自己中男 4
カリンの案内は実に的確で──魔物達にとっては──幸いなことに、戦闘らしい戦闘を行うことなく一行は森を進んでいた。
今前を歩くのはエリンティアーナを真ん中に挟んでマツリカとトーマ、エドワルドはカリンと共に、その二歩後ろに付いている。当初エドワルドは自分が先頭を歩くものだとばかり思っていたのだが、それは即座に却下された。いわく
「だってあなたに先頭を歩かれたら、私達の初撃が遅れてしまいますもの。あなたは露払いをしてくださればそれでいいのです」
ということなのだが、いくら契約を交わしたといえ、素性の知れない傭兵相手に背を向けて平然と歩いている二人の正気を疑うところではある。
歴は長くはないが、エドワルドも傭兵稼業を一人でこなしてきた身。一介の戦士としてのプライドは持ち合わせている。それを真っ向からへし折ろうというこの扱い──エドワルドに背中をとられても驚異にならないという態度──には少しばかりの
苛立ちを覚えていた。
「……ちょっと肩透かしを食らった気分ですね。恐ろしい場所と聞いていたから、少し楽しみだったのに」
エドワルドの内心とは真逆にのんびりとそんなことを言いながら、トーマは手近な木の枝を折った。出発してからそれなりの頻度でこうしているところを見るに、退路を見失わないようにするための目印だろうか。
「私も同感なのだけれど、今は無駄な体力を使わなくてよかったと考えるべきではないかしら」
さして咎めるようなトーンではなかったが、マツリカの言葉にトーマははっと気づいたように顔を上げた。
「そうでした、僕らは使命の途中だったのに。すみません、マツリカさん」
「あなたが物事に楽しみを見出せるようになってくれたのは嬉しいのだけれど……楽しいとつい油断してしまうものだから」
そう言うマツリカ当人も、緊張とは無縁の様子で傘を手の中で遊ばせていたりするのだが。
「それにしても、ぱったりと魔物を見かけなくなってしまったのは気になるところですわね。エリンティアーナ、あなたはなにか感じる?」
マツリカが問いかけると、足元を並行して歩いていたエリンティアーナは小首をかしげてみせた。
『一つ、思い当たる節があります。おそらく先程まで、森の加護が分散していたのではないかと』
「一人あたりの加護が弱まっていた──いえ、加護の食い合いを起こしていたから、よく魔物に遭っていたということかしら」
『はい。今のマツリカ様は加護を利用されていませんから、食い合いが生じることがないのだと考えられます』
エリンティアーナはぴょんと跳ねた。見れば太い木の根が張り出しているので、エドワルドも大股でそれを避ける。
「つーか、お前達って互いの探知能力みたいなのは無いもんなのか?」
「無いようですわね?」
マツリカが他人事のように肩をすくめた。
『妖精同士であれば至近距離での探知は可能ですが、そもそも数が少ないので出会うこと自体が珍しいですし、我々は飽くまで自分の担当者との関係こそを重視しますから、不可侵の立場を取ることがほとんどです。
例外としては破滅の使者との戦いに複数の
「案外不便だな。神々より上位とか言うもんだから、もっとなんでも出来ると思ったが」
『あまり大きな力を持たせてしまえば、自ずと様々な勢力に狙われることになりますので。
実際、
エリンティアーナの言葉に、エドワルドはふと、ある一つの可能性を思いついた。正しくは、先の説明を受けた時から疑問はあった。だが、それを問うのは少しばかり躊躇われる内容だったのだ。
しかし、今の話の流れなら、その問いも許されるだろう。そう思った瞬間に、エドワルドはその疑問を口にしていた。
「なあ、ひょっとして……妖精界に呼ばれる
それならばエリンティアーナの話も頷ける。自分を選ばなかった
『いいえ、その時に生きている全ての
──ああ、結局殺し合いにはなるわけか。
口には出さなかったが、エドワルドはそう判断した。少なくとも、エドワルドには他の者と仲良く話し合うような考えは浮かばない。同じように考える者も必ず居ることだろう。
