未だ燻ぶる過去は
未だ燻ぶる過去は 1
「──では、私はこれから町の代表の元へと参りますから、あなた方も今日は休まれるといいでしょう。明日の昼にでもここに来て頂ければ構いませんので」
「い、今から、ですか?」
思わず声をひそめてカリンは問いかけた。なにしろ周囲の建物は寝静まっているので、小声でも響くのだ。
カリンの加護を最大限に利用しても、街に戻って来られたのは深夜と呼んで差し支えない時間であった。
まずは昏睡しているトーマとエリンティアーナを宿に運び込み、最低限の介抱を行うことから始めた。
そんな二人の処置を済ませたカリンとエドワルドが宿の外に出ると、見送りに来ていただけだと思っていたマツリカが、ごく平然と「町長に会いに行く」と宣いだしたのだ。
虫の声と獣の遠吠えだけが時折聞こえるような、そんな時刻だ。街の中でまだ起きている場所は花街ぐらいのものだろう。
そんなことはわかりきっているであろうに、マツリカは傷んだ傘を肩に掛けつつ、街の有力者が居を構える一角に向き直ると
「ええ、今からです。少しばかり手荒な訪問になってしまうでしょうけれど、仕方ありませんわね。だって町の危機ですもの」
「いやそれにしても、今から町長を叩き起こしところでどうしようもないんじゃねぇの? 町全体が動いてないんだ、早朝にした方が幾分かマシだと思うがな」
「そんなことはございませんわ。夜間の方が奇襲に適していますもの」
「話し合えよ!
「もう少し静かになさって頂けます? あなたの粗野で粗暴で粗雑な声はよく響きますから──ほら、カリンも怯えてしまっているじゃありませんか」
不快感もあらわにマツリカはそう言うし、実際大声に驚いてしまったのは確かなのだが、こればかりはカリンもエドワルドの方に同意したかった。このままでは一緒に行動していた自分もお尋ね者にされかねない。
──エドワルドさん、頑張って……!
今のところマツリカに強く出られるのはエドワルドだけだ。なのでカリンは心の奥で、初めてエドワルドを応援した。
当のエドワルドはといえば、なにか衝撃を受けたらしくわなわなと震えている。
「野蛮人に品性を疑われるとかなんの冗談だよ────」
「立ち居振る舞いのことを申し上げているのです。日頃から洗練された所作を心がけていれば、少しの蛮行を働いたとしても剛勇さのあらわれと受け取って頂けるものですわ」
「あ、自覚はあるんだな……一応」
半目のエドワルドに指摘されると、マツリカは小さく咳払いをしつつ
「とにかく、私は方針を変えるつもりはありません。止めたいのならそうなさればよろしいでしょう。そんな猶予が無いこともご存知だと思いますけれど」
「────────」
それを言われてしまうと、反論は難しかった。
マツリカの言う通り、時間は無いのだ。数日の内にも魔物の大群は押し寄せるだろう。悠長に話し合いをするよりも暴力で迅速に従わせてしまった方が、最終的な被害は少なくなるかもしれない。
カリンとエドワルドが黙り込んだのを見て、マツリカは満足そうに頷くと
「それでは、行って参りますわね」
スカートの裾をひるがえし、弾むように歩いて行く。その背中にエドワルドが声をかけた。
「事前に危険を察してここを離れた魔法師が一人いる。
えー……確か──」
「アマンダさん、のことですか?」
「ああそう、その人。
で、その魔法師が町長にも警告はしてるっつってたから、説得するならその辺りの話も振ってみろ。少しは信ぴょう性も増すだろうよ」
「とても良い情報ですわね。ありがとう、感謝します」
肩越しに少しだけ振り返ると、マツリカはそのまま住宅街の奥へと歩いて行った。
その姿が完全に見えなくなってからしばらく経って、エドワルドがカリンに問いかけてきた。
「で、お前はこのまままっすぐ帰んのか?」
「えっと、そうします。いろいろと考えなきゃいけないことも、あるので」
辺りの暗さのおかげで視線を意識せずに話せるのはありがたかった。それに、なんだかんだとカリンがエドワルドの存在に慣れてきたのも大きいだろう。
「そうか、じゃ、行くか」
「う、家まで着いてくるんですか?」
「お前ん
そう言われて、カリンはようやく昼以降になにも食べていなかったことを思い出した。自覚すると気になってしまうもので、胃の辺りにムカつくような気持ち悪さを感じてしまう。
