第3話 世界の本質
1
私達は作戦決行前にして潜入に必要な人選、ルート確認などを行った。
「内部への潜入は私、ユアン、カイル、そしてカノンを含め残り三人を連れて行く。後の皆は陽動作戦よ」
ハイネの言葉に一斉に返事をする団員。ユアン教官やカイルも私と同じように仮死装置を使うことで、MOGは既に消えている。
入念な計画を立てた私達に残されたのは、それを実行することだけだった。
作戦の決行まで、暇な私は本部を歩き回る。
成功しても失敗しても、この本部を歩けるのは最後だろうから。
技術開発室でカイルの姿を見つけた。
「何をしているの?」
声をかけてこちらを向いた彼の側に例の物とは別の爆弾らしき物が置かれているのに気付いた。
「団長に言われた時限爆弾を作っているんです。メインPCの破壊以外にも使えるかもしれないので」
彼はまた作業に戻る。私は側にある木箱に座り、訊いてみた。
「ねえ、カイル。あなたはなぜこの組織に入ったの?」
彼を手を休めずに答えた。
「僕の両親はMOGの開発と運用に携わっていました。僕が小学生の時からですかね。二人とも家に全然帰ってこなくて、生活に必要なお金は置いてくれてましたけど、僕は毎日システムが出してくれる料理のメニューや家事をすることに飽きていました」
そこで彼は休憩のためか、手を止めて、私の方を向いた。
「そんな僕が中学生になった時です。公園のベンチに座っていると隣に誰かが座ってきました。それが、団長との初めての出会いでした」
ハイネと出会った公園。もしかすると、私の時と同じ場所なのだろうか。
「彼女は僕の隣で本を読み始めました。ただ、その時はそれが本と呼ばれる名前のものだと知らなかったので、思いきって訊いてみたんです。彼女は優しく僕に説明してくれました」
彼女らしい、そう思った。
「それから、しばらく彼女と会っている内に僕が何気なく世界に飽きていると言ったんです。冗談まじりでもあったのに彼女は何て言ったと思います?」
彼女が何と言ったのか、続きを促す。
「『この世界はいずれ変わる。でも、人間はまた同じことを繰り返すの。退屈しない世界を創ろうとしてどんどんと退屈な世界にしていくの』って」
そんな思想を随分と前から持っていた彼女。私にはそんな考え思いつきもしなかっただろう。
「その言葉に僕は感銘を受けました。たとえ、退屈する世界になるのだとしても、世界が変わる瞬間を見てみたい。彼女について行けばそれが見れるとね」
彼は嬉しそうに語った。彼女の言葉には人を引きつける魅力が存分に備わっているのだろう。彼女自身にその気がなくても。
「なら、もうすぐ世界の変わる瞬間が見られるのかもね」
私はその場を後にした。
再度、本部内を歩き回る。
すると、トレーニングルームの中央で正座をしているユアン教官がいた。
「志弦か。どうした?」
「暇なもので、少し歩き回ってまして」
教官は私に横に座るよう言った。彼女に色々と教わったこの部屋とも別れが近い。
「志弦、お前はなんで亡白団長について行こう思った?」
ユアン教官は鋭い目を閉じて話し始めた。
「私は元軍にいた人間でな。実際戦場に出ることはなかった。というより、私の産まれる少し前からMOGは稼働していた。だから、世界ではもう紛争の起こった後だった」
軍というのは言わば、警察組織で対応できない犯罪が起きた際に出動する。
しかし、MOGのあるこの世界では犯罪が起きることなどほとんどなく、大体が警察だけで充分の対処ができるものだった。
「私は何のために軍に入ったのか。この訓練は何の意味があるのか。もちろん、私達の出番がないということは平和の証拠だ。本来なら喜ぶべきはずなのだが、そんなことを考えている日々だった。そんな時、あのメッセージが送られてきた」
それは恐らく私と同じものだろう。
「最初は信じなかった。でも、しばらくしてもう一度そのメッセージを読んだ。何かが変わる。もしそうならという思いで彼女に出会った」
教官はしばらくすると、昔話にふけってしまったなと笑い、計画に備え休息を取ると言った。
二人も私と同じだ。この世界に対する退屈だ、飽きたといった思いを持ち、亡白ハイネという先導者に出会った。彼女の言葉、行動、そしてカリスマ性がこの世界にいる彼女と同じ思いを持つ人間を引き寄せたのだ。
私は自分の家に戻り、最後の計画に備えて休息を取ることにした。
2
三日後、私達はアタッシュケースを持ち、順に地上に出る。
「まずはカノンから。次にカイル、ユアン、他の皆が行った最後に私で行くわ」
ハイネに言われた私は、MOG本部に着くと、正面ではなく、周囲の外壁にワイヤーを突き刺して上った。
壁を超え、地面に着地する。すぐ側にあった監視カメラをサイレンサー付きの拳銃で撃つ。
無事を確認できると、合図を送り、仲間を呼ぶ。
次に近くの窓をピッキングで解錠し、音を立てず、中に侵入する。
「そろそろ始めていいわよ」
ハイネが陽動作戦担当のチームに無線で指示を出す。
早速遠くから爆発音が聞こえてきた。
陽動作戦のチームは敵戦力を分散させるために三つに別れて暴動を起こす。
窓から入ると、そこは廊下だった。館内の3Dマップを表示し、私達は最上階を目指す。
