ひねくれ少女 3

「オヤジさん、麦酒ビールくれ」

 昼食時を少し外れた時間に食堂にやって来たエドワルドの第一声は、食事ではなく酒を求めるものであった。髭をたくわえた店主はエドワルドを一瞥し、苦笑しながら奥へと入っていく。

 エドワルドは手近にあった背もたれのない椅子にどっかと腰を下ろし、眉間に皺を寄せながら頬杖をついて麦酒を待つ。

「おう、エドワルド。その後の調子はどうだい?」

 近くのテーブルに着いていた中年の男が軽快に声をかけてきた。他のテーブルの客も、皆興味を隠せない様子である。

「見りゃわかるだろ……今日も追い出されて来たんだよ」

 男の方をじろりと見やり、エドワルドは低音でそうこぼした。

「おめぇも懲りねぇなぁ」

「当たり前だろ。俺はそのためにここに来たんだからな」

「つってもなぁ、ろくすっぽ話もできねぇんじゃしょうがねぇだろうに。

代わりになるような女を探した方が早ぇと思うがな」

「その代わりが居ないから苦労してんだよ。五年も探し歩いてようやく見つけたんだぞ!」

 思わず声を荒げたエドワルドの前に、なみなみと注がれた麦酒が置かれる。顔を上げればにぃっと笑っている店主と目が合ったが、元々の強面も手伝って凄まじい威圧感を放っている。

「ケンカになるようならてめぇら全員出禁にすっからな!」

「おいオヤジ! 俺らもかよ!」

 他のテーブルからも次々と声が上がるが、髭の店主は威圧感のある笑みでその一つ一つを黙らせていく。その間に冷静さを取り戻したエドワルドは、ジョッキを煽って中身を一気に飲み干した。

「相変わらず良い飲みっぷりだなぁ」

「俺ん家は代々酒豪なんだよ。それと、悪かった。ついカッとなって」

「いや、五年もかけたんならそらムキにもなるわな」

 男は改めてエドワルドの隣の席に腰を下ろし、自分とエドワルドの分も追加の麦酒を注文した。

「……まあ、それでもやっとここまで来たんだ。なんとかやってみるさ」

「そっちの事情はよくわからんが、頑張れよ」

「すまねぇ、いろいろと世話になってんのに」

 エドワルドがこの店に通うようになって十日ほどになるが、深く突っ込んだ事情を聞いてくるような人間は一人もいなかった。を選んだつもりではあるが、事情の一つも言えないことへの罪悪感はあるのだ。

「気にすんな。おめぇみたいのは珍しかねぇよ。だがまあ、厄介事だけは持ち込んでくれるなよ?」

 男の顔には笑みがあるが、言葉と気配には険があった。エドワルドと初めて会った時には自らをしがない大工などと言ってはいたが、それだけではない人物だというのがよくわかる。

「肝に命じとくよ。ここのオッサンどもを敵に回したら一日と生きちゃいられないだろうからな」

 そこで追加の麦酒が二人の前に並べられた。エドワルドは再びジョッキを煽って中身を半分ほど空けると、店主に声をかけた。

「オヤジさん、なんか軽いもの作ってもらっていい? 無理なら乾き物でもいいから」

「なんだ昼飯も食ってねぇのか? ガキのうちから酒ばっか飲んでんじゃねぇぞ」

「ガキって……俺もうすぐ二十二になるんだけど?」

「十分ガキだ馬鹿野郎。ちっと待ってろ、それなりのモン食わしてやる」

 店主はそう吐き捨てて奥の厨房へと消えていく。エドワルドは店主が完全に見えなくなってから悪態をついた。

「麦酒なんか酒の内に入んねぇよ……美味いけど」

「オヤジから見たらおめぇなんぞひよこみてぇなもんさ。悔しかったら早いとこ薬草屋の嬢ちゃんを引っ張り出して、ここに連れて来いよ。結構な美人だって言うじゃねぇか?」

 ケタケタと品のない笑い声を上げながら、大工の男はジョッキを傾けた。

「美人……ね」

 エドワルドは改めて目的の──カリンという少女の姿を思い出す。が、顔を合わせたのは初日の一回と先に睨まれただけだから、顔立ちの善し悪しなど判別できるほどの記憶がない。覚えているのは細身の──どちらかと言えば貧相に見えた身体付きと、真っ直ぐに伸びた緑髪くらいのものだろうか。緑髪といえば東方あたりの生まれに多いと聞くが、彼女がそうなのかどうかは判別できなかった。なにしろ、実のある会話はほとんどしていないので。

「一時はこの辺りの悪ガキどもがわざわざコナかけに行ってたぐらいだ。それなりのモンだと思うんだがね」

「……ちなみにそいつら、どうなった?」

やっこさんが西の森に薬草摘みに出かけたところを付けてって、魔物に襲われて命からがら逃げてきたよ。あの森はベテランの冒険者ですらそうそう足を踏み入れたりしねぇのになぁ」

「そんなにやばいところなのか?」

 エドワルドは興味本位で聞き返した。ベテランでも避ける、とはなかなかに刺激的な響きである。

「魔物はまあ普通にいるんだが、それよりも──あの森はいろいろと呪われてんだよ」

「呪い? よくある方向感覚が狂うようなのじゃなく?」

「なんでも、大昔に滅んだ国の遺跡があるとかなんとかで、奥には千年級の死霊がうじゃうじゃいるんだとさ。手前は魔物の住処、奥には死霊の呪いとくりゃ、わかるだろ?」

「なるほどね……ったく、そんなとこに薬草摘みとは呑気なもんだ」

妖精の侍従エージェントは大なり小なり戦闘能力を有していると聞いていたが、カリンも御多分に漏れずそうであるらしい。エドワルドは苛立たしげに頭を掻いた。最悪の場合は無理矢理にでも拐ってしまえばとも考えていたが、どうやらそれが通じる相手ではなさそうである。

「まったくだな。だがまあ、おかげで馬鹿共に悪さされる心配も無くなったから、おめぇにとっちゃいい話だろ?」

「別に嫁にしようってわけじゃねーんだけど……とりあえず五体満足でいてくれたのはよかったかもな」

 カリンに妖精界への案内を頼めたとしても、これからは更に長い旅になるのかもしれない。それなのに旅のできないような身体では困る。というのがエドワルドの考えだ。

 そして、そういった条件を考えた時、カリンはこれ以上無いほどに全てを満たした存在であると言えた。妖精の侍従エージェントであることはもちろんだが、最低限自分の身を守れる程度の能力があり、若く健康なら連れ歩くにも余計な気を遣う必要もないだろう。

 問題はただ一つ、他人を拒絶するひねくれた態度の数々が、エドワルドには時に、しばしば、それなりに鬱陶しく感じることだ。つい意地の悪いからかいの言葉をかけてしまうのも致し方ないことだと、エドワルドはそう思う。

「おいおい、そんなんで女の気を惹こうってのか? それじゃあ上手くいくわけもねぇな」

「じゃあ何、キザな台詞の一つでも吐けばいいっての?」

「たとえ相手が皺の寄った婆でもな、それなりの扱いをしてやらぁ可愛いげの一つも出てくるってもんよ」

「…………へぇ、そーすか」

 エドワルドは投げやりに返答してからテーブルに突っ伏して料理を待つ。肉か何かだろうか、香ばしい香りが厨房から漂ってきていた。

 ──飯食ったらまた行ってみるか……。

 大工の男の華々しい夜の戦歴などを聞き流しながら、エドワルドはジョッキを煽って中身を飲み干した。

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