自己中男 2

 内心の苛立ちを隠そうともせず、マツリカは腕を組んでカリンを睨め据えていた。

「……じゃあ、理の導き手コンダクターについては?」

 聞かれたカリンが震えながら首を横に振ると、マツリカはいよいよカリンに掴みかかる。

「ちょっっっっとあなた! ホントになんっっっにもご存知ありませんのね!?」

「ひっ! ご、ご、ごめっ……な、さい」

 がくがくと乱暴に揺さぶられると、カリンが目深に被っていたフードがずり落ちる。するとカリンは顔面を真っ青にしてフードを被り直した。

「おーい、あんまり刺激すんなよ、ひきこもるから」

 そんな様子を見ていたエドワルドの口から漏れ出たのは、覇気にかけるこんな言葉だった。

 マツリカとトーマが虐殺──改めて現場を見たエドワルドにはそうとしか感じられなかった──を行ったあの場所では匂いやら飛び散った血やらで気分が滅入るので、場所はカリンがしばらく生活していたという川原の一角に移している。

 そこでエドワルドはこれまでの経緯いきさつをマツリカ達に説明したのだが、マツリカはエドワルドよりもカリンの方に興味を示したようで、初めは愛想良くいろいろと質問を投げかけていた。

 問題は、カリンが真っ当な返事もろくに出来ないような性質だったことだ。エドワルドも手を焼かされたが、短気を自称するマツリカには、カリンの振る舞いは鼻につくものだったらしい。

 それにしても、カリンの様子が店で会った時よりも更に酷いことは、エドワルドの気にかかるところだった。なにしろ、フードを被っていないと満足に返事すらできない上に、その言葉もずっと辿々しい。

「……なあ、少年」

 少女二人の実に不毛なやり取りを眺めつつ、いつの間にか行儀よく隣に座って携帯用のポットに茶を沸かしていた黒衣の少年に問いかける。

「トーマです。それで、なんですか?」

「いや、カリンの奴は最初からあんな感じか?」

「? 質問の意味がよくわからないんですけど、とりあえず、すごく対人関係がダメな人なんだなっていうのは思ってました。ちゃんと声らしい声を聞いたのは、ここに来て落ち着いてからですし」

 そう言うとトーマはポットから人数分の茶を注ぐ。

「お二人共、喉が乾いてませんか? とりあえずお茶にしましょう」

「ありがとう、頂くわ」

 カリンからようやく手を離し、マツリカはカップを受け取る。カリンの方はへなへなと地面に崩れていたので、トーマは頭の近くに湯気の立つカップを置くに留めたようだ。

「エドワルドさんも、どうぞ」

「おお、悪いな」

 湯気こそ立ち上っているが、トーマの淹れた茶は丁度飲み頃といった具合であった。味はエドワルドにとってはやや甘すぎたが、おそらくはマツリカの好みなのだろう。カリンに掴みかかっていたマツリカの両手は今、カップを宝物でも扱うように優しく包んでいた。

「いつもとっても美味しいわ。これだけは一生あなたに勝てそうにないわね」

 笑っている時は思わず見惚れる程の美少女である。エドワルドですら得体の知れない不気味さを感じるトーマも、この時ばかりは年相応の幼さを覗かせていた。

「え、いや、そんな──僕なんかまだまだです」

 謙遜した物言いとは裏腹に、頬を染め口角を上げる姿はどこか微笑ましい。この二人の素性を知らなければ、ロマンスを題材にした劇にそのまま使えそうだとは思う。

 ──いや、俺もよく知らねぇけど、こいつらのことは

 エドワルドも長い放浪生活でそれなりに経験を積んだつもりではあったが、この二人はその中でもとびきりの変人である。

 まず、見た目はエドワルドが評したように、ペットを連れたどこぞの令嬢とその付き人、である。マツリカが目立つので影に隠れがちだが、トーマの着ている黒衣もなかなかに上等な仕立ての品なのが真実味を増している。他人の目に留まる使用人の服装を整えることは、財力の誇示につながるものなのだ。

 だが、その実はエドワルドでも戦うのを躊躇う猛者だったわけで。雰囲気の異質さはトーマの方が勝るが、マツリカにしてもあれだけ派手な殺戮現場に居たというのにドレスに染みの一つも無く、薄気味悪さを感じずにはいられない。

