カイトがこの世界について最初に教えてもらったのは、彼女らの逞しさだった。







「あっ、見えました!出口です!」

「……っ!」


 歩き始めてから2、3時間。レラと呼ばれる少女を背負って手が塞がった状態のカイトと万全とは言い難いヤタを、弓を持ったユキが守る形で、他愛もない話しをしながらダンジョンを進んでいた。

 ここに来るまでにカイトは色んな事を教えて貰っていた。


 この世界がレグティアと呼ばれる異世界だということ。

 この洞窟が大陸の中央にある迷宮都市アルダークの大迷宮ダンジョンだということ。

 冒険者と呼ばれる職業のことや彼女たちが一流の冒険者になるために冒険者学校と呼ばれる所に所属していること。

 今、背中で「うにゃ〜」と声が漏れているレラという子が普段、経験豊富な女の子を装っているが、本当は今まで異性と付き合ったことも無い純情な子だとか。

 スキルと呼ばれる超常的な力の説明も軽く教えてもらった。


 そんな事を話しながら、時に目の前に出てくるゴブリンを倒して、出口への最短ルートを進んでいたカイト達だったが、遂にゴールが見えた。いてもたってもいられないといった様子でカイトは仄かな光が見える、外へとつながる出口へと走り出す。


「……」

「はぁ、はぁ、どうしたんですかぁ、カイトさん」

「……いや、何でもないよ」


 その後を走って追いかけたヤタは、出口を抜けて直ぐの所で、空を見上げ立ち止まっていたカイトに声をかける。カイトにつられてヤタも空を見るが、いつも通りの夜空が広がっているだけだ。

 強いて言うなら、もうこんな時間になってしまった。先生たちは心配しているだろうなあという感想しか浮かばなかったヤタだったがカイトが何でもないと言ったことで、それ以上考えることはなかった。

 そうしているとユキも直ぐそばまで追いついてきた。


「それじゃあギルドに行きましょうか!カイトさん!」

「……ああ」


 どこかぼんやりとしながらもカイトはヤタの言葉に返事をしてヤタとユキが進む方、大きな建物の方へと歩いて行く。

 その足をピタリと止め、カイトはもう一度空を見上げた。

 そこには元の世界よりも煌めいている星々。その中心に月があった。

 たしか、こっちに来る前には半月になりかけているところだったはずだが、今、目の前にある月はほぼ満月だった。なんで地球と同じように夜に月が浮かんでいるのかはわからないが。天体的にどうなんだ?

 ……思い返すと、本当によくわからないことだらけだ。少なくとも自分が今までいた世界とは常識や季節、時間の流れまでまるで別世界だということだけはわかる。


 だけど自分には、元の世界とこの世界にそこまで大きな違いがあるとも思えなかった。非常識な現実に頭が混乱していて、他の事を考えている余裕が無いだけかもしれないが、目の前の事を素直に受け止めて、その上で悩むことができている気がしたのだ。


「異世界にも、月ってあるんだ」


 だからこそ、カイトは思い浮かんだことをそのまま口にした。ここと元の世界は別の世界だ。その事実に対する感傷のようなものを感じながら。

 カイトがポツリと漏らした声は誰の耳にも入ることはなかった。




 速水カイト 17歳 男

◆レベル◆ 12

◆スキル◆


『投擲 I』…《シングルシュート》、《リフレクトショット》

『スライディング II』…《スパークル・ハイ》

『糸魔法 I』…《マギ・ストリングス》




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