警備員も陽動のための爆発音に気付いていたようで、早速警戒態勢の強化を言い渡されたのか、忙しなく動いている。
ユアン教官が二人組の警備員の背後から忍び寄り、首をナイフで裂き、黙らせる。
途中、電力供給のためのPCなどが置かれている部屋を見つけた私達はユアン教官と残り三人に爆弾の設置を命じて、引き続き上を目指す。
しかし、上の警備は強固だった。カイルとハイネが応戦する。
「カノン、あなたは上に行くのよ」
「そんな、私だけで……」
「あなたなら大丈夫よ。行きなさい!」
「カノンさん、お願いします!」
私はハイネ達を残してメインPCのある部屋を目指す。
そして、メインPC前の警備員達に手榴弾を投げ込み、一掃した後、扉の電子ロックを破壊し、扉を開ける。
この世界の本質と相見えるために。
3
彼女と話してからの数日間。私はいつも通りの仕事の日々に戻った。
「じゃあ、結局彼女は親友じゃなかったの?」
「そう思いたいわね。これ以上追っても辛いだけだし、彼女にも迷惑だし」
もっとも、彼女が普段からどこにいるのかも分からない。
仮にあの路地に行けば会えるとしても、毎度あんな危険な目に遭うのはごめんだ。
クロエと休憩所でコーヒーを飲みながら、設置されているテレビに目をやる。
いつも同じ時間に放送しているニュースが映し出されている。
「私達って、毎年行われるテロ行為のために結成された組織の割に手がかり掴めないわよね」
クロエが頬杖をつき、テレビを眺める。
「予告もないテロというのは、対処できない。私達にできるのは、起こってしまってからの対処だけなのよ。だから、決して意味がない訳じゃない」
私のいつになく真面目な言葉にクロエは笑っていたが、確かにと納得していた。
「私達にもいる意味はあるってことね」
「そうよ。だから、職務を怠るわけ――」
私が言い終わる前に、速報を知らせる音が鳴り、さっきまでの映像が切り替わる。
ニュースキャスターが緊張した声で速報を読み上げ始めた。
「緊急速報です。たった今、都内の三カ所で同時爆発が起きました! 現場には黒の服に身を包んだ集団がいる模様、テロ行為の可能性が極めて高いとのことです!」
彼がそのニュースを繰り返すと同時に
私とクロエに緊急招集の通信が入る。
三分後、私達は団長により、講堂に集められた。
「諸君、もう分かっているだろうが、例のテロ行為が今年も行われてしまった。 だが、今回はいつもと手口が違う。相手姿を見せてきたのは初めてだ。このテロ行為は奴らにとって、最後の祭という合図かもしれない。つまり、泥沼の殺し合いが始まる。命を捨てたくないものは逃げろ! 自分の家族、友人を守りたいものだけは戦え!」
泣いている隊員や、不安な表情の者も多数いる。
だが、誰一人として団長の言葉に逃げ出すものは誰もいなかった。皆命を捨てる覚悟ということなのだろう。
講堂から解散した私達は、各担当の準備室に行き、装備を整える。
「本当に死ぬかもしれないんだよね」
クロエが特注の防弾性ブーツの紐を結びながら、銃の弾倉をベストの中に詰めている私に問うてきた。
「あなたの背中は守る。だから、あなたは私の背中を守ってよね」
私の言葉に彼女は隣に立ち、拳を突き出してきた。
私はその拳に自分の拳を当てる。
「頼りにしてるわよ、相棒」
「こっちもね」
装備を整えた私達は、爆発の起こった三カ所にそれぞれ出動することになった。
それぞれ、A、B、Cと割り振られ、私達はBの敵の鎮圧担当となった。
道中の車内で私は考えていた。
今まで直接の姿を見せることのなかった相手がなぜ急に大規模な爆破テロなど行うのか。
普通なら、その場に仕掛けて逃げるはずである。
しかし、彼らは私達が来ているというのにその素振りすらない。
まるで、私達が来るのを待っているかのようだ。
何かが違うのだ。今回のテロ行為は。
現場に着いた私達は周囲の逃げ遅れた市民を捜索しながら、敵との撃ち合いを始める。
バリケードにしている車越しに見える相手の頭に一発ずつ当てていく。
私一人でもう五人は殺しただろうか。実のところ、私は任務で銃を撃つのは初めてだった。それは、他の隊員も同じこと。
今まで行われたテロ行為で相手がいることはなかったからだ。
しかし、普段からトレーニングをしているので、人相手は初めてにしても上出来ではないだろうか。
人を殺しているというのに吐き気はおろか、罪悪感など微塵も感じない。
新しいマガジンを装填している間にクロエが応戦する。
「まったく、二時間も経たない内に殺し合いが始まるなんて! ここは本当に日本なのかしら!」
クロエが怒気混じりの声で叫びながらマシンガンを撃つ。
そんなクロエを見る私の視界の端に、少女の姿が映った。
私達と敵のいるバリケードから真ん中。斜めにある車の側で泣いている少女がいたのだ。
「クロエ、援護して」
私は、彼女の服を引っぱり、事情を話す。
分かった、と力強く頷いた彼女がカウントを始める。
五、四、三と数字が少なくなるに連れ、私はバリケードから飛び出せる姿勢に入っていく。
零、とクロエが叫んだ瞬間、私は少女がいる斜め前にある車に向かって。