 とはいえ、二人の世界に入り込んでいる今の状態は、カリンよりも年下の少年少女がままごとに興じているようにしか見えないわけで── 

「……色気付いてるトコで恐縮だがな」

 それに付き合う気のないエドワルドは甘ったるい雰囲気を裂く言葉を発していた。

 だが

「────────は?」

 マツリカは片眉を跳ね上げ、殺気すら漂わせた。おそるおそるカップに手を伸ばしていたカリンが、小さな悲鳴を上げて動きを止めている。 

「私とトーマの深い親愛に満ちたこのひとときを、あなたは今、なんと仰いまして?」

 青い瞳孔が収縮し、獲物を狙う蛇を思わせた。この件で彼女を茶化すのは危険らしい。

「……ああ、そりゃ悪かったな。なにせあんたらの関係性がさっぱりわかんねぇもんで。その辺できれば詳しく聞いておきたいんだけど?」

 即座に判断したエドワルドが素直に謝罪すると、濃厚な殺気は霧散した。

「そうですわね。そう言えば申し上げておりませんでした」

 ふむ、と少し考え込むような素振りを見せてから、マツリカはちらりとカリンを見やった。

「──ひぃっ……!」

 案の定、と言うべきだろうか。カリンはフードの端を引っ張って必死に顔を隠している。その様子を苦虫を噛み潰したような顔で眺めながら、マツリカは呟いた。

「そこの物知らずにもいろいろと叩き込まなければいけませんし、丁度いいから妖精の侍従エージェントのシステムについてもお話ししますわね」

「ああ、頼む」

 エドワルドが居ずまいを正すと、マツリカは一つ咳払いをして──

「襲いかかろうってわけじゃありませんから、あなたも姿勢くらい正してお聞きなさい!」

「きゃあぁ!」

 カリンの両脇を持ち上げて上体を起こさせた。

「まったくもう! これでは私がいじめっ子か何かになったみたいで、とっても不愉快ですわ!」

 その体勢のままじっとカリンを見つめ、マツリカは更に問いかける。

「……あなた、何をそんなに怯えていますの? オーガと対峙しても刀を向けられても冷静だったのでしょう?」

 今度の問いは随分と落ち着いた──まるで幼子をあやす母親のようだった。

 カリンは答えない。浅く短い呼吸を繰り返すだけである。だがそれでも、マツリカは辛抱強く待ち続けた。

 小川のせせらぎと鳥のさえずりの音だけが聞こえている。少女二人が微動だにしないからか、それとも隣のトーマが完全に気配を消しているからか、エドワルドは自分が森に溶け込んでしまったかのような錯覚を覚えた。

 そうしてどれほどの時間が経った頃か

「────あ」

 掻き消えてしまいそうな小さな声だった。

「──あた、し──知らな、い人──が、怖くて」

 マツリカはまだ答えない。

「人の、目も──見られ、るの、が──怖」

 その後に続く言葉が無いか待ってから、マツリカは口を開いた。

「……そう、あなたは誰かの視線に晒されるのが何より恐ろしい、ということなのですわね」

 ゆっくりとした語り口にカリンが小さく頷くと、マツリカは言葉を続けた。

「けれど、それはあなたが自分から伝えていかなければ、他者が事情を察することなど出来ませんわ。

 それに、怯えて逃げてばかりでは、いつか周りが本当に知らない人だけになってしまう。いずれこの世の全ての人間が怖いものになってしまうことくらい、存じておりますでしょう?」

 返事の代わりは嗚咽だったが、カリンは再度頷いた。

「でしたら、知らない人でなくなることから始めましょうか。

 まずは改めて自己紹介を──私はマツリカと申します。

 あなたもお名前を名乗って頂けます? 私はまだ、あなたの口から直接お名前を聞いていませんから」

 そこでようやく腕を離して座り直し、マツリカはカップに口をつけた。そして一口をゆっくりと堪能した頃

「カ……カリン、です」

 カリンが相変わらずフードを目深に被ったまま、けれど先程よりはずっと聞き取り易い声を発した。

「そう、ではカリン? お茶を飲みながら、それにフードも被ったままでいいから、私の話をちゃんと聞いて頂きたく思います。あなたは私達妖精の侍従エージェントの役目や責務について、あまりにも無知すぎる。それでは近い将来、必ず身を滅ぼすことになってしまいますわ」

 カリンはこくりと頷いて、両手でカップを持ち上げた。

「……へえ、大したもんだ」

 一連の流れを間近で見ていたエドワルドは、素直にマツリカへ賛辞を送る。なにしろカリンにはこれまで拒絶され続けてきたのだ。それを一日経たずに手懐けたとあっては、いくらエドワルドでもそうするより他になかった。