「──ハムタ?」
ポーチがもぞもぞと動き、中からハムタが顔を出した。どうやら「飯」の単語に反応したらしく、真っ黒な双眸がじっとカリンを見つめている。
彼の言いたいことはわかる。なにか食べるものをくれ、というところだろう。
「ごめんね、今なにも持ってないから家に帰るまで────あ」
家に帰ったところで食料など無いに等しいことを思い出し、カリンはどっと冷や汗をかいた。
こんな時間では買い物などできないし、今からまた森に戻って適当な食材を見繕ってくるのも骨が折れる──どころか、一睡もできなくなるはずだ。
「あのね、ハムタ──今日は疲れちゃったし、もう寝よう?」
半日程度食事をしなかったからといって、死ぬことはない。カリンはそれをよく知っていたし、昔もよく眠って飢えを凌いだではないか。ハムタももう慣れっこのはずだ。
カリンのそんな考えに、しかし、ハムタは盛大に鳴くことで異を唱えた。
彼はポーチを壊さんばかりに暴れて中から飛び出すと、エドワルド目掛けて駆けていく。
「おい、なんだよ急に。お前の飼い主はそっちだろが」
などと毒付きながらも、エドワルドは屈んでハムタを持ち上げてやっていた。
「……まあ、大体こいつの言いたいことはわかるけど、どうなんだ?」
「ご、ご飯が食べたいみたいで……」
エドワルドについて行っておこぼれにあずかろうというつもりであるらしい。
そわそわと落ち着きなく手の上で動き回るハムタの様子に、エドワルドは呆れたように言った。
「──あの駄犬も人のハラワタ喰うだのぬかしやがってたが、そもそもお前ら、飯なんて食わなくても生きてけるんじゃねぇの?」
なにしろ妖精は神々より上位の、この世界のシステムを創る存在なのだ。
あの極彩色の光を見た今はそれを疑うつもりもないが、それほどの存在が食事一つに固執している姿はなんとも情けなく映ってしまう。カリンとしても、ハムタのこの食い意地はちょっとだけ恥ずかしかったりするのだ。
しかし、ハムタはかたくななまでに態度を変えず、短く何度も鳴いている。
その必死な姿に罪悪感でも覚えたのか、エドワルドは深い溜め息を吐き出した。
「あーわかった、わかったから鳴くのやめろ、うっさい」
そしてまたしてもハムタの背中を摘んで宙吊りにすると、そのままカリンの方へと差し出した。
カリンが両手を皿にしてハムタを尻から支えてやっていると
「お前もとりあえず付いて来い」
「え、あ、あたしは……あ、あんまり」
カリンの語尾がみるみるしぼんでいく。
知らない店に入るのは怖いことだ。しかも外で食事をするのなら、店員との会話は避けられない。
そんな恐ろしい思いをするのなら、食事を抜いた方がマシだ。
「家になにもないんだろ? 明日からどうなるかわかんねぇんだから、今のうちに食っとけって」
「でも──」
「注文だのは俺がすればいいから、お前は黙ってろ。つーか、ヘタなこと口走られても困るしな、是非そうしててくれ」
そう言うなりエドワルドは歩き始めてしまった。
「…………うぅ」
カリンの口からはうめき声が漏れる。この男はいつだってカリンのことなどお構いなしだ。もういい加減に慣れてきたが、それでもやっぱり怖い思いをさせられるので、嫌いな方の人間なのである。
けれど。
けれど──悪い人間ではないのだ。
育ちが育ちなだけあって、カリンは悪人を間近に見る機会などいくらでもあった。
だが、エドワルドは自己中心的ではあるけれど、そういった悪人とは違う人種だ。今ははっきりと断言できる。
そうでなければ、逃げた後の惨めさについてなど語ることはしないはずだし、ちっぽけなカリンの決意を笑うでもなく、呆れるでもなく
──頑張れ、なんて言ってくれるわけない。
だから、嫌な人だけれども、それとは別に少しぐらいは信用してみてもいいのかもしれない。そう思うのだ。
ポーチの中に戻ったハムタが落ち着きなく動いている。早く行こうと急かされている気がするので、カリンはそこで考えるのをやめ、エドワルドの後に付いて、夜の街路を歩き始めた。
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