例えば前を歩くこの少年などもそうなのではないだろうか。少なくとも他者の殺傷に躊躇いを見せるような性格でないことは明らかなのだから。
ぼんやりとそんなふうにエドワルドが考えていると
「僕はこの世の理とか、どうでもいいんですけどね」
またしても木の枝を折りながら、トーマは変わらぬ口調でそう告げた。
「──でも、僕を殺しにやってくる人がいるなら、その時は覚悟してもらわないと」
誰に言うでもない風ではあったが、ほんの一瞬、少年の注意が自分に向けられたような気がして、エドワルドは身体を強ばらせた。何気なく意識したことを気取られたのだろうか。
「あ──の」
と、そこで今まで黙っていたカリンが立ち止まった。
「こ、ここから、先は、私もよく知らなくて……」
「わかりましたわ。先程も言っていた怖い感じ、というのは、どうなのかしら?」
「もっと奥、から。ひ、日暮れまでには、そこに着くと、思います」
最後に蚊の鳴くような声でごめんなさいと続けてから──なぜ謝る必要があるのかエドワルドには皆目見当が付かないのだが──カリンは俯いた。
「日暮れ、ですか」
ぽつりと呟いてから、マツリカは腕を組んで黙考に入った。今までのどの時よりも真剣な様子である。
「どうしますか、マツリカさん。一端出直しますか?」
「……いいえ、進みましょう。危険は増すけれど、早めに規模を把握しておかなければ万が一の時に対処できなくなる可能性があるもの」
その瞬間、二人の少年少女の纏う空気が一変した。双眸は鋭い光を宿し、身体からは隠しきれない殺気が滲む。エドワルドもよく見知った、戦いに赴く前の戦士の空気である。
「エドワルド、それからカリン──少し急ぎます。頑張って付いて来てくださいまし」
マツリカが前を見据えた。と、そう認識した瞬間には、一馬身程度にまで距離が空いていた。道など無い悪路をものともせず、白と黒の少年少女は跳躍を交えながら進んでいく。
二人が目立つ出で立ちをしているからいいものの、このままのんびり歩いていれば、すぐに見失うのは明らかだった。
「おい、お嬢ちゃんよ」
「ひ────っ!」
隣で呆然としているカリンに声をかけると、彼女は天敵に遭遇した小動物か何かのように身を竦ませた。
だが、今はそれに気遣ってやれるほどの余裕はない──そもそも、エドワルドがカリンを気遣ったことなど数えるほども無かったような気もするのだが、それは置いておく。
「走れそうか? 無理なら背負ってく」
見たところカリンは軽装であるし、そこらの町娘とそう変わる体格でもない。背負っていくのはそれでリスクが高いが、はぐれるよりはマシというのがエドワルドの考えである。
だがカリンは首を横に振った。
「へ、平気」
「そうか。もし魔物に出くわしても俺が何とかするから、足は止めるなよ?」
「う、は、はい」
言うなりカリンは駆け出した。速度こそ先を行く二人には遠く及ばないが、森歩きに慣れているだけあって、足の運びに迷いがない。これならば二人を見失うこともないだろう。
エドワルドも後に続いて、カリンの斜め後ろの位置をキープする。不意の接触の恐れがあるぐらいに近い位置だが、奇襲の際にカリンをフォローしようと思うのならこの距離でないとならない。
──くっそ
今更ながらに武器の準備を怠った自分の不手際を呪う。手元にあるのは大振りのナイフが一本。それも魔力を乗せたような上等なものではなく、ただの鋼のナイフであった。
動きやすさを重視した結果が完全に裏目に出たのだが、今日は元々、軽く下見程度のつもりで来たことを思い出した。それが半日の内に妙な人物と次々知り合い、更にはとんでもないスケールの話に首を突っ込むことになっているのだから、人生というものはつくづくわからない。とりあえず、今後は常に帯剣ぐらいはしておこうと、エドワルドは心に誓う。
「……そういえば、午前中に魔法師のねーちゃんに会ったぜ」
「あ、アマンダさん、ですか?」
「おう。なんかキナ臭いからしばらく街から離れるって言ってたな。ま、十中八九その破滅の使者とやらが原因だろうが、ともかくお前によろしく言っておけってさ」
「そう、です、か」
