自己中男 3

 さざめきがおさまってから最初に口を開いた──と言っていいのか分からないが──のは、エリンティアーナだった。

『このような仮の姿で居なければ人間には感知できない我々ですから、精霊と同じように扱われるのも仕方のないことかもしれません。

ですが我々には確固たる意思が存在しますし、扱える力もより権限の強いものなのです。ですから精霊の──いえ、今のこの世において神と呼ばれている者達よりも上位の存在と言えましょう』

 可愛らしい犬の姿でそう言われても説得力に欠けるが、大事なのはそこではなく、その言葉の内容である。

「って神より上位だと!?」

 思わず声を荒げたエドワルドに対し、エリンティアーナは鼻をフンと鳴らす。

『当然でしょう。どれほどの力を持とうと、我々の構築したシステムの上に住んでいるのですから』

 エリンティアーナは犬らしく後ろ足で耳の後ろなどを掻いていた。それこそ、神々の存在などその程度のことだと言わんばかりに。

「いや、待て、ならなんでお前、人間なんかに従ってる?」

とは失礼ですわね!」

 憤慨するマツリカには目もくれず、エドワルドはエリンティアーナに問う。

『その疑問はもっともなことです。

ですから簡潔に申し上げると、マツリカ様が妖精の侍従エージェントであるから。それが最大にして唯一の理由です』

「詳しく聞かせてもらおうか」

『我々は大きな権限を持ちますが、それはこの世界の外においての話。世界の中に肉体を持つと、使える力は大いに制限されてしまうのです。

 そうですね──ここに小さな水槽が有ったとしても、あなたはその中に入ることも暮らすこともできないでしょう?』

 だから最大限に力を削いだ姿になって現れるのだと、エリンティアーナは言う。

『我々の役目を果たすには、この程度でも十分なのです』

「役目ってのはなんだ?」

『主に妖精の侍従エージェントの監視、お目付け役です』

「……それじゃあ話が噛み合わないんだが?」

 エリンティアーナの言葉の通りならば、妖精の侍従エージェントであるマツリカの方がかしずくべき立場なのではないだろうか。

『お目付け役となった我々と妖精の侍従エージェントがどのような関係を持つかという点において、決まりはありません。

 私はマツリカ様とトーマ様のお二人の人格を好むからこそお側に控えさせて頂いておりますし、その方が気が楽なのです』

 ──その辺は犬なんだな。

 マツリカに撫でられて尻尾を振っている姿からは、とても神々を超える力を持つなどとは思えないのだが。

「では、ここからは妖精の侍従エージェントについてお話しましょうか」

「そう、それだ。妖精が神を超えるというなら、お前らはなんなんだ?」

「私達はこの世界においての代理人、というところでしょうか。

 大きな役目はまず一つ。理の導き手コンダクターを探し、選ぶことですわね」

「──そこのガキのことか」

「だからトーマですってば。エドワルドさん、わざとやってませんか?」

