未だ燻ぶる過去は 3

 星明かりの下でチョロチョロ走るハムタに任せるまま、エドワルドは家路についていた。家路といっても目的地はエドワルドの利用している宿のことではなく、すっかりお馴染みになったカリンの家である。

 当のカリンは食堂を出た時にはすっかり寝入ってしまっていたが、この調子では家に着いた後の面倒までエドワルドが見てやらなければならないような気がしてならない。

 ここ数日の疲れがどっと出たのだろうというのはわかる。しばらくは森で野宿生活だったことに加え、自分の使命やらなにやらを知らされた挙句、最後には慣れ親しんだこの町が消え去るかもしれないとまで言われたのだ。疲労も心労も限界を迎えていたことだろう。

 とはいえ

「俺も結構疲れたんだがな……」

 背中で寝息を立てているカリンにぼやいてみても、当然のことながら返事はない。

 元気なのは目の前を行くハムタぐらいのものだ。今も帰りがけに店主からもらった木の実を頬袋いっぱいに詰めた状態で走り続けている。ほとんどカリンのポーチの中で過ごしていたため、体力は十分に余っているのだろう。

「羨ましい奴だな、ほんと」

 毒づいてみたところで返事はない。なんだか虚しくなってきたので、エドワルドも言葉を発するのをやめた。

 とたんに辺りは夜の静寂に包まれる。聞こえるのはエドワルドの足音と、時おり吹き込む夜風ぐらいのものだ。

 それに耳を傾けていると、初めてここにやって来た日のことを思い出す。まだ十日程度の出来事だというのに、ずいぶんと昔のことのように感じられた。

 白い壁と石畳、それと快晴の青空。

 清潔感はあるが、その二色以外の色を許さないとでも言うような光景はどこか潔癖で、人の立ち入りを拒絶するかのようだったが、夜の闇が差した今はまた別の感想を抱くことができる。

 ──どこまで行っても寂しい通りだな。

 綺麗に塗り固められた壁、ゴミ一つ落ちていない石畳、それでいて人の気配の無いこの場所からはどうしようもない寂寥せきりょう感を感じるのだ。

 こんな場所に好んで住むのは、それこそ世捨て人か、静かに終末を迎えたいと考えた老人ぐらいのものだろう。

 では、カリンは──どういった心境で、ここに店を開いたのか。

 隠れ住むだけならば、他にもっと良い場所はある。人が怖くて会いたくないのなら、加護の効く森の近くにでも住めばいい。わざわざ店を開かなくても、森で採った珍しい薬草を高値で買い取ってくれる場所はいくらでもあるはずだ。

 理由など無いのかもしれない。けれど一度疑問に思ってしまうと、気になってしまうものではある。

 ──そういえばこいつ、なんでここで暮らすようになったんだ?

 そうして、エドワルドは根本的な疑問に行き着いた。

 人魔じんま戦争に参加した。とカリンは言った。

 戦地となったベルベクト王国は内海の反対側に位置する上に、四方を山で囲まれた国である。ワーグニスの町にやって来るまで、ごく一般的な方法なら一年近くかかる距離だ。そして、浮浪児だったというカリンに、この町に移り住むためのツテがあったとも考えられない。

 この町に居着く理由も、そもそもベルベクトを離れた理由さえもが不明瞭だ。知らない人間が、他人が怖いと言う彼女にとっては、知らない町だって恐ろしいものに違いないというのに。

「────────きゅっ!」 

 いきなり聞こえた鋭い鳴き声にエドワルドが我に帰ると、ハムタが二本足で立ち上がって扉に手をついていた。考え込んでいるうちに目的地に到着していたようだ。

「あ、ああ。今開けてやるからちょっと待ってろ」

 とはいってもカリンを背負っている状態ではうまく両手を使うことができない。どうしようかと少し迷って──腰を曲げてカリンを背に預けてから、片手で開けることにした。

 室内に入るといつもの薬草の香りが鼻腔を刺激する。

 完全な真っ暗闇だったが、カウンターの上にランプが置いてあることだけはわかっていたので、背中を曲げたまま手探りでそれをつけた。こういう時に魔法のありがたみをしみじみと感じるものだが、事情が事情なので、エドワルドには叶わない話である。

