11.冒険の準備
……清々しい朝だ。窓から入り込む暖かい日差しを感じ、目を開ける。
「……目が覚めたら元の世界に戻ってました〜、なんて事はないんだな。やっぱり」
ムクリと体をおこし、ぼーっと辺りを見回した後にカイトはポツリと呟いた。
まあ、今更そんな事になっても何だかスッキリしないか、と頭をガシガシと掻き、欠伸を噛み殺して立ち上がったカイトは顔を洗う為に部屋を出た。
「……ん?」
階段を下りる途中で、鼻腔をくすぐる臭いに気づいたカイトはその臭いのする方向へと向かう。
「うわあ……」
『おや?おはようだよ、カイトくん!目覚めがいいようでなによりだね!』
そこには、フリフリのエプロンを着けて、触手を器用に使って朝食を作る謎の灰色の生物。テレサの姿があった。
絵面がヤバい。SAN値がガリガリと削られるような錯覚を感じ、カイトはその姿を見なかった事にし、洗面所へと向かった。
『どうだい?美味しいかい?カイトくん!』
「……美味しい」
『良かった!人に料理を振る舞うのは久しぶりだったからね。喜んでもらえて何よりだよ〜!』
納得がいかないといった様子でカイトは目の前の料理を咀嚼する。
先ほどまでテレサは料理中だった。はたから見ればとても危なっかしい動きだったので大丈夫なのだろうか、と心配していたのだが、どうやら杞憂だったらしい。たぶん、危なっかしく見えるのは人が手を使ってやる作業を触手でやるからだろう。
「なあ、テレサ。やっぱりその体で料理とかするのって大変なの?」
『ん〜……もう慣れちゃったよ。慣れれば楽なもんだよ?この触手も』
「ふーん……」
興味本位からカイトはそう尋ねる。返ってきたのは諦めたような、吹っ切れたような言葉だった。
「まったく、大変だなテレサも。わざわざそんな動きにくそうな姿にされてさ」
『……本当だよね!カイトくんからもご主人様に何とか言ってやってくれよ!』
「俺かよ……ってか、雇い主なのにそのご主人様とやらをまだ一回も見てないんだが」
『……ご主人様はシャイだからね!部屋から中々出てこないのさ!』
「うわっ、筋金入りの引きこもりなんだな、雇い主は。苦労してるんじゃないの?」
『よよよ……わかってくれるとは思わなかったよ。まあ、あんなのでも僕のご主人様だからね!』
テレサはそこまで言うと、『それじゃ僕はご主人様に朝食を届けてくるねー!』と言ってトレイに乗せた朝食を触手で上手くバランスを取って持ち、階段を上っていった。
手伝おうかと一瞬、考えたカイトだったが、その考えはすぐに打ち消した。テレサに昨日言われた事を思い出したからだ。
自分に貸し出された部屋の隣、雇い主の部屋には絶対に入っちゃいけない。それがテレサとした唯一の約束だった。
鶴の恩返しかよ!とツッコミたい気持ちは山々だったが、カイトはそれを受け入れた。人間、誰しも踏み込まれたくない所はあるものだ。無理に押し入って、これからお世話になる人との関係を悪くしたくはない。
隣の部屋だというのに壁の向こうからは生活音の一つすら聞こえてこないのだ。きっと何らかのスキルを使っているのだろう。引きこもりで内気だという我が雇い主はそこまでして自分との接触を絶っている。ならば自分もその意を汲んで過度の干渉はするべきでない。
それでも。テレサがノロノロと、苦労して階段を上っているのを見て。別に喋らなくてもいいから、自分から下に食事を取りにきてやればいいのにと、カイトはそう思うのだった。
朝食を食べた後、直ぐにダンジョンに向かうつもりだったカイトは、露店客で人がごった返しているメインストリートをテレサと共に進んでいた。
『や〜、誰かと一緒にお出掛けなんて久しぶりだな〜!楽しいね、カイトくん!』
「……いいのか?店開けちゃって」
『いいの、いいの!こんな時間から人なんて滅多に来ないんだから!』
「そんな事自信満々に言われてもなあ。……まあ助かるよ。俺なんかの為に買い物に付き合ってくれるなんて」
『折角ウチに来てくれたバイトくんをみすみす手放すつもりはないからね〜。それに男の子とデートなんて、ボク初めてだからすっごく楽しいのさ!……あ!あのウエストポーチなんかいいんじゃないかな!』
理由はカイトが、まともに準備もせずにダンジョンに入ろうと考えていたからだ。ユリアからカイトについてある程度の事情を聞いていたテレサはそれを引き止め、冒険に必要なものを揃えるために街を案内していたのだ。
