夕焼けと戦慄 3

 呼吸を忘れて見入るほどに、その光は美しかった。

 何色とも表現し難い光はゆらぎを中から食い破るように広がり、夕焼けの空を

染めていく。

「きゅっ──────!」

 妖精──ハムタの鳴き声で我に返ると、小さなネズミの姿が震えていた。それが恐怖ではなく、沸き起こる歓喜を抑えるための震えなのだと、エドワルドにははっきりとわかった。

 そしてそのままカリンに視線をやれば、心ここにあらずといった様子で立ち尽くし──泣いていた。

「おい……」

「────っは! はい!」

 声をかけるとカリンはようやくまばたきをして

「え、あ……? あたし、な、なんで」

 袖口で自分の目元を拭う。が、涙は止まらずに溢れ続ける。

 そんなカリンとハムタの異様な状態を横目に、エドワルドは落ち着きを取り戻した頭を巡らせた。

 ──いや、まあ……原因はあいつらなんだろうけど。

 先行していたマツリカ達が遂に本体と接敵した、のだろう。そして本格的な戦いを始めた。それ以外に思いつくものがない。

 しかし今、光が吹き出す直前に、カリンは何か言わなかっただろうか?

 そう、確か、エドワルドの思い違いでなければ──

「──カリン!!」

「ひぃっ──!?」

 細い両肩を掴んで揺らすと例によって悲鳴が上がるが、今はそれどころではない。

「お前──お前さっき! って言ったな!?」

「う、うぇ──? え、えぇ、え? 今、今、あたし……は」

 カリンは青ざめた顔を上に向け、焦点を遠くにぼかすと、ただ漠然と答えた。

「な、なんで、そう思ったんだろう……? だ、誰かが──教えてくれた、から?」

 疑問形で返されたので、エドワルドは早々に見切りを付けた。

 そもそもあれが本当に妖精界だとするならば、聞くべき相手はカリンでは無く、妖精本人であるべきだろう。

 ──くっそ、馬鹿か俺は!!  

 そんなことにさえ気が付かず焦っていた自分を叱咤しつつ、またしても背中の皮を掴んで手の上にハムタ乗せた。

「おいネズミ! どうなんだ!?」

 だが、正面から向き合うように乗せたはずのハムタはぐるりと後ろの──ゆらぎを引き裂く光の方を向いて、そのままだ。

 それならもう一度宙吊りにしてやろうかと、エドワルドがハムタの背中を摘みかけると──

「エドワルドさん! ま、前!」

 カリンの切迫した叫びに思わず手を止めた。

 言われるがままに前方を見ると、光は完全にゆらぎを消し去って──いなかった。

「……なんだ?」

 極彩色の光の中心に、黒い線が伸びていた。光を縦に二分割するようなそれは、次第に全体に広がって

 ──嫌な予感がする。

 エドワルドがそれをはっきりと認識した瞬間、光はヒビと共に一瞬で消え去った。

 あまりにも呆気なく。ただ、夕闇の仄暗さだけを残して。

「────なくなっちゃった……?」

 ややあってからのカリンの空虚な呟きが、これ以上ない真実を告げていた。

「で、でも、でも──消えて、ない。

 まだ、怖い感じが、残ってて……!」

「だろうな」

 妖精界の現出があの極彩色の光だったと仮定しても、一連の光景はそれが破壊されたようにしか見えなかった。

 だとするならば、その意味するところは一つしか考えられない。

「敗けたのか、あいつらは」

「で、でも! ま、マツリカさん、さ、最強だって言ってて──」

「そりゃ妖精の侍従エージェントとしては、の話だろうよ。奴さんは一度も人類最強だの世界最強だのとは言ってなかったぜ?」

 現に、マツリカは破滅の使者の本体が育ちきれば、自分達だけでは手に負えないと言っていたはずだ。

「間に合わなかったってことなんだろうな──遺品ぐらいは拾ってやりたいとこだが、あの中じゃあ無理そうだし」

「──人聞きの悪いことを仰らないで頂きたいのだけれど?」

 エドワルドの耳に鈴の音のような声だけが届いた。 

「は?」

 前後左右を見回してみても、姿はない。幻聴かとも思ったのだが、カリンも同じように周囲を見渡しているので、そうでもないようだ。

 ではどこだ? とエドワルドが前を向くと、そこに少女達は居た。転移陣が無いことから魔法ではないのだろうが、とにかくエドワルドが注意を逸らした一瞬の内に、二人と一匹は現れたのだ。