クロエは前方の敵に向かって発砲を行う。
クロエが走っている最中の私を狙う敵を抑えるべくフルオートで発砲する。
その間に私は、少女のいる場所へと距離を縮めていく。
ようやく着いた所で、少女を抱え込む。車のドアを開いて、バリケード代わりにする。
「大丈夫」
少女の間近で私は叫ぶ。銃弾が飛び交う騒動の中では、普段話すときのような声量では聞こえないだろう。
少女は涙を流しながら頷く。
彼女を抱えながら元の場所まで戻るのにマシンガンは向いていない。
私はマシンガンを背中に回し、太腿のホルスターから拳銃を抜く。
彼女に弾が当たらないように片手で抱え込み、もう片方の手で敵に発砲する。
元の場所までそれほどの距離は開いていないはずだというのに長く感じる。
二人とも無傷で戻ってきた頃には、敵の数も減少していた。
最後の一人が諦めずに撃ってきたが、こちらのスナイパーの一発で銃声が止んだ。
「こちら清江、Bの鎮圧作戦を完了した」
私は本部への連絡に続けて、少女を一人保護したことを伝える。
『了解、A・Cも鎮圧が近い。引き続き周囲を警戒せよ』
私達の班には特定のリーダーなるものがいない。連絡できるものがそれを行えと、それでいいのかと疑問を持つこともあるが。
通信を切った私にクロエが歩み寄る。
「ひとまずは落ち着いたわね」
「助かったわ、ありがとう」
「いいのよ、私じゃ助けようなんてすぐに思えなかった」
クロエは、銃の整備を行いながら、少女の乗せられた救急車を眺める。
「今回のテロで出た被害者はいつもよりも少なかった。奇襲を受けたにしてはいつもより充分な成果よ」
「違うのよ」
思い悩んだような彼女を励まそうと声をかけたのだが、彼女はそれを否定した。
「あんな小さな子も巻き込んだ奴らは、人の心を持ち合わせているのかしら」
それに関しては、私からは何も言えない。
「あまり、考え込むのはよくないわ」
それぐらいの助言しかできなかった。
彼女はそうね、と少し俯いて答える。それにしても、と今度は私が疑問を話し始める。
「何故、いきなり敵は姿を見せてきたのかしら。今までと同じだとすれば、おかしいわね」
私が車内にいた時からずっと考えていた疑問にクロエが言った。
「敵はもうテロ行為を終わらせようと、大規模な奇襲をしかけたんじゃないかしら」
彼女の言葉に引っかかる。
終わり、最後。敵にとっての今までのテロ行為は何のために行われたのか。
そして、その終わりとは何を目的としていたのか。
今までの事件を思い出し、私は考えた。そして、一つの答えが私の頭に浮かび上がる。
「これは、陽動の可能性がある」
私の言葉に彼女が問う。
「陽動って、一体どういうこと」
「私達、『神守』の目を引くため。つまり、ある場所から目を逸らすための偽装されたテロ行為だとしたら」
そこでクロエも何かに気付いたようだ。
「なら、敵は別の場所にまだいるということ」
その言葉に頷いた私は、恐らくと続けて言う。
「MOGシステム管理局本部」
私はすぐに車内の通信機から団長に繋ぐ。
推測だが、敵の狙いはMOGであるのかもしれないことを伝えると、本部への移動許可が出た。
私とクロエ、他の処理を任されている団員以外はMOGシステム管理局本部に向かうことになった。
もしそこに敵がいるのなら、私達にとっても最後の戦いになるのだろう。
世界の本質、MOGシステム。この世界を管理しているそのシステムの前に私は立つ。
暗く巨大な空間の奥に青白く光る大きな球体の装置が見えた。
それこそが、MOGシステムのメインPCの役割を果たしているのだろう。
ゆっくりと歩み寄る。今、私はこの世界を変える。人間をあるべき姿に戻す。そんな英雄にでもなったかのような勝手な思いを胸に。
だが、私の足は装置の手前で止まった。メインPCというからには機械だと思うのは当然のことであった。
しかし、私の目に飛び込んできたのは球体の中の青白い液体。そして、その中に体を丸めて入っている人の姿だった。
そして、そこから見える顔に私は驚いた。それは私のよく知る人物。
「……ハイネ」
メインPCと思われるそれの中に入っていたのは、私達の長、亡白ハイネの姿だった。
「ようやく、来たかね。待ちくたびれたよ」
背後からの声に振り向くと、そこには黒いスーツを着た、細身の中年の男性が立っていた。
「あなたは」
私は銃口を向け、彼に問う。
「私は神楽坂ユーリ。君達の対抗組織『神守』の団長。そして」
私の奥の球体を指差して言った。
「この世界の本質、MOGシステムの産みの親だよ」
4
私は教室というこの小さな世界の隅でいつも見ていた。教師が黒板に書く文字を規則正しいリズムで写す生徒達。
その旋律は私にとって耳障りなものでしかなかった。いつも同じようにみんな一緒のリズムでペンを動かす。
なんてつまらない。退屈な世界なのだ。私はその旋律を奏でるセッションに参加しなかった。
いつも授業中にノートを広げるだけ、後は教室の人間を見るだけ。見てもおもしろいものは何もない。
ただ、そんな時、一人だけ私の目を引く人物がいた。
教室の真ん中にいる彼女。志弦カノン。私と同じようにノートは広げているが、ペンを動かさない彼女。