エドワルドがアマンダの理知的な顔を思い浮かべ、これで義理は果たしたと少しの達成感に浸っていると、
「……あ、あたし、なんにも、知らなかった、から」
珍しいことにカリンが自分から言葉を発していた。エドワルドが驚いて返事を忘れているうちに、独白は続く。
「ハムタ、が喋れることも、
上擦った声で、けれど懸命に、一つ一つを言葉にしていく。
「あたしが、ちゃんと知ってたら、わかってたら、アマンダさんにも、もっと早くに教えてあげられたのに」
「そりゃあ、お前のせいってわけじゃなくねぇか?」
「──────?」
フードから覗いたカリンの顔は、心底わからない、という色に染まっていた。
「
そんで、落ち着いたらそこのひきこもってるネズミかなんかに文句の一つも言っておけ」
エドワルドがさっぱり反応らしい反応をしなくなったカリンのポーチを指すと、カリンはさも大事そうにそれに触れた。
「は、ハムタは、悪くない。悪く、言わないで」
「あのな、冷静になって今までの話を思い出してみろよ。お前は何も知らないガキの頃に、そいつに
実際のところカリンは使命の一つもこなしていないので、そこまで悪辣な話でもないのだが、今後はわからない。現に今、カリンは予期しない形で戦いに巻き込まれているのだ。
「し──知ってる」
しかしカリンの返答はそれを否定するどころか、全面から肯定するような物言いであった。
「でも──でも、あたしには、ハムタしか、いないから。アビエスさんも、セドリックさんも、みんな、みんな死んじゃった、けど、ハムタだけは、ずっと一緒、に、いてくれた」
だから大事なのだと、カリンは言う──自分が本当に唆されていたのだとしても、ずっと自分に寄り添ってくれただけでいいのだと。
自分の正しい年齢さえ曖昧な浮浪児であり、人の目が恐ろしいと怯える少女にとって、何も語らない妖精だけが心許せる存在だったのだろう。
──根は善良なんだろうがな。
しかしあまりにも無垢だというのが、エドワルドの率直な感想である。
それ自体は決して悪ではないが、この年頃の少女ならもう少しスレていてもいいだろう。一人で生きていくのなら尚更だ。
とはいえ、固執しているものを否定したところで、ますます意固地になるのは見えている。
「……ま、お前にとって家族みたいなもんだってのは理解できるから、部外者の俺が口を挟むようなことじゃねぇか。
けどな、これだけは忘れんなよ。お前がいろいろと自分の使命とやらを知った以上、これまでと同じような関係でいることはできない」
「────────」
「俺から逃げるのは好きにすればいい。だが、大事だと思うもんからは逃げるな。そうしなきゃいつまでも惨めなままだぞ」
それはエドワルドがカリンにしてやれる数少ない助言だったが、自分自身への戒告でもあった。
大事なものから逃げた結果、いっそ死んでしまいたくなるような後悔を抱えて過ごさなければならなくこともある。それが大事であればある程、逃げた自分が惨めになるのだ。エドワルドはそのことをよく知っていた。
カリンは押し黙っていた。耳に痛い話だろうから、返事など無いものだとエドワルドが考えていると
「……エドワルドさん、は、もっと、疫病神、みたいな人だと、思ってた」
突拍子もなく、かつ、失礼極まりない言葉が飛び出してきた。
おいそりゃどういう了見だ小娘──エドワルドは言い返そうと口を開きかけて、やめた。
「逃げたら、辛い、のは、知ってるから、が……頑張って、み、ます」
不安そうに、縋るようにポーチに触れていたカリンの手が、今は何かを決意するように胸の前で握り締められていた。
臆病で、ひねくれて、ひきこもりがちで、弱々しい。そんな印象しか無かった少女ではあるのだが、その姿にはまだ、ひと握りの尊厳を持ち合わせていることを感じさせるものがあった。
だから、エドワルドが彼女にかける言葉は、非礼に対する苦情ではなく
「おう──頑張れ」
ちっぽけなその決意を認めることこそが相応しいだろう。
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