 だが、その姿は少し前に別れた時とは大きく違っていた。

 真っ先に目を引いたのは地面に伏すトーマだ。大きな外傷は無いようだが、力なく四肢を投げ出している様は一瞬死体と見間違えた程である。その片腕に全身を預けるエリンティアーナも、舌を出して苦しげな呼吸を繰り返すばかりである。

 そして唯一意識のあるマツリカも、地面に膝をついて肩で息をしていた。多数の魔物を殺し回ってもなお純白だったドレスも今は土に汚れ、破れた部分には血が滲んでいる。

「ま、マツリカさん……!」

 カリンが駆け寄って崩れそうなマツリカの身体を支えるのと同時に、エドワルドの手の上からハムタが飛び降り、マツリカの前まで走って行く。

「……あら、随分と可愛らしい姿ですこと」

 息を乱しながらも、マツリカはハムタがカリン付きの妖精であることを即座に理解したらしく、言葉にはどことなく険がある。だが、それ以上の皮肉は言わずに、自分の身体を支えようとするカリンの手を外した。

「ありがとう、カリン。でも私は大丈夫ですから──」

 そしてボロボロになった傘を杖がわりに立ち上がると、背筋を伸ばす。

「とにかく、一度街へ引き返しましょう。状況は道すがらお話致しますから。

 カリンはエリンティアーナを、エドワルドには出来るのならトーマのことをお願いしたいのですけれど──」

「ああ、そりゃ構わんが……」

 あんたはいいのか? と視線で訴える。

 日も半分ほどは落ち、暗くなったこの状況でもわかるほどに、マツリカの顔色は悪かった。外傷も最も多いのは彼女なのだし、せめてトーマとエリンティアーナをエドワルドが引き受け、カリンに補助を頼んだ方がいいのではないだろうか? 幸いにもエリンティアーナは小型犬の姿なので、トーマを担ぎながらでもなんとか運べることだろう。

「──その続きを仰るなら、侮辱と受け取りますわ」

 だが、マツリカはそれを拒否した。

「私が負傷しているのは事実ですけれど、移動に支障をきたす程ではありませんわ。

 それに、森の加護を得られるとはいえ、突発的に魔物に遭遇する可能性がある以上、誰か一人は身軽に動けた方がいいでしょう」

 疲労こそあれ、マツリカの気迫はまだ健在だった。その証拠に、彼女は爛々と瞳を輝かせて

「と、言うより──消化不良で苛立たしいことこの上ありません。戦えるのならいっそあなた方でもいいぐらいです」

 傘を握り締める不穏な音がする。返答を間違えれば今にも襲いかかってくるのではないかと思う程だ。

「ああ、やっぱり敗けたんだ?」

 だが、エドワルドはあえて煽ることにした。横でカリンがガタガタと震え出したが、それは放置する。

「誰が敗けたのです? まだ前哨戦を終えたばかり、そして私達は生き残っているのですから、まだ勝負は着いていませんわ──!」

「前哨戦の段階でも本戦の勝率ぐらいはわかるだろ。

 だがその様子じゃ、相当不利だと考えてよさそうだなぁ?」

 たっぷり嫌味を込めてそう言い捨て、エドワルドは地面に転がっているトーマを担ぎ上げた。

 ──軽いな、ちゃんと食ってんのかこいつ。

 トーマは昼下がりにエドワルドを不摂生そうだなどと評していたが、実際に担いでみれば、エドワルドの方が心配したくなる程度には軽い。それでいてあれだけの瞬発力を誇るのだから、これは単に痩せているというよりは、一切の無駄を削ぎ落とした機械的な身体とでもいう方が正しいだろうか。

 だが、この年頃の少年である。本人の意思とは関係なく、周囲の人間に矯正された結果であろうことは想像に難くない。エドワルドにとってはいけ好かない少年ではあるものの、そう考えると少し同情心も湧いた。

 なのでできる限り負担が掛からないよう、トーマを持つ位置を微調整しているうちに、マツリカから発せられていた肉食獣のような殺気はなりを潜めていた。

「……落ち着いたか?」

「ええ、おかげさまで」

 マツリカは随分と居心地の悪い様子だったが、その内心を思えば無理もないことだろう。

 マツリカはある種の完成された戦士である。自らを短気と自称してはいるものの、頭の中には常に冷静な部分を残し、余裕を持って物事に相対することを誇りとするような手合いなのだ。