私は少し心が高揚した。きっと、彼女も退屈しているのだ。私と同じように。そんな人間が私のすぐ身近にいたのだ。
その日の放課後、教室に残っていた私は忘れ物を取りに来た彼女に会う。
これは偶然かと思った私は、彼女に声をかける。
「ねえ、志弦カノンさん」
私の呼びかけに彼女の体が少し動く。
「何ですか」
普段話したこともない、いつも教室に一人でいる私に突然声をかけられては、無理もないだろう。
「落ち着いて」
両手を前に出し、彼女の警戒を解こうとした。
「少し、訊きたいことがあるのだけど、いいかしら」
彼女は変わらず、私を疑問の眼差しで見つめるが、話を聞いてくれた。
「あなた、この世界のことをどう思う?」
彼女がこのシステムに動かされている世界にどのような不満、嫌悪感を持っているのか聞きたかった。
きっといい答えが聞ける。私は満面の笑みで彼女の答えを待つ。
だが、楽しみにしていた私の期待は見事に外れてしまった。
「いい世界だと思いますけど。システムに管理されて保たれた秩序を私は否定しません」
呆気にとられた私は、そう、とだけ呟き、去っていく彼女の背中を見つめた。この世界がいいと思うのならなぜ彼女はノートを取らなかったのだ。なぜ、周りの人間と同じ旋律を奏でなかったのか。
やはり、この世界で私だけなのだろうかそんなことを考えるのは。
私はそんな思いを胸に残りの高校生活も過ごしていくことになった。
そして、三年になった私にある男が訪ねてきた。
「初めまして、亡白ハイネさん。私は神楽坂ユーリと申します」
名乗る彼は私をある場所に連れて行きたい、そう言って車に私を乗せて走らせた。
その車が着いたその場所は、MOG本部。正しくはMOGシステム管理局本部。
その最上階にあると彼は私を連れて中に入る。こんな重要人物しか入ることのできないような場所に制服姿の私は当然不自然である。周りからの視線の中、神楽坂の後ろについて歩く。
彼がエレベーターに入り、最上階に行くためのボタンを押す。
エレベーターから下りると、目の前には大きな扉があった。
神楽坂はそれをいとも感嘆に両手で開ける。見た目の割には軽いようだ。
私を先に招き入れ、扉を閉めた。
中は暗かったが、奥から差してくる青い光で広い空間ということは何となく分かる。
彼が歩いていくのに再度ついていく。段々とその青い光の正体が見えてくる。
「これは?」
私は質問する。
「あなたが嫌うMOGシステムです」
彼は冷静にそう答えた。
私は驚いた。これが、MOGシステム。中に誰か入っているのが見える。
その人物には見覚えがあった。
「数年前まで名を馳せていた、芸術家だ」
「なぜ、彼がこのシステムの中に」
「MOGシステムというものの仕組みを説明するところから始めましょう」
人を幸福にしてくれる世界、それをつくる管理システム。
「幸福とは何か。そのための管理とは何か。それを実現するために必要なもの」
神楽坂博士はMOGシステムを見上げながら、言った。
「幸福を知らない者が作り出す世界こそが理想の幸福を実現出来る」
つまり、彼は幸福を知らない脳を持つ人間だったためにこの球体に収まっているのだろうか。
そして、私は幸福を知らないということだろうか。
「あなたはこの世界を幸せだと思っていない。ならば、自分で創ってみてはいかがですか。自らが望む、幸せで退屈のない世界を」
なぜ、私がそんなシステムの中枢となる権利をもらえたのか。
「MOGシステムとしての活動には限界がある。およそ十年で一度交代を行う。彼が全国民、そのデータを見てあなたを指名した。あなたはこの世界に不満をとても抱いているからでしょう」
「だから、私に世界を創れと」
「彼の意志でそうなったとしておいてください」
私はこの機会を与えられたことにとても嬉しかった。
自身の体をMOGシステムとすることに決めた。
私がこの世界を創ることができる。
だが、いざシステムとしてこの世界を管理して分かった。思うようにいかないことを。
私はなぜシステムになったの?
私はどうしてこの世界が憎いの?
私はこの世界をどう変えたいの?
これはおそらく後悔というものなのだろう。システムになってしまったことに対する。
そんな思いが私を満たした時、もう一人の私が産まれた。
悪の心で満たされた私が。
5
「ハイネは自らシステムなると?」
私は驚きながらも神楽坂博士の話を聞いた。この世界を憎み、新しく変革をなそうとした彼女。
「彼女は自らシステムとなることで世界の変革を計ったが、それは叶わなかった。何故だか分かるかね」
どういうこと、と訊くと博士がMOGシステムの深層を語り始めた。
「MOGシステムは幸福を知らないものの考えが世界を幸福にできると言った」
だが、と彼は続けてそれを否定した。
「あれは、建前だ。このシステムが何を管理しているのかを話そう。ところで、君は今の私の年齢が分かるかい」
何の脈絡もなくされた彼の質問に私は少し戸惑った。
落ち着きを取り戻し、彼の年齢は四〇代ぐらいだと、曖昧だが答えた。
「正解だよ。開発した時の年齢はね」
その言葉の意味を理解する前に博士が話し始める。