露天商との取引はギルドの指定する推奨金額よりも安価での取引が出来るらしい。その分、不良品や偽物をつかまされることも多いのだが、そこはボクに任せてくれとのテレサの言葉があったためにカイトは任せたのだ。
上々の気分で並べられている品物を見て回るテレサとは裏腹に、カイトの気持ちは何処か上の空だった。街行く人が奇異なものを見る目でテレサを見て、そして避けるように道を歩いていたからだ。
僅かな間だけど、共に過ごした友達のようなものだ。基本的に気さくでいい奴なのに、見た目だけでこんな対応をされるのは何だかなあ、とそんな事を考えていたのだ。
(初対面で腰抜かした俺が言ってもなあって感じなんだけどね。……ってかデートってテレサ、まさか女の子なの?性別とかあったんだ……)
『おーい!カイトくん!早く〜!!』
「……今行くよ!」
道の真ん中で立ち止まっていたカイトにテレサが触手を振って呼びかける。
カイトは新たに浮上した疑惑もついでとばかりに打ち消して、テレサの元へと向かった。
『さて!とりあえずこんなものかな。他に何か欲しいものはあるかい?』
「んーと……後は投擲用のナイフか短剣とかが数本欲しいかな。これだけじゃ頼りないし」
露天商から、様々な道具やダンジョンで手に入れたアイテムを持ち歩きながら身軽に動くためのバックパックと、飲むと小さな傷が治る低級ポーションを2つ買ったカイトはテレサに尋ねられ、ダンジョンで手に入れた短剣を手で弄びつつ答えた。
「短剣かー……どうせ防具もちょっとは買わないといけないし、それだけなら後回しにしてもいいかい?」
「まだ行きたい所でもあるの?」
「うん!本屋さんに行かなくちゃ!」
「ほ、本屋さん?」
とてもじゃないが、冒険に本が必要とは思えない。一瞬、聞き間違えたかと自分の耳を疑ったカイトだったが、テレサの勢いに負け、その本屋に向かうことになった。
「……なるほどね。本は本でも、って感じだなあ。本屋とはよく言ったもんだ」
連れられてきた建物の中で、カイトは並べられている本の1つを手に取り、そう呟いた。薄いビニールのようなもので梱包されているそれはつい最近、初めて見たものだ。
並べられている本は全て、ダンジョンで手に入る魔法道具。
「速読に、腕立て伏せ。壁走りに、サイクリング。本当に色んな種類のスキルがあるんだな。……それにしても値段が高いなあ。ぼったくりじゃないの?」
その店には様々な技能書があった。だが、カイトは適当なものを手に取った後に、それに付けられた値を見てすぐに棚に戻した。
並べられているもので一番高いものでレベル4の『剣術』のスキルだったのだが、なんと白金貨1000枚。およそ金貨100万枚もの価値だ。
店にあるもので一番安いレベル1の何の役に立つんだと思うようなゴミスキルでも金貨1枚の価値があった。
カイトはこちらの物価がよく分からないが、とにかく目の前の代物がべらぼうに高い事だけはわかる。
一般に流通している通貨で、銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚、金貨1000枚で白金貨1枚の価値があると聞いていたカイトだったのだが、今背負っているバックパックが銀貨25枚で買えたことを考えると技能書は相当な値段なのだろうと考える。
(……ってか、サイクリングって、こっちの世界にも自転車があるのか?でもそれにしては、こっちの文明ってあんまり進んでいないような。う〜ん、相変わらずよく分からない世界だなあ)
「あれ、そういえばテレサは……?」
とりとめも無い事を適当に考えながら金貨10枚の値段がついている『壁走り I』のスキルを買うかどうかで悩んでいたカイトだったが、ここに来るまで隣にいたはずのテレサがいない事に気づいて辺りをキョロキョロと見回す。
この本屋は中々の広さで、まるで図書館か何かと見間違うほどの大きさだ。人がまったくいないわけでもないので、はぐれてしまった仲間を探すのは大変だろうとカイトは推測した。
無闇に動き回るのも、大声をあげる事も躊躇われたので出口でテレサが出てくるのを待とうと考えたカイトだったのだが……
「ひゃああっ!??」
甲高い、つん裂くような悲鳴を聞いて、ああ、テレサを見て俺みたいに驚いたんだろうなとカイトは思い、すぐさまそちらへ向かう。
