ひねくれ少女 4

「……今日も居ねぇし」

 すっかり馴染みになった重い扉を開けて、エドワルドはぼやいた。

 中を覗くまでもない。昼でも薄暗い薬草屋の室内には、人の気配というものがまるで感じられないのだ。

 腹ごしらえを済ませた後、店の店主と大工の男を始めとした客全員に見送られ、エドワルドは再びこの薬草屋へとやって来た。のだが、既にカリンは姿を消していた。買い物にでも出かけたのだろうとカウンターの前でひたすら待ち続けたが、彼女がこの場所に帰ってくることはなかった。

 翌日も、その翌日も同じように待ってみても、カリンはおろか客の一人も来ることはなく、ただ時間だけを無駄に過ごした。ついでに、カリンがどうやって生計を立てているのか、人ごとながらに不安になったりもしている。

 ともあれ、逃げられたのは間違いない。だが、エドワルドにはカリンが身を寄せるような場所に心当たりもない。となれば、今日はいよいよ家探しを決行して手がかりの一つも掴まなければならないだろう。

 エドワルドが意気込んで店の中に入ろうとした矢先

「あら? お客なんて珍しいわね」

 後ろから涼やかな声がした。反射的に振り向いたエドワルドの視界には、長身の女が一人映った。

 きっちりと切り揃えられた短髪と化粧気の無い顔立ちに反して、服装は豪奢な刺繍がが施された丈の長いローブを着込んでいる。どこからどう見ても魔法師にしか見えないが、エドワルドは一応確認を取ってみることにした。

「……どうも。家主なら不在ですよ、ええと──魔法師殿?」

「そういうアナタは傭兵さんかしら? ますます珍しいわ、こんなところに用がある方には見えないから」

 エドワルドの質問には答えず、魔術師と思しき女は薄く笑ってみせた。

 ──警戒はお互い様、か。

 同じく顔面に愛想笑いを貼り付けながら、エドワルドは次の言葉を相手にぶつけた。

「確かに、こんな稼業では薬草そのものには縁がありませんね。薬に加工された状態だったらそうでもないんですが」

「魔法は学んでいらっしゃらないの? 最近では精霊魔法の初歩程度は学ぶ方も多いと聞くのだけど」

「興味はあるんですが、金と時間を惜しんでしまいまして。若いうちに名を上げておかないと、この仕事は厳しいんですよ」

「まあ、お若いのに立派なことね。よろしければ私が手ほどきをしてあげても良いのだけど、そうもいかない事情があるから残念だわ」

 女はわざとらしくため息をつく。

「ええ、まったくです。人に教えられる程の使い手にお目にかかる機会など、そうそうあることじゃない」

「確かに、正しい魔法の指南は難しいことだけど、そこまで希少な存在というほどではないのよ? まあ、私を含めて研究が中心という人間ばかりだから、そう思えるのかもしれないわね」

 女が研究職だというのは正しいのだろう。雰囲気、立ち方、間の取り方、どれをとっても、一般人とそう変わるものではない。

「そうでしたか、ちなみに、なんの研究を?」

「精霊魔法。大々的に研究している機関も多いから、一人でやってる私みたいなのは道楽のようなものよ」

「魔法を道楽とは、末恐ろしいお話で」

「魔法師の少ないこの街みたいなとこなら、稼ぎのいい仕事に困らないのよ。それにここなら、薬の材料が格安で手に入るしね」

 女は目線をエドワルドの背後──カリンの店にずらした。

「……あなた、ここの店主には会った?」

「ここ数日は逃げられてます」

 少し調べればわかることなので、それは正直に答えた。

「逃げられた?」

 女の視線が険しくなる。逃げる、というのはどうにも聞こえが悪いものなので、この反応はエドワルドも予想していた。

「ある事への協力を依頼したんですが、拒絶されまして。

 ……一応、最初のうちは店を開けていたので、話ぐらいは聞く気があるものと思っていたんですが」

「それはそうでしょうね。ここ、元々は倉庫だもの。中から閉められる鍵がつけられないらしいのよ」

「倉庫……」

 どうりで窓の一つも無いわけである。エドワルドは納得とともに呆れて呟いた。

「それにしてもなんつー無用心な」

 娘一人で暮らしているのに、寝込みを襲われる、という懸念の一つも無いのだろうか。あれだけ人を拒絶しているというのに、随分と矛盾のある居住地である。

 エドワルドの考えは顔に出ていたのだろう。女は苦笑していた。

「一応、寝室だけは戸締りができるって言っていたけどね。

でも、そもそもここは見つけるのすら大変でしょう? 店だというのに看板の一つも無いから、普通の通行人じゃまず入らない。そして、ここを店だと知っている人間なら、同時にここの店主が西の森に入って無傷で帰ってくるような人間だってことも知ってる。

