第2話
懐かしい夢を見た。
口元をぬぐい、顔を上げると、福祉を教えている先生がこちらを見ていた。
広い講堂で座っている生徒はまばらだった。私の近くには誰もいない。
とっさに下を向くと、携帯電話が震えているのに気付いた。発信者は彼だった。
『至急、第四会議室まで来い』
私の返事を聞く前に彼は電話を切った。相変わらず無礼な態度だったが、彼の命令は絶対だから、文句を言っても仕方がない。
「用事が出来たので失礼します」
先生がまだこちらを見ていたから、そう言って教室を出た。あの先生は教室を抜ける生徒に決まって文句をいうタイプだったが、私は何も言われなかった。あの先生も彼の息がかかった人間だからだ。
彼、と言うのは、私が仕える主人のことだ。
小沢一樹という。
まだ二十代半ばだが、古くから続く一族を率いる立場にある。表向きは素性を隠し、ベンチャー企業の社長を務めていた。大学生の時に起業して、順調に業績を伸ばしているから、若手社長としてマスコミの取材に応じたこともある。またその際に、話術に長けていることが分かり、テレビのバラエティ番組から出演のオファーが来ることもある。
皆は彼の爽やかな笑顔に騙されている。実際の彼はとても人使いが荒いのに気づいていない。
「待ってたよ。スズナちゃん。さ、中へ」
彼の持つ事務所の一つに辿り着くと、秘書の谷村さんが迎えてくれた。谷村さんは一族の人間で、彼の表向きの会社の秘書も兼任している。
「スズナです。失礼いたします」
「……遅かったな」
彼は一番奥のソファーで本を読んでいた。
「真理の様子はどうだ」
「本日の真理様はとても機嫌がいいようでした。先日、ボスがプレゼントしたペンダントを手に取りって、うっとりしていらっしゃいました」
「あんなもので機嫌がよくなるとはな。若い女の考えていることは分からん」
自分でプレゼントをしておいて、何て言い方だと思った。
「流行りのブランドで、値段もそれなりにいたします。そのような物をボスが差し上げたのですから、機嫌がよくなるのも当然のことかと。真理様が堕ちるのも時間の問題かと思われます」
事実、真理と小沢が一緒にいる時間が増えてきている。このまま行けば、年内に小沢は真理様のことを手に入れることが出来るだろう。
「そんなにこの仕事を辞めたいか」
小沢は読んでいた本を置いた。
「そのようなことは……」
そりゃあ、そうさ、と内心毒づく。私と小沢の契約は、彼と真理が結婚すれば終わる。
「では血を」
本来なら健康的に焼けた小沢の肌は、青白くなっていた。
「申し訳ございませんでした」
私は着ていたタートルネックを脱いだ。上半身を覆うものがブラジャーだけになると、小沢の前に跪く。私の肌は彼と違って黄色いが、美味しそうに見えるらしい。
彼は私の首筋に歯を立てて、思いっきり吸った。私が体内で製造している血を、彼の活動源になる赤い血を。彼が私の体から離れた時、つー、と彼の吸い残した液体が肩から胸に流れた。
嫌悪感を誤魔化すように、すばやく洋服を着た。私が血を流すことで、彼が生きていられるならそれで良い、などと思ったことは一度もない。この先も、この行為に慣れることはないだろう。
私の血を吸った小沢の顔色は、明らかに良くなっていた。これが小沢一樹の裏の顔だ。小沢の一族は古くから人体実験を繰り返している。彼自身も人体実験の副作用により、定期的に人の血液を摂取しなければならない体になっている。
私の役割は、小沢に血液を提供すること。その他に、組織の雑用もしている。
別におかしな話じゃない。私は売られたのだから。
一応、一族に仕えるときに応用が利くように、広く浅く学習はしてきた。私の場合、熱心な方ではないのでほとんど応用なんてしないけど、それでいいと思っている。そう思わないと、まともでいられない。
小沢は人使いが荒いので、私はいつも忙しい。彼は古くから続く家の教育によって、私から見たら歪んだ思想をしている。自分が一番偉いと考えて、人を人だと思っていない節がある。強い理想を持つのは勝手だが、下にいる人間にとってはたまったもんじゃない。
まあ、その小沢が組織を大きくしたのも事実だ。彼は一族の中の閉鎖的な部分に気づき、新しい風を通すために色々やった。それは凄いと思う。反対もあった中で、まだ若い小沢が臆さず行動する姿に感動した人間はたくさんいる。私もそうだし、たぶん秘書の谷村もそうだ。
福祉に関する講義を担当していた先生も、小沢に感動した人間だろう。彼は組織に勧誘されて、長い間研究をしていた。彼の場合は実力を認めたというよりか、その分野に進出するための足がかりにされたというべきか。実力はあるんだけど、性格に難ありで評価が低かったところを勧誘されたようだ。一族に来てから数十年が経ち、その間に色々あって、古い人間達から離反した。
私? 私はあれだよ。両親の借金のかたに売られたやつ。私が幼いころに父が作った借金を一族が肩代わりをしたみたい。お父さんもこんな人にお金を借りるなんてバカだよね。
もちろん、私達が人体実験をして悪い活動をしているからには、善い活動をしている者もいる。彼らのことを、私達はヒーローと呼んでいた。
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