 トーマが口を曲げて、刀の柄に手を伸ばしていた。

『我々は自然の意思にしてこの世界のことわりを決める存在。ですが、この世界を生きるのは、この世界の中で生まれ出づる者達です。

 だから我々は時に、この世界の新しい在り方を求める者を、この世界の中から選んでいます』

「だから指揮者……理の導き手コンダクターってわけか。ってことは、妖精界に行くと願いが叶うって話は──」

「お察しの通りですわ。理の導き手コンダクターとして妖精界を導くことを許された者ならば、というお話です。

 ちなみに、妖精界からは今のところ、新しい理の導き手コンダクターを招くような指令は受けておりませんけれど」

『はい、必要になった時にすぐ呼べるよう、各妖精の侍従エージェントにはあらかじめ理の導き手コンダクターを探す使命を与えてはおりますが。

 しかし、少なくとも今しばらくは、我々が真の意味で理の導き手コンダクターの招集を行うことは無いでしょう』

 きっぱりと、エリンティアーナはそう告げた。

「ちなみに、理の導き手コンダクターの条件てのはなんだ?」

妖精の侍従エージェントに見初められることですわね。私達は妖精の加護を得たこの世界の住人。彼らの代理人として様々な者と出逢い、選択するのです。

 ああ──先に申し上げておきますけれど、私はトーマ以外の理の導き手コンダクターを選ぶつもりはありませんから、そのおつもりでいてくださいまし」

 エドワルドの考えを見透かしたのか、マツリカの言葉の後半はかなりトゲのある言い方だった。

 それにしても、である。

 神々よりも高い位置に在る妖精を導く、という話は、エドワルドにとっては大変魅力的だ。なにしろ目的の集落の命を取り戻したとして、最高神がまた干渉してくれば同じことなのだ。それを封じることができる手段として、妖精の侍従エージェント理の導き手コンダクターのシステムは実に優れている。

 ──となると……。

 エドワルドは目だけを動かして、この場にいるもう一人の妖精の侍従エージェントを見た。マツリカが確固たる態度を以て拒む以上、エドワルドが理の導き手コンダクターとなるには、彼女に頼る他ないのだが……これまでのやりとりから考えて、素直に首を縦に振るなど有り得ないだろう。

 当の妖精の侍従エージェントの少女は、呆けたようにマツリカの話に聞き入っていた。

「それで、もう一つの大きな役目なのですけれど、今回私達がここに赴いたのは、そのためですの──聞いてます?」

「多分聞いてないですね。

 あはは、エドワルドさんって本当に自分の目的だけに一直線だなぁ。いっそ見ていて清々しいくらいです」

「ええそうね。とても、とても不愉快だわ」

 言葉の終わらない内に、エドワルドの眼球すれすれの位置に傘の先端が突き付けられた。その動きは不穏な気配を察していたエドワルドの予想よりずっと疾い。

「いやどーも……すんませんね」

「ここからが、あなたに協力をお願いした──本題ですのよ?