 実際、あの子がここに店を構えてもうすぐ二年になるけど、物取りだの強盗だのの被害に遭ったって話は聞いたことないわ」

「なるほど」

 そういえばエドワルドも、この場所を見つけるのには苦労させられたのだ。薬草を買わず、カリン本人に特別な用事があるわけでもなければ、わざわざここに来る必要もないということなのだろう。

「儲かってるようにも見えねぇしな……」

 小さな呟きだったが、女には聞こえていたのだろう。彼女は大きく頷いた。

「そうね、顧客なんて私ともう一人ぐらいしか居ないはずだし」

「よくもまあ、そんなんでやっていける」

「元手がかからない商売ですもの。贅沢しなければ自分だけで食べていく分には困らないんでしょうね」

 特に浪費癖がある子ではないし、と付け加えて、女は話を切った。その表情に興味の色が滲んだことを察し、エドワルドは口の端だけを釣り上げる。

「……どうされました? 魔法師殿」

「アマンダよ。それから、無理に敬語で話してもらわなくてもいいわ。

 それで──あなたの方はどうなのかしら、傭兵さん? カリンに協力を依頼したいある事って、なにかしら?」

 アマンダは聞きながら二歩、距離を詰めた。

 ──さて、どうしたもんかね?

 エドワルドは笑顔を貼り付けたまま考える。

 アマンダの言葉が全て真実だったとするのなら、彼女はカリンが妖精の侍従エージェントであることには気が付いていないということになる。それならばカリンの事情を明かすのは危険だ。魔法師の中には希少な能力の持ち主をしたがるような人間も多いのだから。

 あるいは、事情を知った上でカリンを隠すためにとぼけている可能性もある。

 どちらにしても、エドワルドにはバカ正直に事情を話すつもりなどさらさらない。

「エドワルド。どうぞ気軽に呼んでください、アマンダさん」

「そうさせて頂くわね、エドワルド。

 それで、しつこいようだけどあなたはカリンになにをしてもらいたいのかしら? 興味が湧いたから是非お聞きしたいのだけど」

 はぐらかすことを許さない質問に、エドワルドはわざとらしく周囲の気配を探るような様子を見せ

「……それを知るなら、いけなくなりますけど、それでも聞きます?」

 低音でぼそりとそれだけ告げた。

 はったりである。後ろに有力者が居るような空気を漂わせただけだが、これでアマンダの出方をうかがってみたのだ。

「あら…………そういうお話なの?」

 アマンダは目を丸くしていた。が、すぐにその顔には笑顔が戻る。

「なら、丁度いいかもしれないわね」

「? 丁度いいって」

 予期せぬ反応にエドワルドがいぶかるが、アマンダは気にした様子もなく話し出す。

「実はね、私、しばらくこの街を離れるつもりなの。午後の船でエトルレーンまで行くんだけど、今日はあの子にそのことを教えに来たのよ」

 エトルレーンはこの辺りでは最も大きな魔道研究所を擁する大都市である。あまり遠出をしたがらない研究職の魔法師がそんなところに赴く理由となれば、エドワルドには一つしか心当たりがなかった。

「魔法師の集い、ですか?」

 優れた魔法師はその活動に報告義務がある。ほとんどの流派が数年に一度大規模な集会パーティーを行うついでに済ませてしまうものだが──

「あら、詳しいのね? でもそんな単純なものではなく、もっと危険なものよ。

 私の見立てではあと少ししたら、この街……いいえ、この地域全体に未曾有の危機が訪れるはずだから」

 アマンダの声には、これまでの言葉にはない硬いものが混じっていた。

「最近、我が家の魔力計が異様な値を計測していることが多かったから、星の巡りとか過去の資料を調べ直していたのだけど、さっき魔力計が瘴気を噴いて壊れてしまったの。

 ……こんなことは初めてだから、身の安全のために逃げることにしたのよ」

 いつの間にか、アマンダは自分を抱き竦めていた。頬には一筋の汗までが流れている。

「一応、親しい人や町長さんには警告して来たから、あとはカリンくらいのものなの。あなたの後ろになにが付いてるのかはともかく、あの子を害するつもりが無いのなら、保護してあげて?」

「元よりそのつもりですけど、どこに行ったのやら」

 エドワルドがため息混じりに頭を掻くと、アマンダは小首を傾げてみせた。

「──あの子の行くアテなんて、一つしかないでしょう? 森よ」

「森って例の……」

「ええ、西の森。今から急いで行けば昼前には着くでしょうけど、くれぐれも気を付けて行ってらっしゃいね」

「そうさせてもらいます」

 早速エドワルドが礼を述べてその場を立ち去ろうとすると、アマンダが後ろから声をかけた。

「カリンに会ったら私がよろしく言っていたと伝えてくれる?」

「もちろん──それじゃ、また縁があったら」

 エドワルドは振り向かずに片手だけ上げ、そう返した。

 

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