「MOGシステムとは全世界平等のためのもの。管理の神だ。では何を管理しているのか。全人類の命だと言われたらどう思う」
そこで、私はようやく理解が出来た。
「まさか、MOGは人の生死を決めている……」
「その通り。人の寿命。それは全てMOGの中に入った者が決めている。この世界をより良い方向に持っていくために毎日産まれる人間の寿命を決め、彼ら彼女らの人生をも決める。その莫大な管理がどれほど負担のかかることか私達には想像もできないだろう、私だけは自らもMOGにより長い寿命に設定している」
恐ろしい話だ。今の世界の人間は産まれた瞬間から死までの具体的な時間が決められているのだ。それを知らずに決められた選択をして生涯を過ごしていた。そんなことが世間に知れ渡ればただ事ではない。
「だが、彼女は変えたよ。この世界を」
博士は付け足すように言う。
「彼女がMOGになってからだよ。こんなにもシステムが脅威にさらされ、何人もの人間が犠牲になり、今も外では殺し合いがなされている。前までの人物ならこうはいかなかった。自分が変えてやる。世界の中心だと言う割には何も変わらなかった」
確かに彼女が高校三年になった時からシステムの中枢になったとすれば、約十年でシステムが脅かされる事態になった。
「彼女の悪の部分がシステムのない世界を望み、そのための協力者達を集めた。こんなことをしたのは彼女が初めてだ」
博士が嬉しそうに両手を広げた瞬間、その背後でカチリと撃鉄が落ちる音がした。
「お久しぶりね、博士。まだ本体の方の私は、あなたを殺さなかったのね」
ハイネだ。悪の方のハイネ。
「君こそ。ただ自分に会いに来たというわけではなさそうだね」
博士は笑顔のまま振り返る。ハイネも同じように笑いながら銃を構えている。
「私の任期も終わりかと思ってね」
「まだ、次を見つけてはいないさ」
「いるじゃない最適な人物が」
「それは実に興味深いよ。だが、私は見れないのだろう」
「よくお分かりで」
ハイネはそう言うと引き金引いた。
博士の頭から綺麗な鮮血が床に飛び散り、ゆっくりと体が床に倒れた。
何が起こったのかも分からないまま、彼女を見つめる。
「ハイネ……あなたは」
「ごめんなさいね、カノン。あなたにはいずれ話そうと思っていたのよ」
歩み寄ってくるハイネに私は銃を向けた。
「それ以上近寄らないで」
「私はあなたを殺さないわ。もちろん、あなたも私を殺せない」
ハイネは持っていた銃を投げ捨てると、話し始めた。
「私はこの空間からずっと世界を見ていた。行き交う人間を。そして、かつて私の期待していた人物がいた。あなたなのよ、カノン。私があなたに近づいたのはね――」
私は彼女の言葉一つ一つに震えが強くなる。
「あなたが次のMOGシステムにふさわしかったからよ」
6
MOGシステム本部に着いた私達は正門の警備員に事情を話し、ゲートを開けてもらった。
車を建物の入り口前に停め、再び装備を確認する。
「中には精密機器もあるから、EMPグレネードは使えない。銃の使用も極力なら抑えたい所ね」
クロエの言葉で、皆装備は最小限に抑えた。
元から一般公開された建物ではないのだが、外部からの関係者もくるであろうということで、受付などは用意されている。
しかし、エントランスには誰もいなかった。
急ごう、と私の言葉に全員エレベーターに向かう。
二手に別れるということで、私とクロエは名寺エレベーターに乗り込んだ。
「やっぱり、敵はここに来ているのかしら」
「断定は出来ないけど、可能性はかなり高い、慎重に行きましょう」
私がクロエの肩に手を置いたと同時にエレベーターが大きく揺れて急停止した。
非常ボタンを押しても何も起こらない。私は持ち上げてもらい、天井から出る。もうすぐ側の階に着く寸前の所で扉が爆破されていた。
「開けられないことはなさそうね、手伝って」
エレベーターの中から引き上げたクロエに右側の扉を開けるように頼み、私は左側の扉を開ける。
もう一人ついてきていた男性の団員が、開いた瞬間からの敵の襲撃に備えて銃を構える。
一、二、三と音頭を合わせて扉を開けた。
開かれた瞬間、頭を撃たれた男性団員が、その場に倒れた。
私とクロエは、途中まで開いたところで隠れる。倒れている男性の足を引っぱり、自分の元に寄せた私は、装備を取り外して、自分のものとする。
この際、仕方のないことだ、微かに痛む良心を胸に扉の隙間から少し顔を覗かせる。
だが、こちらが少し顔を見せただけで、敵は何発も撃ってきた。すぐに顔を引いた私はどうしたものかと考える。
向かい側にいるクロエを見ると、何かを持った手を見せてきた。
それはスモークグレネードだ。
彼女はそれを銃撃が止むと同時に扉の隙間から投げた。
煙幕が充満したのを見計らい、エレベーターから出た私とクロエは、MOGシステムの生体情報認知機能を使い、煙幕の中にいる人間が認知ができるようになった。
正確に頭に弾を撃ち込んでいく。
次々と生体反応が消えていく中、猛然とこちらに向かって走ってくる反応があった。
私とクロエが撃った弾をいとも簡単に避けてきた人物は長身の女性であった。私の目の前に出てきたその女性に反射的に拳を放つが、外れてしまったその腕を掴まれた私は床に叩き付けられた。