「おい!テレサ……ってヤタちゃん?」
「ふえぇ、カイトさん……?」
曲がり角を抜けた先にあったのは、オロオロとしているテレサと。ダンジョンで出会った少女の内の1人、床にペタリとへたり込んでいるヤタの姿だった。
◇
「すいませんでした、急に大きな声出しちゃって……」
『むしろ謝るのはこっちの方さ。驚かせちゃったみたいでゴメンねえ』
店内を騒がせてしまったカイトたちは一旦、外に出ることにした。店外に出たところでヤタは申し訳なさそうに頭を下げる。テレサはヒラヒラと触手を振って気にしてない事を告げた。
『ボクの名前はテレサ。一応、カイトくんの雇い主さ。君はカイトくんの友達かい?』
「あぅ、友達と言うほどでは……カイトさんにはダンジョンで危ないところを助けてもらったんです」
『おお!カイトくん君も中々、隅に置けないねえ。うりうり』
「からかうのはやめろっての……」
触手でグイグイと背中を押されながらそうからかうように言われてカイトは少しだけ鬱陶しそうな顔をした。とはいえ本気で嫌がっている訳ではないのだが。
コホン、と1つ咳払いをしてカイトは笑みを作り、ヤタに話しかける。
「やあ、ヤタちゃん。元気そうでなによりだ。レラちゃんは目が覚めたかい?」
「は、はい!昨日の夜に。レラちゃんも今度お礼がしたいって言ってました」
「そっか、無事に目が覚めたんだ。良かったあ……」
カイトはヤタの言葉を聞いて安心し、ホッとした顔になる。
ヤタは思い出したかのようにカバンの中に入れていた小さな布袋を取り出す。
「カイトさん。昨日は本当にありがとうございました。これ、少ないですけどゴブリンの魔石の代金です」
「ん?ああ。そういや、そんなものもあったねえ。それはヤタちゃん達が貰っちゃていいよ」
「いえ、でもこれは……」
「いいから、いいから。昨日、君たちの先生に報酬は一杯もらったからね。これ以上の報酬を受け取る訳にはいかないよ」
「あぅ、そうですかぁ……」
カイトは苦笑しながら、ヤタの申し出をやんわりと断った。
しょんぼりと肩を落とすヤタに向けてカイトは笑みを浮かべてこう言った。
「俺としては、どんなものよりもヤタちゃん達が今もこうして楽しく笑っていられるのが一番の報酬だよ」
「ふえっ!?」
『うっわー!カイトくん素面でそんなこと言っちゃうのかよー!……まぁ、ボクは悪くないと思うぜっ!』
「……うん、スマン。ちょっと言い過ぎだったわ。とりあえず、俺はもう色々貰ってるからさ。これ以上受け取るのはフェアじゃない。それはヤタちゃん達のお小遣いにでもすればいいよ」
「はうう……わかりましたぁ」
カイトは隣にいるテレサがいい顔をして(顔はないけどあったなら多分そんな顔をしているだろう)、グッと親指を立てるように触手を立てたのを見て、自分が相当恥ずかしいことを言ったのだろうと感じて、仄かに赤くなる顔を隠すように手を当て、すぐさま撤回した。
まあ、カイトの本心は言った通りに他の報酬はオマケみたいなものだと考えているのだが。
いたたまれないような空気を何とかするために、カイトは話題を変える。
「あー……そういえば、ヤタちゃんも何かスキルを買いに来たのかい?」
「はい!昨日のことから探索系のスキルをそろそろ手に入れようかと。……まあお金も足りないし、今日は下見だけですけどねぇ」
「アハハ……お金のことは俺もとやかく言えないからなあ。せめてゴブリンの魔石が技能書代の足しになる事を願うよ」
「正直、助かります。私達、貧乏学生ですからぁ……」
お金の話となると2人とも苦笑する他ない。片やこちらの世界に来て間もない異世界人、片やクエストの報酬を学費に当てるような貧乏学生だ。
『……ふむ、ならボクにいい考えがあるんだけど聞いてみないかい?』
「テレサ……?」
『ふふん。そんな心配そうな顔をしなくてもいいよ、カイトくん。これはボクからのプレゼントだ』
「?……これって!?」
テレサは何処からか取り出したものをカイトに手渡した。
それはちょうどヤタと話していた探索に役立つスキル。『感知 I』の技能書だった。
『冒険者、それもダンジョン探索を主にするならこういうスキルを持っていないと大変だからねえ』
「で、でも。これってすっごく高いんじゃ……」
店内に置いてあったほとんど使い道のないようなレベル1のゴミスキルでも金貨1枚の値段なのだ。ダンジョン攻略に必須と言われる探索系のスキルは例えレベル1だろうとそこそこの値はするのだろう。