 だが、マツリカはそれに渋面で返す。

「これで大したものと言われるのなら、あなた、今まで一体どんなコミュニケーションをとっていましたの?」

「ふつーに話してたけどな」

「……だ、そうですけど、どうなんですの、カリン?」

 問われたカリンはカップを持ったままうつむくと

「え……エドワルド、さんは、いきなり腕とか、引っ張られたから、怖いし。あと……あと、いつもからかわれるの、嫌い、です」

「いやからかってねぇし」

 そりゃお前の被害妄想ってもんだろう。とまでは口にしなかったが、エドワルドはとりあえず抗議のツッコミを入れておいた。

「あのですね、エドワルド」

「なんだよ」

「普通の女性だって、初対面の殿方に触られたら恐怖心を抱くものですわ。

 ましてやカリンは知らない人が怖いというような娘ですのよ? 強引に出れば閉じこもるか逃げ出すなんて、簡単に想像できることと思うのですけど?」

「そんなメンドくせぇ事情なんぞ知らなかったんだよ」

 矛先が自分に移り始めていることを悟ったエドワルドは早くも自己弁護の構えをとった。

 それが気に入らなかったらしく、マツリカは大きなため息を吐く。

「先程から思ってましたけど、あなたって割と身勝手な方ですわよね。トーマの爪の垢でも煎じて飲ませて差し上げたいくらいですわ」

 沈黙を保っていたトーマが、いや、褒められるようなものでは……などと照れながら呟いた。どうやらマツリカから褒められることが、この少年の惚けスイッチであるらしい。

「ええ、まったく本当に、初めて遭った時からトーマは素晴らしい観察眼とそれを鼻にかけない謙虚さを持ち合わせた男の子でしたのよ。私の選ぶ理の導き手コンダクターはこうでなくては!」

 後半は蒸気した頬を両手で抑え、マツリカはうっとりとそう言った。

 ──やっぱただの色気付いたガキじゃねぇかこいつら!

 喉元まで出かかった言葉をギリギリのところで飲み込んで、エドワルドはなんとか話を逸らす、というか、軌道修正にかかった。

「ああ、それそれ、さっきもカリンに聞いてたけど、指揮者コンダクターってのはどういうこった? お前らの馴れ初めと関係あんの?」

「そう────そうでしたわ! そのお話をしなければいけませんわね。あれは今から一年と少し前のことなんですけれど──」

「詳しくはまた時間のあるときにでも。

 簡単に言うと、未熟な僕が無謀にもマツリカさんに挑んで、傘で滅多打ちにされたというだけですよ」

 そう言って笑いながら、トーマはマツリカの足元に転がっている、異様に柄の長い傘をちらりと見た。

「もう、トーマ。そこはもう少し情調的に語るところなのよ? 私にとってあれは、運命の出会いだったのだから」

「僕にとってもそうですよ。

 でも、だからこそホイホイと人に話してしまっては価値が下がるというか……大切にしていて欲しいです」

「──────」

 とんでもない殺し文句である。これにはさしものマツリカも口を閉ざし、感動で瞳を潤ませた。が、せっかくの軌道修正も無駄に終わり、またしても二人の世界に入り込まれたエドワルドにはたまったものではない。

「あー……まだ続く?」

「いえ、大丈夫です。

 ええっと、とにかく、そんなことがあった後、僕は結局マツリカさんの使命を手伝うべく付いて行くことにしたんです。その途中で正式に理の導き手コンダクターとして選定してもらえたので、あとはもう、気ままな二人旅……じゃなくて、三人ですね」

 トーマは手招きをしてエリンティアーナを呼ぶと、頭を両手で挟んで撫でた。エリンティアーナも尻尾を振りつつされるがままにしている。

「さて、私達の事情はこんなところにしておきましょうか。エリンティアーナ、あなたも準備はよくて?」

『はいマツリカ様、いつでも構いません』

 気を落ち着けたらしいマツリカに呼ばれると、エリンティアーナはトーマの手からするりと抜け出し、マツリカの横に座り直した。

「エドワルド、それにカリン、あなた方はそもそも、妖精とは何であるのかご存知ですの?」

 聞かれてエドワルドがカリンの方を向くと、フードの奥できょとんとしている顔が見えた。──目が合った瞬間に下を向かれたのはいつも通りだったが。

「……妖精はアレだろ、自然の遣い、みたいな。精霊に似た種族?」

 妖精とは何者なのか、などということを真面目に考えているのはごく一部の魔法師ぐらいのものだろう。人間が日常的にその存在を感じることはほとんどない、が、精霊とも違うその何者かは確かに存在する。それが一般的に考えられている妖精という存在である。

「いいえ、違います。妖精は自然の遣いではありませんし、ましてや精霊と同一に語られるような存在でもありませんわ」

 マツリカは首を振り、表情を引き締めた。

「──妖精とは、この世界のシステムを形創る存在なのですから」

 その言葉に呼応するように、一陣の風が吹き抜けていく。エドワルドには木の葉の擦れ合う音が囁きのように聞こえていた。

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