そのまま、頭を踏みつけてこようとした彼女にクロエがタックルを喰らわせる。
「セリア、早く行きなさい!」
痛みを堪えて起き上がった私に、女性を押さえ付けているクロエが叫んだ。
「ここは私が抑えるから! あなたは行くのよ!」
私は必ず敵の団長を捕まえ、戻ってくると約束し、彼女の横を抜けて奥の階段に走っていく。
クロエは女性の首を締め落とそうと試みるが、女性の腕力は相当なもので、ゆっくりと首を掴んでいた腕が引き剥がされる。
女性はクロエの手が首から少し離れたと同時に勢いよく手を振り放し、腹部に拳を一発叩き込む。
彼女は衝撃吸収性のベストを着ていたため、ダメージは軽減された。
しかし、少し動いた私を体の上から退けた女性は、倒れた状態から後転倒立、そして立ち上がった。
「その格好、貴様軍人か?」
攻撃を受けた部分を抑えてかがんでいる私を見下ろした彼女が問うてきた。
「ちょっと違うかな……」
苦しさの中ゆっくりと立ち上がり、腕を構える。
「なんだ、違うのか。そんなまがいものが本物であった私に勝てるわけがない」
「ああ、あなた軍人だったのね。どうりで、戦い慣れてる訳だ」
彼女が戦闘に慣れていることに関して分かったところで、私は考える。
訓練ではない、本物の戦場と化した場所での痛みというのがこんなにも激しいものとは。
「私の仲間を葬った貴様の名前は聞いておこう」
「MOGによって、私の情報は表示されているはずよ」
「生憎、私の体にはもうシステムがないんでな」
「どういうこと」
「そのままの意味だ。さあ、名を教えろ」
礼儀を重んじるタイプなのだろうかと思った私は、MOGシステムが入っていないという彼女の言葉は気にせず、名乗った。
納得したようにうなずいた彼女は、私に向かって名乗る。
「七瀬ユアンだ。死ぬ前に最後に聞くのが私の名前とはツイていないな」
「悪いけど、そう簡単に死ぬつもりはないの」
私は走った。エレベーターが使えないので、階段で上を目指すしかない。
次の階に上がっても階段、階段と続くのにうんざりしたのは、最上階に近くなった時だ。
そして、階段を上りきったところで気付いた。
警備員達の死体の向こうに誰かいる。咄嗟に壁に密着すると私に気付いたであろう誰かが、発砲してきた。壁が削れる。
敵の位置が分かったところで、私は壁から跳び出して走り出した。
ちょうど敵も姿を表した時だった。私の視界に映ったのは、まだ若い青年だった。
二人同時に引き金を引いたことで、私は腕に、敵は足に被弾した。
被弾したと同時に私は床に転がる。
敵が足を引きずって床を這うのを見た私は、痛みに耐えて彼を追う。
MOGからの警告表示を消去して、止血帯を取り出し、腕に巻く。
追いついた私は、足から血を流した青年の胸ぐらを掴んで顔を近づける。
「あなた達のボスは最上階にいるのか。早く答えなさい」
「僕達を止めるな。人間は戻るべきだ。元の自分たちで考えることの出来る姿に」
私は彼掴んでいた手を放し、床に頭を叩き付ける。青年は笑みを浮かべると同時に気を失った。
私は、最上階を目指して再び走り始めた。
7
いつから私はこの世界が嫌になったのだろうか。少なくとも高校時代まではこの世界はいいと思っていた。授業中に考え事をしてしまい、ちゃんと集中していない時はあったが、それでもこの世界が嫌だった訳ではない。
会社に入った瞬間からだったか。毎日着けば、決められた仕事内容が渡され、同じ電車に乗って通勤、帰宅を繰り返す。
同じことを繰り返させられるこの世界の仕組みに、大人になってから気付いたのだ。
「私がシステムの中枢に……」
目の前に立つ、現MOGシステムのメインPCこと亡白ハイネの言葉を私はすぐに受け入れられなかった。
「私の任期はそろそろ終わり。次をあなたに引き継いでもらえば、このまま世界を変えることは出来るかもしれない」
「そんな、私にそんなことが」
「出来るわ。あなたにはそれ以上の素質があるの」
私の体からMOGシステムが消えた日の話を始める。
「そもそも、MOGシステムを体内から消すことはできないの。私の体内にMOGがないのは、私が本体から分離したより実体に近い存在だから。仮死状態になれば、消えるなんてのは嘘。本体ほどの権限はないけど、ここに残されたメインPCから特定の人物のMOGの存在を隠して見つけることが出来ないようにすることが出来る」
つまり、私の体内にはまだMOGシステムは残されているのだ。
「あの仮死装置も偽物よ。ただ、睡眠ガスを噴射して眠らせただけ。その後は私の力でMOGシステムを隠しただけ」
「でも、なんでそれで私がMOGシステムのメインPCになる必要が?」
「MOGシステムになるために必要なのは、この世界に対する不満、変革を求める思考。あなたは私の次にそれが充実している」
私は自分でも知らずの内にハイネよりもこの世界を変えたいという思いが大きくなっていたというのか。それも自分ではなく私が嫌っている世界の本質に教えてもらうことになるとは。
「あなたは、次のMOG。そして、最後のメインPCの役割を担う者」
そのハイネの言葉に引っかかった。
最後? 私が?