「確か寝室はあるとか言ってたか──どこだ?」

 足元のハムタに問いかけると、彼はカウンターの横に取り付けられたスイングドアの下をくぐり始めた。後について行くと、ハムタは棚の後ろ側にある小さな木の扉の前で一度止まり、後は知らぬとばかりに部屋の隅へと駆けていった。

 扉はかなり小さく、カリンでも身を屈めなければ入れないようなサイズだ。元は倉庫だというこの場所から考えれば、隠し貯蔵庫のような場所だったに違いない。

 カリンの頭を擦らないように注意を払いつつ扉をくぐると、中はそれなりに広い空間があった。

「────割と予想通りっつーか……なんにもねぇな」

 中には小さな藁敷きのベッドと、子供用かと思えるほど小さな机とイス。それから衣装箱らしき箱が置いてあるだけだった。年頃の少女らしさを感じられない寝室である。

 まずはベッドにカリンを寝かせてやってから改めて室内を見渡してみても、机の上に本が一冊置いてあるぐらいのもので、それ以外には何もない。

 ──一応読み書きくらいはできんのか。

 パラパラとページをめくって流し読みをしてみると、どうやら植物について記された本であるらしい。所々に墨か何かで書き込みが加えてあるのは、おそらくカリンが付け加えたものなのだろう──かなり読みづらく、汚い字ではあったが。

「…………エドワルドさん?」

「なんだ、起きたのか?」

 かすれた声に呼ばれて本を元の場所に戻すと、カリンが身を起こそうとしているところだった。

「もう寝とけ。疲れてんだろ?」

「それは────はい。疲れてるんだと思います。いろんなことがあり過ぎたから」

 語る言葉はうわ言のようだったが、今日聞いた中では一番落ち着いた返答だった。エドワルドがなんとなく不思議に思ってそれを聞くと

「ここは私の家だから──あたしが居ていい場所だから、ここでならなんとか人とお話できるんです。

 それに、今は暗いから、昼間よりも視線とか感じにくいですし」

 そういえば店の中で応対している時は、カリンもそれなりに普通に喋っていたのだった──会話らしい会話はほとんどしていなかったわけだが。

「なるほどな。まあ、生きてて覚えてたら、今後の参考にしとくわ」

 適当な相槌を返したつもりだったが、カリンは怯えたように息を飲んだ。

「え、エドワルドさんは────戦いに行くんですよね?」

「そりゃそうだろ。雇い主がアレだし、このまま黙ってたとしても魔物どもが大挙して押し寄せるのは時間の問題だしな」

 エドワルドとて、できればこんなことに巻き込まれたくはなかった。自分には果たさなければならないことがあるのだから。

 しかし、逃げるという選択肢が現実的でなくなった今はもう、腹をくくって戦うより他ない。

 エドワルドのはっきりした物言いに怖気づいたのか、カリンはしばし無言だったたものの、やがて

「……あの、ごめんなさい」

 震えた──けれどしっかりとした声で、カリンはそう言った。

「は? なにが?」

「あ、あたしのせいです──あたしがちゃんと、妖精の侍従エージェントの使命について知ってたら、もっと早くに森の奥に行って、こんなことになる前に戦ってたら……こんなことには、ならなかったから」

「お前、まだ気にしてたの? そんなこと。

 知らねぇのは仕方なかったんだから責めてねぇって言ってるだろ」

 いや、使命を知っていたとしても、カリンに破滅の使者を仕留めることができるとは思えないというのがエドワルドの見解である。恐らくはマツリカも同意見のはずだ。だから彼女はカリンの無知を叱りこそすれど、責任を追求するような真似はしないのだ。

 しかし、カリンは自分の非を譲ろうとはせず、横たえていた身を起こし

「で、でもあたし、自分が妖精の侍従エージェントだって知ってたのに──」

「──ちょっと待て」

 エドワルドはカリンの言葉に割って入っていた。

 先程、カリンの経歴について考えていた時──いや、マツリカ達から話を聞いたあたりから、なんとなく胸の奥でわだかまっていたもの。その正体に行き着いたのだ。


 ただならぬ空気を察したのか──寝室の入口から、ハムタが顔を覗かせている。


 その姿をちらりと横目で確認しながら、エドワルドはカリンに真正面から向き直った。

「お前、なんで自分が妖精の侍従エージェントだって知ってんの?

 ──お目付け役と話したこともないのに」


 隣の部屋に置いてきたランプのわずかな明かりの中でもわかるほど、カリンの表情は絶望の色に染まっていった。


 

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