ひねくれ少女 5

 畳み終えた洗濯物を荷物の中に納めると、カリンは大きく伸びをした。

 清涼な小川のせせらぎと鳥達のさえずりだけが聞こえるその場所に居を構えて、はや数日が経つ。

 その間、カリンは魔物に出くわすことはおろか、虫刺されの一つさえ無く、想像以上に快適な生活を送っていた。それはもちろん、カリンが妖精の侍従エージェントであり、妖精の力を介して森の加護を得ることができるからだ。そうでもなければ森に入ったその日の内に、生きたまま八つ裂きにされて魔物の腹の中に収まっていても不思議はない。

 とはいえ、全く危険が無いというわけではない。それなりに力のある魔物の目を眩ませることは難しく、カリンもそういった相手と相対したことは幾度かある。それに、この森の奥からは嫌な気配をいつも感じていたから、どんなに調子の良い時でも泊まり掛けでの採集はしなかった──これまでは。

 だが、実際に数日を過ごしてみれば、自分が慎重過ぎただけなのかもしれない。カリンはそう思うようになっていた。

「今度から夜に咲くような花とか、キノコとかも採りに来られるかもね、ハムタ?」

 外して地面に置いていたウエストポーチがごそごそと動き、隙間から鼻と髭だけが覗いている。

「そしたら、アマンダさんもモーテルムさんも、もう少し多く買い物してくれるだろうし……お夕飯が豪華になるかも!」

 珍しくはしゃぐカリンの言葉の内、お夕飯という部分に反応して、ハムタがポーチから飛び出した。

 カリンは上機嫌でしゃがみこむとハムタを両手に乗せ、その場に腰を下ろす。

「ミルクが毎日買えるようになったらどうしよう、お粥とかに入れるといいんだっけ? それともベーコンかな? チーズもいいなぁ……」

 カリンは夢の食卓に思いを馳せる。毎日の食事があるだけでも自分には過ぎた幸福であるという自負が有りはしても、やはり、もう少しの嗜好性を求めずには居られないのも事実だった。ハムタも同意見のようで、落ち着かない様子でカリンの両肩を行ったり来たりしている。

「これで後は、あの人がさっさと諦めてくれれば──」

 全部うまくいく。そう言おうとした矢先、地響きと轟音を背後から感じ、カリンはハムタを押さえて地面に伏せた。

「────────っ!?」

 地響きは止まず、轟音は二度、三度と連鎖的に続く。その僅かな合間には、金属のぶつかる鈍い音とオーガの咆哮もあった。

 ハムタが怯える様子さえ見せず、ウエストポーチの中に走っていく。カリンも這って後に続き、ウエストポーチを着けた。

 ──誰か、近くで戦ってる!! でも、なんであたし、こんなに近くまで……!?

 這ったまま奥の茂みに逃れつつも、気配を探るのだけは止めない。

 音を聞けば、複数人が戦っていることはわかる。しかし、殺気がむき出しになる戦闘の気配を察することが出来なかったというのは、カリンにとって初めての出来事だった。

「──一匹逃がしたわ! 追って!」

 カリンが茂みに辿り着く直前、後方から鋭い声が響いた。枝木と草を分ける音にカリンが振り返ると、血飛沫を上げて駆けるオーガと目が合う。

 恐慌の中にも殺意をたたえた瞳に、カリンは上体を起こして────しかし、そのまま固まった。

 カリンが迎撃に転じる前に、オーガの身体は二つに断たれていた。上半身は地面に倒れ、器用に直立したまま残された下半身から血があふれる。

 そして、突如として視界に現れた黒い人影が、倒れたオーガの頭に剣を突き刺した。

「──────」

 鮮やか、というより他ない滑らかな動作にカリンが言葉を失っていると

「お怪我はありませんか?」

 凄惨な現場にそぐわぬ落ち着いた声でそう問いかけられた。

 カリンが顔を上げると、黒衣の人影が小首を傾げている。そこでカリンは、人影が思ったよりもずっと小さい────自分とそう変わらないような年頃の少年だと気が付いた。

 気付いたところで、カリンが知らない人間に真っ当な返事など返せすはずもない。急いで目を逸らして、何度か深く頷くのが精一杯だった。

 少年が微かにため息を吐いたのが聞こえた。カリンにはそれが戦闘の緊張を終えての安堵、というよりは、落胆のそれであるように思えた。

 ──どうしよう、どうしよう、どうしよう──!