「ハイネ、どういうこと?」
私が訊くと、彼女は一瞬笑みをうかべ、歩み寄って来た。
私の構えていた銃を彼女がゆっくりと手で下ろさせる。
メインPCである自分の本体が入っているその球体に触れた。
「ただいま、善の私。もう充分役目を果たしたでしょう。後は分かってるわね」
呟くように彼女がそう言うと、その体が光り出した。
「何!」
「カノン、私はもう行くわ。後はあなたに任せる」
「何を言っているの! 私がどうすれば!」
彼女のその姿が消えそうになる。その瞬間だった。
私と彼女の間に銃弾が線を描くようにとんできた。
「やっぱり、桐島ミラなんかじゃなかった……」
私の親友である清江セリアが銃口から煙の出ているマシンガンを構えて、この空間の入り口に立っている。
ハイネからはいつの間にか光が消えていた。彼女は笑みを浮かべているはずなのに、その目はちっとも笑ってはいない。
「セリア、あなた」
セリアがゆっくりと歩み寄ってくる最中、倒れている博士の死体に目をやる。
「だ、団長。なぜ、こんな……」
「あなた、もしかして『神守』に入っていたの」
セリアは私を睨んだ。
「カノン、あなたはやっぱり志弦カノンだった。私があなたをどれだけ探したと思う? 『神守』に入ればあなたを見つけられるかもしれないと思って入ったのよ。あなたが突然姿を消してどれだけ傷ついたか、あなたが偽名を使った時どれほど悲しかったか、助けてくれた時どれほど嬉しかったか」
私は胸を締め付けられている気がした。やはり、セリアは私が本物の志弦カノンということに気付いていた。
私の唯一の親友。いや、今はハイネも私の友人である。
「清江さん、お久しぶりね」
「亡白ハイネさん。あなたは死んだと思っていた」
「表向きはね。でも、今は世界の本質としてここにいるの」
セリアは彼女の言葉が理解できなかったようだが、背後に眠るもう一人のハイネを見て、どういうことかを問う。
「カノンはね、私が選んだ次のMOGのメインPCになる人物なの」
「なんですって?」
「あなたはこの場にお呼びじゃないの」
ハイネから表情が消える。これが彼女の怒っている状態なのだろうか。
「ハイネ、止めて」
私が彼女を制止するように手を前に出すと驚いた表情でカノンとだけ呟いた。
「セリア、あなたには謝っても許してもらえるとは思っていない。でも、謝らせてほしい。ごめんなさい」
「カノン、あなたを許すも許さないもないわ。だからこの状況を説明して」
私は言われた通り、全てを話した。この世界の本質であるMOGの秘密、その開発者があなたの上司だと、そしてハイネが現メインPCであると。
「そんなことを信じろと言うの……?」
「今更何を言っているの。あなた達が今まで頼っていたものの姿を知っただけではないかしら?」
セリアはハイネを鋭く睨む。
「セリア、私はMOGになることで、この世界を変えてみせる。だから、いくらあなたでもそれは邪魔させない」
「バカなことを言わないで! そんなことを信じているの。私は日本を守る一員として、親友としてもあなたのしようとしていることを止めなくてはならないのよ!」
セリアは銃を投げ捨てて駆け出した。
私も自然と体が動く。
「ハイネ! 早くメインPCの準備を」
私が言うと、再度彼女の体が光り出す。
『メインPC権限引き継ぎプログラム、再起動します。四〇%進行』
ハイネの口から電子音声が流れる。
私はセリアの突き出した右手の脇を抜け、彼女のみぞおちに一発おみまいする。
しかし、彼女の着ていた防弾ベストに衝撃を吸収され、期待していたダメージはなかったようだ。
セリアは私の頭を掴み、顔めがけて膝蹴りを繰り出す。体を回転させ、その手から逃れ、蹴りを避ける。
『プログラム進行六〇%』
「カノン、バカなことはやめて! あなたのことはもう怒ってない! この世界に不満があるのなら、私も一緒にいるから!」
「もう遅いのよ、セリア! この世界は変革を必要としている! それに外ではもう私達の仲間が騒動を起こしている! 取り返しはつかないのよ!」
私とセリアは互いにこの五年で鍛え上げたであろう体をぶつけ合いながら、叫び合う。本心からの叫びだ。
『プログラム進行九〇%』
私とセリアは相変わらず殴り合いを続けている。
そして、私は彼女の太ももから、彼女は私の胸の横についているホルスターから互いの拳銃を抜き、銃口を向ける。
「もう時間がないわね」
「そのようね」
息を切らしながら、お互いの頭にしっかりと銃口を向けている。
「あなたはこの五年で随分と変わったわね、カノン」
「あなたの方が変わったわ、セリア」
五年ぶりの再開。普通なら、何があったのかを話し合うのが親友なのだろうが、私とセリアのそれはまったく違い、命を奪う駆け引きだった。
「考え直す気はないの?」
「言ったでしょ、もう遅いのよ」
「まだ、間に合う。今からでもあなたはやり直せる」
「そうじゃないのよ。私じゃない、世界をやり直すの」
『プログラム進行九九%』
セリアは私に向けていた銃口の向きを素早く変え、ハイネに向けた。
そして、一発の銃声が響く。
目の前には銃を落とし、手を抑えて跪くセリアの姿があった。
私は自分でも分からぬ内に彼女の持っていた銃を撃っていた。
『プログラム進行一〇〇%。プロセスの終了。引き継ぎメディアを生成します』
ハイネの体から光が消える。
「ハイネ!」
私は彼女の元に走り寄り、倒れるその体を抱き寄せる。
「カノン、私の役目は終わり。次はあなたの番よ」
ハイネはそう呟くと、私の懐にある爆弾をつつく。
「分かったわ。あなたの意志は」
彼女は今までで一番嬉しそうな笑みでその姿を消した。
球体が開かれ、彼女の本体が培養液と共にゆっくりと出てくる。
私が彼女の本体を抱きかかえると、それはまた発光し、小さな少女へと姿を変えた。
「これは?」
私の誰に対してでもない問いに答える声があった。
『彼女はまた新たな人生を歩みます。亡白ハイネであったこともMOGであったことも完全に忘れて』
「あなたは?」