 ちゃんと聞いて頂けないなら、あなたの生き肝はエリンティアーナのお夕飯になりますから、そのおつもりで」

『マツリカ様、人間は……その、味が、とても苦手で』

「──喰うの前提かよそこの駄犬!!」

 きゅうん、と一つ悲しそうに鳴いて地面に伏せるエリンティアーナは見た目こそ可愛らしいが、その発言はなかなかに恐ろしい。

「エドワルドさん、落ち着いて」

 くいくいとエドワルドの服の裾を引っ張るのはトーマだった。

「ちゃんとマツリカさんの話を聞いてくれればいいんです。僕も危険がないよう注意しますし」

「ん、ああ、そうか──」

 お前、少しは良いとこもあるんだな、エドワルドがそう続けようとした瞬間。

「エドワルドさん不摂生っぽいから、エリンティアーナがお腹壊したら大変です」

「………………へぇ」

 このガキ、やっぱりいけ好かねぇわ。エドワルドは内心でトーマの評価を定めた。

「マツリカさん、もう大丈夫です」

「ええ、では妖精の侍従エージェントのもう一つの役目、破滅の使者の掃討についてお話しますわ」

「破滅の使者……魔物とは違うのか?」

「ええ、魔物はこの世界で生まれたもの、妖精にとっては驚異にもなりませんわ。

 でも破滅の使者は違う。彼らは世界のことわりを厭う怨念が凝縮されたもの。

 形をもって現れたまま放置すれば、その地はいずれ消失し、無に帰ることになってしまいますわ」

 マツリカの口から語られる内容はあまりにもスケールが大きく、エドワルドには納得し難い部分もあった。しかし

「掃討、ということは、妖精の侍従エージェントには対抗手段があるってことだな?」

 それに関してはエドワルドには確信があったし、マツリカも力強く頷いて肯定する。

「物分りが良くて助かります。

 破滅の使者はこの世界のことわりを厭うのですから、ことわりに則って、剣技なり魔法なりをぶつければいいのです。それで壊れるあたりは生き物と変わりありませんわ。

 ただ、あまりに強大な怨念ですと、それだけでは到底足りないのです。だから妖精界の力を身の内に取り込むことのできる私達が闘う、そういうことですわ」 

「そりゃつまり──ごり押しか」

「……まあ、そういうことになりますわね」

 マツリカも腑に落ちないといった顔であるが、より強い力を持った者が勝つ、というのは実にシンプルなシステムである。

「ちなみに、選ばれていれば理の導き手コンダクターにもその役目は生じます。

 まあ、それも当然ですわよね、導くべき世界が無になってしまうんですもの」

「……なるほどな。あんた達がその破滅の使者とやらを狩りに来たってことはわかった」

「あら、何一つ疑わずに信じて頂けますの?」

「今この時点で疑いだしたらキリがねぇ。

 それに──キナ臭い話も小耳に挟んだもんでね」

 エドワルドはアマンダとのやり取りを思い出していた。彼女の感じた異変というのが破滅の使者のことなのかは定かではないが、全くの無関係とも考えられない。

「──そう。

 ならば改めてお願い申し上げますわね、エドワルド。私達の勝利のために、しばらくあなたの力をお借りしたいの。

 謝礼は実際の働きに応じて変えるつもりですけれど、最低でもムリス金貨五枚はご用意致します。いかがかしら?」

 ムリス金貨は既に滅んだフラーセル公国の通貨だが、美しい意匠に芸術的価値が認められ、高値で取引されている。状態にもよるが、五枚もあれば三月みつき程度は働かなくても良いだろう──もちろん、傭兵の賃金としては破格である。

 ──それだけ危険なのは当然として、これは……

「口止め料も含む、か?」

「ご想像にお任せしますわ」

 マツリカは明言を避け、艶然と微笑んだ。

「…………ま、死なない程度に頑張りますよ」

「ええ、期待していますわ」

 エドワルドはマツリカの差し出す右手を握り返す──契約の成立、であるが。

 ──女の手かね、これが。

 表情こそ出さなかったが、エドワルドは内心で驚愕していた。

 マツリカの手は女性らしさなど感じられないほど硬く、たこや豆の痕もあった。手袋をしているのはファッションではなく、これを隠すためと言われても納得できるほどだ。

 この手ができあがるまでに、どれほどの鍛練を己に課せばいいのか、エドワルドにさえも想像がつかなかった。

「──────あ、あの」

 話の纏まるタイミングを見計らっていたのか、声量も自信も無さそうな声が横から割り込んで来たのは、その直後だった。

「どうなさいましたの、カリン?」

「えっと、エリンティアーナ──? は、ずっと前から、お話、できてたんですか?」

 やや唐突に感じられる話の振りだったため、エドワルドを含む一同が顔を見合わせ

『──それは当然です。カリン。

 妖精の侍従エージェントとの契約は当事者の同意があって初めて交わされるもの、それなのに言葉の一つも通じないのでは話になりません』

「で、でも────」

 カリンは今にも泣き出しそうな、震える声を飲み込んだ。それから深呼吸をして、視線を腰に着けたポーチに落とした。

「でも、あたし、ハムタとお喋りしたこと、一度も……一度も無くて」

 ハムタ、とは──これまでの話の流れから推察するに──カリンと契約した妖精のことだろう。ポーチの中に隠れられるサイズということは、かなり小型の動物の姿をしているだろうとは予想できる。ペットは飼い主に似るというが、妖精と妖精の侍従エージェントもそうなのか、ひきこもり気質はそっくりと言っていい。