 カリンは頭の中で同じ言葉を反諾しながら、それでも必死に考える。

 助けてもらったのだから、礼の一つも言わなければならない。けれど、知らない人間だ。喉が凍りついてしまったかのように動かなくなっていたし、体も震えていた。

「トーマ? 終わったの?」

 甲高い声と共に、ガサガサと草を分けて誰かがやって来る。

「マツリカさん、そちらは──聞くまでもない事でしたね」

 黒衣の少年の注意がカリンから声の主へと移る。釣られるようにカリンもそちらに視線をやると、場違いな色が目に飛び込んできた。

 レースをあしらった白いドレスと金髪が、木漏れ日を反射して輝いている。そして左手にはドレスと揃いの白い日傘と、物語に出てくるような令嬢を思わせる出で立ちの少女だったが、右手にはあまりにも不釣合いなモノを引き摺っていた。

「……オーガの棍棒なんて、何に使うんです? 血まみれだし、捨ててくださいよ、そんなもの」

 黒衣の少年が心底呆れた様子でそう言うと、ドレスの少女は素直に棍棒を手放した。それと同時に、少女が出てきた草むらから小型の犬が飛び出してくる。猟犬などではなく、もこもこした小型の愛玩犬であった。

「やあ、エリンティアーナ。君も大事なさそうだね」

 少年が犬に駆け寄って頭を撫でると、小型犬は嬉しそうに尻尾を振る。少年と場所を入れ替わるように前に歩み出た少女が、カリンを見下ろした。

 立ち居振る舞いは深窓の令嬢のそれだったが、少女からは歴戦の戦士が持つような貫禄がにじみ出ている。ますます身を竦ませるカリンを値踏みするように一瞥した後、少女は少年に問いかけた。

「ねぇトーマ、このは何者なのかしら? 敵?」

「わかりません。でも随分怯えているみたいですから、あまり刺激しないであげてくださいね」

 少年が小型犬から手を離すと、小型犬はピタリ、と動きを止めてカリンを見た──いや、カリンではない。正確には、カリンの腰元、ウエストポーチのあたりだ。

「────?」

 小型犬の様子に違和感を覚えたのか、少年が疑問符を浮かべた。しかし、それを言葉にする前に、少女の方が動く。

「まあ、いいでしょう。こんなところに一般人が入れるはずがないわ」

 日傘の先をカリンに突きつけながら、少女は言う。

「あなた、こんなところで何をしていたのか、私に教えてくれません?」

 それは丁寧な口調とは裏腹に冷酷な響きを含んでいた。

「────っ…………ぁ」

 答えなければ殺される。カリンは直感的にそれを察したものの、やはり言葉は出なかった。

 ──ああ、もうダメだ。

 諦めが心を満たし、カリンは俯いて身を縮こまらせた。

「答えられないのなら、その気になるまで痛い目に合わせるだけですわね」

 少女が傘を振りかぶったのが分かった。カリンが身を硬くし、ぎゅっと目を瞑る。

 しかし、予想していた衝撃も痛みも来なかった。

 カリンがおそるおそる目を開けて顔を上げると、少女は傘を振りかぶったまま、動きを止めていた。

「──覗き見か不意討ちか……どちらにしても不粋ですわね。何者です?」

 視線だけを動かして、少女はぴしゃりと言い放った。

 数瞬の間の後、少女が視線を寄せた方角から草を踏む音が聞こえて来る。

「失礼、万が一にもその娘を殺されると困るんでね」

 このところよく聞くようになったその声を、カリンが聞き間違えることは無かった。

「とりあえず、傘を下ろしてもらっていいか? お嬢ちゃん」

 あの赤毛の男が、不敵な笑みを浮かべて立っていた。 

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