 だというのに、エドワルドに煽られた程度で余裕を無くし、我を忘れて声を荒げた。このタイプの人間にとって、それは途方もない羞恥を掻き立てるはずだ。

 ──ま、しばらくは寝る前に思い出して枕にでも八つ当たりしてろ。

 そのしばらく、が有るのならの話ではあるが、ともかくこれで危険要素は一つ減ったので、エドワルドは誰に言うでもなく歩き始めた。軽いとはいえ人間一人を担ぐのはなかなかの負担で、早々に帰還したかったのだ。

 すぐ後ろに小走りに近付いてくるのはカリンの気配だった。マツリカはややゆったりとしたペースを一定に保ったまま付いてくる。

「カリン、加護とやらが使えるとこにまで行ったら道案内頼む。できれば最短距離でな」

「わ、わかりました」

 短いやり取りを交わした後は、しばらく誰も口を開くことはなかった。それは同時に疲労が色濃いことを物語ってもいる。

 ゆえに、ようやくマツリカが事の顛末を語りだしたのは、来る時も使った急勾配を彼女の魔法で浮遊しつつ越えている時だった。

「──敗け、てはいませんわ。まだ」

「そうそれ、結局どうなってんだ、今は」 

「……私達が街の中心──神殿の跡地だと思うのですけど、とにかくそこにたどり着いた時には、既に本体は育ちきり、動き出す直前だったのです」

 マツリカはそこで一端言葉を区切り、口元を手で押さえた。

「ですので、私は急いで妖精界の現出フェアリーリンクを──妖精界へのあなを開き、その力でトーマと共に挑みかかったのです。

 ……ええ、あんなおぞましいモノ、長く見ていたくはありませんでしたから」

「だが、倒せなかったんだろう? 俺達も光が割れるのを見た」

 マツリカが渋い顔をして頷いた。

「間に合わなかったのです。アレは完全体になってしまっていた。だから妖精界の一撃をもってしても、倒すまでに至りませんでした。

 けれど、エリンティアーナもトーマも、先の一撃による反動で意識を失っていましたから、とても戦える状態ではありません。だから私は二人を守り、残っていた力の全てを使って空間転移を起こし離脱しました。

 ……以上が、あなた達と合流するまでの流れです」

 急勾配を登りきり、枯れた木々の間で魔法を解除すると、マツリカはすぐに新しい魔法行使にかかる。

燈火ともしび、宵を照らしなさい」

 人間の頭程度の大きさの炎が生み出され、宙に浮き上がる。マツリカが街の方へと指差すと、炎はゆっくりとその方向へ移動を始めた。

「ではカリン、先行してもらえますか? あなたの行く方に向かって燈火を移動させますから」

「は、はい」

 とっぷり日の暮れた枯れ木の森の中、僅かな明かりしかない中でも、カリンの動きには淀みがない。まだ加護の範囲外であるはずなのだが、これは単純にカリンが森を歩くのに慣れているからだろう。

 前を向いて歩くカリンとは対照的に、ポーチの中に戻っていたハムタの方は顔だけを覗かせて、エドワルドとマツリカに注意を払っているようだった。

「──で、話の続きなんだが」

「次にいつ戦うのか、ということでしたら、どれだけ急いだとしても明後日まで待たなければなりませんね。……トーマとエリンティアーナが回復していなければ、さらに時間がかかります」

 その含みを残したような物言いに不穏な予想をしつつも、エドワルドはそれを聞いてみることにした。

「もし、回復が遅れたとして、どれだけの被害が出る?」

 完全体に成ったという破滅の使者は、いつ動き出すのか。そしてどれだけの土地を、空間を枯らし、侵食していくのか。

「三割程度は削いだ感触があります。一時的にではありますが末端も全て薙ぎ払いましたから、今はあの場所に留まり、その補修にかかっているはずです。私達への追撃をしていませんから、それだけは間違いありませんわ。

 ただ──どれほど上手くコトが運んだとして、この森の死を防ぐことは出来ないでしょうし、最悪の場合はこの地域全てが消失するはずです」

 前を歩くカリンがびくりと身を竦ませた。

「こ、この森、無くなっちゃうんですか……?」

「あと一日でも早くここに来ていたのなら、どうにかできたかもしれません。ですがアレが完全体と成った今、それは不可能でしょう。

 例えば私達がアレよりも早く回復し、攻撃したとしても、完全体ならば自己の補修よりも私達の排除を優先するはずです。

 そうなればこの森は戦場になりますから──」

 マツリカはそれ以上は口をつぐみ、首を横に振った。カリンもなにも言わずに、止めていた足を動かしたが、その肩は小さく震えていた。

「問題はそれだけじゃねぇだろう」

 カリンにとっては慣れ親しんだ森の死は重大な案件なのだろうが、エドワルドにはそれよりももっと深く懸念することがあった。おそらくはマツリカも意図的にそれについて触れなかっただろう、その懸念とは──

