自己中男
自己中男 1
赤毛の男は両手を上げていた。
「こっちも今、武器は持ってない。人間同士でコトを構えるつもりはないんだよ」
「お断りしますわ」
少女が冷淡にそう告げる。
「こそこそ隠れるような卑怯者の言うことなど、信じられるはずもありませんでしょう?」
「ごもっともだけど、こっちにも事情があるんだって」
「でしたら、その事情とやらを伺いましょうか? 私達が納得できるものであるなら、この
男と話している間にも、少女はカリンから注意を逸らすようなことはない。
「トーマ、この体勢は疲れるから見張りを代わって。この
「はい」
黒衣の少年はオーガの死体から剣を引き抜き、カリンに切っ先を向けてきた。ぴくりともぶれないその刀身は、先に少年が見せた技が偶然のものではないことを物語っている。
一方のドレスの少女は、赤毛の男と真正面から向き合う位置に陣取った。
「……とりあえず、お名前くらいは聞いておきましょうか?」
「エドワルド。そっちの娘はカリンな」
──あ、名前。
ここに来て、ようやくカリンは男の名前を思い出した。確かに最初、男はそう名乗っていた。
「私はマツリカ。
マツリカと名乗った少女は、わずかに肩を揺らした。おそらくはそれが合図なのだろう。黒衣の少年が続いた。
「僕はトーマと申します。よろしくお願いしますね、エドワルドさんにカリンさん」
カリンに切っ先を突き付けながらも、トーマの言葉は穏やかだ。それが当たり前のように振る舞う姿に、カリンは薄気味の悪さを感じずにいられなかった。
「それで、エドワルド? あなた達はなぜ今、この森にいるのかしら?」
「そりゃこっちが聞きたい。こんな森はあんたみたいな御令嬢が居ていい場所じゃないぜ?」
「まあ、御令嬢ですって」
マツリカが笑っていた。鈴の音のような笑い声は、確かに令嬢と称するにふさわしいものがある。
だが──
「悪い気は致しませんけど、あいにくと私、そういう身分ではございませんの。
どちらかと言えば、あなたのような血生臭い世界の住人ですのよ?」
この小柄な令嬢はオーガを相手にしても無傷でコトを済ませるどころか、巨大な棍棒を戦利品代わりに持って歩く程度の規格外であることを既に知っていたカリンは、今の言葉に虚飾が無いことを理解していた。
「じゃあ、何者なんだ? ドレスを着込んだ同業者なんて、聞いたことねぇけど」
「そこまでお答えする義理はございませんわ」
マツリカが傘を構える。
「今のは私を令嬢と呼んで頂いたからサービスで答えて差し上げたまでです」
「あ、そう」
「ですから、あなたもそろそろ私の質問に答えて頂かないと……。私、気は短い方だという自負がありましてよ?」
音もなく、剣の切っ先がカリンの額すれすれの位置に移動する。
エドワルドの顔には笑みがあったが、その裏には剣呑なものが控えているように見える。しかし
「……まあ、こうなっちまったらしかたねぇか」
エドワルドは大きなため息と共にそれを霧散させ、肩を落とした。
「その娘は俺の雇い主の孫娘でね。妾の筋だが、他の後継ぎが死んじまったから手元に置いておこうって腹なのさ」
「あらまあ、それは身勝手なお話ですこと」
「そりゃ俺の雇い主に言ってくれよ。ま、そいつもそう思ったからこそ家出なんかしたんだろうけどな。
にしても、今回はひどい。この森は町娘が気楽に入っていいようなところじゃないからな」
気は済んだか? と問いかけられて──しかしカリンは返答しなかった。どう答えるのが正解か、わからなかったからだ。
「そちらさんの目的が何であれ、ウチの家出娘とは関係の無い話だろ? 解放してもらえたらさっさ連れて帰るさ」
エドワルドが大袈裟に肩を竦めてみせる。
「いろいろと府に落ちませんけど、私達も忙しいですから、今すぐ消えて頂きたいのは事実ですわね」
マツリカは構えを解かずにトーマを振り返る。だが、トーマはカリンの額に切っ先を突きつけたまま、動かない。
「────トーマ?」
「本当にそうでしょうか」
トーマは穏やかな声音でそう言って、マツリカとエドワルドに向き直る。
「僕の感覚では、エドワルドさんがここに辿り着いたのはマツリカさんのすぐ後……あの棍棒を捨てた辺り。だから、僕とカリンさんのやり取りなんかは見聞きしていないと思うんです。そうですよね?」
問い掛けられ、エドワルドは一瞬だけ間を置いてから答えた。
「ああ、そうだけど?」
「トーマ、何か言いたいことがあるのなら、勿体ぶらずに仰いなさい」
気が短いというのは事実なのか、マツリカがイラついたように問う。
「はい、それじゃあ──エドワルドさんの話は、ほとんど嘘だと僕は思います」
「私も全てを信用しているわけではないけれど、どうしてそう思うの?」
「だって、カリンさんはただの町娘なんかじゃありませんから」
トーマは視線を下に落とした。その先には、ざくろのように中身の出たオーガの頭部が転がっている。
「最初、カリンさんはそいつの進路上にいました。でも、この人はオーガに怯えて竦んだわけでも、反射的に身を守ろうとしていたわけでもない。あれはごく冷静に、迎撃しようとする体勢をとっていました」
カリンは背筋に冷たいものが走るのを自覚していた。あのたった一瞬で、それを見極められていたのだ。
「それにカリンさん、刀を突きつけられてるっていうのに異様に冷静です。なかなか肝が座っているというか……僕らほどじゃないけど、場慣れしてます。
もしエドワルドさんの言うことが正しいとして、こんな人を捕まえて連れ戻すのに、ただ一人しか遣いを出さないのはおかしいですよね」
「いやいや、それは早計ってもんじゃねぇの少年。俺は別に一人で来たとは言ってないぜ?」