『私はメインPCの脳に繋がれることで世界を管理するプログラムです』
「じゃあ、次は私があなたとリンクすることになるのね」
『そういうことです。引き継ぎメディアの生成が完了しました』
プログラムがそう告げると、機械のアームが一錠のカプセルを渡してきた。
『今までの全データを凝縮したものです。それを飲んで頂ければ私とのリンクも可能になります』
「そう。悪いけど少し時間をもらえる?」
私の好きなタイミングでカプセルを飲むようにプログラムは言った。
「セリア」
私は彼女のもとに歩み寄り、『神殺』の黒いマントで体をくるませた、かつて亡白ハイネであった少女を手渡す。
「この子のことお願いしてもいい?」
「……この状況で、よくそんなことが言えるわね」
先程まで本気で自分を殺そうとしていた相手からの頼みなど、普通は聞こうなどと思わないだろう。
彼女は呆れた表情を作っていたが、溜め息をついて立ち上がる。
「でも、あなたが私に頼み事をするなんて珍しいわね」
私の手から、その少女を引き取った。
そして、これからどうするかを訊いてきた。
私はタバコを取り出して火を点け、一服する。
「それ、タバコ?」
「吸ってみる?」
彼女は一瞬躊躇ったが、一本だけ箱から取る。火を点けてくわえると、彼女は咳き込んだ。
「ははは、最初はやっぱりそうなるよね」
「よくこんなもの吸えるわね」
「大人の楽しみよ」
私は吸い終えたタバコを床に落とし、踏みつけた。
「この子は施設に預けようと思うわ」
「あなたに任せるわ」
「もう行くの?」
「ええ、私が創る。いえ、これからの人類が創る世界を楽しみにしているわ」
私はカプセルを飲む前に持っていた手帳にあることを書き残し、セリアに渡す。
「これは?」
「昔、死ぬ前の人間が死後のことを考えて書き残した手紙、遺書っていうものに近いかもしれないわね」
「私が読んでいいの?」
「ええ、あなただけじゃない。世界に公表して」
私がそう言うと、彼女は呆気に取られた表情を見せた後、いよいよ泣き出しそうになった。
「さっきまで命をかけて闘ったとは思えないわね」
「カノン、やっぱり、あなたには死んでほしくない」
私は少女ごとセリアを抱きしめ、ここから逃げるように言う。
「最後に喧嘩だけで別れることにならなくて良かった。あなたはこの世界を良い方へ持っていけるよう、頑張って」
私の言葉に涙を流しながら、彼女は頷く。
彼女が出て行って数分後、私はカプセルを飲み込み、あの球体の中に歩いていく。爆弾のスイッチをオンにして。
メインPCに繋ぐための電極が背中に刺さり、私の意識は遠退いていく。
また新たに注がれる培養液に満たされる前、最後に私は言った。
「ありがとう」
それは、今まで私に関わってきた全ての人物に向けてのものだった。
閃光とともに轟音が響く。
本部の上部が揺れ、下部にも音が響いた。
中にいた人間と、その周囲にいた人間が何事かと混乱する。
たった一人、清江セリアを除いて。
エピローグ
MOGシステムは崩壊した。あっけない程、簡単に。世界中から管理の神は消え、人々はシステムに頼れない世界に混乱して、あちこちで暴動が起きた。
しかし、以前までほとんど機能していなかった警察、軍組織が活躍をみせ、一時的に騒ぎは収まっている。
『神殺』に所属していたメンバーで生き残った者は皆、留置場行きとなり、裁判を行うことが決定している。
三ヶ月後。私は大きな建物の真ん中で、大勢の人間に囲まれ、全世界に中継されているカメラの前に立っていた。
親友である志弦カノンが残した遺書を持って。
「今から私の話す言葉は私自身のものではありません。今回のMOG崩壊テロ行為を行った集団『神殺』に所属していた一員のものです。そして、私の親友でもあった彼女が世界に残した遺書です」
私も開いたことのない彼女の遺書。
世界に何を残そうとしたのか。
世界に何を伝えようとしたのか。
その全てが恐らくこの中に詰まっているのだろうと思い、私は今、遺書を開いて読み上げる。
“世界のみなさん。私はMOGの脅威となる存在であった『神殺』の一員、志弦カノンという者です。あなた方に私の言葉が届く頃にはもう混乱も一旦収まった頃でしょう。そんな混乱をあなた達に招いた私からの言葉など聞く耳を持たないでしょうが、私は言いたいことがあります。まずはMOGシステムの秘密から――”
彼女は世界にMOGシステムの秘密を話すことにしたのだ。
たとえ、それが第二の混乱を招くとしても。
私は引き続いて彼女の言葉を代弁する。
“ですが、皆さん。落ち着いてください。もうMOGシステムはありません。あなた達は産まれた時から、
寿命が限られることもなく、
決められた行動をすることなく、
同じことを繰り返すことなく、
自分たちの考え、意志を持って生きることが出来るのです。私のしたことは決して許されることではないでしょう。多くの人が死に、悲しみに溢れる世界に戻ってしまうと思います。それでも、私はいいと思うのです。人間が人間らしく生きる。システムに全てを任せて生きるのではなく。そんな世界を私は願っています。MOGシステムのメインPCになる私からの言葉は以上です。死んでもなお、私は蔑まれ、罵られても文句は言いません。私にはその権利がないのだから。
ですが、私がしたことを正しいと思ってくれる少ない賛同者がいるならば、頑張って世界を創ってほしい。システムに生かされる世界ではなく、自立した世界を。その願いを全世界の人々、そして、親愛なる清江セリアと亡白ハイネに捧げます。”
彼女の遺書はそこで終わっていた。
私が読み終えた少し後にその場にいた全員から拍手が起こった。
表示されている幾つものモニターからも拍手する老若男女の姿が見える。
私は自然と涙を流していた。
彼女の言葉はきっと全世界に届いただろう。世界中の人間の心を動かす彼女の言葉に影響を受け、世界は変わり始める。自分の考えで生きるのだ。
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