「この森を住処にしてた魔物共はどうなる?」

「──────────っ」

 今度こそ。

 今度こそマツリカは、奥歯を噛み締めて沈黙した。

「あんたはここに来る時にこう言ったな。この辺りの魔物は森の異常を察して逃げ出したんだと。そりゃもっともな話だ。大地が死ねば生きていけないのは魔物だって同じだからな。

 だが──奴らは逃げるんだ?」

 マツリカは答えない。彼女はもうその答えを知っているからだ。

「カリン、お前はどう思う?」

「え、それは……まだ枯れてない部分の森──────あ、あ、あぁ……!」

 言葉を発しながら考えている途中で、カリンもその意味に気がついたようだ。

 今はまだ無事な箇所があったとしても、この森は数日の内に死ぬのだ。それを察した魔物達が森を出るのも時間の問題だろう。

 では、住処を追われ、切迫した状況下に立たされた魔物達の目と鼻の先に──安穏と日々を過ごす人間の街があったとしたら。

「普段から街を積極的に襲ったりしないのは、奴らにとっても危険があるからだ。

 だが、住処を失う極限状態の中で、目の前に大量のご馳走があったとしたら──多少の危険ぐらい承知で飛びつくだろうよ」

「街、が──襲われる。みたいに……!」

 絶望に打ち震えるカリンの言葉に、マツリカは沈痛な面持ちで頷いた。

「ええ、そうです。ワーグニスの街は東に内海、北には山間部が広がっていますから、南の街道を塞がれれば脱出も絶望的でしょう。あるいは今ならまだ、それも可能なのかもしれませんが……」

「いや、それは無理だろうな」

 言いながら、エドワルドはアマンダとの会話を思い出していた。

 彼女は確か、魔力計が瘴気を噴いて壊れたと言っていたはずだ。人魔戦争の只中でもそんなことが起こった例など聞いたことがないが、近くの地脈が完全に枯らされ地域全体の魔力の内包量が減り、さらに魔物が大挙して押し寄せつつある状態ならどうだろうか。

 その仮説が正しければ、魔物達はすでに森の入口付近まで移動して来ているということになる。であれば、食料が足りなくなり、森の周辺をうろつく魔物は増えているはずだ。

「夜は奴らの活動時間だ。街を襲うまでは行かずとも、街道をのこのこ歩いてるような人間なら格好の餌と見て襲いかかるだろうよ」

「……そうですね。楽観視していましたわ。

 私やトーマならこの森の魔物など造作もありませんが、一般の人々にそれを求めるのは無茶というもの。やはり犠牲は避けられないようですわね」

 そんなものを想像したかったわけではないのだが、ふとワーグニスの町並みが魔物に破壊され、瓦礫の山と血で汚れた光景が頭の中に浮かんできた。エドワルドにとっても半月程度滞在し、それなりに愛着もある町である。それはなんとも言い表せない不快感を催した。

「ああ。だがまあ、俺も町の連中と心中する気はねぇからな、やれる限りのことはやるさ」

「助かります。

 戻り次第、代表者の方に警告しなければなりませんね。ゆっくりしている暇はありませんわ────カリン? どうしましたの?」

 数歩前を歩くカリンの背中が丸まっていることに気がついたマツリカが声をかける。

「あなたにとっては暮らしている町の危機ですから、ショックを受けるのも無理はありません。辛いようなら森の加護も私が要請しますけれど──」

「……う、な、なんでも、な、ない、です。行き、ます」

 それはフードを目深にかぶっていた時と同じような──ひどく震え、かすれた声だった。どこか不安を煽るようなその様子に、エドワルドはマツリカと顔を見合わせたが、カリンはさっさと小走りに駆け出してしまっていた。

「大丈夫なのかしら、あの

「さあな────」

 闇の中を進むカリンの後ろ姿はどうにも危なっかしく感じられる。それに言いようのない胸のざわつきを覚えながら、ふと視線をずらすとポーチから顔を出していたハムタと目があった。

 だがハムタの真っ黒な瞳からはなんの感情も読み取ることはできず、彼はそのままポーチの中へと戻って行くだけだった────

 



 

 



 


 





 


 

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