『そんなはずは有り得ません』

 エリンティアーナは冷徹に言い放つ。

『第一、会話が成立しないというのなら、あなたはそのうつけ者とどのようにして妖精の侍従エージェントの契約を交わしたのですか?』

「ああ、それは私も気になりますわね」

「そ、それ、は──気がついたら、一緒に、いたから」

 気がついたら。というのは具体的にいつのことなのだろうか。エドワルドが思ったままを問うと、

「ずっと小さい頃……多分、十年くらい前には」

「なんだ、はっきりしねぇな」

「あ、あたし……浮浪児、だったから。だから正確な歳は、わからない、から」

 カリンの膝の上で両の拳がきつく握られる。小さく震えるその姿に、さしものエドワルドでも少しの罪悪感を覚えずにはいられなかった。

「……そうか、そりゃ悪いこと聞いたな」

 これ以上深入りするのも気分が滅入りそうな話題だったので、エドワルドも押し黙った──が

「エリンティアーナ、今の話はどうなの?」

『不可解です』

 空気など読むつもりのない一人と一匹は、相変わらずの調子で会話を続けていた。

『彼女の話では物心もついているかどうかわからない時分に契約を果たしたということですが、自我の確立すらおぼつかない子供では理の導き手コンダクターを選定することも、破滅の使者と戦うこともできません』

「そうよね……それから、喋ることができない妖精という点に関しては?」

『今申し上げました通りです。それは有り得ません。我々は妖精の侍従エージェントに使命の内容や妖精界からの指示を伝えなければならないのです。

 仮に何らかの不具合で言語能力を損ったとしても、一度妖精界に戻り、修正を行ってから再度この世界に移れば良いのです。我々だけでしたら妖精界に戻るのも容易い事ですし』

「とすると、そこの妖精は自分の意思で無言を貫いているということかしら」

『おそらくは』

 エリンティアーナがカリンのポーチに向かってひと吠えした。小型犬らしく甲高い

吠え声が森にこだまする。

 ややあってからカリンのポーチが微かに動いたようにも見えたが、反応はそれだけだった。

『まったく、同胞として情けなく思います』

 そう吐き捨てて、エリンティアーナは興味を失ったように伏せた。それと入れ替わるようにマツリカが立ち上がると一同を見回して音頭をとる。

「……ひとまず、カリンについての話はまた後に致しましょう。

 ──トーマ、準備を」

「はい。思わぬ時間をとられましたからね」

 トーマが広げた荷をテキパキとまとめ始めた。

「エドワルド、早速ですけれどお仕事ですわ。私達はこれから森の奥へ参りますから、り漏らした雑魚を潰してくださいまし?

 まったく、半端に知恵がある者は報復など考えるから完全に殲滅しないといけませんわね」

 ──り漏らしときたよ。おっそろしー。

 マツリカはつまり、目についた魔物は片端から殺していくつもりなのだろう。事も無げにその判断を下したことにゾッとしたものを感じながら、エドワルドはそれでも口角を吊り上げた。

「まだ本番ってわけでもないんだろ?」

「ええ、準備運動のようなモノとお考えくださいな」

 マツリカはピクニックにでも行くかのように、上機嫌で傘を回している。言葉通り、当人にとってはそこらの魔物などウォームアップの相手に等しいのだろう。

「マツリカさん、カリンさんはどうしましょう? 置いていった方がいいですか?」

 荷物を背負いながら、トーマがカリンを指していた。

「そうね、戦力として数えられるかはさっぱり分かりませんし。どうせ森の加護は得られるのだから、置いて行っても命の危険は無いでしょうけれど──カリン、あなた、この森の地理には詳しくて?」

「あ、あの、いつも、薬草採りに来るから。

 で、でも──奥の方は、分かりません」

「わからない? いつもというからには、この森はあなたにとって最大限の加護が得られる場所ではないのかしら?」

 カリンは小さく何度も頷いた。だが

「森の奥から、は、いつも怖い感じがするから、行かないように、してたんです」

「そう────」

 マツリカは一瞬だけ考える素振りを見せてから

「カリン、わかるところまででいいから、最短の距離を案内してくださらない?

エドワルド、大丈夫だと思いますけれど、カリンの警護もお願いしますわね」

 声に逆らい難い威圧感を含ませてそう言った。

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