その事を察したカイトは恐る恐るといった様子でテレサに尋ねる。
『なーに、ボクのご主人様にとってはそのくらいのお金なんかはした金さ。どうしても受け取るのに抵抗があるんだったら、ボクと約束をしてよ!』
「約束?」
『うん。ダンジョンに行っても無茶はしないで、ちゃーんとボクのところに帰って来ること!分かったかい、カイトくん』
「……ああ、善処する。その為にもありがたくこの技能書を使わせてもらうよ」
カイトは苦笑しながらも差し出された技能書を受け取った。
(……まったく、こっちに来てからこんなのばっかりだな。人の親切を断りきれない)
カイトは心の中でそう嘆息する。
無理もない、彼は元の世界ではごく一部の人間を除いてコミュニケーションを絶った生活を送っていたのだから。人の善意に触れる事をどうしても躊躇ってしまうのだ。
異世界に来て、突発的な出会いから色んな人との交流が出来てしまっている。自分の事を親身になって考えてくれる人達に囲まれている。
ここから1人の生活に戻るのは、ほぼ不可能だろう。いや、出来なくもないが確実に誰かの心を傷つける。それでは不本意な結果になってしまう。……ああ、やっぱりままならない。
今の約束だっていつまで守り続けられるか。だって、俺の目的は……
『うん。大事に使ってくれよ。……で、ヤタちゃん。君はパーティを組んでるのかい?』
「はい。3人パーティです。……まぁ冒険者学校所属の駆け出しのペーペーなんですけどね」
「ならちょうどいい!うちのカイトくんと一緒にダンジョンに潜らないかい?」
「……はいっ!?」
テレサの言葉でカイトは現実に引き戻される。
今、この不思議生物はいったい何とおっしゃいやがりましたか……?
「いやいや!何言ってんのさ、テレサ!?」
『うん?そんなにおかしい事かな?ヤタちゃん達は探索系のスキル持ちの助っ人がパーティに加わって、カイトくんだって仲間がいれば戦闘の負担が減る。ボクもカイトくんの心配をする事ないしで万々歳じゃないか』
「でもっ!……そ、そうだ!ヤタちゃんはやっぱりイヤだよね!女の子ばっかりの所に男が1人入っちゃうと微妙な雰囲気に……」
「その話、詳しく聞かせてもらっても良いですかっ!!」
「なんでっ!?」
テレサから帰ってきたのはぐうの根も出ないほどの正論だった。
反論の余地がないと見たカイトは説得する対象をテレサの提案を聞いて、ぼーっと何処か上の空なヤタに変更する。
が、想定していた反応とは違い、何故か食いつきのいい返事を聞いて、疑問の声を上げた。
『……やー、良かったよー!正直、カイトくんに仲間を付けるのは厳しいかなって思ってたんだよね。その分、学生さんならレベルもちょうどいいだろうから助かったよー。ヤタちゃん、都合のいいときでいいからカイトくんをよろしく頼むよ!』
「はい!こちらこそ、迷惑をかけるとは思いますがよろしくお願いします!……あ、でもみんなにもちゃんと相談しないとですね」
『それだったらちゃんとパーティ内で相談してから、今日の夜にでもボクの店まで来てくれ。多分その時間にはカイトくんもいると思うからさ。『クォーツの魔法石屋』っていうメインストリートの路地裏の店だよ』
「分かりました!それじゃあカイトさん。また夜に会いましょう!」
「ああ、うん……それじゃあね」
自分の話だというのに全く発言権を与えられないまま、会話が進んでいく。
呆然と立ち尽くしていたカイトは大方、話が纏まった所でヤタが手を振り去っていくのを、手を力なく振り返して見送るだけだった。
『ふふっ。女の子に囲まれての冒険者活動とはカイトくんも幸せ者だねえ』
「……はあ」
そんな風にからかわれるカイトだったが、テレサが自分のためを思ってやっている事だと分かっている為にカイトは強く言う事も出来ない。
どうしようもないモヤモヤを吐き出すように、カイトはただ大きなため息を吐いた。
速水カイト 17歳 男
◆レベル◆ 12
◆スキル◆
『投擲 I』…《シングルシュート》、《リフレクトショット》
『スライディング II』…《スパークル・ハイ》
『糸魔法 I』…《マギ・ストリングス》
『感知 I』
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