「はい、でも、カリンさんはただの町娘ではなかったわけですよね。だから、エドワルドさんの言葉はあんまり信用できないんです」
「──ねえトーマ、それではこの娘は何者なのかしら? エドワルドの目的はどう見てもこの娘でしょう? ……そうね、見てくれはなかなか整っている方だと思うけれど、危険を冒してまで、というほどではないと思うし」
「それはエドワルドさんかカリンさん本人に直接聞くのが一番です。でもこの調子じゃ答えてくれなさそうなので、僕なりの予想を言ってみますね」
まあ、聞かせて頂戴。などととびきりの笑顔でマツリカが言うと、トーマは少しだけはにかんだ様子を見せた。そして、おもむろに剣を鞘にしまいながら
「えっと、多分なんですけどマツリカさんと同じなんじゃないかって、そう思うんです」
「同じ────ですって? 根拠はあるのかしら?」
マツリカの笑顔は一転し、表情の全てが無くなった。
「この時期にこの森にいることと、それなりに戦えそうなこと、なにより──さっきからエリンティアーナがずっと彼女を見てます。こんなの初めてじゃないですか?」
先ほどから微動だにせずカリンを──正確には、カリンのポーチを──凝視している愛玩犬を振り返り、トーマは言葉を締めた。
「エリンティアーナ」
マツリカが名を呼ぶと、愛玩犬はようやく首を動かす。
「発言を許します、答えなさい。
あなたはその娘が私と同じ
「──────何っ!?」
カリンが息を飲んだと同時に、エドワルドが驚愕の声を上げる。そして
『……はい、この場に赴いた時から、同胞の気配をずっと感じます。おそらくはその少女のポーチの中から』
「喋った……!?」
かすれた声がカリンの口から漏れ出していた。
『いい加減に姿を見せたらどうなのです?』
頭の中に直接聞こえる女の声は、隠れたままのハムタに向けられたものであるようだ。一行の視線は自然とカリンのポーチに集中する。
ごそごそと動くわずかな振動の後、ポーチの隙間からは鼻とヒゲだけが出てきた。鼻はしばらくぴくぴくと動いて外の匂いを確かめ──そのままポーチの中に戻ってしまう。
「ちょ、ちょっとハムタ!? っ痛!!」
カリンが慌ててポーチのボタンを開けると、指先にちくりと痛みが走った。見れば中指の先から血が溢れている。噛まれたのだ、と頭が理解すると、カリンの視界がぼやけていく。
今まで噛まれたことなど、一度だってなかったのに。
「ハムタ、なんで……?」
絶望感に打ちひしがれたカリンの目から涙が溢れたが、ハムタは一向にポーチから出てこようとはしない。
『まさか自らが選んだ
エリンティアーナの声は心の底から呆れ蔑むような響きであった。
『マツリカ様、トーマ様。いくら同胞とはいえこのような輩では協力など見込めません。私達だけでコトに当たるべきでしょう』
「そのようですわね。あの調子ではとても戦力として数えられないもの」
「僕も異論はありません」
なにやら納得した様子で頷きあった後、二人と一匹は背を向けて歩き出す。
「それでは、私達は忙しいのでこれで退散致しますわ。その娘はあなたの好きになさればいい。できるものなら、ですけれど」
もはや興味を失ったとばかりに、振り返ることすらなくマツリカはそんな言葉を残して──
「ちょっと待て」
「まだなにかございまして?」
エドワルドに呼び止められたマツリカが、不快そうに振り返る。
「あんたも
「あら、その娘ではなく
それならば事実ですし、私は今この地上に存在する
「なら話は早い。俺は妖精界に行くために
エドワルドの問いに返答したのは、マツリカではなくエリンティアーナだった。
『若者よ、妖精界に行ってなんとします?』
愛玩犬のような見た目からはとても想像がつかないほどの威圧感。それを伴っての問いかけに、エドワルドは一歩も怯まずに答えた。
「妖精界は万物の願いを叶える場所と聞いた。ならば俺の願いも聞き入れられるはずだろう」
「なかなかどうして、身勝手なお話が好きな方ですのね」
マツリカが一笑した。
『では、更に問いましょう。あなたの願いとはどのようなものなのですか?』
エリンティアーナの二つ目の問いかけに、エドワルドは拳を握り締めてしばし沈黙していた。
「……北方のベルフェノという小国に、最高神の怒りに触れて滅ぼされた集落がある。その集落の命を取り戻すこと、それが俺の目的だ」
ようやく発したその言葉は、血を吐くような苦痛に満ちていた。
「妖精界でなら世の
「間違いではありませんわね。正確な話でもありませんが」
マツリカは歩き出し、エドワルドとカリンの中間辺りの位置に着いた。
「ねえトーマ、エドワルドはどの程度の使い手に見える?」
「え? えっと、そうですね……さっきのオーガの
『マツリカ様? もしや──』
「ええ、気が変わりました」
マツリカが新しい玩具を見つけた子供のような顔でそう言うと、トーマは苦笑し、エリンティアーナは呻いて地面に伏せた。もはや慣れっこというような様子である。
「エドワルド。あなた、私達に協力してみるつもりはございません? もちろん謝礼は支払いますし──あなたの知りたがってる妖精界について、教えて差し上げますわ」
「連れて行く、ってわけじゃないのか」
「あそこは
マツリカは膨らみを持たせたデザインのスカートを摘んで踊るように回ってみせた。金髪の巻き毛が軽やかに跳ね、木漏れ日を反射して輝いている。
エドワルドがその申し出を受けたのは、すぐ後のことだった。
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